4月6日 国際報道2017
ワシントンにあるアメリカン大学。
アラン・リクトマン教授は
1984年以降すべての大統領選挙を的中させ
去年の大統領選挙でも9月の時点でトランプ氏の勝利を予測していた
ほぼ唯一の専門家として知られている。
その予測どうりとなった結果は社会の亀裂を広げるものになった。
(アメリカン大学 リクトマン教授)
「アメリカは大きく分断されています。
問題は
トランプ大統領がその分断の橋渡しをするのではなく悪化させていることです。
彼は分断を自分のために利用できると思っていますが
大統領候補ならともかく大統領では無理です。
彼にはまだ学ぶ時間があります。
しかし今のところ分断の橋渡しをする努力を何もしていません。」
トランプ氏の登場によって
深まっていた溝が一気に表現化した人種問題。
リクトマン教授は
「この現象はアメリカ建国当初から続く白人たちの恐怖心の表れだ」と指摘する。
(アメリカン大学 リクトマン教授)
「アメリカは常に移民排斥を主張してきた国です。
トランプの移民排斥に終点を置いた政策は
古くからある“アメリカのテーマ”なのです。」
急増するヒスパニックなどのマイノリティーの人口。
アメリカは2040年代には白人の人口が国民の半数以下になると見られている。
(アメリカン大学 リクトマン教授)
「もはや大多数ではない白人たちは
真実に向き合い適応しなければならないのです。」
そして白人たちがマイノリティーの人たちに怒りを抱くのは
「差別意識に加えて自分自身が置かれている格差への不満がある」
と教授は指摘する。
(リクトマン教授)
「あれほど多くの人が不満を持っている本当の理由は
この30~40年の間に9割のアメリカ人にあった大規模な富が
1割のトップ層へ移ってしまったことです。
アメリカの富と収入は偏った状態にあります。
これは1929年の大恐慌以前の状態に近いのです。
この80~90年で得たものをアメリカはほとんど失ってしまったのです。」
アメリカの上位10%の富裕層がアメリカ全国民の総所得に占める割合は
1980年代以降増え続け
いまや総所得の半分以上を占めている。
人々の怒りを生み出す大きな原因となっている格差。
リクトマン教授は
「解決のためにはグローバル化を受け入れ新たな産業を生み出すしかない」という。
(リクトマン教授)
「人々がフラストレーションを感じているのはわかります。
鉄工所も炭鉱の仕事も消えてしまいましたし
復活することはもうありません。
アメリカの未来は神話として語られる1950年代の重工業ではないのです。
アメリカの未来は紛れもなく
教育・技術や代替エネルギーによる経済にあります。
グローバル化は止まらないのです。
唯一考えられる答えは
」“グローバル化”というものを理解して
それが一般の人の利益になるように人間らしいものに変えていくことです。」
4月29日 編集手帳
母を亡くした靴磨きの少女を13歳の美空ひばりさんが演じた。
1950年(昭和25年)に封切られた映画『東京キッド』である。
♪ 右のポッケにゃ夢がある
左のポッケにゃチュウインガム…
同名の主題歌に当時、
生活に追われる身を励まされた人は多かろう。
〈敗戦の焦土が誕生させた突然変異の生命体で、
しかも人を救う使命を帯びていた〉(岩波新書『愛すべき名歌たち』)。
ひばりさんをそう評したのは作詞家の阿久悠さんである。
激動の昭和が幕をおろした年、
使命を果たしたかのように、
「昭和の歌姫」は52歳で逝った。
5月はひばりさんの誕生月で、
まもなく生誕80年を迎える…と書きかけて、
ふと筆が止まる。
80歳は老いの入り口ほどの年齢である。
早すぎる死が、
いまさらながら惜しまれてならない。
小池光さんの歌がある。
〈まばたきの間(ま)のごとく美空ひばりなき十三年は過ぎたりしおもふ〉。
歌からさらに時は流れ、
“まばたきの間”の二十八年が過ぎようとしている。
左のポッケは豊富な品々で膨らんだ。
右のポッケにあった夢は、
さて。
遠い日の歌声が問いかける「昭和の日」である。
4月6日 キャッチ!
Perma Culture。
永遠を意味するPermanentと文化のCultureを合わせた造語で
自然と共生しながら永続的な生活を目指すライフスタイルである。
1970年代にオーストラリアの自然保護活動家が提唱した。
オーストラリア東部のブリスベンから北に120kmの森林。
その奥にある一軒家で
12年前からPermaCultureを実践している家族がいる。
ディバインさん一家
7人家族である。
父親のマットさん(43)と母親のジェラルディーンさん(41)。
12歳の長男を筆頭に生後3か月までの子どもたち。
生活の基本は自給自足。
野菜は出来るかぎり自分たちで栽培する。
庭ではハーブなど数10種類の作物を作っている。
この土地を定住場所に決めたのは母親のジェラルディーンさん。
結婚前からPermaCultureを熱心に勉強していた彼女にとって
ここは理想的な場所だった。
(母親 ジェラルディーンさん)
「オーストラリア中を探し回りましたが
この土地の生態系は私たちの心に語りかけます。
子どもを育てるならここだという思いがわき上がってきました。」
環境に配慮して
電気・水道も自前である。
電力は全て太陽光発電でまかない
飲み水を含む生活用水は雨水をためて使う。
このため
電気代・水道代は一切かからない。
生ゴミはニワトリのエサに
プラスチックゴミはないので
そのほかのごみはすべて燃やしている。
子どもたちの可愛い服の大半は母親の手づくりである。
子どもたちは料理から裁縫までなんでも手伝うが
それぞれが一家の担い手として楽しんでやっている。
(長女 アルジュナちゃん(12))
「お皿洗ったり
ご飯の手伝いはスキです。」
(長男 アーチ君(12))
「ここが好き
いつでも大声出して走り回れるよ。」
(次女 ミラーちゃん(6))
「トランポリンを使ったり
木登りをしたりして遊んでいます。」
教育は
週に2回家庭教師が訪問するほか
マットさんが直接子どもたちに教えることがある。
自宅での学習計画を州政府から認めてもらった自給自足の教育である。
妻の熱意に加え
若いころに世界各地を旅した時に目にした自然と共に暮らす生活が
今の土地へ移住する決断をするきっかけとなった。
(父親 マットさん(43))
「その時の経験で
私は自然とかかわり
子どもたちを育てたいと思いました。」
今も自給自足を目指しているが現金収入も必要である。
そこで夫妻がビジネスにしようと思いついたのが
食料品を保存するために使うフードラップである。
材料はオーガニックコットンの生地。
それに自宅で飼育するミツバチの巣から採ったミツロウである。
作り方はとてもシンプル。
ミツロウをホホバオイルなどと一緒に溶かし
そこに生地を浸す。
そして数分間乾かせば感性である。
使い捨てのラップフィルムと違い
水洗いすれば何度でも使える。
(父親 マットさん)
「何か前向きなことをするために変化を起こすことは
気持ちがいいですよ。
プラスチックの使用量を減らすんです。」
マットさんたちは週に3回
地元のマーケットでフードラップを販売している。
環境にやさしいと評判で
次々と女性たちが買い求めていた。
(客)
「プレゼントにいいわね。
見た目もすてきだわ。」
また販売だけでなく物々交換もする。
この日はフードラップだけでなく自宅で採れた卵を
野菜やコーヒーなどと交換した。
(父親 マットさん)
「市場は家族の生活にとって最も大切な場所です。
すべての国や世代の人々と交流できますから。」
自然とのかかわりを大切に
家族同士
地域の人同士で助け合っていくという
ディバインさん一家の願いである。
4月3日 国際報道2017
フィリピンの首都マニラにある国立のプラネタリウム。
客席に入ると
長さ約3メートルの巨大な投影機がある。
1970年代に日本で作られたアナログ式のものである。
その特徴はなんといっても星空の美しさ。
天井全体に8、500個もの星を鮮やかに浮かび上がらせる。
その秘密は
投影機にあるいくつもの小さな穴にある。
穴に光を当てることで1つ1つの星が天井に再現されていく。
一方最新のデジタル式は星空全体を映像として映し出す。
アナログ式の方が
星が明るく輝き
本物に近い星空を表すことができるのである。
技術スタッフの1人 ロベルト・シルベストレさん(64)。
プラネタリウムがオープンした直後から40年にわたり投影機の整備を担当してきた。
(シルベストレさん)
「アナログ式投影機は星や惑星がデジタル式に比べてより本物に見えます。」
しかしアナログ式は操作が手動で手間がかかる上に機械は老朽化。
このためプラネタリウムではコンピューター制御のデジタル式への交換を予定していた。
今年11月に定年退職を迎えるシルベストレさん。
これまで
部品を自分で作って修理するなど投影機を大切に手入れしてきた。
(シルベストレさん)
「思い出がたくさん詰まっています。
修理したり手入れするのが好きでした。
この投影機にはまだ活躍してほしいです。」
美しい星空を映し出すアナログ式の投影機を残したい。
シルベストレさんは製造した日本のメーカーに思いを伝えた。
(日本メーカー担当者)
「こんなに長い間
大事に使っている施設がフィリピンにあったというのが本当に驚きです。」
プラネタリウムを休館にし
シルベストレさんは日本の技術者と一緒に投影機を完全にオーバーホールすることにしたのである。
1つ1つの部品を分解。
ていねいにメンテナンスして約1年後
投影機は新品同様に若返った。
さらにデジタル映像の機能も加えて
宇宙や惑星などのCGも映し出せるようにした。
(シルベストレさん)
「新旧の技術を取り入れた
フィリピン唯一のプラネタリウムです。
たくさんのお客さんが身に来てくれることを期待しています。」
そして迎えたリニューアルオープンの日。
開館の前から長い列ができた。
(客)
「宇宙が見たい。」
「新しいプラネタリウムが楽しみです。」
アナログ式が映し出す満天の星空。
そしてデジタル式が映し出すダイナミックなCG。
その美しさと迫力に子どもも大人も夢中である。
(客)
「とてもよくて勉強になったよ。」
(シルベストレさん)
「とても誇らしい気持ちです。
こんなに長く活躍してくれるとは驚きです。
これからまだまだ活躍すると思うと本当にうれしいです。」
フィリピンの技術者の思いのこもったアナログ式のプラネタリウム投影機。
きょうも人々を星空の世界へといざなっている。
4月3日 国際報道2017
今年で4回目となる世界最大級のアニメイベント「アニメジャパン2017」。
来場者数 約15万人。
海外からのファンはわざわざこのために来日したという人ばかり。
(アメリカ人男性)
「日本のアニメめっちゃ好きです。」
(スペイン人男性)
「一番好きなアニメは『ドラゴンボール』。」
集結したのはファンだけではない。
日本のアニメやキャラクターの権利を買い付けるための商談エリア。
訪れたバイヤーの数は2015年は3,000人弱。
去年は350人増えたが
今年の増加数はその倍の700人にのぼり4,051人。
(オーストラリア人バイヤー)
「たくさんのアニメ会社とコンテンツ購入の交渉をしました。」
とりわけ増えたのが海外からの引き合いである。
背景にあると考えられるのが去年日本で公開された映画「君の名は。」。
世界126に国や地域で公開あるいは配給が決まり
特に中国・タイなどアジアの5カ国では日本映画の興行記録を塗り替える大ヒットになったという。
各国で従来の子ども映画の枠を超え
20~30代のファンに広く受け入れられた点も注目された。
「君の名は。」の配給会社のブースは
終日 外国からのバイヤーの予約でいっぱいだった。
(東宝配給ライセンスグループ長 菊地祐介さん)
「今までだと問い合わせが来ても
ただ話を聞いて
なるほどというのが多かった。
今年はもっと本気で
我々が持っている作品を取りに来る姿勢が非常に強くなったという感じ。」
4月3日 おはよう日本
雇われない働き方をする「フリーランス」の数は推計1,122万人。
「フリーランス」というとカメラマンやプログラマーなど一部の専門性の高い仕事が思い浮かぶが
最近は営業や企画さらには家事代行まで
その仕事のすそ野が広がっている。
アルバイトと違うのは
フリーランスは企業との雇用契約は無い。
勤務時間や場所は多くの場合指定が無い。
報酬は日給や時給は無く
請け負った仕事ごとに成果に対して支払われるのが基本で
高収入を上げる人もいる。
3月31日
人材の仲介サイトを運営する企業が開いた授賞式。
表彰されたのはこの1年フリーランスとして活躍した人たちである。
その1人 札幌市のウェブデザイナーの日景ひとみさん。
日景さんの仕事は企業のホームページやロゴをデザインすること。
東京のデザイン会社に10年勤めたあとフリーランスとなり
3年前に札幌に移住した。
高いスキルと丁寧な仕事ぶりが評価され
月に40件を超える仕事が舞い込む。
会社時代と比べ仕事の時間は大幅に減ったが
収入は1,5倍に増えた。
自分の腕ひとつで稼げる今の暮らしに満足している。
(フリーランスとして働く日景ひとみさん)
「プライベートと仕事の時間の裁量権が自分にある。
自分で選んで納得して行動できるとフリーランスになって強く実感した。」
フリーランスとして働く人たちのすそ野は広がり始めている。
愛知県に住む29歳の女性。
メーカーの営業の仕事をしていたが結婚を機に退職。
いまは子どもの世話をしながら空き時間を使って在宅で働いている。
仕事探しに使うのはフリーランス向けの仲介サイトである。
社内のWEBシステムの改修は最大100,000円。
学校や寮の献立作りは最大200,000円。
花見の場所取りは最大で10,000円。
140の分野で数万件の仕事が掲載されている。
「価格や時間 納期が条件に合いそうなら応募する。」
この日請け負ったのはある企業の営業用の資料作り。
特別な知識や技能が無くてもできる仕事である。
疑問点は電話で確認しながら進める。
ある1週間のスケジュールをみると
育児や家事のすき間の時間を使って20件ほどの仕事を請け負い
月に10万円以上の収入を得ている。
「育児と両立できる働き方がないかずっと探していた。
子どもの顔見ながら仕事もできてっていうのは安心。」
フリーランスの存在は企業にもメリットをもたらしている。
170人が働くITベンチャー企業。
サイトの運営などを手掛ける部署では長時間労働が日常化して高い離職率に悩んできた。
そこで2年前に業務を全面的に見直した。
顧客訪問や新規事業の開発など顧客と直接かかわる専門性の高い業務を残し
それ以外の資料作りやリサーチなど
補助的な業務は全てフリーランスへ委託することにしたのである。
たとえばこれまで社員が残業して作成していた営業用の資料。
今では社員は資料に載せたい内容をメモにまとめるだけである。
フリーランスの人がこのメモをもとにレイアウトを整え
内容が一目でわかる資料を完成させる。
フリーランスの活用から2年。
この部署の社員の残業はほぼなくなった。
一方で売り上げは5微近くも伸びた。
(ガイアックス 管大輔事業部長)
「社員にコアの業務を集中させてそれ以外をプロに依頼する形の方が
結果的に事業も伸びたり
社員の満足度も上がる事例がもっと出てくる。」
社会に急速に普及するフリーランス。
しかし落とし穴もある。
フリーランスの実態を把握しようと国が開いた有識者会議。
副業としてフリーランスの仕事を始めた女性がかつての苦い経験を話した。
「月8日の休みをほとんど当てて仕事したが
月の収入は3,000円程度。
これでは生活の糧にはならない。」
女性が担当したのはカード会社のデータ入力。
雇用契約がないフリーランスには最低賃金が適用されず
作業が長引くと時間あたりの報酬が低くなってしまうのである。
今年フリーランスの人たちが設立した協会には
全国から様々な不安の声が相次いで寄せられている。
発注先から報酬が支払われない。
社会的信用が低いためローンが組みにくい。
フリーランスのすそ野が広がるなか
協会では国に労働環境の整備を働きかけることにしている。
(フリーランス協会 代表理事 平田麻莉さん)
「フリーになりたい方は確実に増えているし
可能な社会になっているので
実態に合わせて不必要な不利益や不公平が無いようにしたい。」
4月1日 キャッチ!
ビジネスリーダーの間で注目されている ジャニス・マトゥラーノさん。
瞑想などを取り入れて意識を1つのことに集中させる「マインドフルネス」のインストラクターである。
(ジャニス・マトゥラーノさん)
「意識を全て呼吸に向けて
息づかいを一番感じるところに集中してみて。」
呼吸以外のすべてを忘れ1つのことだけに集中する訓練。
この日ジャニスさんのマインドフルネスの授業を受けたのは
名門ニューヨーク大学に通う将来のビジネスリーダーたちである。
いくつもの仕事を同時に抱えるビジネスリーダー。
しかしジャニスさんは
1つのことだけに集中する力がいま必要とされていると言う。
「脳は同時に複数の情報を処理することは出来ません。
そうやってスマホをいじるだけで抗議に集中できなくなるわ。
2つのことをしている時
脳は行ったり来たりする。
そのスイッチが問題なの。
頻繁にスイッチすると作業の効率が30%も落ちるのよ!」
(受講者)
「リーダーシップに対する考え方が変わったよ。
過去や将来のことではなく
今に集中することが大切なんだ。」
(ジャニス・マトゥラーノさん)
「マインドフルネスは早く始めた方がいい。
理想のリーダーに近づく実践的な方法だから。」
ビジネスリーダーに瞑想やマインドフルネスの重要性を説くジャニスさんは
いま世界から大きく注目されている。
現在は国内だけでなくアジアやヨーロッパなど世界中を飛び回る日々。
ジャニスさんがこれまでに教えたリーダーの数は1万人を超えた。
執筆した本も9か国語に翻訳されている。
ジャニスさんとマインドフルネスとの出会いは10年前。
当時のアメリカで最大手の食品会社で副社長を務めていた。
24時間体制で仕事をこなし
家庭や子育てにも全力投球。
複数の案件を同時に処理する毎日だった。
そんなころ両親が相次いで他界。
でもジャニスさんにはゆっくり悲しむ時間すらなかった。
(ジャニスさん)
「個人的につらいことと仕事の大変な時期が重なった。
完全にオーバーヒートして
やっていけなくなった。
疲れ果てて
回復力はゼロ。
へとへとだった。」
藁をもつかむ気持ちで参加したマインドフルネスのワークショップ。
そのころは“マインドフル”の意味さえ知らなかった。
(ジャニス・マトゥラーノさん)
「心のトレーニングを始めてから少しずつ何かが変わっていった。
複雑な状況の中でも心の余裕を見つけられると気づいた。
心の回復力が出てきて
自分が自分らしくいられるようになった。」
ビジネスリーダーとしてマインドフルネスの効用を実感したジャニスさん。
「自分と同じような境遇にいる人を助けたい」と
会社を辞め
NPOを起ち上げた。
夫のピーターさんはジャニスさんのNPO活動を支えるサポーターの1人である。
(ピーターさん)
「彼女の人生は常に人助けなんだ。
人生をより良くする手助けは素晴らしい活動だよ。」
ジャニスさんにトレーニングを受けた大手家電メーカーのCEO パトリシオ・バルガーさん。
以前は仕事に振り回されるような毎日だったが
最近は発想力クリエイティビティーも出てきた。
(パトリシオ・バルガーさん)
「瞑想は自分自身のためになっただけでなく
部下にもいい影響があったし
会社全体の利益になったと思う。」
(ジャニス・マトゥラーノさん)
「私たちには心の容量を広げるトレーニングが不可欠なの。
より良い人生を生きるためには体だけでなく心も鍛えないと。
それがマインドフルネスなのよ。」
4月1日 おはよう日本
北海道標津(しべつ)町の職員
和田直人さん。
全国の市町村でも珍しい防災を担当する気象予報士である。
災害への備えを強化したいと町長の養成を受けて
5年前に職員になった。
上空5,000m付近の天気図や
気象庁のスーパーコンピューターのデータを毎日見ている。
高校入試を翌日に控えたこの日
和田さんは北海道の南海上を進む低気圧に注目した。
(標津町 防災担当 和田直人さん)
「太平洋側の海に近い方が雪が多くなる傾向があります。
急激に発達する可能性があります。」
注意報や警報は出ていなかったが
雪のため交通機関が乱れる恐れがあると判断して
教育委員会に注意を呼びかけた。
「特に山間部の子は前泊するようにお伝えいただければ。」
(教育委員会の担当者)
「きめ細かく教えていただけるので
たいへん心強いです。」
和田さんが町の防災に大きな役割を果たしたのが
去年の8月21日だった。
このころ前線や台風にともなってまとまった雨が降り続き
川は増水していた。
日曜日だったこの日
徹夜で警戒したあと自宅に戻っていた和田さんは
午前11時ごろ異変に気づいた。
「仮眠をとっていたのですが
雨の音がすごくて
これはまずいなと。」
このとき標津町の上空には雨雲が次々と流れ込んでいた。
大雨警報は出ていたが
町は住民への避難の呼びかけは行っていなかった。
標津川の水位は急激に上がっていた。
川が氾濫する恐れがある。
町長に電話で「職員を緊急招集すべきだ」と言った。
約2時間後
幹部会議で避難の呼びかけを提案。
町は午後3時に避難準備情報を出した。
標津川が氾濫危険水位に達する3時間前だった。
幸い堤防は決壊せず
けが人もいなかった。
(標津町 金澤瑛町長)
「専門性を持った彼がいることで
避難指示 勧告含めて
スムーズにできるようになった。
これは大きい。
素人集団で判断するというのは大変なことですから。」
(標津町 棒最担当 和田直人さん)
「気象情報から想像力を働かせて
実際起こる現象を読み解く。
予想するのが重要。
多いところで何ミリって
自分の町が多いところに入るのか入らないのかは
予報士じゃないと判断できない。
最大限の軽快ができたと考えています。」
専門家は
「気象予報士が市町村の防災業務にかかわることは
住民の安全を守る有効な手段になる」と指摘する。
(静岡大学防災総合センター 牛山素行教授)
「災害時の助言以外にもいろいろなメリットがある。
専門知識を防災行政に入れていくためにはどうしたらいいか。
各組織で真剣に考えていくことが非常に重要だと思う。」
気象庁によると
全国には約300人の気象予報士が勤務しているが
移動で
気象や防災に直接関わらない部署にいることが多いということである。
4月18日 編集手帳
劇作家で歌人の寺山修司に『心臓』という詩がある。
〈心と
心臓とのあいだを流れる川を
血と名づける〉。
誰の胸にも川は流れている。
流れているが、
である。
その人が出くわしたのと同じ場面に居合わせたとして、
自分ならばどうしていたか。
この一両日、
考えている。
助けに行かねばと「心」では分かっていても、
おそらくは「心臓」を鷲掴(わしづか)みする恐怖で川は凍りつき、
立ちすくむだけだったに違いない。
銀行員の児玉征史(まさし)さん(52)が電車にはねられて亡くなった。
川崎市の京浜急行線八丁畷(はっちょうなわて)駅そばの踏切で、
線路上に立ち止まった高齢の男性を救助しようとして事故に巻き込まれたという。
優しい「心」とたくましい「心臓」のあいだを、
温かい川が流れていた人だろう。
勇気。
崇高。
無私。
浮かんでくる言葉は幾つもあるが、
そのすべてをもってしても、
夫を、
父をなくしたご遺族の悲しみは癒やせまい。
窪田空穂(うつぼ)の歌を思い出す。
〈哀(かな)しみは身より離れず人の世の愛あるところ添ひて潜める〉。
美しい心がもっとも美しく表れる瞬間を狙いすまして、
人を泣かせる。
天の計らいは、
ときに薄情にすぎる。
3月25日 経済フロントライン
東芝のとっての誤算。
その1つが原発の建設方法に関する見込み違いだった。
子会社のウェスチングハウスは4基の原発を
従来の原発より短い期間
しかも低コストで完成させる計画だった。
その切り札が「モジュール工法」と呼ばれる最新の建設方法である。
まず別の州にある複数の工場でプラント設備をある程度まで製造。
それをモジュールとして輸送し組み立てる工法である。
現場での作業を少なくすることで
工期の短縮とコストの抑制が図れるはずだった。
しかしその思惑が外れる。
ボーグル原発の建設について州政府が2013年にまとめた報告書。
運び込まれたモジュールの品質が悪く
作り直しが相次いで発生したことが記されている。
(ジョージア州 公共サービス委員会 スタン・ワイズ委員長)
「モジュールが現場に到着したとき
それが東芝やウェスチングハウスが期待した基準
あるいは規制当局が承認できる基準に品質が達していなかった。
結局現場で作り直さなければなりませんでした。
作り直しは簡単にできません。
そこでまた工期の延期とコストの増加が発生したのです。」
アメリカでは
1979年のスリーマイル島の原発事故のあと
30年以上にわたって原発の建設は行われていなかった。
建設のノウハウが途絶えていたのである。
最新鋭の工法に現場の技術力が追いつかなかったことが工期の大幅な遅れにつながったという。
(ジョージア州 公共サービス委員会 スタン・ワイズ委員長)
「作業員の技術が期待したレベルに達していなかった。
それは全くの予想外でした。」
もう1つの誤算は建設コストに関して電力会社と結んだ契約だった。
ウェスチングハウスが手掛けるV.Cサマー原発を発注した電力会社の資料。
そこに記されているのは「固定価格契約」。
電力会社が負担する建設コストの上限を76億7,900万ドルに固定すると定められている。
この固定価格を超えて追加コストが発生した場合
電力会社ではなくウェスチングハウスが負担するという内容である。
なぜ建設側に不利な契約を結んだのか。
原発の建設コストについて長年分析を続けてきた
エネルギー経済・財務分析研究所のデビッド・シュリッセルさん。
2008年 ウェスチングハウスはライバル会社との激しい競争の末原発を受注した。
その過程で電力会社側は自分たちに有利な条件を求めてきたのである。
Q.原発建設で固定価格契約が結ばれるのは通常のことですか?
(エネルギー経済・財務分析研究所 デビッド・シュリッセルさん)
「電力会社は
追加で発生したコストのすべてを
電気料金を支払う人々に転嫁することはできないと感じていました。
なのでウエスチングハウスにもリスクの一部を負担させたのです。」
結局 工期が伸びたのでウェスハウスは巨額の追加コストを負担せざるを得なくなった。
(エネルギー経済・財務分析研究所 デビッド・シュリッセルさん)
「私が予想するに“企業の傲慢”があったのではないか。
彼らは自分たちの新設計を使えば
原発を迅速かつ安価に建設できると信じていた。
しかしそれは間違いでした。
東芝がウェスチングハウスの親会社として
痛みを味わっているのは致し方ないことだと思います。」
3月25日 経済フロントライン
ジョージア州の中心都市アタランタから車で3時間。
建設中のボーグル原発。
ウェスチングハウスが独自に設計した最新鋭の原発である。
現場を訪れてまず驚くのは作業員の数の多さである。
電力会社によると作業員は約5、000人。
24時間体制で建設が行われているという。
今年に入ってから現場で大きな動きが起きているという。
ボーグル原発の近くの作業員がよく買い物に訪れる店。
(店員)
「ふだんは忙しいけど今は客足が鈍っているね。
先週また数百人が解雇されたからだよ。」
大量の解雇が行われているというのは本当なのか。
作業員に聞こうとしても一様に口を開かない。
そこで作業員が寝泊まりをするトレーラーハウスが並ぶキャンプ場へ向かった。
実際に解雇されたフロリダから出稼ぎにきたリチャード・ゴールドベックさん。
1年8か月にわたり中間管理職として働いていたが
2月に突然上司に呼び出されたという。
(リチャード・ゴールドベックさん)
「『仕事ぶりは何の問題もないがコストの問題だ』と言われた。
上級管理職から始まり
続いて中間管理職
今ではすべての従業員が解雇の対象になっているでしょう。
費用がかさむ中で人員削減が行われているのです。」
ゴールドベックさんによれば
同じ時期に450人の作業員が解雇されたという。
ボーグル原発の建設が始まったのは2013年。
3年ほどで完成する予定だった。
当時ジョージア州政府は人口の大幅な増加を予想していた。
100万世帯の電力を賄える最新鋭の原発に高い期待を寄せていたという。
(ジョージア州 公共サービス委員会 スタン・ワイズ委員長)
「我が国で30年ぶりとなる新たな原子力プロジェクトが始まり
我々は非常に興奮しました。」
しかし工期は020年まで延長され
現在工事の進捗はわずか3割にとどまっている。
追加の人件費や資材費を抑えるため
作業員の解雇が相次いでいるとみられる。
(ジョージア州 公共サービス委員会 スタン・ワイズ委員長)
「われわれはウェスチングハウスが約束した建設期間と予算を守ってくれると信じていました。
それが裏切られ戸惑っています。
東芝
ウェスチングハウス
電力会社に対しては
2020年までに原発を完成させ稼働させることを望みます。」
3月25日 おはよう日本
毎週日曜日にだけオープンする人気のおもちゃ館が徳島県阿波市にある。
人気の秘密は
館長が作ったユニークなおもちゃと
子どもたちが自由におもちゃ作りができることである。
積み方ひとつでさまざまなオブジェに変身する椅子の形をした積木。
組み合わせると丸太になる立体のパズル。
作ったのは
阿波市にあるおもちゃ館の館長 井村雄三さん(76)。
“親子が夢中になって遊べる場所を”と22年前に開いた。
館内に所狭しと並ぶのは全て井村さんが作ったおもちゃ。
その数は約2,000個である。
特別支援学校の教員をしていた井村さん。
おもちゃを作り始めたきっかけは子どもたちのための教材作りだった。
楽しみながらコミュニケーション力をつけてほしい。
そう考えて作った段ボールのオモチャに思いのほか興味を示した子どもたちを見て
手作りのおもちゃに無限の可能性を感じたのである。
(井村雄三さん)
「自分で考えて遊んでほしい。
いろんなものを見て
これはこういうふうにも使えるぞと考えるようになるとか。
算数の1+1は2ではない世界。
決まりきった世界ではないというのを子どもが感じられるようになってほしい。」
以来50年
おもちゃ作りを続ける井村さんが大切にしているのは
親も一緒になって遊びたいおもちゃを自分たちで作ってもらうことである。
(来館者)
「娘が大好きなハンバーガーを作っています。
手作りはやはり温かみがある。」
3年前から井村さんのおもちゃ館に通っている新居裕子さんと7歳の宗太郎くん
そして4歳の芽依ちゃん。
新居さん親子がいま夢中になっているのは釣りのおもちゃである。
お父さんと釣りに行くのが大好きな宗太郎くん。
釣り竿や仕掛け
釣り船
そしてさかな。
おもちゃ館に行くたびに新たな釣りのおもちゃが増えていく。
(新居裕子さん)
「想像力もつくだろうし
こんなこと思っているんだなとか
それが妹にも伝わって
妹も考えながら遊んでいる。」
この日もおもちゃ館にやって来た新居さん親子。
出来上がったのは
釣った魚をさばく包丁のおもちゃだった。
(新居裕子さん)
「息子がずっと作りたかったんで
思いが形になって良かったです。」
(井村雄三さん)
「ことばだけじゃない
温かい感じが出てきますね。
元気でいて
ずっと続けたいと思っています。」
子どもたちの豊かな心を育みたい。
井村さんの手作りおもちゃ館はいつも笑顔と自由な想像力であふれている。
3月25日 おはよう日本
香港の郊外にある集合住宅が密集した地域。
ここに住む張さん一家は
夫婦ともに飲食店で働いている。
月収は夫婦合わせて20万円余。
香港では少なくない収入を得ている。
それでも家族4人で暮らしている部屋は
トイレと合わせて8畳ほどしかない。
収納は無く
服は袋に入れるなどして壁に掛けるしかない。
張さんが払える月6万ほどの家賃では
どんなに探してもこの広さが限界と言う。
体を動かすこともゆっくり寝ることもできない。
(張さん)
「部屋が狭くて
子どもが健康に育たない気がします。」
実はこうした狭い物件はもともとは1つの世帯用に起きな1室だった。
その複数の世帯に貸し出せるように小さな部屋に分割しているのである。
これらは小さく切り分けた部屋という意味の「トンファン」と呼ばれている。
香港は約20万人がトンファンで生活している。
狭い土地に多くの人が暮らす香港は慢性的に住宅が不足してきた。
その住宅事情をさらに厳しくしているのが
いま中国本土から流れ込んでいる巨額の投資マネーである。
中心部から車で30分以上離れた郊外の土地。
便利とはいえない場所なのに香港で過去最高額となる2,400億円余の値がついた。
購入したのは中国の不動産会社である。
近年 中国本土の投資マネーが
土地や住宅を投資目的で買う動きが相次いでいる。
こうした動きにともなって
香港全体の住宅価格は過去10年間で3倍に上昇した。
価格が高騰するマンションを変えるのは一部の富裕層だけである。
アメリカの大学を卒業し香港の金融機関で働く男性は
将来値上がりすることにも期待して7、000万円ほどのマンションを購入しようと考えている。
「マンションは投資にもなるので
1つだけでなく3つ4つ買う人もいます。」
ますます広がる香港の住宅格差。
所得の低い人たちの深刻な状況に危機感が高まっている。
(住宅問題の専門家 香港城市大学 邸勇副教授)
「金のない人は小さな部屋しか手が届かなくなっています。
結婚や子どもを持つことに消極邸になる原因にもなっています。」
トンファンに住む人たちの生活を少しでも改善したいと活動をしているNPOがある。
代表で建築士の馬潔怡さんは
企業からの寄付をもとに無償で小さな部屋を有効勝つ王するアドバイスを行っている。
(NPO代表・建築士 馬潔怡さん)
「子どもが勉強できる環境を整えてあげたいです。」
馬さんは限られた空間をできるだけ利用できるよう
部屋に合わせて折りたたみ家具などを提供できるよう支援を続けてきた。
(NPO代表・建築士 馬潔怡さん)
「昼間は机として食事や子どもの勉強に使えます。
寝るときにはベッドになります。」
馬さんのNPOから家具を提供してもらった家族。
「学習机を2つと
棚を2つ作ってもらいました。」
以前は収納が少なく子供が勉強する机も無かった。
そこで馬さんたちは棚や机を提供し
以前より快適になるよう工夫した。
これまで使っていなかった壁面を生かした収納棚。
机は必要な時だけ引き出して使うことができる。
「ものを動かさなくても子どもが勉強するスペースができて
とてもありがたいです。」
これまでトンファンに住む50世帯もの家族を助けてきた馬さん。
しかし政府が動かないかぎり住宅問題を根本的に解決するのは難しいと考えている。
(NPO代表・建築士 馬潔怡さん)
「私たちが今やっているのは一時的な支援です。
政府が何らかの政策で住宅問題を解決してほしい。」
3月24日 国際報道2017
香港のスーパーマーケットには
岡山県産のミカンや静岡県産のメロンなど日本各地の特産品が並んでいる。
チェーン店のスーパーマーケットの売り場は日本からの輸入品であふれている。
野菜からお菓子
お酒まで。
香港の人たちの日本好きは世界一。
日本の農林水産物や食品の輸出先の1位は12年連続で香港である。
(客)
「香港にないものが日本にあるし
品質もいいですよ。」
「イチゴやリンゴなどとてもおいしくて日本の果物大好きです。」
日本を訪れる人も多く
日本通の香港の人たち。
いま新たなトレンドとなっているのが“レトロな日本”である。
香港の中心部に去年12月にオープンした居酒屋。
「昭和レトロ」をコンセプトにしている。
壁一面に飾られているのはレトロな看板。
昭和時代に日本で実際に使われていたものである。
♪女のみち (宮史郎)
店内に流れるのはもちろん昭和の演歌や歌謡曲。
店は数週間先まで予約で埋まるほどの人気である。
(客)
「きれいでモダンな店はたくさんありますが
ここは古い雰囲気がいいですね。」
「本物の日本を感じます。
香港の雰囲気とは全く違います。」
店長の唐世昌さん(42)。
20年余 香港の日本料理店で料理の腕を磨き
この店を起ち上げた。
唐さんも大の日本好き。
これまで30回以上日本を訪れている。
昭和の居酒屋を作ろうと思ったきっかけは
10年ほど前に東京の居酒屋を訪れたときに感じた“古き良き昭和”の雰囲気。
日本通の唐さんも知らなかった日本だった。
(「昭和食堂」店長 唐世昌さん)
「以前訪れた日本の居酒屋が“昭和”を感じる店で良い雰囲気でした。
香港にはない“昭和”の雰囲気が香港人に受け入れられると思いました。」
唐さんが開店にあたってまず考えたのが
“本物の昭和レトロ”の雰囲気を出すことだった。
日本各地の骨とう品店を回り
昭和時代に使われていた看板を買い集めた。
その数は60枚以上。
210万円ほどかかったと言う。
いちばん思い入れがあるという郵便局の看板は約15万円で購入した。
流行に敏感で新しいもの好きな香港の人たちだが
古いものの価値も見直されていると唐さんは感じている。
(「昭和食堂」店長 唐世昌さん)
「香港人は新しいものをいつも求めていますが
古いものにも興味があるのです。」
昭和レトロな店を実際に来日して訪れる動きも広まっている。
香港の旅行雑誌の記者 鄭煒華さん。
日本の古民家を活用した店を大きく取り上げた。
(旅行雑誌記者 鄭煒華さん)
「東京は多くの香港人が知っている場所なので
新しい場所を探していました。」
鄭さんの雑誌で紹介された都内のビアホール。
築80年の古民家を改築して使っている。
いま香港からの旅行客が増えている。
再開発などで建物が次々と建て替えられていく香港。
古い建物を大切に残していく日本には香港にない魅力があるという。
(香港の旅行雑誌記者 鄭煒華さん)
「香港にはレトロなものがほとんど残されていません。
東京はこんなに古い建物をきれいに保存して
新しい飲食店に活用しています。
さまざまな場所で深い日本を知ってもらいたいです。」
古くて新しい日本を発見した日本通の香港の人たち。
より深く日本を知ろうとする動きが広がっている。