日暮しの種 

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お勉強いたします

肩を落し去りゆく選手を見守りぬ  わが精神の遠景として

2016-08-31 07:15:00 | 編集手帳

8月20日 編集手帳

 

 昔ながらの言い回しに、
〈神武以来の〉がある。
将棋の加藤一二三九段 は「神武以来の天才」とうたわれ、
歌手の美輪明宏さんは「神武以来の美少年」と呼ばれた。
日本の国がはじまって以来の、
である。

国内限定の観がある〈神武以来の〉に比べると、
小柄な乙女に武骨な響きは気の毒だが、
地球上の誰をも寄せつけぬ無類の強さが表れている。
レスリングの吉田沙保里選手(33)はしばしば〈霊長類最強の〉と評される。

その吉田選手がリオ五輪の53キロ級決勝で敗れた。
負けて悔いなしの対極、
身も世もない涙が印象に残る、

206連勝、
五輪3連覇の偉業は色あせない、
と告げることはできる。
金メダルの後輩たちはあなたの背中を見て育った、
と告げることもできる。
事実はその通りだが、
闘いの余熱に包まれた人の耳にいまは届くまい。
贈る言葉は胸にしまっておく。

ときに金メダルよりも、
苦い敗北が人の心をうつ。
〈肩を落し去りゆく選手を見守りぬ
 わが精神の遠景として〉(島田修二)。
人は皆、
神武以来の天才でも霊長類最強でもない人生を、
何度も何度もつまずきながら生きている。
だからだろう。


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警察官と黒人対立深刻化 米国で広がる相互不信

2016-08-30 07:15:00 | 報道/ニュース

8月23日 キャッチ!


7月 アメリカ南部で連続して起きた警察官による黒人の射殺。
事件の様子はインナーネット上に公開され
全国各地の黒人市民は大きく反発した。
武器を持たない黒人に対する警察官の発砲。
この過剰な取り締まりはなぜ行われたのか。
一方 これらの事件直後
今度は逆に黒人が警察官をねらう襲撃事件が相次いで発生。
複数の警察官が殺害された。
(オバマ大統領)
「我々はこのような悲劇を何度も見てきた。
 すべてのアメリカ人が考えるべき問題だ。」
黒人の大統領が誕生。
人種間の壁を乗り越えたはずのアメリカに何が起きているのか。

全米でも有数の犯罪多発地域として知られるカリフォルニア州リッチモンド。
警察官が射殺された一連の事件を受け
地元警察は新たな訓練を始めた。
訓練では
ナンバーが無いという不審者の通報を受け
新人警察官らが現場に向かう。
そこにはエンジンをかけたままでドアが開いている白い車。
車に近づくと犯人が警察官を近づけて銃殺するという想定。
日常的な何気ないパトロールの中にも
意図的な悪意を持つ市民によって命が狙われる危険性があることを学ぶ。
(警察官 マイケル・パガリングさん)
「ふだんから繰り返し訓練していればリスクを減らすことができます。」
(警部 ルイ・ティローナさん)
「南部の州で起きたことは悲劇です。
 警察官という理由で標的にされました。
 我々の責任は市民を守ると同時に
 自分たち自身も守るということです。」
あらゆる事態を想定し
緊張感を持つことと同時に
警察官に落ち着いた対応が求められる。
職務質問の訓練は
相手を刺激しないようにゆっくり丁寧に話しかけるよう
落ち着いた対応を身につける。
「扉から30~40cm
 車内が見える位置に立つように。」
車の脇に立つ位置も重要である。
一昨年 全米各地で警察官による過剰な対応が問題となるなか
この警察署では公正さを市民にアピールするために
警察官の制服に装着する小型のボディカメラの導入をいち早くした。
このカメラによって公務の一部始終が録画されることになっている。
リッチモンドの警察署では市民からの信頼を得る努力を続け
良好な関係を築いてきたが
全国的な警察官の問題を指摘する。
「残念ですが警察公務に悪い例があります。」
緊張を強いられる警察官が過剰な取り締まるを行うことがある今
これに対処するために
市民も自衛手段を学ぶべきだとする男性がいる。
カントリー歌手 コフェ・アンダーソンさん。
黒人が警察官に車を止められたときの対処法のビデオを製作した。
①エンジンを止める
②ラジオを切る
③警察が来る前にIDをダッシュボードに乗せる
④両手をハンドルの上に乗せる
(コフェ・アンダーソンさん)
「ネットで映像を見てすぐに保安官の友達に電話をかけたよ。
 黒人がどう行動するべきか聞いたんだ。」
5分ほどの映像は1か月で3,000万回も視聴され
この問題への関心の高さを表している。
この評判に
あるテレビ番組がアンダーソンさんを招待。
オバマ大統領に直接質問する機会が設けられた。
(コフェ・アンダーソンさん)
「警官に車を止められた経験は?」
(オバマ大統領)
「もちろんあります。」
オバマ大統領は今も残る黒人に対する偏見をなくすために
アメリカ社会全体で取り組まなければならないと強調した。
(オバマ大統領)
「黒人というだけで危険だと推測されてしまう。
 問題はそれらの無知と誤解をどう減らしていくかだ。」
一方 インターネットにはビデオに対する批判的なメッセージが。
アンダーソンさんは白人と黒人の溝を埋めるためには
どんなことでもお互いが自分の考えを伝え合うことが大事だと訴えている。
(コフェ・アンダーソンさん)
「悲しいね。
 アメリカはいつまでたってもひとつになれない。
 社会をよくするには意見に心を開くことです。」




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外国人旅行者と“食事”で交流

2016-08-29 07:15:00 | 報道/ニュース

8月4日 首都圏ネットワーク


今年1月~6月に日本を訪れた外国人旅行客は1,171万人余となり
半年間としては過去最高となった。
リピーターの増えるなか訪日外国人の関心が高いのが
日本の日常生活を体験すること。
日本の家庭でご飯を食べながら
気軽に日本の日常生活を体験する取り組みが人気を集めている。

食卓を囲んで盛り上がる初対面のイタリア人と日本人。
外国人旅行者を家庭に招き交流するプログラムの参加者である。
イタリア人たちのお目当ては
日本のごく普通の家庭料理。
この日は“冷しゃぶ”に“ちらしずし”。
この家の定番料理を食べながらおしゃべりをして親交を深めた。
(ガイア・ベンチーニさん)
「リアルな日本のご飯を食べたいと思っていたら
 それ以上の料理が出てきて最高だった。」
外国人旅行者と日本人が食事を通して交流するこの取り組みは
日本のNPOがインターネットで運営している。
体験希望の外国人旅行者と
受け入れ希望の日本人家族が
それぞれ登録。
場所や日時などお互いの条件が合えば
当事者同士で細かい段取りを詰める。
受け入れる日本人はボランティアで
外国人から直接お金は受け取らない。
外国人はサイトの利用相3,500円をNPOに振り込み
そこから食材費1,500円が日本人家庭に振り込まれる。
この取り組みを始めたNPO法人「ナゴミビジット」代表 楠めぐみさん。
もともとインターネットで旅行関係の仕事をしていた楠さん。
7年前にデンマーク人の家に招かれて家族と一緒に食事をしたとき
外国の文化にじかに触れ
感動した。
日本でも旅行者が一般家庭に入っていける仕組みがあれば
今までにない体験をしてもらえるのではないかと考えた。
(「ナゴミビジット」代表 楠めぐみさん)
「食べ物への興味は万国共通だと思うので
 安全に入っていけr仕組みがあれば
 旅行者は面白いのではないか。」
4年前の開設以来口コミで評判が広がり
これまでに67か国から3,800人以上の外国人が利用した。
日本人も670家族が登録している。
東京オリンピック・パラリンピックの開催も決まり
受け入れる側でも人気が高まっている。
今年の3月から受け入れを始めた横浜市の山岸君江さん。
「多くの外国人と触れ合いたい」と登録した。
(山岸君江さん)
「過去に自宅でホームステイを受け入れて
 1か月半ぐらいやったことがあるが
 そうなるとちょっと大変かなと思う。
 外国人と遺書に食事することはある意味手軽。
 国内にいながら海外旅行をした気分。」
この日は友人と
メキシコからやってくる女性に昼食をふるまう。
いなりずし
切り干し大根
夏らしいさっぱりとしたメニューを用意。
豆料理はメキシコでは辛いが
いつもどうりの甘い味付けのままにすることにした。
さまざまな安全面を考慮し
初対面の外国人とは駅で待ち合わせをする。
メキシコ人のシルビア・ベルナルさん。
初めての日本旅行だが
珍しい体験に強く魅かれた。
(シルビア・ベルナルさん)
「日本人の住む場所や日常生活を見ることは
 自分の知らない文化を見るいい機会で
 とてもありがたい。」
山岸さんは家に向かう前にある場所に立ち寄った。
いつもお参りしている近所のお寺である。
普段の生活も体験してもらうためである。
さっそく出てきた日本の家庭料理にシルビアさんは興味津々。
ソーメン
てんぷら
煮物
シルビアさんに取っては始めて口にするものばかり。
(シルビア・ベルナルさん)
「お皿もだけど
 日本の文化はすべてが繊細。」
山岸さんが気にかけていた豆料理は
「ベリー・グッド。
 おいしい!。」
3時間にわたって山岸さんたちは賑やかな時間を過ごした。
(シルビア・ベルナルさん)
「食事のおかげでみんなが仲良くなれた。」
(山岸君江さん)
「既定の観念を持たすに友情を育んでいく
 いい企画だと思っている。
 今後も時間の許す限りやってみたい。」
食事を通して人と人とをつなぐ新たな国際交流が広がろうとしている。


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結婚ができない!? 中国の男たち

2016-08-28 07:19:09 | 報道/ニュース

8月4日 キャッチ!


きらびやかなドレスに豪華な結婚式。
北京で結婚式の展示会が開かれ
来場者は2日間で3万人に達した。
会場で目立ったのは
式の細かい演出までこだわりを見せる積極的な女性の姿。
「披露宴会場は暗い方がロマンチックだわ。」
それとは対照的に
男性とその両親はなんだか不安げな表情である。
「基本的に計画は彼女が立て
 私がお金を出します。」
中国の結婚では
男性側が式の費用に加え
家と車を用意するのが慣習となっているが
近年 その負担額が増加しているというのである。
結婚に際して
女性の優位が強まっている原因の1つは
30年余にわたって続いた「一人っ子政策」である。
80年代にこの政策が始まると
働き手として男の子が重宝がられ
女の子は不法に中絶されるケースが後を絶たなかった。
その結果 女性より男性の数が上回り
現在
20代前半の女性100に対して
男性は107。
10年後に結婚適齢期を迎える10代前半は119と
男女の人口のアンバランスはますます広がることになる。
結婚の問題が最も深刻なのは農村部である。
河北省の農村で結婚の仲介をしてきた楊鳳蘭さん。
結婚を希望する独身男性が多くいるのに
相手の女性がなかなか見つからないという。
(楊鳳蘭さん)
「以前は100平米の家があればお嫁さんは見つかりました。
 年に7~8組の結婚を成立させましたが
 今では1~2組です。」
農村ではもともと男性の方が多いことに加え
女性はひとたび都市部に進学すると
そこで結婚相手を見つけて地元に戻ってこないからである。
一方 都市部の若い男性にとっても結婚相手を探すのは至難の業である。
大きく立ちはだかるのは経済力の問題である。
経済発展に伴い
都市部の住宅価格が高騰し
北京での平均価格は8,000万円。
結婚の条件となる「家」「車」「貯金」の3点セットを都市部で揃えるのは無理だと
結婚をあきらめる男性も少なくない。
「家や車のない結婚は
 生活も不安定でありえない。」
「衣・食・住と車があれば結婚できます。
 “モノ”が支配する社会なのです。」
結婚のハードルが高くなるなか
生活スタイルの多様化もあり
結婚そのものに執着しない若者が増えているという。
「愛情と“モノ”がないなら独身かな。」
「いい相手がいなければ結婚する必要はないです。」
ところがこうした状況に焦りを募らせている人たちがいる。
北京市中心部の公園は週に2回 高齢者でごった返している。
息子や娘の結婚相手をさがしている。
路上に並べられたのは息子や娘の紹介本。
愛情いっぱいに育てた自分の一人っ子を
何とか結婚させようと親同士が真剣に話し合う。
「北京以外はダメね。
 北京戸籍は重要よ。
 子どもの学校とかいろいろと関係するのよ。」
子ども以上に結婚に執着を見せる親たち。
そこには親の世代に今も残る古い中国の結婚感がある。
(北京大学 陸教授)
「親の世代は世間体を強く気にして
 子どもに結婚させようと必死なのです。」
中国社会で表面化している結婚の問題。
経済発展の裏側で
独身の若者
そしてその親たちに重くのしかかっている。


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遠き帆

2016-08-27 07:15:00 | 編集手帳

8月3日 編集手帳

 

 小学生の頃に書いた習字だという。
〈不自由を常と思へば不足なし〉。
朱筆で「優」と、
先生の評価が添えてある。
北海道小樽市の「石原裕次郎記念館」で、
ご覧になった方も多かろう。

10歳で終戦を迎え、
物不足の辛抱を半紙に綴(つづ)った少年がやがて、
伸びやかな四肢で高度成長を体現していく。
並ぶ者なき人気はもちろんのこと、
人生が時代の振幅に重なる意味でも、
昭和を代表する映画ス ターである。

記念館が来年夏で閉館になるという。
裕次郎さんが52歳で亡くなった4年後の1991年に開館した。
延べ約1800万人が訪れた小樽の名所は四半世紀の歴史に幕を閉じることになる。

入館者が減り、
老朽化した施設の維持がむずかしくなったという。
そうか、
記念館が古びるほどに、
その人の逝去から時が流れたのか。
そうか、
いまの若い人はその名前に、
もうときめかないのか。
記事を読みつつ、
二つの「そうか」が胸にしみた。

記念館の玄関脇には故人愛用のヨットが展示されている。
〈炎天の遠き帆やわがこころの帆〉(山口誓子)。
かつては誰もがあこがれた眩(まぶ)しい“心の帆”が、
しずかに遠ざかる。


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イギリス EU離脱で進む分断

2016-08-26 07:15:00 | 報道/ニュース

8月2日 キャッチ!


国民投票によってEU離脱が決まったイギリス。
実際の離脱には少なくともあと2年かかるが
すでに国内では移民をめぐって深刻な事態も起き始めている。
国民投票が終わって直後から
差別的な言動など
移民に対する軋轢が拡大している。
ロンドンにあるポーランド系移民の支援団体。
イギリスに住む約80万人のポーランド系移民に対する社会保障や法律相談など
さまざまな生活支援を行っている。
近年 ポーランド系移民と市民の間で起きるトラブルはそれほど多くなかった。
しかし国民投票後 嫌がらせが急増しているという。
“くだばれ ブタ野郎”
施設の入り口には移民排斥を訴える差別的な落書きも。
(ポーランド社会文化協会 クリシー・ベルさん)
「こんな経験は初めてなのでとてもショックを受けています。」
移民が多く住む地方都市では実際どういう状況が見られるのか。
ロンドンから来たに約80キロ離れたイギリス中部の町 ボストン。
国民投票で「離脱」に投票した人が76%とイギリスで最も高くなった。
国内有数の野菜に生産地として知られる
人口7万のこの町。
東ヨーロッパ各国がEUに加盟した2004年以降
職を求める移民が殺到し
人口の10%以上を占めている。
雇用を移民に奪われた上に
公共サービスである病院は移民であふれ
学校では英語を話せない子どもが増加。
そうしたことに不満を感じる市民の多くが
国民投票で「離脱」に投票した。
(ボストン市民)
「国で最も移民の割合が多い町だけど
 投票後は何かが変わると思います。」
「医療サービスを圧迫する移民が減れば
 市民にとってはいいことです。」
一方 この町に住む移民の人たちの間では
EU離脱によって移動の自由が制限されるのではないかと不安が広がっている。
(ラトビア系移民)
「英政府の命令なら帰国するしかないです。」
この町でも目立ってきているのが移民に対するヘイトクライムである。
街角で公然と移民に罵声を浴びせる人が増えているという。
16年前にボストンに移住したポーランド系移民のグレゴリー・パコさん。
レストランや不動産業など様々なビジネスを試みた末
2年半前に地元の人たちの支援を受け
タクシー会社を設立。
経営も軌道に乗り始めていた。
ところが国民投票の後
思わぬ出来事に遭遇した。
(ポーランド系移民 グレゴリー・パコさん)
「ワイパーとフロントガラスの間に1枚のメモが挟まっていました。」
メモに書かれていたのは“まだ帰国の準備をしていないのか”という言葉だった。
長年 築いてきたこの町との結びつきが一瞬にして崩れ去ったことに
パコさんは大きなショックを受けた。
脅かされつつある異国での生活。
ボストンを自分の故郷だと信じてきたパコさんも
今はイギリスを離れることを真剣に考えるようになったという。
(グレゴリー・パコさん)
「あのメモで脅迫されたとき
 体を張りで突き刺されたような痛みを感じました。
 仕事が奪われたら耐えられませんし
 ここを故郷とは思えなくなるでしょう。」



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アメリカ外交官 広島への思い

2016-08-25 07:15:00 | 報道/ニュース

7月31日 おはよう日本


5月 アメリカの現職大統領が始めて広島を訪問した。
万感の思いで見つめる人があった。
アメリカの外交官 ジョエル・エレンライク氏である。
政府代表は広島の平和記念式典に出席しない
という長年の方針に
11年前に東京のアメリカ大使館で初めて異議を唱えた。
(アメリカ外交官 ジョエル・エレンライク氏)
「日米関係を進展させ
 両国が協力し
 未来に目を向けていく上で
 駐日大使の式典への出席は良いことだと思った。」
“出席は謝罪と受け止められる恐れがある”として
大使館内からは反対意見が相次いだ。
しかし被爆者との交流を通じて
エレンライク氏には 
広島の人たちは過去ばかりに固執していないという確信があった。
(アメリカ外交官 ジョエル・エレンライク氏)
「私が衝撃を受けたのは
 被爆者・広島の人たちが過去ばかり見るのでなく
 現在・未来の平和に焦点を当てていたことだ。」
その後エレンライク氏は
国務省に国の政策を改めるべきだと提言を送り続けた。
それから5年
思いは実った。
2010年 ルース駐日大使(当時)が
初めて政府代表として広島の式典に出席することになったのである。
翌年 エレンライク氏は
“勇気をもって政府の政策に異議を唱えた”として表彰を受けた。
そして今年
オバマ大統領の広島訪問を目の当たりにすることができた。
(アメリカ外交官 ジョエル・エレンライク氏)
「私が種をまいて
 成長するのを助け
 それがようやく政策に反映された。
 アメリカ大統領
 日本の総理大臣
 広島の人々が
 より良い世界を願って一堂に会したのを見て
 外交官として誇らしかった。」
アメリカ政府高官が足を運ぶようになった被爆地広島。
その陰には
信念を持って政府の政策に異議を唱え続けた外交官の思いがあった。



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空港民営化でどう変わる ②商業収入で稼げ!

2016-08-24 07:15:00 | 経済フロントライン

7月30日経済フロントライン


今年4月に民営化された関西空港。
金融サービス大手とフランスの空港運営会社が経営を担う。
新会社では
訪れた客が空港の中でできるだけ多く消費してもらえるよう工夫を凝らしている。
外国人の問い合わせにはタブレット端末。
買い物をしたい客の気持ちが冷めないうちに
通訳がサポートする。
「免税範囲は1人2箱まででしょうか?」
(通訳)
「1人2カートンまで大丈夫です。」
「わかりました。
 ありがとう。」
ニーズの変化にも素早く対応している。
免税店では20万円の高級と時計よりも
1万円前後の時計が人気である。
中国人観光客の消費意欲に陰りが見えると
すぐさま低価格帯の商品をそろえた。
飲食店も利用客の要望に応じて入れ替える。
5月に誘致したのは親子丼のチェーン店。
鶏肉は宗教を問わず世界中の人に受け入れられると見込んだのである。
(外国人観光客)
「日本の親子丼は台湾でも有名です。
 ですから今日は親子丼にしました。」
こうした商業収入などで上げた利益をもとに
現在 LCC用の2つ目のターミナルを建設。
会社では新たに年間400万人の利用を見込んでいる。
(関西エアポート 専務 伊地田英夫さん)
「多くのエアラインに来てもらうのが一番大事ですけれど
 来たお客様にお金を使ってもらえる工夫はいる。
 我々の大きなミッション。」



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空港民営化でどう変わる ①企業が空港を変える!民営化の舞台裏

2016-08-23 07:15:00 | 経済フロントライン

7月30日 経済フロントライン


7月1日 仙台空港が民営化された。
これまで国が担ってきた空港運営は民間企業が行う。
空港民営化元年
仙台に続き
福岡や高松
北は北海道まで
全国12空港が民営化に向けて動き出している。

東北地方最大の空港 仙台空港。
経営を担うのは
鉄道会社や総合商社などが出資した新会社 
仙台国際空港株式会社。
各企業から社員が送り込まれている。
この新会社がまず実現したのは新規路線の開設である。
LCC格安航空会社 タイガーエア台湾の誘致に成功した。
東北初のLCC国際線の就航である。
誘致成功の裏には民間企業ならではの戦略があった。
国の管理のもとでは行ってこなかった路線の誘致に
新会社は初めて取り組んだ。
その中心となったのが商社出身の岡崎克彦部長。
(仙台国際空港 営業推進部 岡崎克彦部長)
「民間企業として可能性のあるところに直接営業して
 仙台に来てもらう。
 待っていては誘致は出来ない。
 こちらから働きかける必要がある。」
交渉にあたっては大きな壁が立ちはだかっていた。
タイガーエア台湾のCEOがもっとも懸念したのはコストだという。
(タイガーエア台湾 CEO)
「日本の空港への乗り入れには
 他の国に比べて高いコストがかかる。
 新しい路線を始めるにはなるべく多くの優遇策がほしい」
どう要望に応えるのか。
岡崎さんが交渉のカードに使ったのは着陸料だった。
民営化後 着陸料は会社が自由に設定できるようになった。
搭乗率が低い場合
その割合に応じて値引きすることを提案したのである。
さらに印鑑企業の強みを生かした次の一手を打った。
日本から台湾への旅行者を増やすため
ツアーの企画やPRまで全面的にサポートすると約束した。
(タイガーエア台湾 CEO)
「空港の支援がなければ
 これほど円滑に仙台に乗り入れることは出来なかっただろう。
 とても満足している。」
こうして実現した新規就航。
仙台空港ではさらなる路線の開拓に向けて
他の航空会社との交渉も始めている。
(仙台空港 営業推進部 岡崎克彦部長)
「仙台空港とのコミュニケ―ションを通じて
 従来の国際空港とは違った魅力を航空会社に感じてもらった。
 民間企業ならではの運営ということで期待されている。」
さらに新たな収益の柱を生み出す取り組みも始めた。
海外向けの貨物を増やすことである。
(仙台国際空港 営業推進部 伊良波長治さん)
「こちらが輸出貨物・輸入貨物を通関する保税蔵置所です。」
輸出を増やせば
貨物の取扱や通関の手数料の増収が見込める。
そこで始めたのが
農家や漁業関係者への直接営業である。
「これからもし輸出に興味があれば
 お手伝いさせていただけないか。」
海外で需要拡大が見込める日本の食材の輸出を増やそうと呼び掛けた。
単に荷物を扱うだけでなく
銀行や商社などと連携し
生産者の販路獲得まで支援するというものである。
生産者にとっても
空港にとっても
収益が上がる仕組みを目指している。 
(フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング 土合和樹さん)
「信用力の面とかで頼りにしながら
 提案に乗っていった方が
 力強く海外に向けて売っていけると興味を持った。」
(仙台国際空港 営業推進部 伊良波長治さん)
「皆さんのに荷物をすべて集約して
 “東北の小さな商社”のような形をとって
 輸出を共同で行う。
 輸出量を増やしていくことによって
 仙台空港の貨物の量もどんどん増やせていければと考えている。」



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伝統の“悪霊払い”守るために

2016-08-22 07:15:00 | 報道/ニュース

7月30日 おはよう日本


エジプト カイロ近郊。
悪魔払いの儀式“ザール”が行われるのは一般家庭のリビング。
ザールを執り行うグループのリーダー アフマド・シャンカハウイさん(60)。
6人の仲間と思に悪霊払いの儀式を行う。
今回の依頼主は
最近不眠症に悩まされているという30代の女性。
儀式はお香を焚いて女性の体を清めることから始まる。
「アッラーの許しをいただき儀式を始めます。」
そして歌と踊りが始まる。
♪ 私を助けたまえ
  地上の王たちよ
  慈悲を与えたまえ
小さなシンバルに笛や太鼓のリズム。
女性と思に激しく踊り
心と体に付いた悪霊を追い払おうとする。
終盤に差し掛かると演奏はさらに激しくなり
一心不乱に踊り続ける。
(儀式を終えた女性)
「心がだいぶ落ち着きました。
 医者に診てもらうよりいいです。」
(アフマド・シャンカハウイさん)
「すべてのストレスが取り除かれ
 体の状態がよくなっていくのです。
 ザールはスピリチュアルな儀式であり
 癒しの音楽でもあります。」
18世紀ごろアフリカ東部で生まれたとされるザール。
歌詞にイスラム教の要素が盛り込まれ
エジプト全土に広がった。
しかし近代化とともにザールは人々の暮らしから遠のいていった。
テレビ番組でも
(エジプトのテレビ番組)
「なぜヒステリー状態になり倒れるのか
 さっぱりわかりません。」
古くさい迷信だと面白おかしく取り上げられるようになった。
祖父母の代から儀式をつかさどる役目を担ってきたアフマドさん一家。
自身も伝統の儀式に見せられ
12歳で学校をやめてこの世界に入った。
当時のエジプトでは儀式の依頼が多く
一家は年中大忙しだったという。
しかし一時は数百あったザールのグループはいま激減している。
アフマドさんの子どもたちもあまり関心を示さない。
(アフマド・シャンカハウイさん)
「親世代から受け継いできた儀式に今の世代は関心がありません。
 この儀式は消えていってしまうでしょう。」
そんなアフマドさんに思ってもみない誘いがあった。
若者たちが集まるライブハウスで
ザールの音楽を披露してみないかと声がかかったのである。
この日も若者たちを前に演奏した。
当初は
実際の儀式とは異なる観客向けの演奏に抵抗があったというアフマドさん。
それでもステージを重ねるごとに
これまで身向きもしなかった若者たちが集まるようになり
手ごたえを感じるようになった。
(観客)
「普段はロックが好きですが
 始めて見てすごく面白かったです。」
「ユニークで新しいものが好きだから
 人気が出ると思います。」
ザールの精神世界や迫力ある音楽は
思いがけない場所で受け入れられた。
(アフマド・シャンカハウイさん)
「私は死ぬまでザールを続けていくつもりです。
 儀式はなくなったとしても音楽はステージでいき続けます。」

アフマドさんはライブハウスでの演奏をきっかけに
その音楽性が認められ
ヨーロッパ各地に招かれて海外公演をしている。



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パキスタン 横行する“名誉殺人”

2016-08-21 07:15:00 | 報道/ニュース

7,29 キャッチ!


パキスタンで7月16日
26歳の女性が実の弟に殺害されるという事件が起きた。
殺害されたカンディール・バローチさんは
自撮りの写真や動画をソーシャルメディア上に繰り返し投稿。
大胆に肌を露出した姿もあったことから
保守的な地域社会に波紋を広げていた。
弟は姉を殺害した理由について
「家族の名誉を汚した」と述べている。
こうした殺人は“名誉殺人”と呼ばれ
パイスタンでは親が認めない相手との交際や結婚は
社会的にタブーとされてきた。
そのタブーを犯したものを
「家族の名誉を汚した」として殺害するのは名誉殺人で
犠牲者の大半は女性である。
名誉殺人を助長しているのは
イスラム法に基づいたキサース・ディヤト法の存在である。
この法律では
被害者の家族が許せば殺人犯を恩赦することが出来る。
名誉殺人では被害者の家族が加害者の家族でもあることから
恩赦を申し出るケースがほとんどで
刑罰の対象とならない。

カンディール・バローチさんは保守的な社会におけるネット上のスターだった。
カンディールさんは女性の自由な活動を拒絶する社会に対し
果敢に挑んだ。
(カンディール・バローチさん)
「私生活も含め
 私のすべてをネットで公開します。」
弟にとっては彼女の行動はやりすぎだった。
「フェイスブックへの投稿が家族の名誉を汚した」
殺害の理由をそう供述した。
(カンディールさんの母)
「娘の顔は傷だらけでした。
 下も唇も黒ずんでいて
 死んでしまったのだと思いました。」
Q.「なぜこんなことになってしまったと思いますか」
(カンディールさんの母)
「娘への悪口
 よくない噂がどんどん広まったからです。
 息子は友人たちに“これがお前の姉さん”となじられ 
 正気を失ってしまったんです。」
名誉殺人の場合
犯人はたいてい家族の許しを受け
無罪になる。
しかしカンディールさんの父親は
「許せない。娘を殺した息子は射殺されるべきだ」と話した。
事件に抗議する大規模なデモが議論を投げかけている。
パキスタンで社会的なタブーを犯したとして殺害される女性は
毎年1,000人以上。
これは氷山の一角に過ぎない。
カンディールさんは亡くなる前
「古くから続く部族の慣習と戦っていきたい」と話していた。
(カンディール・バローチさん)
「部族のイメージを変えたいんです。
 素晴らしいことです。
 私がいる部族は名誉殺人を認め
 女性の外出を禁止しています。
 私の家族も同じです。」
従来の慣習が変わりつつあるパキスタン社会。
カンディールさんもまた自由を夢見た1人だった。

(京都大学大学院 特任助教 須長恵美子さん)
「パキスタンでは“イッザト=名誉”が非常に重視されている社会的背景がある。
 これに加えて“パルダ”と呼ばれる女性隔離の慣習もある。
 “パルダ”はパキスタンだけに限らず広く南アジアで
 そしてイスラムに限らず
 ヒンズー教やキリスト教といった様々な宗教のの中でも見られる習慣。
 女性の純潔・貞操は
 家族や一族そして男性にとっての名誉になっている。
 反対に
 女性の過ち
 純潔を失う行動は一族・家族・男性の恥にもなる。
 そのため男性にとって女性の純潔を守るのが義務になっている。
 パキスタンでは現在 急激に欧米化が進んでいる。
 特にファッションの面で顕著にあらわれていて
 ジーンズやTシャツといった
 例えば10年前なら容認されなかった服装が
 若い女性の間で特に流行している。
 現在パキスタンではフェイスブックやツイッターなどSNSが非常に普及している。
 従来なら交わることのなかった男女が
 デジタルなプラットフォーム上で
 急激に新たな出会いを模索する動きとつながっている。
 これが従来の女性隔離という“パルダ”の習慣を崩すことになり
 伝統社会が強く反発する原因の1つとなっている。
 これまでにも名誉殺人が起きるたびに
 キサース・ディヤト法の法改正を含めさまざまな議論が行われてきた。
 今年2月には
 パキスタンの名誉殺人をテーマにしたドキュメンタリーが
 アカデミー賞を受賞したことをきっかけに
 シャリフ首相がこれを鑑賞し
 名誉殺人の防止に向けての取り組みを表明している。
 カンディールの事件後
 シャリフ首相の娘 マリアムの働きかけにより
 新しく名誉殺人防止法案が議会に提出されている。
 現在 政府与党に加え
 野党の宗教政党も賛成を表明しているので
 可決される見通し。
 この法案が通れば
 パキスタンの司法が伝統的な社会規範に踏み込む大きな1歩に。」



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商店街の寺で“お悩み相談”

2016-08-20 07:15:00 | 報道/ニュース

7月29日 おはよう日本。

僧侶の橋本昌大さん。
向かった先は寺ではない。
商店街にあるビルの1室である。
その名は「みんなのお寺」。
宗派を問わず気軽に訪れてもらいたいと
奈良市にある寺が10年前にオープンした。
仕事や家族についての悩みなどどんな相談でも聞いてくれる「みんなのお寺」には
月に100人ほどが訪れる。
女性の相談は
優しくしてくれた祖父の葬式に立ち会えず
今でも思い出すのがつらいというものだった。
「そういうふうに気遣っていただいていることを
 本当にうれしく思われてますでしょうし
 しんどい思いをされてらっしゃるんやったら
 “大丈夫やで”と言うてくれはるように私は思うんです。」
(相談者)
「来る前はつらかったんですけど
 相談に乗ってもらって気が楽になりました。」
みんなのお寺は電話での相談も受け付ける。
この日の相談は
引っ越しをして家が狭くなったため仏壇を小さくしても良いか
というものだった。
「形あるものは変わり続けるというのが仏教の考え方。
 諸行無常という考え方がありますので
 それは時代に応じた形でできる範囲でご供養いただくことが大事です。」
(橋本昌大さん)
「敷居の低い
 こういう商店街のビルの1室でお寺の機能が発揮できれば
 昔の駆け込み寺といったイメージでとらえていただいて
 お気軽に活用していただければありがたいと思う。」
勝村朋子さんは残された遺品の整理で悩んでいる。
生前 父が書きためていた日記である。
父の事を思うと片づけることができなかった。
日記には家族との楽しい思い出や感謝の気持ちがつづられている。
(勝村朋子さん)
「もう長いことたつし
 そのまま置いといても自分の子どもに負担がかかるし
 処分と言ったら申し訳ないけど
 した方がいいかなと思って。」
仏様の前で日記を手放すことを報告する。
「きっとお父様はお喜びくださると思います。
 ノート1つ
 日記1つ
 ご処分されるにあたって
 そこにお気持ちをくんでくださる方がいらっしゃることは
 何よりのご供養になると思います。」
(勝村朋子さん)
「ずっと心に思ってたのが晴れて
 ほっとしています。」
(橋本昌大さん)
「気軽に話せる場所
 そういった場所の必要性っていうのはこれからも必要になってくると思います。
 こういう場所が日本全国いろんな場所に出来ていくことを願いながら
 精進していきたいと思います。」
どんな悩みでも気軽に相談できる現代の駆け込み寺。
人々に寄り添おうと
今日も町中にお経が響く。



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中国 後世に伝えたい 伝統の「客家文化」

2016-08-19 07:15:00 | 報道/ニュース

7月28日 キャッチ!


中国で客家(はっか)と呼ばれる人々。
客家は“他所から来た人”という意味で
その起源は古く約4世紀にさかのぼると言われている。
黄河中流域にいた人々が戦乱を逃れて
長い年月とともに徐々に南に移動。
多くは現在の広東省や福建省に到着し周辺の地域にも移動した。
移民として差別されることもあり
周囲の人たちと争いになることもしばしばあったが
中国古来の言語や独自の風習に誇りを持ち
近代にまでその文化を守ってきた。

中国南部 広東省始與。
人里離れた山あいにある小さな村。
客家の人たちが人口のほとんどを占める客家の村である。
土地を自ら開墾し一族が協力しあって農業で暮らしてきた。
のどかな風景の中 
見るものを威圧するように立っているのが“囲楼(いろう)”と呼ばれる建物である。
たくさんの大きな石が積み上げられた4メートルの壁。
狭い入り口を抜けていくと4階建ての大きな建物がそびえ立っている。
囲楼は外敵の襲来に備えて村人がお金を出し合って作った。
外壁に多くの小さな窓があるのが特徴で
ここから銃で敵を撃退した。
入り口は1つだけ。
外敵から住民の命と食料を守ってきた囲楼は
長い歴史を物語る客家文化の象徴である。
しかしいま豊かさにあこがれて都会に出稼ぎに行く村人も多く
囲楼は荒れ放題のまま放置されている。
こうした現状を憂う村人がいる。
尹福竜さん(53)。
都市部で20年以上銀行に勤めていたが
大切な客家の文化遺産を守りたいと生まれ育った村に戻ってきた。
(尹福竜さん)
「これは4年前の修復以前の写真です。
 すべて壊れています。」
尹さんは地元政府と50年間の賃貸契約を結び
約450万円をかけてこの囲楼を修復した。
祖先の暮らしを伝えるために当時の設計はそのまま残している。
今では使われなくなった物でも
当時の人の息遣いが感じられるという。
最上階には特殊なトイレが設置されている。
正面と下
そして左右に窓があり
外敵を警戒する。
またベッドをしつらえ宿泊できるように改造。
都会の人たちが客家の文化を理解するきっかけにしてほしいと考えている。
この地域には約250もの囲楼が残っているが
どれも傷みが激しい状態である。
そこで尹さんは地元政府と協力して修復作業を進め
将来的には観光地として村おこししたいと考えている。
160年前に建設されたこの囲楼は
屋上に中国茶を楽しめる喫茶店を作る計画である。
客家の友人が経営しているレストランとも連携。
囲楼の写真を飾り
その歴史とともに祖先から受け継いだ客家伝統の味を味わってもらおうという狙いである。
客家の代表料理“客家豆腐”。
豆腐の真ん中をくり抜いて豚肉を入れて焼いた料理である。
山で摘んだヨモギなど野草を練り込んだものや
伝統の保存食を使った料理などでもてなす。
さらに若い世代に向けた取り組みも始めている。
この日は都市部の中学生や高校生を招いて
木登りなどの自然を体験してもらう教室を企画した。
子どもたちにとって裸足で作物を収穫するのは初めての経験である。
最後に尹さんは囲楼や客家の文化について説明した。
(参加した中学生)
「囲楼のことは知りませんでした。」
「客家が一族を守るために建てたんですね。」
興味を持った子どもたちに尹さんは大きな手ごたえを感じている。
(尹福竜さん)
「もっと多くの人に関心を持ってもらえるように努力して
 独特な客家文化を伝承していきたいです。」
尹さんのルーツである客家の文化。
次の世代には確実に伝えられている。



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授業に漫才 コミュニケーション力を高めろ

2016-08-18 07:15:00 | 報道/ニュース

7月28日 おはよう日本i


去年6月から
学校全体で授業に漫才を取り入れている埼玉県越谷市の小学校。
笑いをとるには面白い台本を書く思考力や発想力
合い方と息を合わせて発表するなど強調する力が求められる。
漫才の導入を決めた田畑栄一校長。
漫才によって子ども同士の人間関係を円滑にするのが狙いだという。
(越谷市立東越谷小学校 田畑栄一校長)
「いじめやトラブル、不登校
 すべてはコミュニケーションなんですよ。
 コミュニケーションが温かくできれば
 傷つかないし傷つけない
 人間関係が非常に柔らかくつながっていく。
 笑いをとりながら温かい人間関係をつくる漫才に注目して
 学校教育にいま取り入れているところです。」
6年生のクラス。
台本は
漫才の基本であるボケとツッコミの形ができた原稿のひな型があり
空欄を自分たちの手で埋めていけば
低学年の児童でも漫才が完成するように工夫されている。
漫才を作る際には
他人を傷つける内容にしないよう指導されている。
さらにコンビは原則 くじ引きで決める。
あまり親しくない児童が互いに知り合う機会にするためである。
松下紗希さんは初めてコンビを組むことになった友だちと
夏をテーマにネタを考えた。
紗希さんは
漫才に取り組む前は引っ込み思案で
集団行動や友達付き合いが苦手だった。
母親の由美子さんはそういう紗希さんのことが心配だったという。
(松下由美子さん)
「学校に行っても教室になかなか入れなかったり
 運動会で組み体操やソーラン節ができなかったり
 みんなで一緒にやるっていうことがちょっと苦手でした。」
紗希さんは合い方とともに人を笑わせる漫才を考え
時間を共有することで
以前より自分を表現できるようになったという。
(松下紗希さん)
「コンビなった友だちの意外な一面を見られたりして。
 学校だとあまり心の中を外に出さないタイプで
 結構 学校の外だと出しているけれど
 学校の中でも出せるようになった気がする。」
この日 保護者に向けて漫才を披露した。
紗希さんの母親も応援に駆け付けた。
いよいよ2人の出番である。
娘の変化に由美子さんは驚いたという。
(松下由美子さん)
「すごくよかったなって。
 学校に行くのがつらい時期もあったので
 学校でこんな笑顔を見るのは初めてだと思いました。
 以前は人から何か言われると
 学校でこう言われたって気にするタイプだったんですけれど
 それを逆に笑いに変えられるようになったのかなって。」
漫才が培うコミュニケーション力と
笑いによる和み。
小学校で始まった試みはさらに大きな広がりとなりそうである。





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車が走れる海岸 再生を目指せ

2016-08-17 07:15:00 | 報道/ニュース

7月27日 おはよう日本


能登半島の西側に位置する 
全長約8kmの千里浜海岸。
日本で唯一 
車で長い距離を走行できる砂浜として人気を集めている。
最近では評判が海外にも広まり
波打ち際を走るバスツアーに参加する観光客も増えている。
車が走ることが出来るのは砂浜が固くてタイヤが沈まないためである。
秘密は海水を含むことで固まる粒の細かい砂にある。
千里浜の砂はもともと白山から来たとされている。
手取川を通って海に流れ込み
粒の大きい思い砂は近くの海岸に
粒の細かい軽い砂のみが遠くに離れた千里浜にまで運ばれる。
しかし36年前に手取川にダムが作られ川岸がコンクリートで覆われたため
海に流れ込む土砂の量が大きく減ったという。
専門家は
この結果 千里浜海岸に運ばれる砂が激減したと見ている。
(海岸工学に詳しい 金沢大学 由比政年教授)
「水災害を未然に防ぐという意味では
 手取川ダムは十分な機能を果たしている。
 海岸への土砂供給に関しては減らす方向に作用した。」
20年ほど前の千里浜海岸と今の海岸を比べてみると20mほど少なくなっている。
最も浸食が進んだところではこの30年で40m以上も減少したという。
波が強くて車で砂浜を走れない日は10年前は1年に50日程度だったが
ここ数年は130日を超えるようになった。
(新潟県から訪れた男性)
「車で走れなくてすごく残念です。」
こうした現状を受け
石川県は7年前から砂浜の改革に乗り出した。
今年5月に空から撮影した千里浜海岸を見ると
北側は浸食が進み砂浜の幅が少なくなっている。
ところが南側は回復しているのがわかる。
理由は砂浜から150m離れた海底に作られた人工リーフにある。
コンクリートブロックと石を海に沈めて作られている。
これまでは砂浜の砂が押し寄せる大きな波で削られていった。
しかし人工リーフを作ると波の勢いが弱まり
砂を削る力が小さくなるという。
さらに沖に大量の砂を入れて
砂浜に運ばれる砂の量を増やした。
こうした対策で千里浜海岸の南側では砂浜が18m広がり
55mまで回復した。
さらに石川県は人工リーフを増やして
北側の砂浜の回復を目指すことにしている。
(県中能登土木総合事務所 小成正博河川砂防課長)
「千里浜は全国で唯一車が通れる海岸で
 石川県においてもとても重要な財産。
 現在 浸食対策によて効果も上がってきているので
 早く砂浜の幅が広がった千里浜を
 少しでも取り戻せるよう取り組んでいきたい。」


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