3月26日 読売新聞編集手帳
新国劇を創立した剣劇の雄、
沢田正二郎の即興詩が残っている。
〈斬り倒してふと考える/この人に 言い交わした女がありはせぬかと〉。
迫真の凄(すご)みがいまも語り草の殺陣は、
役になりきる精進の賜物(たまもの)であったろう。
役者ならぬ身で、
誰かになりきっての感情移入が巧みであるはずもない。
それでもあの地震以降、
被災者になったつもりでニュースを聴くことにしている。
現在は屋内退避を指示されている福島第一原発から20~30キロ圏内の住民に、
政府はきのう、
「自主避難」を促した。
そこに住む“私”は、
さて、どうしよう。
放射線量の問題ではなく、
生活物資が圏外から届きにくくなったための措置だと、
官房長官は説明する。
本当かしら?
放射能の専門家集団で、
生活物資には門外漢であるはずの原子力安全委員会も「自主避難」を唱えているではないか。
避難せよ、
と指示するなら分かる。
放射能に関する情報は政府がすべて握っているのに、
「自主的に」(=あなたの意思と判断で)と言われても戸惑うばかりだろう。
その言葉が住民の耳にどう響くか――
「口にしてふと考える」姿勢が欠けている。