5月12日 経済フロントライン
映画館の前にズラリと並んだ若い人たち。
中には登場人物のコスプレをしたグループも。
カバンにはたくさんのクラッカーも入っていた。
この映画館では上映中にクラッカーや紙吹雪、サイリウムに使用が可能で
立ち上がったり叫んだりしてもいいということである。
この日上映されたのは
女子高校生が戦車を操って戦う作品「ガールズ&パンツァー」。
上映が始まると
たちまち客席から歓声が上がりペンライトが降られる。
戦車の攻撃のタイミングではクラッカーをいっせいに鳴らし
一緒に戦っている気分を味わう。
人気のキャラクターが登場するとライブ会場のような盛り上がり。
ただ座って鑑賞するのではなく
自分たちも参加することで作品を楽しめるのだという。
「みんなで1つの映画を作り上げるみたいな
私はそれがいちばん好き。」
「爽快ですね。
しちゃいけないことをしているみたいな。」
こうした応援を意識して構成を工夫した作品まで登場している。
アニメ作品「キング・オブ・プリズム」。
男の子たちが切磋琢磨しながらスターを目指す物語で
若者を中心に支持を集めている。
人気の秘密は
かけ声のタイミングがあらかじめ用意されていること。
セリフの後にあえて間を作ることで登場人物と会話できるようにしている。
さらに
セリフの字幕だけを表示し
観客が読み上げる場面まである。
登場人物とデートを楽しんでいる気分を演出することで
若い女性たちの心をつかもうという戦略である。
少しでもセリフに間があると思い思いの手を入れて
上映を盛り上げていく。
「それじゃあ こちらへどうぞ。」
「はーい。」
「古いけどいい雰囲気だろ。」
「そうだね。」
「昔 修道院だったそうだよ。」
「へ~。」
SNSなどの広がりで
どんな情報でも環境で育った若者たち。
実は
自ら体を動かしたり
声を上げて楽しめるような能動的な鑑賞スタイルを求めているのではないか。
この作品を手掛けた菱田正和監督はそう考えて製作したという。
(菱田正和監督)
「ほとんど1時間しゃべりっぱなしなんです。
騒げる仲間が必ずそこに行けばいるという状態になっているので
それが楽しいのだと思います。」
口コミで人気を呼ぶ応援上映。
14の映画館で始まったこの作品の上映は
全国述べ100以上の映画館に広がっている。
興行収入も当初の目標を大きく上回り
6億円を記録した。
「こんなに映画館に来ているのは人生初めてです。」
「私まだ全然 16回ぐらい。
ライブを1600円で見られるし。楽しいし
全然お金を出しちゃう。」、
若い世代をぐっとひきつける応援上映。、
若者の消費に詳しい専門家は
何事にも効率を求める今の若者の価値観にぴったりあったことがヒットにつながったと考えている。
(電通総研 吉田将英さん)
「お金の面だけでなく
時間や労力も含めてコストパフォーマンスと表現するが
そういった中でコスパもいいし近場で盛り上がれる
新しい趣味 楽しみ方として人気を集めている。」
6月12日 経済フロントライン
都内に住む主婦の大木香さん。
大木さんがよく利用している通販サイトは
加工食品を中心に5~9割引きの値段で販売されている。
その秘密は
賞味期限が近付いた食品などが売られている
さらに安いだけでなく食品ロスを減らすことにつながることも魅力だという。
(大木香さん)
「日本が抱える大きな問題になっているんだなって思ったので
こういうことで貢献できるんだったら
どんどんしていきたいと思います。」
サイトを運営する東京渋谷の会社。
どうやってメーカーから商品を集めているのか。
この会社は社会貢献につながる方法を考え出した。
商品の売り上げの一部が慈善団体などに寄付される仕組みである。
メーカーにとってはブランドイメージを損なうことなく
商品を格安で販売できる。
(サイト運営会社 グラウクス 社長 関藤竜也さん)
「協賛するメーカーは立派な企業だという見え方を作るのも非常に大切なこと。
お客さんの方も知ってみたら
むしろ売ってくれてもいいよという風潮が高まって初めて
食品ロス削減につながっていく。」
家庭での食品ロスを減らそうという取り組みも始まっている。
都内で開かれたのは最近注目を集めている「サルベージパーティー」。
サルベージ=救い出す
家で余った食材を持ち寄り
楽しもうというのである。
プロの料理人が余った食材の意外な活用術を伝授する。
「ツナ缶でも油はドレッシングに使って
ツナは違うメニューに加えるとか
なるべく手元にある食材だけで完成させるように心がけています。」
冷蔵庫に眠て眠っていた缶チューハイはソースに加えて風味を出す。
春雨サラダに加えたのは余りやすい“おふ”。
乾燥したまま入れると食感にアクセントが加わる。
(参加者)
「柔らかいものの中にパリパリ感がある食感でいいですね。」
(イベントを開催した(フードサルベージ)代表理事 平井巧さん)
「サルベージパーティーを自分で開催したりとか
家で食材を使いきる工夫をするとか
そういったことで取り組んでいただければ
いずれは大きい輪になると思っていますので
そういったところに期待しています。」
6月12日 経済フロントライン
群馬県にある国内最大手の豆腐メーカー。
日持ちしにくい豆腐を余分に製造しないよう
新たな試みを始めている。
豆腐は仕込みに時間がかかるため
事前に受注量の見込みを立てて生産する必要がある。
これまでは経験とカンに頼ってきたが
見込みが外れて廃棄する場合も多かったという。
そこでまず
寄せ豆腐を対象に
新たな予測システムの実証実験を始めた。
タッグを組んだのは日本気象協会。
気象データを取り入れて
予測の精度を高めようというのである。
データの中にある寄せ豆腐指数。
その日 人が食べたくなる度合いを
独自の解析で数値化。
それが翌日に増えるのか減るのかを示す。
元にするのが気温の予測や過去の販売実績。
例えばこの2日間を観ると
前日より最高気温が3℃以上あがるため
指数も4ポイント上がるとしている。
(日本気象協会 技師 中野俊夫さん)
「5月に一気に気温が上がって30度になった場合と
8月に35度が毎日続いた後30度になった場合というのは
同じ気温でも暑さの感じ方というのはかなり違います。
どのような気温かだけではなくて
どのような経緯をたどってこの気温になったのかを評価して
指数として出させていただいております。」
豆腐メーカーではこのシステムを活用することで
昨年度寄せ豆腐の食品ロスを約30%減らすことができた。
(相模屋食料 社長 鳥越淳司さん)
「カンでやるには限界がありましたので
ありがたいデータをいただいていますので
最大限のパフォーマンスを出したいなと思っています。」
食品ロスを減らすことができれば
企業にとっても廃棄にかかるコストを削減できるメリットがある。
(流通経済研究所 主任研究員 石川友博さん)
「食品ロスを減らす
イコール利益率の改善につながるので
企業にとってメリットがある。
企業が食品ロスに取り組めるような風土を作っていくことが重要。」
消費者が捨ててしまう食品を減らそうとこんな商品も発売された。
人と会話をしながら食品の管理をする冷蔵庫。
買ってきた食品を入れるときに音声で登録。
あらかじめ1600種類の食品の一般的な使用期限がインプットされていて
期限が近づくと知らせてくれる。
「ピーマン タケノコの賞味期限が近いよ。
確認してね。」
さらにこんな提案もしてくれる。
「期限が近いタケノコを使ったグリーンカレーはどうですか。
おいしい料理を作ってね。」
他にもスマートフォンで外出先から冷蔵庫の中身を確認でき
同じものを買うことを防げる。
(シャープ クラウドサービス推進センター 主事 谷野加奈さん)
「私も食品を傷めてしまって捨てることはありましたけれども
そういう主婦の悩んでいる部分を
技術を使って解決できないかなと。」
6月10日 キャッチ!
中国の臓器不足問題
驚きの解決策である。
ブタの目の一部をヒトに移植する。
ブタが視覚障碍者の力になるかもしれない。
検疫は食肉用として行われているが
角膜も摘出できる。
中国政府は去年 移植にGOサインを出し
大々的に実施されている。
角膜の感染症にかかり片方の目の視力を失った男性。
24時間前にブタの角膜を移植した眼は
早くも視力を回復しつつある。
(ブタの角膜を移植した男性)
「ブタの角膜を使うと聞いてもそれほど驚かなかった。
先生の判断を信じているから。」
企業が10年がかりで開発した治療法である。
「ヒトの角膜に代わるものがないか
ヤギやイヌなど様々な動物を試した。
その結果 ブタの角膜がヒトによく似ていることがわかった。」
先走る中国に警告する人もいる。
当面 追従の動きは無いが
動物の臓器は関心が高く
これは始まりに過ぎない。
(慶應義塾大学医学部 小林英司特任教授)
「30年以上前の臓器移植の黎明期から
ブタなどの動物の臓器を人間に移植しようという動きがあった。
治療法は2つの壁があったため臨床医療に至っていない。
ひとつは“免疫の壁”です。
ブタの臓器を人間に移植した場合に
たいへん激しい拒絶反応が起こります。
ブタを遺伝子改変して
拒絶反応が小さくなるような試みも続けられてきました。
もう一つの壁は“感染”。
ブタの臓器を人間に移植した場合に
感染のリスクがあるようなことが大変問題に。
ブタ自身は無菌状態できれいに飼える飼育環境ができるようになってきました。
困っている患者さん
研究を進めたい研究者
この利害が一致しますと
先端医療は非常に大きな推進力にはなります。
そのような時代の流れをどのように受け入れていくかということが
現在のブタを利用した移植の現状だと思います。」
異種移植をめぐってアメリカではさらに進んだ研究が行われている。
ヒトのすい臓をブタの体内で育成する研究がカリフォルニアで進んでいる。
(カリフォルニア大学 パブロ・ロス教授)
「正常に成長してくれることを願っています。
このブタのすい臓はほとんどヒトの細胞からできているから
患者に移植しても拒絶反応は無いはずです。」
ゲノム編集と呼ばれるこの技術。
まずブタからすい臓を作る指令を出す遺伝子を切り取る。
その代わりにヒトの遺伝子を入れ
ブタの体内で育成させるのである。
この技術は臓器移植へ転用も期待されている。
ブタとヒト両方の遺伝子を持つ受精卵をおなかに宿したブタ。
患者からとり出した幹細胞で育成した臓器が
拒絶反応のリスクを減らすはずである。
この研究は大きな倫理的な問題を提起している。
ブタの体内で育っている胎児が
どの程度ヒトの要素を引き継いでいるのかという点である。
大変複雑な問題である。
受精卵は受胎から28日目
1センチほどの大きさで取り出して分析にかける。
ブタの胎児の脳にヒトと同じ性質があるのか調べる。
この分野の第一人者は問題は解決していないという。
(ミネソタ大学 ウォルター・ロー教授)
「ゲノム編集でどんな臓器を作るときも
脳で何が起きているのかに注目します。
ヒトの思考に近いブタを誕生させるわけにはいかない。」
動物の産業飼育廃止を訴える活動家は
動物で臓器を作るなどとんでもないと主張する。
(動物愛護団体 ピーター・スティーブンソンさん)
「もっと人間に臓器提供を呼び掛けるべきです。
それでも臓器が不足するなら
代わりに豚肉の消費を控え
人間に利用されるブタが増えないようにすべきです。」
現在イギリスでは7,000人が臓器移植を希望し
提供を待ちながら1年で数百人が亡くなっている。
しかしゲノム編集されたブタの臓器を移植する臨床試験はかなり先のことである。
(東京大学大学院医学系研究科 赤林朗教授)
「まずは“感情”の問題です。
ブタの細胞が体内に入ると“ブタ?大丈夫?”という感情が起きるかもしれません。
これにどう対応していくのかというのが問題となる。
次に重要な論点は“種の統一性”という問題。
ブタの細胞が人間の体内に入って
どこまでがブタで
どこまでが人間か
境目が非常にあいまいになってしまいます。
人間が人間としてこれまで自然な形で進化してきたのに対して
人間以外のモノが入ってくるという非常に大きな問題を抱えていて
これが倫理的に非常に難しい課題になってkル。
さらに“動物の倫理”ですね。
なぜ動物が使っていいのか
ということが問題になってきます。
いろいろな問題があるけれども
どうすればいいのかに関しては社会全体で議論して
最終的には社会的な合意形成を目指していく。」
6月9日 首都圏ネットワーク
経済産業省で披露された小型の電気自動車。
バイクのようなハンドルで簡単に運転でき
小回りがきくので狭い道でも走れる。
軽自動車よりも小さい超小型モビリティ。
大人2人乗りで
今の法律では許可を得た地域でしか走れないが
高齢者などの移動手段として国が検討している次世代の車である。
近所への買い物や病院への送り迎えなどに使えないか期待されている。
(経済産業省の職員)
「狭いのかなと思って乗ってみたが
意外と感覚的には広くてびっくり。」
「今まで車に興味が無かった人たちも車を運転してみたいという
新しいニーズも開けてくるんじゃないか。」
開発したのはベンチャー企業。
趣旨に賛同した素材メーカーなどが協力して作った。
ベンチャー企業を仲間と起ち上げた根津孝太さん。
大手自動車メーカーでデザイナーをしていたが
もっと自由な発想で車を作りたいと独立した。
今回 目指したのは
思わず触ってみたくなるようなワクワクする車を作ること。
ボディには軽くて丈夫な布を使っている。
(リモノ 根津孝太さん)
「車はどうしても威圧感がある。
ぬいぐるみのようにそばにあっても人に威圧感を与えないというのは
布を使ったひとつの狙い。」
この日打ち合わせを行ったのは愛知県の中小企業。
実際に車を作るのは地域の町工場を想定している。
ボディに布を使うことで
金属で作るよりも設備投資でお金がかからない。
車を使う場所で車を作る。
いわば「車の地産地消」という
新しいビジネスモデルを考えた。
根津さんたちの挑戦に協力することになった自動車部品の設計事務所。
代表の奥村康之さん。
これまで大手メーカーの下請けとして
座席シートの設計などを手掛けてきたが
今回 車全体の開発にかかわれると参加を決めた。
(ドリームデザイン 奥村康之さん)
「ベテラン社員が自分たちで車を作りたいという夢の話をずっとしている。
取引先にはそれぞれの開発アイテムの専門家がそろっているので
集まったら1台の車ができるんじゃないかと。」
課題はボディの曲線を布で表現すること。
高い加工技術が必要だが
付き合いのある中小企業なら乗り越えられると考えた。
座席シートの縫製を手掛けてきた技術で
実際に作っては何度も修正を繰り返した。
この企業にとっても技術をアピールするチャンスだと考えた。
(ビー・クラフト 森下弘一さん)
「毎日のように奥村さんに常駐してもらって
そのつど ああでもないこうでもないといろいろ議論しながら。」
窓の製作を担当したのはプラスチックの加工を手掛けてきた町工場。
自分たちの工夫が生かされるものづくりは刺激的だという。
(ブレイン・ストーミング 佐藤春光さん)
「普通はきめられたレールの中でうちらは仕事をしている。
やっぱり自分が任意で作るもの
熱くなれるもの
うちらも感動できて仕事ができる。」
新しい車を作ろうという挑戦に大手企業も注目している。
大手素材メーカーを訪れた根津さん。
車体を軽くする方法を相談をしたところ
骨組みの材料を金属からプラスチックに変えてみないかと提案された。
このプラスチック 特殊な塗装をしていて曲げても折れないことが特徴である。
これまで車に使うことは想定していなかったものだった。
(三井化学 研究開発本部 星野太本部長)
「従来の材料開発の既成概念を壊すような経験をさせてもらっている。
この開発を通して自動車メーカーにも新たな提案ができたら。
(リモノ 根津孝太さん)
「今まで世の中に出てこなかった技術。
今まで持っていたが違うところに使っていた技術。
縁の下の力持ちになっていた技術を主役にする。」
中小企業の力を合わせて走り始めた小さな車。
日本のものづくりの新しい可能性を引き出そうとしている。
6月8日 おはよう日本
スウェーデン人の父と日本人の母の間に生まれたフジコ・ヘミングさん。
海外でも高く評価されているフジコさんだが
一時 両耳の張力を失うなど多くの挫折を経験した。
年齢を重ねた今も
世界中で年間50回に及ぶコンサートをこなすフジコさん。
その原動力はどこにあるのか。
コンサートを追え楽屋に戻ってきたフジコ・ヘミングさん。
今もなお演奏を続けている理由
それは自分のピアノに満足したことがないからだという。
(フジコ・ヘミングさん)
「もっとよくしないと もっとよくしないと、と毎回。
人間はその方がいいんじゃないかな。
満足しちゃうとだめだから。
どこかで必ず間違えたり上手くいかないことがあるから
そこを次の時にはそうならないように気をつけて。
私は年をとっていつまで生きているかわからないから
今のうちにやっておこうという気があるから
たのまれるとやっぱりやっちゃう。」
5歳からピアノを始めたフジコさん。
その人生は苦労と挫折の連続だった。
厳しい練習を重ねていた16歳のとき
中耳炎で右耳の聴力を失ってしまう。
それでも努力を重ね
28歳でドイツに留学。
極貧生活の中でピアノを弾き続けた。
そんなフジコさんにチャンスがめぐってきたのは移り住んだウィーンでのこと。
自ら有名な音楽家に売り込み
ウィーンでリサイタルの開催にこぎつけた。
しかし本番直前 大きな試練がフジコさんを襲う。
お金が無く
古いアパートに住んでいたフジコさんは
寒さのあまり風邪をこじらせ
右耳に加え左耳も全く聞こえなくなってしまった。
「私は絶望した。
これでどうしようかと思った。
聞こえないからペダルをどんどんいっぱい押し過ぎて
全部音がぐちゃぐちゃになったという批評が来たから
すごく悲しかった。」
その後 治療で左耳の聴力は40%にまで回復したが
音を失っている間もフジコさんは決してピアノをあきらめようとはしなかった。
「ピアノはやめられなかった。
私の一部のようなもので
いつもやめないで弾いていれば
何か腕があるじゃない 誰だって。
仕事をして生きていくじゃない。
私にとって一番いい方法はやっぱりピアノ。」
ときには病院で清掃や介護の仕事をしながら再起を目指したフジコさん。
そんなフジコさんを一躍 時の人にしたのが
NHKのドキュメンタリー番組だった。
ETV特集「フジコ~あるピアニストの奇跡~」(平成11年放送)
そして念願のCDデビューを果たし
売り上げ200万枚の大ヒット。
しかしここにたどり着くまでには30年以上もかかったのである。
フジコさんが5月に出版した自身の半生を記した本。
そこには壁に直面したときどうやって心を保ったのか
綴られている。
「フジコ・ヘミング たどりつく力」~
自分を不幸だと思ったらそのときから本当に不幸になってしまう。
自分を憐れんだらおしまいです。
人生はいろんなことを乗り越えていくものですが
努力さえしていれば
夢さえ失わなければ
その先には大きな発見が待っています。
そこにたどりつくまではいばらの道が続いていても
きっと乗り越えられると自分を信じて進むべきだと思います。
全国ツアーの合間に久しぶりに東京の自宅に戻ったフジコさん。
休みの日であっても毎日3~4時間の練習を欠かさない。
年を取ることは止められない。
その中でも最高の演奏をして人々に感動を届けたい。
そのために自らも課している。
毎日の練習で必ず弾く曲がある。
それが「ラ・カンパネラ」。
作曲家のリストが人生をかけたこの曲に
フジコさんは自らの波乱に満ちた人生を投影。
その演奏が高く評価され
代名詞となっている。
「辛抱した方がそれを乗り越えて鍛えられていくんじゃないかな。
私がすごく苦しんだ生活をしたり
それを乗り越えてきたのがみんな演奏に出ているんだと思うから。
それを聞いてくれて感じる人は感じるんだと思う。」
6月1日 フジコさんは函館にいた。
待っているファンたちのため全国各地をまわる。
楽屋に着くとすぐに練習し集中力を高める。
この日は1,300人を超えるファンが詰めかけ満席となった。
ピアノで自分の今を表現し
観客に思いを受け止めてもらう。
それがフジコさんがたどり着いた一番の喜びである。
フジコさんの人生全てを込めて演奏する。
最後は「ラ・カンパネラ」。
「フジコ・ヘミング たどりつく力」~
人はそれぞれ得意分野があります。
人のまねをしたり人をうらやんだり。。
自分が不得意だと思っていることを無理に行うと必ずしっぺ返しがきます。
私は自分らしく生きたい。
自分らしいピアノを弾きたい。
自分だけの音楽をつくりたい。
そして音楽で「喜びの種」をまきたい。
そう考えていつもピアノに向かっています。
「フジコさんの人柄が出ていて心に響く。」
「ピアノを始めたいと思ったのが
フジコさんのCD“ラ・カンパネラ”の演奏で
迫力があって
聴けてうれしい。」
「ぜひ演奏活動を続けてほしい。」
6月7日 首都圏ネットワーク
グラマラス(魅力的)+キャンプ=グランピング
都心から車で約2時間富士山を望む山梨県川口湖畔。
去年ここにグランピング専門のリゾート施設がオープンした。
6ヘクタールの森に用意されているのは
宿泊客がゆったりくつろげるテラスやハンモック。
専門のスタッフのサポートのもと
まき割りや乗馬なども体験できる。
宿泊客の7割は首都圏から。
特に目立つのはキャンプ初心者の若者や家族連れの姿である。
人気の理由は
従来のキャンプにつきものの準備や後片付けのわずらわしさがないこと。
料理の材料は施設が用意してくれる。
全ておまかせで料理してもらうこともできる。
テントを張る必要はなく
キャビンに宿泊するため天気の急変や衛生状態を心配する必要もない。
「普通のキャンプって
トイレが汚いとかお風呂に入れないとか気になるんですけど
こういうところだったらそれが一切ない。」
「ぜいたくですよね。
すごくぜいたくです。」
全国100か所以上で体験できるグランピング。
なかには都心で楽しめるところもある。
東京豊洲にある施設。
約70のテントが設置され
本場アメリカンスタイルのバーベキューが味わえる。
食材や調理器具の準備され
面倒な火おこしも必要ない。
テントの中には革張りのソファー
豪華なシャンデリア
まるで個室レストランのような雰囲気である。
休日だけでなく平日の仕事帰りでも立ち寄れると
連日多くの若者たちでにぎわっている。
「昼もいいけど夜の方が好き。
ライトアップされている感じがいい。」
「家でやっているぐらいの軽い感じでできるのが楽。
気を使わなくてすむかな。」
グランピングの人気を押し上げているもう1つの理由が
SNSの普及である。
グランピングの専門誌が開いた座談会。
参加者がそろって大きな魅力だというのが
グランピングで撮った自慢の写真。
これをSNSなどに投稿し
ネットで共有し合うことがグランピングの楽しみ方として浸透している。
「グランピングだったらフォトスポットばかり
常にシャッターチャンス。」
(グランピング専門誌 編集長 吉村司さん)
「SNSの1枚の写真で自分を表現するのがブームだと思うけれど
どんどん1枚のいい写真を撮るがためにグランピングにのめり込んでいるのを感じる。」
グランピングで地方を訪れる客をターゲットにした地域活性化の取り組みも始まっている。
静岡県で2つのグランピング施設を運営している橋村和徳さん。
新たな施設をこの夏にも開業したいと用地の下見に訪れた。
その施設の売りにしたいと企画しているのが
宿泊客に地元特産の柑橘類をもぎたてで味わってもらう収穫体験である。
もともと首都圏への出荷が9割を占める地元農家も
さらなる販路拡大への絶好のチャンスと考えている。
(地元農家)
「キャンプに来たお客様がミカンの味を知って
リピートしてくださるのが大変いい。
地域の活性化につながっていくと思います。」
さらに地元で獲れたシカやイノシシの肉を料理の材料として提供することも決まった。
橋村さんは今後の地域の人たちに協力を呼びかけ
地元の食材を増やしていく予定である。
(グランピング施設運営会社 代表 橋村和徳さん)
「僕らが一緒にタッグを組んだ地域の生産者の方々と食材を提供していく。
グランピングが盛り上がっている。
タイミングで一気に広げていきたい。」
グランピングは
都会暮らしの快適さはそのままに
キャンプの醍醐味を味わえる。
6月7日 おはよう日本
霜降り肉が特徴で
日本独自で改良が重ねられてきた和牛。
その値上がりが止まらない。
小売価格の推移を見ると
一般的な肩肉で3年前100g400円台だったのが
今年は600円以上まで値上がりしている。
こうした和牛の価格上昇に伴って
これまで比較的手ごろだった和牛以外の国産牛まで値上がりしている。
最大の理由は和牛の子牛が減っていることである。
日本最大の和牛の産地 鹿児島の市場。
4月の子牛の取引価格は
1年前は1頭平均65万円だったが
平均でも86万円。
価格は過去最高にまで跳ね上がった。
子牛が不足し
これが和牛の価格高騰を招いている。
(競り参加者)
「買えません。
もう買える数字でもない。
異常だと思う この高い相場は。」
背景にあるのは子牛の生産農家の減少である。
子牛の生産を40年以上続けてきた農家も
体力の限界から今年離農した。
子牛の生産を担ってきたのは
規模が小さく
70代以上の農家が中心である。
高齢化にともなってこの5年で全国で3割近く減り
子牛の減少を引き起こしている。
こうした事態に対応を迫られているのが大手食肉加工メーカーである。
グループで市場で買った子牛を育てて
肉を出荷している。
和牛の販売額は年間420億円にのぼる主力事業である。
しかしいま市場で子牛が思うように調達できなくなっている。
このためグループでは3年前から宮城県で自ら子牛の生産に乗り出した。
担当の山崎征二さん。
飼育頭数を徐々に増やしているが
必要とする子牛の数には及ばない。
問題になっているのがコストである。
牧草などのエサはすべて輸入に頼っていて
年間7億円以上。
さらに牛から出る糞尿の処理にも莫大な費用がかかる。
(大手食肉加工メーカー 山崎征二さん)
「もっと大きくしたいけど
ここでやるのはもう精いっぱい。」
そこで活路を求めたのが
九州から1600キロ離れた北海道である。
酪農王国として知られる北海道で
和牛の子牛を生産しようという計画である。
まずは九州で飼育していた和牛の母牛を2日かけて北海道に運ぶ。
今年2月 温暖な九州から氷点下20度の北海道浦幌町に
50頭の和牛が到着した。
長時間の移動と寒暖差
慣れない環境で健康な状態を保てるのか
心配がつのる。
(牧場担当者)
「33度の寒暖差
それが一番の気がかり。
大きなリスクにもかかわらず九州から母牛をここに運んできたのは
酪農王国北海道ならではのメリットがあるからである。
九州では課題だったエサの調達。
自前の畑で安く生産できる。
さらに牛の糞尿は牧草の畑に堆肥にしてまけるため
処理費用も安く済む見通しである。
母牛が箱ばれて2か月。
無事冬を越したことが確認できた。
(大手食肉加工メーカー 山崎征二さん)
「順調にきてあと3か月くらいで種付けも始まる。
安心します。
ほっとした。」
今年中に合わせて600頭の母牛を輸送し
今後も需要が見込める和牛の大きな生産拠点にしていきたい考えである。
(大手食肉加工メーカー 山崎征二さん)
「まず1歩踏み出すことができた。
これから拡大の余地を検討しながら
そういう方向性でやっていきたい。」
今北海道では
酪農を生かして
和牛の子牛を一気に増やそうそうという企業も現れている。
1,700頭の乳牛ホルスタインを飼育し
生乳の生産規模は国内最大規模の会社。
ホルスタインの母牛から生まれてきたのは真っ黒な子牛。
和牛の赤ちゃんである。
ここではホルスタインから毎日のように和牛が生まれて居る。
(牧場責任者)
「お腹の中には肉牛の子牛が入っている。
和牛の受精卵移植をしてホルスタインだけど生まれてくるのは和牛の子牛。」
ホルスタインから生まれるのは
本来ホルスタインのはず。
しかし子宮に和牛の受精卵を移植すると
ホルスタインからでも値段が高い和牛が生まれる。
いわば牛の代理出産である。
ここで生まれた子牛たちは
およそ9か月後市場で売られ
全国各地へ。
そこで2年近く育てられ出荷される。
ことしホルスタインから生まれる和牛は約900頭になる見込みである。
4年後にはその数を3,000頭規模にまで拡大する計画である。
(畜産・酪農会社 延與雄一郎社長)
「やるからには圧倒的にコストが下がる方法を追求していく。
持続可能な生産基盤は確立できるというのを頑張って示していきたい。」
6月7日 キャッチ!
5年前 福島第一原子力発電所の事故を受けて
54の国と地域が日本からの食品輸入に対する規制を実施。
その後 政府の働きかけなどもあって
今年に入ってEUが大幅な規制緩和に踏み切ったほか
これまでに18カ国が規制を撤廃している。
こうした動きと合わせて
アジアや欧米などに特産品の売り込みを続けてきた福島県。
コメについては
一昨年にシンガポール
去年にはマレーシアへの輸出にこぎつけ
今年にはイギリスにも輸出が決まっている。
中東カタールの首都ドーハ。
6月 高級スーパーで日本産のコメの販売を記念するイベントが行われた。
販売が始まったのは福島県猪苗代町のブランド米「いなわしろ天のつぶ」。
かみごたえがあり
すしなどに合う高級米である。
その深みのある味わいに買い物客の反応は上々だったが
気にかけていたのはやはりその安全性だった。
福島県の食品のカタールへの輸入には規制があり
コメに関しても放射性物質の検査証明書が必要になっている。
(来店客)
「福島産だから唯一の心配は証明書のことです。
日本の検査ですから証明書も信用しています。」
中東で初めてとなる福島県産のコメの販売にこぎつけた猪苗代町。
町の職員 小板橋さんはイベントでの反応に好印象を持てた。
(猪苗代町 農林課 小板橋敏弘さん)
「世界的に日本食はブームになっている。
中東でも日本食のレストランはたくさんある。
なかなかいい市場と感じている。」
原発事故後 農産品の輸出がほとんどストップした福島県。
日本食品を数多く輸入するアジア各国での商談会をはじめ
イタリアで去年開かれた食をテーマにした国際博覧会「ミラノ博」でPRするなど
輸出復活に向けて積極的に取り組んできた。
そして今年2月には
UAEアラブ首長国連邦のドバイで開かれた
世界最大級の食品見本市「ガルフード」に参加。
成長を続ける中東の市場をねらう120か国5,000の企業が参加するなか
日本が設けたパビリオンに猪苗代町も初めてブースを構えた。
中東ではここ数年
和食レストランやすしを販売する店が増え
日本の食材へのニーズが拡大しているにもかかわらず
日本産のコメの輸出が少ないことを知り
未開拓の市場に打って出ることにした。
日本全国から複数の団体が参加したが
コメを展示したのは猪苗代町のみ。
小板橋さんたちはここでも英語版の検査証明書を用意して
その安全性をアピールした。
(猪苗代町 農林部 小板橋敏弘さん)
「お米の特徴よりも
原発はどうなんだ
放射能はどうなんだ
という話をさせていただく方が多い。
海外の人は証明書を提出すると理解いただける。」
イベントでの懇切丁寧な説明の末
カタールとUAEで営業する日本食材の輸入販売業者との取引が決まった。
日本のコメにとって今追い風が吹いていることも
商談成立につながった理由の1つだったという。
これまでジャポニカ米のシェアを握っていたカリフォルニア産だが
高価とされる日本産との価格差が縮まっている。
(輸入販売業者 露木輝之さん)
「カリフォルニア米に限らず
コメの相場自体が平均して上がっているので
以前あった驚くような価格の差は無くなりつつある。
日本産にもチャンスがあると思っている。」
そこで小板橋さんたちは
捕食用の食材として定着しているカリフォルニア米のシェアを
質の良さで切り崩そうと
売り込みをさらに強化することにした。
訪れたのはドバイにあるアジア料理の高級レストラン。
すしなどを出すこのレストランはカリフォルニア産を使っているが
シェフからはより質の高いコメを求める声が聴かれた。
(シェフ)
「日本にはよく行くし
腕の良いすし職人も知っているから
本場の味に近づかないと私にとって納得できません。」
「いなわしろ天のつぶ」のおいしさについて
3袋を囲んでシェフと話す小板橋さんたち。
和食を出す現地レストランのレベルの高さを再認識し
中東におけるチャンスが拡大したのを実感したという。
(猪苗代町 農林課 小板橋敏弘さん)
「良いものを使おうという熱意が感じられる本物志向の地域。
販路を拡大し
名前を覚えてもらい
中東と一緒にやっていきたい。」
7月4日 キャッチ!
ピーランダー星からやって来た「ピーランダーZ」。
イエローは日本人 日置健吾さん。
18年前にニューヨークでバンドを結成したイエローは
アメリカのロックシーンで最も有名な日本人の1人である。
人気の理由は演奏だけではない。
年齢を感じさせないエネルギッシュなパフォーマンス。
「わー!
誰だお前たちは!
何しに来たんだ!」
ステージに怪獣が乱入。
イエローたちとバトルを繰り広げる。
こうしたパフォーマンスで観客を楽しませるのがピーランダーZの得意技である。
「史上最高のショーね!」
「10年前のTシャツさ!
ずっとファンなんだ。」
(イエロー 日置健吾さん)
「髪も無いし歯も無いし
初老のおっさんが頑張っとるぞ、と。
それを見て「俺も頑張って働こう」「頑張って子ども育てよう」とか
活力になったらいいかな、と。」
イエローが画家を目指してニューヨークにやって来たのは26歳のとき。
しかし画家としては芽が出ず
そのフラストレーションを発散するためにバンド活動を始めた。
実は本格的な演奏活動はこのバンドが初めてだった。
ステージに飛び降りて骨折したり
激しいアクションでギターを前歯に当てて折ってしまうなど
まさに体当たりなパフォーマンスを続けてきた。
(イエロー 日置健吾さん)
「アメリカのいいバンドはいっぱいあるから勝たれへんな、と。
勝たれへんなら最初から勝負せん方がええな、と。
ネタ9割 曲1割
エンターテインメントの面白さを
ステージでおもちゃ箱をひっくり返すような
自分が見たいライブがそうだったから
ネタができてきて今の感じに。」
知る人ぞ知るイエローが大きな脚光を集めるようになったのはこの1年。
イエローが主人公の映画も作られた。
映画「マッド・タイガー」は
ひたむきにバンド活動を続けるイエローを描いたヒューマンドキュメンタリー。
こうしたイエローの快進撃は映画にとどまらず
テレビコマーシャルの音楽にも採用された。
(イエロー)
「ピーランダーは君たちを守る。
一緒にいるから心配いらないぞ!」
舞台挨拶でもいつものサービス精神で観客を盛り上げる。
(映画監督 ジョナサン・イー)
「イエローの考え方は他のミュージシャンと違う。
普通のミュージシャンは音楽で自分を表現するけど
イエローは観客を思いやり
楽しませることばかり考えている。」
バンドの人気が広がるにつれ
画家としての仕事も増えた。
ニューヨークで開いた個展の初日。
(イエロー)
「俺はすごい芸術家じゃないからみんなのエネルギーが必要なんだ!」
観客の目の前でライブペイントを行う。
ニューヨークに来た頃はあまり上手く描けなかった絵も
最近は思い切って描けるようになったという。
(イエロー 日置健吾さん)
「“俺は自由に描いてるぞ”“ライブペイントやるぞ”
そういうていでやっていた。
めちゃくちゃビビりながら。
今は音楽やってきたおかげで体で描ける。
大きい絵をジャンプして描く。
自分の好きなキャラクターを描く。
好きに描く環境を作って好きに描く。」
描き始めて1時間半。
イエローの作品がもう一つ増えた。
6月4日 おはよう日本
中国にも日本の漫才に似た大衆演芸がある。
“相声(しょうせい)”
中国語の読み方で「シャンション」と呼ばれている。
話し手と聞き手の2人で演じることが多く
中国人なら誰でも知っている昔話や最近の流行まで
様々なことをネタに客を笑わせる。
「孫悟空の時間を止める魔法で
桃園にいた美女は動けなくなった。
でも孫悟空は美女に見向きもせず桃を取りに行ったって。」
「もったいない!
人間なら美女をとるけどなあ。」
中国内陸部の中心都市 四川省成都市にある劇場。
ボケとツッコミが繰り出す軽快なやりとりが観客を笑いの渦に巻き込んでいる。
(客)
「初めて劇場に来ましたが
笑えるネタが多く楽しめました。」
「会場の雰囲気が最高で
テレビで見るよりずっと盛り上がりました。」
相声は150年以上前から続く中国の話芸である。
しかし人気の理由だった社会風刺や政府を皮肉るネタが規制されるようになり
徐々に廃れていった。
以前は中国のテレビではお笑いの番組がほとんどなかったが
劇場での相声が動画投稿サイトに載るようになると
人気が爆発。
庶民の日常や流行をネタにしたものが幅広い層にうけた。
この1,2年テレビではお笑い番組が急増し
相声を見ない日は無いほどになっている。
日常の何気ない一コマをおもしろおかしく切り取るのが相声の魅力。
恋人同士の会話を1人2役で演じるネタ。
“かかあ殿下”と言われるこの地域の女性が
強い口調で男性を従わせる様子を描き
観客の笑いを誘った。
男「化粧に1時間もかけてどうするんだ?」
女「化粧しない女がどこにいるのよ?」
男「まちくたびれたよ・・・。」
女「あんたは安月給でプレゼントもできないくせに待つこともできないの?」
こうしたネタが中国の若い女性の人気を集めている。
成都市の銀行で働く 羅子炎さん(26)。
相声に夢中になっている1人である。
し烈な競争社会の中国。
羅さんは会社に入ったころ仕事の業績や人間関係に悩んでいた。
心の底から笑う機会が少なくなっていたという。
そんなときインターネットで出会ったのが相声だった。
(羅子炎さん)
「若者でも楽しめる中身でしたし
旬の話題から身近のものまであるので聞きやすかったです。」
毎週のように劇場に足を運ぶようになった羅さん。
我を忘れて大笑いすることで
心にゆとりができたという。
(羅子炎さん)
「ふだんはなかなかリラックスできないのですが
相声を聞くとその世界に引き込まれ
心から楽しむことができるのです。」
相声の世界に身を投じる人も増えている。
田海竜さん(31)。
大学生のころ相声の同好会で活動していた田さん。
3年ほど前 会社を辞めて芸の道に入った。
(田海竜さん)
「相声は簡単に人を笑わすことができる。
より多くの人たちに相声を見てほしいです。」
しかしお客さんは甘くはない。
面白くなければ舞台を無視してスマホをいじり出す。
そこで田さんは羅さんなどファンとの交流の場を持ち
どんな話がうけるのかを聞いている。
「地元の話題を取り入れたネタは反応もいいし
毎回うけていますよ。」
4月 中国東部の江蘇省で開かれた大会に田さんは招かれた。
実はこの大会は
地元の当局が演じ手たちにネタを披露させて
内容を把握することを目的としている。
四川省の女の子は口は悪いけど心は優しいんだ。
でも中には心がノコギリみたいにきつい子もいるけどね。
田さんたちは特に指摘を受けなかったが
最近の大学生が怠ける様子を演じたコンビニには・・・
「この男は19歳。
遊んだあとは?」
「寝る。」
「寝た後は?」
「遊ぶ。」
「遊び疲れたら?」
「寝る!」
(審査員)
「もっと学生たちの良い面も盛り込まなくてはいけません。」
学生の描写が不適当だと指摘を受けた。
今後 お笑いを必要とする人はもっと多くなるだろうと感じている田さん。
先の見えない中国社会でこそ
笑いが人々を支える原動力になれると信じている。
(田海竜さん)
「プレッシャーが大きな時代
こうした笑いが必要だと思います。
もっとたくさんの劇場ができて
相声が全国どこでも見られるようになってほしい。」
伝統の笑い 相声がもたらした中国のお笑いブーム。
人々の生活が向上していくなかで
笑いを求める声はますます強まっている。
中国では
7億人が見ると言われる
大晦日に放送される国民的な芸能番組がある。
いまでは相声もこの番組で演じられ
お笑いのジャンルとしてすっかり定着している。
6月4日 おはよう日本
リー・タイ・ワーさん(26)。
大阪の府立高校の教員採用試験に合格し
この春 数学の先生として大阪府立長吉高校に着任した。
(生徒)
「めっちゃわかりやすい授業をしている。
質問も聞いてくれるので助かります。」
「結構フレンドリーに話してくれるんでいい先生かな。」
(大阪府立長吉高校 教諭 リー・タイ・ワーさん)
「生徒がすごくしっかりしている。
勉強しようという姿がすごいので
私もそれを見て自分も頑張らないとあかんなと思う。」
ベトナムで生まれたリーさん。
難民として先に日本に来ていた両親に呼ばれ
14歳のときに大阪に移住した。
しかし待っていたのは言葉の壁。
公立の中学校に編入したが授業が全く理解できず
友だちになったのは同じベトナム人の2人だけだった。
(リー・タイ・ワーさん)
「日本語がそのとき全く分からなくて
学業を続けていけるかどうかすごく不安でした。」
リーさんを支えたのは外国人の子どもたちを支えるNPOだった。
学校の授業が終わると毎日NPOが開く勉強会に参加。
日本語を教えてもらい
授業のおさらいをした。
自宅に帰ってからも毎日2時間勉強し
高校、大学への進学を果たした。
(リー・タイ・ワーさん)
「学校終わったらここに来て勉強を教えてもらったりしたので
ここが本当に中学時代の居場所だと。」
(NPO法人 トッカビ 高橋佳代子さん)
「ただ日本語ができないだけで
悔しい、はがゆい思いをしているのがちょっとたまらなかった。
そのあと彼は自分で乗り越えることができたのですごいなと思う。」
恩返しをしたいと考えたリーさんは
大学に入るとこのNPOに参加。
その際 教員を目指すきっかけとなった出来事があった。
当時リーさんが進路の相談に乗っていたベトナム人の女性 ゴ・ティ・グェン・リンさん。
高校進学を希望しながら家庭の事情であきらめかけていた。
リーさんは
将来のためにもなんとか進学させてあげてほしいと
女性の親を説得。
女性は高校に進学。
現在准看護師になっている。
(ゴ・ティ・グレン・リンさん)
「先輩いなかったら今の自分はいないかもしれないですね。」
(リー・タイ・ワーさん)
「頑張るという感じがすごく強かったので
高校でもっと勉強してもらって
将来 日本の社会で活躍できる。」
リーさんはもっと多くの子どもたちの力になりたいと考え
教員を目指すことにしたのである。
(リー・タイ・ワーさん)
「1人の生徒の人生を変えられる素晴らしい仕事だと思い
先生になりたいと思いました。」
夢をかなえて教壇に立ったリーさん。
授業のほかに「多文化研究会」という課外活動の顧問を務め
生徒たちと交流している。
リーさんの勤める高校には外国にルーツがある生徒が約100人通っている。
その半数以上がこの課外活動に参加。
それぞれの母国の文化を紹介しあったり
大学進学や就職に向けて日本語を勉強したりしている。
日本語や日本の文化をしっかり勉強し
将来日本の社会の中でも夢をかなえられる人間になってほしい。
リーさんは自らの経験を踏まえて生徒たちに訴えている。
(コロンビア人の生徒)
「外国人として日本で頑張ったのはすごいと思います。
リー先生のように日本社会の中で活躍したいと思います。」
(リー・タイ・ワーさん)
「生徒たちが日本だからやりたいことはできないと思わないように
外国人生徒と日本人生徒の心の懸け橋になりたい。」
6月5日 編集手帳
北海道を走る列車から見た景色だろう。
宮沢賢治に『駒ヶ岳』という詩がある。
〈その無遠慮な火山礫(れき)の盛りあがり〉と描かれる山容は、
どこか暗色を帯びている。
旅の前年、
最愛の妹を失った詩人の胸中を表しているのか、
〈いまその赭(あか)い岩巓(がんてん)に/一抹の傘雲がかかる〉ともつづられる。
山頂部を傘状の雲が覆っているという情景である。
山が見る者の心を映すなら、
いまの駒ヶ岳は穏やかな表情をみせているに違いない。
その麓、
北海道七飯(ななえ)町で行方不明になっていた7歳の少年が無事帰還し、
安堵(あんど)の声が広がっている。
おにぎりを食べる写真が愛らしい。
少年は山で両親に置き去りにされた。
10キロ以上歩いて陸上自衛隊の宿営施設にたどり着き、
水だけで命をつなぎ留めたらしい。
さぞ怖くて不安だったろう。
「しつけのため」と考えた親の行為は軽挙と言われても仕方あるまい。
試練を乗り越え、
子供を見守りたい。
〈永久の未完成これ完成である〉。
賢治の『農民芸術概論綱要』に残る言葉である。
たとえ答えが見つからなくても、
不断に探し続けてこそ道が開ける。
人生にも子育てにも通じる教えである。
6月1日 おはよう日本
ゼリーやプリン
そしてこの春発売された新商品にも使われている“希少糖”。
希少糖は自然界に存在する天然の糖である。
人工甘味料ではない。
自然界には様々な糖があるが
そのほとんどがブドウ糖である。
希少糖はごくわずかで1%以下にすぎない。
そのためこれまであまり注目されず
研究も進んでこなかった。
しかしいま希少糖に意外な効果があることがわかってきた。
世界に先きがけ希少糖の研究に取り組んできた香川大学。
県や地元企業と協力し
希少糖にどのような効果があるのか実験を重ねてきた。
その結果
希少糖のD-プシコースが血糖値の上昇や脂肪の蓄積を抑制することが明らかになった。
2匹のラットを使った実験。
与えるエサの量を同じにして
普通の水と希少糖を加えた水を与えた。
その結果
希少糖入りの水を飲んだラットは
食後の血糖値の上昇が約20%抑えられた。
さらに3か月間飲み続けたところ
内臓脂肪の蓄積が約30%抑えられたのである。
香川大学 医学部 村尾孝児教授。
希少糖が人にどのような効果をもたらすのか
研究を進めている。
健康な人20人に希少糖を飲ませたところ
人でも血糖値の上昇を抑えられることがわかった。
なぜ希少糖によって血糖値が抑えられるのか。
人の腸にはブドウ糖を吸収するゲートがある。
希少糖はそのゲートにブドウ糖と同じように入ろうとする。
ところが形が少し違うためゲートを塞いでしまう。
その結果 ブドウ糖の吸収が抑制され
血糖値の上昇が抑えられると考えられている。
(香川大学 医学部 村尾孝児教授)
「希少糖は体の中に入って糖の流れを変える。
例えば糖尿病の患者に代謝異常が起こる。
その代謝異常を元に返すような作用がlこの希少糖にはある。」
体に良い効果をもたらすという希少糖。
広く食品に活用されるきっかけとなったのは関西の企業が手掛けた独自の技術だった。
兵庫県のデンプン加工メーカー。
希少糖の大量生産に取り組んできた。
研究の結果
デンプンからとれる液状の糖に熱を加えると
希少糖が生成されることがわかった。
しかし大量の糖を加熱するのは時間もコストもかかる。
そこでこのメーカーは
化学反応を促す独自の技術で
短時間に大量に希少糖を生成することに成功した。
3年前 世界に先がけて希少糖を含むシロップを開発。
多くの食品メーカーに採用され
ケーキやプリンなど様々な食品に使われ始めている。
(松谷化学工業 山田晃士生産本部長)
「希少糖が広がるのは健康に寄与することにつながる。」
希少糖によって食べる喜びを取り戻した人たちがいる。
15人のお年寄りが暮らす福祉施設。
カロリーや糖分のとりすぎを心配して甘いものを制限することもあった。
そこで施設では
我慢しなくてもすむよう砂糖をやめて希少糖を使うことにした。
「もうおばあさんだけどもっと生きたい。
おいしい。」