8月20日 編集手帳
昔ながらの言い回しに、
〈神武以来の〉がある。
将棋の加藤一二三九段 は「神武以来の天才」とうたわれ、
歌手の美輪明宏さんは「神武以来の美少年」と呼ばれた。
日本の国がはじまって以来の、
である。
国内限定の観がある〈神武以来の〉に比べると、
小柄な乙女に武骨な響きは気の毒だが、
地球上の誰をも寄せつけぬ無類の強さが表れている。
レスリングの吉田沙保里選手(33)はしばしば〈霊長類最強の〉と評される。
その吉田選手がリオ五輪の53キロ級決勝で敗れた。
負けて悔いなしの対極、
身も世もない涙が印象に残る、
206連勝、
五輪3連覇の偉業は色あせない、
と告げることはできる。
金メダルの後輩たちはあなたの背中を見て育った、
と告げることもできる。
事実はその通りだが、
闘いの余熱に包まれた人の耳にいまは届くまい。
贈る言葉は胸にしまっておく。
ときに金メダルよりも、
苦い敗北が人の心をうつ。
〈肩を落し去りゆく選手を見守りぬ
わが精神の遠景として〉(島田修二)。
人は皆、
神武以来の天才でも霊長類最強でもない人生を、
何度も何度もつまずきながら生きている。
だからだろう。