4月12日 おはよう日本
2000年に新しい品種として登録された“春めき”。
ソメイヨシノより早く
日増しに春めいてくる時期に咲き始めることから名付けられた。
神奈川県西部の南足柄市
3月中旬春めきの桜並木が満開を迎えた。
春めきのもう1つの特徴は独特な香りがすることである。
「やさしくて甘いにおい。
風に乗って“ぷーん”って。」
その香りに強く魅かれた1人
近くの町に住む三嶽正雄さん(69)。
幼いころから弱視だった三嶽さんは40代で光を失った。
5年前 ここを通りかかった時に春めきの香りを初めて嗅いだ。
「感動しました。
桜というものがこんなにいいにおいがすると思って。
疲れも飛んでいくし
心が癒されるし
そういう気持ちで過ごしました。
子ども時代を思い出しますよ。」
そのとき心に浮かんだのは子どものころに見た光景だった。
三嶽さんが通っていた小学校
満開の桜の花びらを間近に見ようと校庭の木にのぼった。
春めきの香りが記憶の中にあるその桜の姿が重なったという。
三嶽さんは苗木を譲ってもらおうと生産者を訪ねた。
春めきを生み出した古屋富雄さん。
早咲きの春めきは卒業式の時期になると主に学校に出荷してきた。
視覚障害のある人からの依頼は思いがけないことだった。
「心が癒されて
心身ともに和むという香りですね。」
「それを私に教えてくれたのは三嶽さんです。」
この2人の出会いをきっかけに
春めきは各地の盲学校や点字図書館などに贈られ
全国に広がっていった。
その1つ福岡県直方市にある福智山ろく花公園。
去年春めきの苗木が6本植えられた。
3月上旬 枝先には小さなつぼみがついた。
地元の視覚障碍者の団体が訪れた。
那須道子さん(74)。
春めきの開花を心待ちにしていた。
夫の眞夫さんは5年前足を怪我して介護施設に入所。
ほとんど寝たきりの生活が続いている。
「花公園に行ってにおいを嗅いでくるからな。
教えるわ今度な。」
「花の香りはいいもんね。」
夫婦にとってさくらは特別な存在だった。
視覚障碍者の訓練施設で出会った2人は昭和42年に結婚した。
その後夫婦で鍼灸院を開業。
ほとんど休む間もなく働いてきた。
ほっとひと息つけるのが春の花見のときだった。
徐々に視力を失っていく病気を患っていた那須さん。
10代で全く見えなくなった。
夫の眞夫さんも右目の視力が無いが
毎年春 桜の様子を一生懸命伝えてくれたという。
「その頃は見えよったからね。
楽しかったですよ。
お酒持っておにぎり作って。
主人も元気だったしよく桜を見に行きよったね。」
3月中旬 苗木に合わせて17輪の花が咲いた。
公園を訪れた那須さんは初めて嗅ぐ春めきの香りである。
「初恋のにおいかな。
胸にきますよ。」
「去年植えた匂いのする桜が咲いとったんよ。
去年植えたのに。
においを嗅がせてもらったのよ。
なんとなくね優しいにおいやったわ。
ものすごく優しいにおい。
桜は心がルンルンになる。」
「すいぶんきれいなんやろうな。」
この日は夫婦の49回目の結婚記念日。
2人で紡いできた桜の思い出がよみがえる。
「楽しい思い出がいっぱいあったな。
梅干し弁当やな。
卵焼きとか腸詰めとかばっかりやったな。」
「腸詰めが酒のさかなとして好きやったな。」
「来年は絶対主人を連れて行きたい。
花のにおいを嗅がせてあげたい。
頑張りよ リハビリ。」
「私も私なりに努力して頑張っていく。」
香りの桜 春めき。
人々の心の中にやさしい花を咲かせている。
4月11日 おはよう日本
通学や出勤
急ぐ人たちは
できれば避けたい踏切待ち。
しかし4月ここでは踏切待ちの45秒が贅沢な時間に変わる。
線路の先に連なるのは80本以上に及ぶソメイヨシノ。
地域の人たちが30年ほど前に植えたものである。
門出や別れ
足を止める人々は
それぞれの人生の節目を桜の花に重ねる。
保育園の入園式を終えて桜を見に来た親子。
「子どももどんどん大きくなって
そのうち子どもと一緒にここでお酒を飲めたら。」
1人暮らしをしている社会人2年生。
遠く離れた故郷に似たこの景色に励まされた。
「すごくきれいだなと思って。
電車を降りてきてしまった。
故郷を思い出した感じで
よかった。」
結婚してこの街に嫁いできた90歳のおばあさん。
人生の節目をこの桜並木とともに重ねてきた。
「今年も桜見られてうれしい。
私はしぼんじゃう方だから悲しいけど
でもいいよね
今まで生きてきたんだから。」
春休み
学校に向かう高校生に出会った。
柴田明穂さん。。
この春3年生になる。
「めっちゃきれいですね。
桜がきれいだからそれを見て学校に行けるし
帰るときも見て気分が明るくなる。」
柴田さんにとって4月は大事な月である。
部活では月末にある定期演奏会に向けて練習が大詰め。
そしてもう1つ悩み続けてきたことに結論を出さなくてはならない。
卒業後の進路である。
就職か専門学校に進学するが
迷い続けてきた。
お菓子作りをするパティシエになりたいと
専門学校への進学を考えている柴田さん。
しかし多くの友達が就職を希望するなか
親にお金を出してもらいながら専門学校に通い
パティシエの厳しい修行を待とう出来るのか
不安を抱えている。
「やりたいことをするか就職するか
そろそろ決めないといけないと思っているんですけど。」
始業式には進路の希望を伝えなくてはならない。
春休みが終わりに近づいていたこの日
桜の花は満開を迎えようとしていた。
この春 どんな道を選び
来年 どんな自分が桜を眺めることになるのか。
踏切で足を止めた柴田さん。
「日にあたっている桜 きれい。
こっちも明るくなるし
咲いているだけで力になる。
それだけで気持ちが変わる。」
始業式の朝
進路希望を伝える日である。
将来を決める大切な節目。
柴田さんの結論は
夢であるパティシエになるため専門学校への進学を先生に相談することだった。
「最後の1年だから進路を決めなければならないけれど
楽しむところは楽しんで
自分が楽しめる
絶対やめない方に行きたい。」
桜の花に背中を押され
新たな1歩を踏み出す春である。
4月10日 サンデーモーニング
紀元前3世紀に秦の始皇帝が建設を始めたとされる世界遺産 万里の長城。
全長が2万1、000kmを超える巨大な壁である。
人類の歴史は常にこうした壁とともにあった。
東西冷戦時代 米ソ対立を背景に築かれたベルリンの壁。
ヨルダン川西岸パレスチナ自治区にイスラエルが設置した分離壁。
そしていま再び世界各地で新たな壁が問題となっている。
ハンガリーがセルビアとの国境沿いに建設した長さ175kmに及ぶフェンス。
中東からの難民を阻止するためのものである。
難民受け入れ問題で大きく揺れるヨーロッパ。
4月4日 ギリシャ政府はトルコから密航してくる難民らを
トルコに強制送還する措置を始めた。
(強制送還される難民)
「子どもはみんな病気だ。
私たちもだ。
みんな病んでいる。」
4日は合わせて202人の難民がギリシャのレスボス島からトルコに送りかえされた。
その根拠となったのが3月EUとトルコの間で結ばれた合意。
トルコからギリシャに密航する難民を原則送りかえすという
目に見えない新たな壁を造ることが決められたからである。
こうした人々を隔てる壁をめぐっては
アメリカでも。
(米。フロリダ 3月20日 トランプ氏)
「誰が“壁”の費用を払うんだ?
メキシコ
100%全部だ。」
アメリカ大統領選挙で共和党候補の指名争いをしているトランプ氏は
メキシコとの国境に不法移民を防ぐ巨大な壁を造ると訴えた。
さらにサウジアラビアでは
イスラム国の戦闘員の流入を防ぐため。
またウクライナでは
対立するロシアとの国境に新たに壁やフェンスの設置が進められている。
ベルリンの壁崩壊から25年余。
東西を隔てた壁は壊されたものの
以後 その数は減るどころか増えているのである。
カナダ・ケベック大学が2015年に行った調査によると
1989年 ベルリンの壁が崩壊したとき
世界の国境や境界線に存在したのは16の壁。
しかし2015年
世界の壁は計画中のものまで65に増加しているという。
なぜこうした壁が増えつつあるのか。
(東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院長 上田紀行教授)
「恐怖を駆り立てて
壁を造らなきゃいけないんじゃないかという雰囲気がまん延している。
世界はテロで埋め尽くされ
『ここにもテロリストが潜んでいるのでは』
といった雰囲気が悪循環をなしてきている。」
民族や宗教による対立が先鋭化。
イスラム国の台頭を始め
各地で相次ぐテロや内戦によって
世界に増えつつある壁。
それは物理的な壁にとどまらない。
他者を差別したり排除する動き。
それは日本社会にも広がっている。
(東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院長 上田紀行教授)
「対岸の火事ではなくて
日本のヘイトスピーチとか
インターネット上での匿名の中での他者への攻撃
すでに心理的な壁が築かれている。」
そうした心の壁が今や日本社会で大きな問題になっていると
社会学者も指摘する。
(日本大学 文理学部 好井裕明教授)
「他者に対する想像力みたいなものがすごく衰えている。
劣化している。
障害者の問題
性的マイノリティーの問題とか
様々な違いを持っている人は
こうに違いないとか決めつけ線を引く。
多様性が見えなくなる。」
ベルリンの壁崩壊から25年の記念式典でドイツのメルケル首相はこう語った。
(2014年11月 ドイツ・メルケル首相)
「壁の崩壊は夢が現実になることを私たちに示してくれた。」
しかし時代は今その壁を壊すことの難しさを
あらためて私たちにつきつけている。
4月9日 おはよう日本
愛媛県の海岸沿いを走るJR予讃線。
ここで運行している観光列車が大変評判で
この春も大勢の乗客でにぎわっている。
夕焼け色の車体。
海沿いの路線を週末を中心に運行している。
一昨年の運行開始以来 乗車率は8割を超えている。
人気の秘密は沿線に広がる穏やかな伊予灘。
そしてもう1つ
乗客のサービスを担当するアテンダントである。
アテンダントは全部で11人。
もともとは駅員や車掌をしていたところを抜擢されて
車内で沿線の観光案内などを担当することになった。
(アテンダント)
「“ふたみシーサイド公園”は日本の夕日100選に選ばれていて
国内有数の夕日スポットです。」
アテンダントたちが手作りした沿線マップ。
自分たちが地域を取材して作った。
観光案内ガイドの原稿も手作りである。
さらにこんなサービスも。
「お客様と会話の中で誕生日と聞いて
それでこっそりと。」
手作りの誕生日カードでサプライズである。
(乗客)
「ぐごくうれしいです。
乗ってよかったです。」
「おもてなしがすばらしい。」
「料理も良かったしね。」
「大満足でした。」
アテンダントたちは観光列車の発着駅がある大洲市を訪れた。
(アテンダント)
「駅前の店で自転車を借りて
自転車で大洲を散策しようと思う。」
車内での業務が無い平日
4つの班に分かれて沿線の地域を訪れ
ガイドのための取材に出かける。
(アテンダント)
「“ポコペン横丁”とか
“思ひ出倉庫”とか
昔の“おはなはん通り”」
地元のいいところは地元の人が一番よく知っている。
自転車を借りた店の人におすすめの場所を聞いた彼女たち。
さっそく行ってみることにした。
やってきたのは自転車で5分ほどの距離にあるケーキ屋さん。
地元の食材を使ったケーキがおいしいと
地域で長年愛されているお店である。
伊予灘ものがたりをイメージしたケーキもあった。
「伊予灘のケーキの特徴を教えていただけますか?」
「下の層がホワイトチョコと伊予かんの果汁を使ったムース。
上の方がベリーのムースを使っている。
伊予かんは愛媛県産のを使っている。」
観光するならどこがいいか
乗客の気分になって考えながら沿線の地域をまわる。
「いい景色のスポットが見つけられてよかったです。」
途中で見つけた眺めのいい場所で先ほどの店のケーキを食べることにした。
「酸味がすごくきいていておいしいです。」
実際に食べた感想や観た風景の印象をガイドに生かす。
次の向かったのは五郎駅。
この駅では観光列車が通過する日に
ボランティアが欠かさずホームから手を振って乗客をお見送りしている。
日頃の取り組みの感謝の気持ちを伝えるとともに
地元の人の思いもじっくりと聞いた。
(アテンダント)
「すごく雪が降った日で1時間くらい遅れました。
待っていてくれていないだろうなと思っていたけど
出てきた瞬間 ちょっと泣きそうでした。」
この日の最後はこの時期一番のおすすめスポットに。
「7月8月がヒマワリ
秋に10月からコスモス
年間3回花が見られる。」
(アテンダント)
「こんな景色があるとは実際来て初めて知りました。」
次の運行日
さっそく取材した内容をもりこんでガイドする。
(アテンダント)
「おいしいケーキなのでよかったら行ってみてください。」
「進行方向右側には菜の花畑が広がっています。」
「お客様により楽しんでもらえるような情報を伝えることができたかなと思う。
この列車を楽しみにして来られるので
お客様の思い出の1ページになるお手伝いができたらと思う。」
連日観光客でにぎわう伊予灘ものがたり。
列車の外に飛び出したアテンダントたちの活動にも支えられている。
一昨年運航を始めた予讃線の観光列車。
乗客数3万人を達成するという目標を
今年2月
当初の見込みよりも2か月早く達成した。
4月9日 おはよう日本
岡山県赤磐市の山陽北小学校で教師を務める西川一穂さん(26)。
日本チャンピオンにもなったけん玉名人である。
けん玉道場を開く父の影響で
西川さんは5歳から本格的にけん玉を始め
数々の大会に参加してきた。
そして去年1月の「全日本けん玉道もしかめ選手権大会」。
どれだけ長く玉を落とさずに続けられるかを競うこの大会で優勝。
11時間というこれまでに無い記録を出した。
西川さんは妻と2歳の息子の3人暮らし。
子どもと遊んでいるときもけん玉は手放さない。
西川さんが次に挑むのは時間の長さではなく
技の完成度を競う大会での日本一である。
その大会での種目の1つ“2回転飛行機”。
西川さんの最も得意な技である。
そしてけん玉自体を投げ上げ途中でけんを掴む。
さらにけんと玉を掴み変えて最後は玉の上にのせる複雑な技である。
5月の全日本けん玉道選手権では
こうした12種類の技を全て一発勝負で決めるのが最低条件である。
(西川一穂さん)
「5月の大会は成功率が高いというよりも
決められた1回を出来るかどうかが勝負になってくる。」
そんな西川さんが苦手とする技がある。
それは「フリップ」という技である。
けんを手前に1回転させる動きのことで
手から離すときのタイミングや力加減など絶秒のコントロールが求められる。
海外でも楽しむ人が増えるけん玉。
この技は外国人にも人気で1年前の大会から導入された。
西川さんが大会でこの技に挑むのは今回が初めて。
技を体に覚え込ませようと
12の技の中で最も多くの練習時間をついやしている。
西川さんは久しぶりに父 政典さんのけん玉道場を訪れた。
道場には国内トップクラスの選手が集う。
高いレベルの中で刺激を受けながら練習することで
技の完成度をさらに高めようと取り組んでいる。
(西川一穂さん)
「家で1人でやっていたらできない技が
きょう上手くできるようになったりしたのですごい収穫だったなと思います。」
(父親の西川政典さん)
「ここぞというときには踏ん張る精神力を持っているので
私は特に何も声はかけませんが
今の力を出し切るように頑張ればいいんじゃないかと思います。」
苦手種目を克服して今度は技の日本一に輝きたい。
大会に向けて練習の日々が続く。
西川さんが日本一を目指して出場する大会は
5月29日 大阪で開かれる。
4月8日 おはよう日本
大阪市交通局に勤める地下鉄の運転士の男性。
男性がヒゲを生やし始めたのは20年以上前だった。
(地下鉄の運転士)
「男に生まれたらヒゲを生やしてみたいというのがあって
生やしてみたりそってみたり
ある方がいいかなと思って生やしている。」
大阪市交通局では4年前
運転士などの身だしなみについて定めた新たな基準が設けられた。
この中では整えられたヒゲであっても不可とされた。
男性はその後もヒゲを剃らなかったところ
人事上不当に低い評価をされたとして
3月 慰謝料などの支払いを求める裁判を起こした。
(地下鉄の運転士)
「自分が正しいと思っていることを貫いていきたい。
間違っていると思うのに自分の気持ちを曲げてまで従うつもりはない。」
これに対して大阪市は
地下鉄の運行などサービス業に従事する場合
“お客様に好感を持ってもらうために身だしなみの基準は必要だ
合理性があり違法だとは考えていない”
としている。
個人の好みや個性と
職場での身だしなみの規則はどう両立するのか。
(生命保険会社勤務)
「剃った方がいいんじゃないかなと思う。
その方が清潔感があると思うから。」
(不動産会社勤務)
「清潔感は特にヒゲは関係ないと思う。」
(イギリスから来た男性)
「ヒゲは個人の選択の象徴だと思う。
自分がどういうふうに見られたいか。
ロンドンでは職場でもヒゲが整っていて清潔である限り受け入れられている。」
接客する機会がある会社では
身だしなみに厳しい基準を設けているところもある。
大阪西区にある高級輸入車の販売店。
毎朝 開店前に全身の厳しいチェックを行っている。
「ヘアスタイル 整えられていますか
清潔感ありますか
長すぎませんか
ふけ 抜け毛 大丈夫でしょうか。」
ヒゲが生えていないかも入念に確認する。
この販売店ではブランドイメージを重視するとともに
不快に思うお客さんもいるかもしれないとして
ヒゲは一切禁止している。
(高級輸入車販売店 池田晋八店長)
「入社の時にヒゲを生やしたいという意向
またはすでに生やしている方は
事前にご入社はお断りするか
ヒゲ無しと。
やっぱり清潔感 親近感ですよね。」
一方身だしなみについてあえて細かい基準は設けず
職員の自主性に任せているところもある。
滋賀県高島市役所に勤める藤原忠雄さん。
普段は9人の部下とともに
府の出先機関で住民サービスなどの業務にあたっている。
藤原さんが口ひげを生やし始めたのは20年ほど前。
当初は周りからは驚かれ
快く受け入れてはくれなかったという。
(高島市今津支所 藤原忠雄支所長)
「生やしかけた時はいろいろな意見がありました。
『なんや』という意見
半分ちゃかして『似合うやんけ』という意見。」
髭を生やしたことで住民や同僚にどう見られているか。
それまで以上に意識して仕事に取り組むようになったという。
(高島市今津支所 藤原忠雄支所長)
「『ヒゲ生やしているくせに何してんねん』と言われたくない。
それを言われたら剃るし
剃る 剃らんは自分の意志だけど
給料が安くなったら安くなったで自分の責任で。」
いまではトレードマークになったヒゲの影響で顔が広くなり
住民が様々な相談に来るようになった。
(住民の女性)
「ヒゲは珍しいですね。
でもいいんじゃないですか。
似合っていると思います。
別にヒゲを生やしているから人間的にどうとは私は思いません。
性格も前から知っているし。」
ヒゲから受ける印象は人によってさまざまなようである。
20代の男性にはヒゲをおしゃれと思っている人もいるようである。
社会の受け止め方も今後変わってくるかもしれない。
4月8日 おはよう日本
原油を使用した合成ゴムの値下がりを受けて
競合する天然ゴムの価格も大幅に値下がりしている。
天然ゴムの取引価格は5年前から下がり続けている。
タイではゴムの価格の下落が
国を揺るがす問題に発展している。
天然ゴムの生産量が世界最大のタイ。
原油安に加え
最大の輸出先である中国の需要の減少によって
国内160万世帯のゴム農家の経営はいま危機に直面している。
4,8haの土地でゴム農園を営むラビアップさん。
月30万あった収入は激減。
日々の生活費を賄うため
所有するゴムの木の半分を木材用として切り倒し
売却せざるを得なかった。
(ゴム農家 ラビアップさん)
「ゴム農園を営む農家はみんな経営問題に直面している。
現在の価格が続くなら
すべては終わりだ。」
ゴム農家を救済するため
タイ政府は全国に緊急の買い取り窓口を設置した。
持ち込まれたゴムの樹液は1kg約130円で買い取られる。
タイ政府は約170億円をかけて
最大10万トンのゴムを買い取ることにしている。
(ゴム農家)
「政府の買い取りで収入を維持できるので助かる。」
しかし農家から買い取ったゴムをどう消費するか
その方策はまだ決まっていない。
なんとか新たな輸出先を確保しようと
タイ政府は世界各国から100社以上の企業を招いて商談会を行った。
出店企業は
移動用の模型や
道路の速度止めなど
従来のゴム製品と一味違った商品をアピールした。
(商談会の参加者)
「新しい客と出会えたのでよかった。
客が我々の価格を受け入れてくれれば新しい取引を始められる。」
ゴムを使った避妊具の輸出拡大にも乗り出している。
感染症を予防する途上国向けの支援物資としての需要が高まっているのである。
さらに国内では
ゴムで舗装した自転車専用道路の建設も計画されている。
バンコク北部から観光地をめぐる道路
全長180㎞にわたって整備し
外国人観光客を呼び寄せる計画である。
ゴムの消費拡大に向けたあの手この手の対策。
しかし専門家は問題の解決は容易ではないという。
(民間シンクタンク ウィロー研究部長)
「原油価格が以前のようには上がらない。
多くの農家が栽培をやめることになる。」
4月12日 編集手帳
サトウハチロー作詞『浅草の唄』にある。
♪つよいばかりが男じゃないと
いつか教えてくれた人…
歌の心に通じる感想を、
その人は小学校の卒業文集に綴(つづ)っている。
〈速く泳げるようになったことも、
速く泳ぐことだけでないことを知ったのも、
この学校のプールがあったからだ〉。
速いばかりが水泳じゃないと…北島康介選手(33)である。
自分の限界に挑みつづけることが速く泳ぐことと同じくらい大切であると、
小学校で学んだのだろう。
日本選手権に敗れて5大会連続の五輪出場を逃し、
現役を引退するという。
情熱と体力を最後の一滴まで燃やし尽くし、
“花道無用”の見事な引き際である。
〈もったいなくて北島康介の載る新聞犬小屋の中には敷きえざりし〉(岩本房子)。
北京五輪の平泳ぎ2種目で2連覇を成し遂げた当時、
『読売歌壇』で読んだ。
数々の勝利の記憶は言うに及ばず、
敗れて去る後ろ姿までが凛(り)々(り)しい稀有(けう)の人である。
「ここまで長く真剣勝負をさせてもらって、
悔いはありません」。
晴れやかな笑顔がよかった。
その写真が載った新聞も、
犬小屋にはちょっと敷きにくかろう。
4月7日 キャッチ!
人口約1,700万人が暮らすニューデリー。
1990年代以降 人々は豊かさだけを求め
街中はゴミが散乱。
大気汚染が進み
自然の緑も輝きを失っている。
こうした状況に危機感を感じ
若手アーティストたちが3年前に組織したのが St+art・インド(スタートインド)である。
壁画を通して
殺伐とした街の風景に新たな風を吹き込もうと設立した。
彼らはこれまで市内150か所の壁をキャンバスに
インドの伝統美など鮮やかな色合いで描いている。
(壁画アーティスト)
「人々の生活からアートは消えてしまった。
私たちの目的はアートをとどけることだ。」
(住民)
「いい絵だね。
気分が上がるよ。」
「街をカラフルに輝かせてくれるわね。」
グループのメンバーが少年時代を送った1980年代
ニューデリー市内では手描きの広告看板を数多く見ることができた。
しかしその後の経済発展で
独特なデザインは姿を消し
街の豊かな色も失われていったという。
グループのメンバーは
かつての生き生きとした色彩とデザインの躍動感を
現在の街中で再現したいと考えている。
(St+art・インド メンバー ハニフ・クレシさん)
「私たちが住んでいる町は灰色です。
空も陸橋や道路も
呼吸する空気さえ灰色なんです。
このプロジェクトは街に命を与えることが出来るんです。」
今年は海外12カ国から壁画アーティスト12人も参加して
ある1つの地域を公共の美術館にしようと
新たな試みに挑戦した。
(日本人アーティスト SUIKOさん)
「みんな壁を見てくれる。
車も止まって『ナイス!』と。」
こうしたアートによる地域活性化の取り組みは高く評価されている。
インドのペイント会社からは資金援助を受け
日本やドイツなど12の大使館も協賛。
インド政府からは場所の提供などを受けた。
またアーティストたちが描く絵は人々に影響を与えている。
インド独立の父 マハトマ・ガンジー。
ガンジーはいまもインドのすべての人々が尊敬を寄せる偉大な人物である。
ガンジーが残した言葉に人々は格別な思いを寄せている。
(壁画アーティスト デリアさん)
「マハトマ・ガンジーと彼のメッセージを描いています。
このように書いてあります。
“衛生的なインドへ”。」
ガンジーが訴えたメッセージとは
インドの衛生環境の改善である。
こうしたメッセージやきれいな壁画によって
地域住民の意識には変化が出てきている。
(地域住民)
「近所が前よりすごくきれいになってとても気分がいいわ。」
「壁画を見ればきれいにしたくなります。」
人々にアートを届けたい。
アーティストたちが描いた夢は徐々に現実のものとなり
いま多くの人々が芸術に対する興味を持ち始めている。
(St+art・インド メンバー アル・ボーズさん)
「“アート作品をみんなで所有している”
という共通認識が人々の間に出てきた気がします。」
首都ニューデリーで始まったストリートアート。
自分たちの手によってインドはまた新しく生まれ変わるかもしれない。
強い思いを胸に
若きアーティストたちの挑戦は続く。
4月7日 おはよう日本
中小企業の社長など約100人が参加したセミナーは
中国のネット通販最大手の・アリババが開催した。
(参加者)
「パートナーが見つかって
広く拡大できればいい。」
タイの企業はオーダーメードのスクーターの車輪を
ブルガリアの企業は通常より燃えやすく長持ちするという薪を
世界各国の中小企業が自慢の商品を出店しているサイト。
参加している企業やバイヤーの数は7,000万にのぼる。
サイトの仕組みは
例えば自社の製品を世界に売りたいと考えている日本の中小企業の場合
サイトに登録すると
世界各国のバイヤーとつながることができる。
商談が成立すれば海外への販路が開けるのである。
(アリババ 許長龍部長)
「情報収集の面で中小企業も巨大企業と対等に勝負できます。
日本の中小企業も数多くのチャンスを得られるでしょう。」
大阪の中小企業の社長 上田勝啓さん。
健康食品や化粧品を扱っている。
中間層が増えて健康志向が高まっているアジアへの販路を拡大を検討していた。
しかし海外への足掛かりが無いのが悩みだった。
そこで目をつけたのが地元のセミナーで見つけたこのサイトだった。
利用を初めて1年半
アジアやアフリカの14の国と地域に販路は広がっている。
(健康食品・化粧品販売会社 上田勝啓社長)
「問い合わせが来ますね。
初回の問い合わせメールなどすごい。
アフリカからも多い。
ブラジルなど地球の反対側からも。
本当に世界中から来る。」
年間の売り上げも約10%増加した。
バイヤーとの関係が新たな商品の開発に発展するケースも出ている。
3月 上田さんが訪れたのは香港。
バイヤーから新たな提案があるというのである。
ホテルで行われた商談。
イスラム教徒の戒律にそった製品であることを示す“ハラル認証”が取れれば
東南アジアや中東など販売地域の拡大が見込めると提案された。
(バイヤー)
「シンガポールにはマレー系のイスラム教徒が住んでいますので
可能であれば
製品のラベルにハラルのロゴを付けてほしいです。」
(健康食品・化粧品販売会社 上田勝啓社長)
「1つでも多くの国に物が出せるように取り組みたい。」
中国のネット起業を利用した海外進出。
国内の市場が伸び悩むなか
日本の中小企業の挑戦が続いている。
海外との取引が容易になる一方で
顔の見えないインターネットを通じてやり取りが行われるだけに
信用できる取引先なのか
見極めることが重要となる。
このサイトでは
バイヤーや企業の取引の状況の1部をネット上で公開するなど対策を講じているが
全てのリスクを防ぐのは難しいのが実情である。
4月6日 キャッチ!
中央アジアの国トルクメニスタン。
西はカスピ海
南はイラン、アフガニスタンと国境を接している。
面積は日本の1,3倍
首都はアシガバード。
1991年に旧ソビエトから独立。
人口約530万人
主にイスラム教のトルクメン人が多数を占め
その多くがスンニ派である。
大統領に権力が集中する独裁色が強い政治体制のもと
過去十数年にわたり高い経済成長を続けている。
人口80万人の首都アシガバード。
街の中心部では白い大理石を使ったオフィスビルや省庁
集合住宅が整然と立ち並んでいる。
町中を走るのは多くの日本車。
アシガバードでは6割以上が日本のメーカーの車だと言われている。
いたる所で見かけるのは巨大な建造物の数々。
変わった形の建物は4年前に作られた観覧車である。
屋外の観覧車としては世界最大とされ
ギネス世界記録にも登録された。
広大なスポーツ施設の中には4万5千人収容のスタジアムも建設中である。
そしてひときわ目立っていた建造物は大統領をたたえる金色に輝く像。
去年 首都を見下ろす丘に設置された。
大統領の肖像画はアシガバードのいたる所で見られる。
国営メディアも連日
絶対的な指導者として大統領の動向を大きく伝え
欧米などからは「極端な個人崇拝だ」との批判が出ている。
そのべルドイムハメドフ大統領が強い指導力で推し進めてきたのが
埋蔵量世界4位の豊富な天然ガスの開発である。
中国に伸びるパイプラインを建設して
ガスの輸出による利益で国づくりを進めてきた。
去年 アフガニスタンとパキスタンを経由してインドに至るパイプラインの建設にも着手。
ガスがもたらす富によって
べルドイムハメドフ大統領は各家庭の光熱費を無料にするなど
政権の基盤固めにも使っている。
近年 トルクメニスタンと関係を深めているのが日本である。
去年10月 日本の総理大臣として初めて安倍総理が訪問。
首脳会談では
ガス処理プラントや
インフラ建設への日本企業の参入を図るなど
経済協力を進めることで合意した。
これを受けて3月下旬に日本の経済代表団が現地を訪れた。
日本の大使が大統領と会談したのを始め
企業関係者も主要な閣僚らと意見交換を行った。
具体的にどのように経済協力を進めることが出来るのか
探るのが目的である。
(トルクメニスタン べルドイムハメドフ大統領)
「我が国と日本の関係は兄弟のように強く結びついている。」
トルクメニスタン側は親日を強くアピールした。
今年9月に開校する予定の日本語などを教える専門学校を公開。
また日本の大学と連携して工科大学を設立する計画も明らかにし
日本との関係を担う人材の育成に力を入れる姿勢を強調した。
(経済代表団の参加者)
「非常に親日で
日本の優れた技術のノウハウを学びたいというのを強く感じた。」
(上月豊久大使)
「中国への輸出に過度に依存した状況に
トルクメニスタンの大統領は危機意識を持っている。
地政学的な観点からも
日本としても非常に関心がある。」
トルクメニスタンはソビエトからの独立後
スイスと同じような“永世中立国”を宣言した。
ロシアとの関係は維持しつつも
民族的に近いトルコ
それから隣国イランなど周辺国を中心に
全方位の外交を続けている。
さらに中国とはガスの輸出によって結びつきを強めてきた。
こうした国々の中で
日本は高度な技術と資金力を持ち
国益を掲げ露骨に介入することもしないので
トルクメニスタン側にとっては組みやすいパートナーといえる。
しかし独裁の政治体制が日本との関係を広げていくなかで大きなネックとなっている。
ビザがなかなか下りないので商談に訪れることもままならない。
投資環境も不透明な部分が多いと言われている。
今後 反政府勢力への抑圧や
言論の自由が高まることになれば
日本としては現政権と付き合うことは難しくなる。
内政や外交を分析して
日本として協力出来ることできないことを分析して
慎重に進めることが重要である。
4月5日 キャッチ!
ミャンマーで3月25日
初めての証券市場となるヤンゴン証券取引所が営業を始めた。
待望の株式の取引が始まった。
取引はこの日までに上場審査を通った不動産開発会社1社からのスタートである。
取引量が少ないため
株価は午前11時と午後1次の1日2回だけ決まる。
気になる初値は31,000チャット(2万7,900円)。
買い注文が殺到し株価は20%上昇。
ストップ高となった。
取引所のオープンを支援したのが
東京証券取引所を傘下に持つ日本取引所グループと
シンクタンクの大和総研である。
6人の日本人職員を派遣し
スタッフの雇用や育成
システムの構築など
まさに一から取り組んだ。
今後上場企業を年内に10社程度にまで増やし
取引所の運営を軌道に乗せることにしている。
(ヤンゴン証券取引所 丸山顕義取締役)
「上場する企業のディスクローズを含めて
品質をある程度まで持っていった形で
投資家の方の信頼を得られるような市場運営にしていきたい。」
なぜミャンマーで証券取引所が必要とされるのか。
もともと軍政時代に銀行の取り付け騒ぎが起きたミャンマーでは
銀行に対する信用が低く
国民の預金口座の保有率は今でも20%程度と言われている。
このため銀行には十分な資金力がなく
融資を求めている企業のニーズに応えられていないのが実情である。
しかし毎年7%を超す高い経済成長によって
ミャンマーでは大規模な不動産開発が急ピッチで進んでいる。
相次ぐ建設プロジェクトにいま企業の資金ニーズが高まっている。
ヤンゴン中心部から車で30分。
株式を上場したファースト・ミャンマー・インベストメントが開発するニュータウン。
2ベッドルームのマンションの値段は約2,200万円。
ミャンマーの富裕層
さらには外国人向けに開発された。
5年後までに合わせて9,000戸を開発・販売する計画である。
会社ではこうした大規模な開発に巨額な費用がかかることから
資金調達には株式の上場が欠かせないと判断した。
(ファースト・ミャンマー・インベストメント サージ・パン会長)
「お金については決して十分ではない。
いまこの国は重要な変革の中にある。
それゆえ企業が新たな資本を必要とするのは当然です。」
新たにできた証券市場に個人投資家も期待を強めている。
取引開始の朝
日本の大手証券取引グループが主催する証券会社にはたくさんの投資家が押し寄せた。
これまでタンス預金が中心で
投資の経験がほとんどないミャンマーの人たち。
株式は値上がり吸えば利益が得られ
「換金しやすい便利な投資商品」と映っているようである。
(投資家)
「ミャンマー初の株式市場なので売買するのが楽しみだ。」
中には1人で数千万円の買い注文を入れる客もいた。
証券会社では投資家向けのセミナーを開くなどして
さらに投資家を呼び込もうとしている。
(大和証券 現地法人 高橋孝社長)
「これは通過点にすぎない。
これから先市場を活性化させていく。
ミャンマー政府と一体になって活性化させていかなくてはいけない。」
4月4日 キャッチ!
アメリカでは近年
薬物の過剰摂取による死亡者が増加。
アメリカABCによると
現在 1日129人が死亡している。
そのほとんどが
ヘロインか
処方薬である鎮痛剤の過剰摂取によるということである。
こうしたなかオバマ大統領は
アトランタで開かれた薬物問題について話し合う会議に出席し
次のように話した。
(3月29日 アメリカ オバマ大統領)
「鎮痛剤の乱用は政府の優先課題だ。」
薬物依存の問題が特に目立っているのが北東部のニューハンプシャー
死亡者は2012年から3年で約3倍に増加。
人口130万人のうち10万人に中毒治療が必要とも言われていて
2月に行われた大統領選に向けた候補者選びの焦点にもなった。
アーロン・スミスさん(22)はすでに結婚し
愛する息子のカムデン君がいる。
ヘロインを1年前に始め
中毒状態になっている。
(アーロン・スミスさん)
「使用回数がすごく増えている。
毎朝起きたらすぐヘロインを打っている。」
最初は処方薬の鎮痛剤を使っていたという。
その後ヘロインへ。
ヘロインを始める人の5人に4人が処方薬の鎮痛剤から始めている。
両親の願いは息子の完治である。
(アーロンさんの父親)
「ヘロイン中毒になる前
アーロンはとても素晴らしい子でした。
そのころの息子が本当に懐かしいです。」
アーロンさんも事の重大さを分かっている。
更生できなければ家族を失ってしまう。
彼は助けを求め続けた。
しかしどの施設も空きが出るまで数週間かかるという。
ニューハンプシャー州の施設の収容能力は特に悪いのである。
やっと空きの知らせがあった。
(アーロンさん)
(州の更生施設からの返事です。
受け入れてくれる施設が見つけられてうれしいよ。
この悪い状況をやっと終わりにできる。」
治療前に自分自身との葛藤が始まる。
(アーロンさん)
「治療を受ける前にこれを捨てるつもrです。
捨てることがこんなにつらいなんて
更生したいけどまた逆戻りしそうで怖いよ。」
ヘロインにむしばまれた彼の体を中毒症状が襲う。
(アーロンさん)
「頭がガンガンする。
ハンマーで殴られているみたいだ。」
ヘロインを求めて電話を掛け始めた。
できるだけ手に入れようとする。
(アーロンさん)
「助かったよ。
ヘロインが手に入ったんでこれであっという間に気分はよくなる。
禁断症状で何もできなくなるけど
使えば普通に戻れる。
最低だよ。
でも薬が必要なんだ。
わかるだろ。」
このあとヘロインを打つことになったアーロンさん。
治療まであと2日なのにまた薬に手を出す自分に悔い
泣き崩れた。
シーブルックにあるアーロンさんの実家。
施設に入るまであと24時間となった。
アーロンさんは息子の写真を見せてくれた。
再び電話。
治療を受ける前の最後のヘロインだと彼は言う。
(アーロンさん)
「チャイナホワイトだよ。
これで僕の人生は台無しになったのさ。」
原料の鎮痛剤は病院で使われる薬で
効力は通常のヘロインの50倍。
(アーロンさん)
「こんなことで興奮するなんて狂ってるよ。
恥ずかしいけど事実だ。
少しだけど効くんだ。」
洗面所に入り彼はヘロインを打った。
(アーロンさん)
「僕は必ず更生するよ。
僕の人生には息子が必要なんだ。」
次の日アーロンさんは息子に会いに妻の実家へ。
リハビリ開始の前日である。
(アーロンさん)
「リハビリで一か月も話ができなくなるからね
その前に息子にあえてうれしいよ。」
そこへ症状が再び。
息子がいるにもかかわらずアーロンさんは洗面所に引きこもった。
なんのためなのか皆知っている。
(アーロンさん)
「ドアを開けないでくれ!
治療の準備なんだ!
ほんとうに最後なんだ!」
(子どもの泣き叫ぶ声)
翌日 施設への迎えが来たとき
彼が荷物を見せてくれた。
(アーロンさん)
「そんなにありません。
更生プログラムの本に
妻に送る便せんです。
今後が心配です。
僕の人生はたった1年で薬に奪われてしまった。」
彼は更生施設に入所したが
28日プログラムの3日しか続けられなかった。
ほかの州施設と同じように
ここでもヘロインを絶つための補助薬は支給されなかった。
支援活動家が治療には絶対必要だという薬である。
8日後 アーロンさんはヘロインの過剰摂取で亡くなった。
同じニューハンプシャー州のマンチェスターで
過去最高になろうとするヘロインの死亡者数。
(麻薬取締局 担当者)
「現状から抜け出すのは難しいですね。
これは医療、公衆衛生、司法の問題です。
協力が必要です。
今すぐにも起こりえる問題なのですから。」
4月2日 経済フロントライン
流行の発信地NYでいま人気なのがスポーツウェアを着こなす“アスレジャー”。
街で目にするのはスポーツ用のレギンスやランニングシューズを普段着として使う人々。
こうしたファッションはアスレチックとレジャーをかけあわせて“アスレジャー”と呼ばれ
ニューヨーカーの間で急速に人気が高まっている。
「とてもファッショナブルだと思います。
私は毎日来ていますよ。
もう生活の一部ですね。」
「着心地が良いところが好きです。
見た目もかっこいいし。」
人気の高まりを追い風に
スポーツ用品メーカーは商品開発を加速させている。
スポーツウェア最大手のナイキのイベント。
(ナイキ マーク・パーカーCEO)
「我々は革新的な製品を開発することにこだわりを持っています。」
イノベーションをテーマに
最先端の素材を使ったウェアやシューズの新商品が発表された。
様々な商品の中でも元も注目を集めたのは
足を入れると靴底に内蔵されたセンサーが反応し自動で靴ひもが閉まるシューズ。
(ナイキ マーク・パーカーCEO)
「デザインも良く性能も優れている。
そうした商品を消費者は日々の生活の中でも求めているのです。」
アメリカでナイキに次ぐ売り上げのアンダーアーマー。
今年売り出したのは
運動や睡眠を記録するバンドや
心拍数を正確に測るベルトなど
ITと融合させることでスポーツウェアを生活の一部に取り入れてもらう戦略である。
(アンダーアーマー フィットネスアプリ担当 ダグ・ザイワッツェさん)
「人々はよりアクティブで健康的な生活を望んでいるので
わが社の製品をより求めてくれるはずです。」
日本でもスポーツウェアが今おしゃれに進化している。
スポーツ用品メーカーのデサントが去年秋にオープンさせたショップ。
店頭にはスカートやジャケットなど日常使いができるファッション性を追求した商品をラインアップ。
生地には高い伸縮性や防水性があるスポーツウェアの素材を利用している。
ジャケットとは折りたたんでコンパクトに収納することが可能である。
スポーツウェアを普段着として着こなすコーディネートは
レギンスとコートでスポーツらしさを演出し
一方でシックな靴をはくなどして上品さを加えることがポイントだという。
(デサントン リテール部 伊藤隆明部長)
「スポーツの機能開発力をファッションに落としこんで
日常で着れるようなものにこなして提供できれば
非常に競争力があって付加価値の高い物が提供できる。」
一方ファッションブランドがスポーツウェアの開発に乗り出す動きも加速している。
20~30代の女性に人気のケイト・スペード。
3月からオンライン限定でヨガに使うウェアの販売に乗り出した。
(ケイト・スペード PR担当 堀田真依子さん)
「エクササイズをするときにはもちろんのこと
そのままのスタイルで街中を歩いていても
ファッショナブルでいられるようにということで
外にもぜひこれを着ていただけたらと思う。」
高まるスポーツウェア人気。
スポーツファッション専門誌の編集者は
(スポーツファッション専門誌 「ハミングバーズ」編集部 石井菜穂子さん)
「会社の帰りにちょっと走って帰るとか
女性のライフスタイルの中に
スポーツが身近なものとして増えてきている。
ファッションとしてスポーツアイテムを取り入れることは
一過性のものではなく
今後も継続していく流れになていく。」