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オーストラリア発!ミラー君のワイルドライフ

2016-01-31 07:30:00 | 報道/ニュース

1月20日 キャッチ!


世界が注目するオーストラリアの少年
ミラー・ウィルソン君(13)。
野生生物とのふれあいが大好きなワイルドな男の子である。
注目されるきっかけとなったのがインターネットの動画投稿サイト。
どれも再正回数が数十万回を超える人気で
なかには100万回を超えるものもある。

川に入り慣れた手つきで大きなナマズを捕まえる。
12月にはアカエイの出産を撮影することに成功。
12匹の誕生に立ち会った。
神秘の瞬間をとらえた最新のこの動画は投稿サイトでの再生回数が180万回を超えた。
野生生物に触って
撫でて
その生態を体当たりで紹介するのがミラー君の特徴である。
ミラー君が住むのはオーストラリア東部
ブリスベーン近郊のマレーニーという自然豊かな村。
この日は自宅近くの小川の生き物を撮影することにした。
撮影のために仕掛けておいた網を引き上げたところ
かかっていたのはオーストラリアに多く生息するノコヘリカブトガメだった。
さっそくカメラを準備。
気分はテレビのリポーター。
その生態について説明し始めた。
(ミラー・ウィルソン君)
「このカメは獲物の魚やエビを狙ってじっとしている。
 体の色を周囲に似せて隠れているんだ。」
さらに200mほど上流にさかのぼると体調1mものコダイウナギに出くわした。
数匹いるうちの1匹を釣り上げた。
(ミラー・ウィルソン君)
「このウナギは扱うのが大変です。
 小さい口に数百の歯が生えているんだ。
 すごいなぁ。」
まるで生物学者のような観察力である。
撮影した後のミラー君は必ず生き物を川に戻す。
(ミラー・ウィルソン君)
「生き物がどう動くかを観察します。
 危険な動物は別だけど
 無害なら動画でちゃんと紹介します。」
ミラー君が生き物を好きになったのは3歳のころ。
自宅の周辺にいる小さな生き物との出会いがきっかけである。
(ミラー・ウィルソン君)
「家の周りでトカゲやヘビなどを見て生き物が大好きになったんだ。
 ずっと生き物たちのために働きたいと思ったよ。」
12月にインドネシアのバリ島に旅行したときには
住宅地に出没した毒ヘビを山に戻すボランティアも体験した。
ミラー君の父親のダニエル・ウィルソンさんは
撮影や動画の編集などを手伝い息子を応援している。
ダニエルさん自身もミラー君と一緒に山や川に出かけるのを楽しんでいる。
息子が生き物と触れ合うのを見て
特別な力を持っているようだと言う。
(父親 ダニエル・ウィルソンさん)
「他の人には危険な動物でも
 ミラーが触れるとなぜか問題ない。
 動物にもミラーは危害を与えないと伝わっているようだ。」
ミラー君が動画撮影を始めたのは一昨年。
小型のカメラを親に買ってもらったのがきっかけだが
ミラー君に大きな影響を与えた有名人がいる。
故スティーブ・アーウィンさんである。
大きなワニを素手で捕まえる“クロコダイル・ハンター”としてテレビ番組に登場。
毎回 文字通り体当たりでオーストラリアの野生生物を紹介。
そのユニークさから番組は世界中で放送された。
アーウィンさんは10年前に他界したが
地元の道路では彼の名前が付けられるほど有名で
ミラー君もアーウィンさんが出演した番組やビデオは何べんも見たという。
ミラー君の活動を紹介する地元テレビ局も
ミラー君の語り口はアーウィンさんそっくりだと伝えている。
ミラー君の将来の目標はもちろん彼のような存在である。
(ミラー・ウィルソン君)
「スティーブは僕のアイドル。
 野生生物と美しい自然の動画をこれからも発信し続けたいです。」

 

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一輪の冬菊

2016-01-30 07:30:00 | 編集手帳

1月26日 編集手帳

 

 花や木には目に見えない時計が内蔵されているという。
針は暗黒の時間を刻み、
それが一定の長さを超えたとき、
つぼみをつける。

植物学者、田中修さんの 『つぼみたちの生涯』(中公新書)によれば、
キク科のオナモミは8時間30分の暗黒を経てつぼみをつけるという。
8時間15分ではつけない。
よほど精巧な 時計なのだろう。
孤独な暗闇の果てに花の咲く日が用意されている。

キク科の花には人生の趣があるようで、
水原秋桜子の句を思い出す。
〈冬菊のまとふはおのがひかりのみ〉。
人もときに、
自分の放つ意志の光を頼りに冬を耐えねばならない。

大相撲にも一輪の冬菊がいる。
初場所で初の賜杯を手にした大関琴奨菊関(31)はけがに泣き、
5回のカド番を経験した。
成績不振の場所が5場所あり、
陥落の危機をしのぐ場所が5場所あったということは、
計10場所、
大関在位26場所のじつに4割近くが厳冬期だったことになる。

長い暗闇を抜けて冬菊の咲いた日、
九州の故郷に雪が舞った。
〈天上に宴(うたげ)ありとや雪やまず〉(上村占魚)。
誰よりもその日を待っていたという亡き祖父の、
万感の宴であったろう。

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外国企業 相次ぐホテル買収

2016-01-29 07:30:00 | 報道/ニュース

1月21日 おはよう日本


いま全国のホテルや旅館が爆買いされている。
富士山を望む人気の温泉観光地 箱根。
そこにある休業中の旅館に下見に訪れた中国の不動産関係者。
これまでに静岡県や山梨県にある4つのホテルを約10億円で買収してきた。
4年後の東京オリンピックを控え
多くの観光客が見込める日本のホテルや旅館は新たな投資先として魅力だと言う。
(中国の不動産関係者)
「日本はオリンピックがあるので
 ホテルに投資すれば5年以内に必ず利益をあげることが出来る。」
外国企業によるホテル・旅館の買収は増加し続けている。
過去5年間の明らかになっている外国企業の買収件数は
2012年以降は毎年10件以上
合わせて61件にのぼる。

歴史ある温泉地として知られる伊豆修善寺。
去年9月 地域のホテルが中国企業に始めて買収され大きな衝撃が走った。
(中国企業 社長)
「今後 我々がホテルを経営することになった。
 皆さんと一緒に頑張っていきたい。」
買収したのは中国の旅行会社。
6億4千万円で購入を決めた。
22年前に開業したこのホテル。
しかしここ数年 客室の稼働率は下がり続け赤字に転落していた。
そんなホテルを買収した中国の会社は確実に利益を上げる戦略を持っていた。
伊豆のように富士山近郊や関東など外国人が好む観光地のホテルを買収。
自分たちが企画したツアーにこうしたホテルを組み込み団体客を取り込む。
それによりホテルの稼働率を高く保つことが出来る。
12月 中国本社から送り込まれた徐さん。
中国人団体客のニーズに徹底してこたえることで高い利益をあげようとしている。
多くの料理が並んだ方が豪華だと感じるという中国の人たち。
このため料理は懐石料理のように1皿ずつ出すことはせず1度に出すことにした。
土産物コーナーに置いたのは北海道の人気のお菓子。
伊豆の特産品にこだわらず
中国人に人気がある商品なら何でも取りそろえた。
買収から4か月
こうした取り組みの結果 中国人の宿泊客は急増。
客室の稼働率は8割を超え
12月の収益は過去最高となった。
徐さんはいま自社のツアーをさらに拡大し
周囲の旅館にも中国人客を受け入れてもらおうと考えている。
この日 修善寺の旅館組合を訪れ相談を持ちかけた。
(徐さん)
「たくさんの中国人客に修善寺に来てもらおうと考えています。
 皆さんにもご協力いただきたいと思います。」
(旅館組合 浅羽一秀理事長)
「組合の皆さんも期待していますし
 協力してくれるなら一緒にという気持ち。」
好調な中国人客。
しかし今のままでは日本人客が離れてしまうのではないかという懸念の声も出始めている。
予約は中国人団体客で埋まっている。
翌月の予約画面の空き室を示す部分はわずかしかない。
常連の日本人客でさえ断らざるを得なくなることも多くなった。
食事の面でも頭を悩ませている。
サービス部門の責任者 小林美仁さん。
これまで大切にしてきたきめ細かいもてなしができなくなると危機感を抱いている。
買収前の倍に増えた宿泊客。
しかし従業員の数は同じままである。
この日は50人近い中国人の団体客の対応に追われていた。
こうしたなか思わぬ事態が起きた。
小林さんの目が行き届かず
1組の日本人客にメインの料理が出されないままとなっていたのである。 
料理が届けられた時すでに食事は終わろうとしていた。
(小林美仁さん)
「本当は常に誰かがいて
 常にお客さんの状況を把握しているようでないといけない。
 僕らとしては日本の人に少しでもいい評価をいただいて
 中国のお客さんがいてもいい宿だよっていう部分を見せないと
 日本のお客さんが離れていってしまう。」
どうしたら日本人客をつなぎとめられるのか。
小林さんが目をつけたのが徐さんが企画した春節の餅つきのイベント。
そこに日本人客も参加させたらどうかと持ちかけた。
(小林美仁さん)
「会場から餅つきが見えるわけじゃないですか。
 そこで餅つきを始めて
 日本の人も見れば寄って来るので
 日本のお客様にも私もやりたいなという人がいるかも。」
じっと耳を傾けた徐さん。
旅館の賑わいにつながるならとその提案に賛成した。
(小林美仁さん)
「中国の人にもちゃんとしたことをして喜んで帰ってもらいたい。
 日本の人にもちゃんとしたことをしたいというのが僕らの思い。
 僕らもできる限り力を合わせてやらないといけない。」

 

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チンパンジーにリハビリを

2016-01-28 07:30:00 | 報道/ニュース

1月20日 おはよう日本


高知県の動物園では
生まれたときから障害のあるチンパンジーを育てる取り組みが行われている。
世界でも珍しいこの取り組みには
人間のリハビリが応用され効果があらわれている。

高知県香南 県立のいち動物園。
2歳のメスのチンパンジー ミルキー。
右の手足に強いマヒがあり
手足を自由に動かせるようリハビリを続けてきた。
しかし今も食事や排せつなどに手助けが必要である。
飼育員の山田信宏さんは
ミルキーがさらに成長して力が強くなれば
こうした世話をしていくことができなくなるとあせりを感じている。
(飼育員 山田信宏さん)
「5歳くらいまでが限度。
 5歳でも相当 力が強い。
 今でも強いので。
 そこまでもいけないかもしれない。」
ミルキーにとってより効果的なリハビリはないか。
そこで加わったのが人のリハビリを行う 作業療法士 高橋一郎さんである。
この日 訪ねて来たのは障害のある3歳の女の子。
全身の筋力が弱く
横になると1人では起き上がれない。
高橋さんのリハビリは
子どもが自ら体を動かしたくなる環境を作り出すのが特徴である。
興味を引こうとクリスマスツリーを置くと・・・
自ら手を伸ばし体を左右に揺らし始めた。
知らず知らずにしているこの動きが体を支えるリハビリになっている。
高橋さんはこうしたリハビリをミルキーに応用しようと考えた。
興味を引こうとオモチャを高いところにのせてみる。
すると 梯子を昇ろうとし始めた。
左手は伸ばせるがマヒの強い右手はなかなか出ない。
それでも繰り返しオモチャを置き続けると
ついに右手を伸ばし体を持ち上げた。
やりたいという気持ちを引き出すリハビリ。
ミルキーの眠っていた力を呼び起こした。
(作業療法士 高橋一郎さん)
「ミルキーと接していくうちに
 実は人と一緒なんじゃないか。
 ミルキーの歩みの中で少しずつしっかり成長できていると思う。」

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マレーシア経済 通貨安で懸念拡大

2016-01-27 07:30:00 | 報道/ニュース

1月19日 キャッチ!


海外からの投資を積極的に集めることで成長してきたマレーシア。
中間層が拡大し
旺盛な内需が経済をけん引してきた。
しかし通貨リンギットは
アメリカのFRB連邦準備制度理事会による利上げの観測が出始めた1年半ほど前から急激に下落。
ドルに対し以前の水準に比べ20%ほど値下がりした。
輸入品の高騰が続き庶民の暮らしを直撃している。
中国系の住民が約30%を占めるマレーシアでは
すでに来月旧正月に向けた商戦が始まっているが通貨安が影を落としている。
旧正月の飾りつけを扱う店では
中国で生産された商品をドル建てで輸入している。
商品は去年に比べ15~20%値上がりした。
(店主)
「リンギットの下落とドルの値上がりで商売に大きな影響が出ています。
 売り上げも伸びず
 年々悪くなるばかりです。」
物価の上昇にさらに拍車をかけているのが
去年4月に初めて導入された6%の消費税である。
野菜や加工食品などあらゆる生活必需品が高騰を続けている。
個人消費の伸び率は金融危機が起きた2009年以来の低い数字にまで落ち込んだ。
(買い物客)
「何もかも高くなっています。
 特に野菜です。
 旧正月の商品はまだ買っていませんがすべてが高くなっているそうです。」
通貨安はマレーシアの労働人口の約3割を占める外国人労働者にも大きな影響を与えている。
マレーシアでは急激な開発や外国企業の進出に労働力の確保が追い付かず
周辺国からの外国人労働者が貴重な戦力として成長を支えてきた。
南部のジョホールバル。
シンガポールと国境を接する立地を生かし
300万人都市を作るという壮大な開発計画が進められている。
工業地帯には日系企業などが進出し
多くの外国人労働者が働いている。
しかしリンギット安で
外国人労働者の母国通貨に換算した収入は大きく目減り。
家族に生活費を送金しているため大きな痛手となっている。
(インド人労働者)
「2万4,000円程度した送金できないのではインドで働くのと変わりません。」
バングラデシュ人のムハンマドさんは9年前から建設会社で働いている。
リンギット安の影響で母国通貨に換算した給与はこの2年で20%ほど目減りした。
そのうえ食費など現地の生活費が高騰。
バングラデシュで暮らす妻へ送金する生活費は減らさざるを得なくなった。
(バングラデシュ人労働者 ムハンマドさん)
「妻からは送金額が減ったと言われました。
 でも通貨安でどうしようもないんです。」
こうしたなかマレーシアへの出稼ぎを敬遠する動きが出始めている。
人材紹介会社では通貨安以降
出稼ぎに来る外国人労働者が激減。
毎年1,500人ほどを企業に紹介してきたが
今年度は200~300人に落ち込む見通しである。
さらに十分な給与を得られないことに不満を募らせ
契約途中の外国人労働者が突然職場から姿を消すケースも急増しているという。
1週間の間に約40人がいなくなった。
不法就労者となり
より良い報酬を求めて危険な仕事に就く人もいるという。
会社では紹介先の企業に対して外国人労働者の賃金を引き上げるよう求めているが
マレーシア経済の減速感が強まるなかにあって
賃上げは容易なことではない。
(人材紹介会社 ショーン・フー社長)
「現状への説明を求められたり
 今後の生活への不安を訴えられたり
 収入増の手段を訪ねられたりしますが
 正直何も約束することはできないのです。」
経営者側は通貨安によって労働力不足に陥るのではないかと危機感を募らせている。
(マレーシア経営者連盟 アズマン・シャー代表)
「外国人労働者が働きやすくなるよう
 企業は手当などの支給が必要です。
 リンギットが2年前の水準に戻るまでシンプルな解決策は存在しません。」


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シンガポール 高齢者介護 支えるのは“メイド”

2016-01-26 07:30:00 | 報道/ニュース

1月16日 おはよう日本


シンガポールでは高齢化が急速に進んでいる。
この15年で65歳以上の高齢者の割合は60%増加。
2050年には全人口の約3割に達するとみられている。
このため介護の担い手をどう確保するかが社会問題となっているが
今注目されているのが介護にも対応できるメイドである。

女性の社会進出が進み
結婚している家庭の8割以上が共働きのシンガポール。
それを支えてきたのがフィリピンやインドネシアからの外国人のメイドである。
公園では昼間 子守りをする人々の姿を多く見かける。
この外国人のメイドが介護の担い手として社会の期待を集めている。
外国人のメイドが研修を受ける民間の施設。
これまでは家事や育児などの基本的なことを教えていたが
いま最も力を入れているのが介護の技術である。
生徒たちは互いに高齢者役になりベッドに寝かせる方法を学ぶ。
研修の約半分を介護の実習に割いている。
メイドの約半数が高齢者のいる家庭に派遣されるからである。
シンガポールでは介護施設の数が不足している。
このため政府は危機感を強め
介護の講師費用を負担することで介護にかかわる人材の育成を進めようとしている。
また高齢者の介護を目的にした場合には
メイドの雇用にかかる税金を去年から通常の4分の1に引き下げた。
(メイド研修施設代表)
「シンガポールでは介護研修をより重視する企業がどんどん増えています。」
さらに介護の専門知識を持った即戦力を海外から引き抜こうという動きも加速している。
この会社では周辺国から看護師や介護士の資格を持つ人材を集め紹介している。
介護ができるメイドを雇いたいとオフィスを訪れる人の数は増え続けている。
1か月の賃金は日本円で6~10万円程度と一般的なメイドの約2倍。
しかし介護施設に比べれば半額ほどで済む。
いまでは月に約30人を紹介。
これまでに合わせて300人以上を紹介した。
(メイドの派遣会社代表)
「彼女たちは胃ろうの患者の介護など
 普通のメイドには無い技術を持っています。
 介護施設と同じレベルの介護を自宅で受けることが出来るのです。」
この会社の紹介でフィリピンからやってきたロレンゾさん(26)。
家族と離れて暮らしている認知症のリーさんを許年から住み込みで介護している。
日常生活のサポートに加え
認知症の進行を遅らせるトレーニングなどを行う。
夜は同じ部屋で寝て一晩中目を配る。
(ロレンゾさん)
「自分で寝返りが打てないので押してあげて
 2時間たったら逆方向に寝かせます。」
リーさんの娘は家事や自分の孫の世話などで同居は難しいと考えロレンゾさんを雇った。
(リーさんの娘)
「介護ができるメイドはとてもありがたいです。
 彼女の良いところは
 母にやさしく話しかけ笑顔でいてくれることです。」
ロレンゾさんが介護を始めてから半年
リーさんは寝る前必ず手を差し出しさすってくれるよう求めるようになったと言う。
(ロレンゾさん)
「自分の母親のように接しています。
 そうすれば最高の介護を提供できるからです。」
急速に高齢化が進むなか誰が介護をするのか。
外国人メイドがシンガポールにとって将来に欠かせない存在になろうとしている。

シンガポールでは介護の現場で外国人のメイドの雇用が進んでいるが
なかには高齢者との間で意思疎通がうまく取れず
トラブルに発展することもあるそうである。
シンガポールには介護士の国家資格がなく
出身国が異なり
それぞれ経験の異なる人材の管理は基本的に業者に委ねられている。
介護を行う外国人メイドが増えるなかで
利用する側としては
今後はいかに介護士としての能力を見極めていくかということも課題になる。

 



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イラン“もったいない精神”「思いやりの壁」で支援

2016-01-25 07:30:00 | 報道/ニュース

1月14日 キャッチ!


イランは核開発問題で国際的に孤立を深めていたが
去年 欧米などと問題解決に向けた最終合意に達した。
しかし経済制裁はまだ解除されておらず
国民生活は依然として厳しく路上生活を強いられる人も数多くいる。
こうした人たちを支援しようとイランではある取り組みが行われている。
思いやりの壁。

標高1,200m以上の高地に広がるイランの首都テヘラン。
人口820万人の大都市はいま本格的な冬を迎えている。
気温が0度以下に下がるなど一段と冷え込みが厳しくなっている。
こうしたなか「思いやりの壁」という取り組みが街のあちこちで始まっている。
イラン各地の街角で数多く見られるようになったこの壁。
仕組みはとてもシンプルである。
古着の冬服などを困っている人に寄付するため
服を掛けるフックを通りに面した壁に取りつければ準備完了。
そして服を必要とする人が持ち帰る。
いつでも
どれだけでも
決まりごとは無い。
(利用者)
「服を買う余裕がない人のささやかな望みをかなえてくれます。
 これは娘の分です。」
「利用は2回目です。
 助かります。」
欧米などの経済制裁でイラン国民の生活は厳しいままである。
失業率は去年10%台に達した。
また慢性的なインフレで食料品・燃料そして家賃も値上がりが続いていて
路上生活を強いられる人が数多くいる。
思いやりの壁を
誰がいったいどんな気持ちで始めたのか。
イスラム教シーア派の重要な聖地 マシュハド。
この街の閑静な住宅街の一角に最初の思いやりの壁はあった。
神がするように
善行をしましょう
貧しい人たちに敬意をもって
この家の住人 メフランさん(仮名)(31)。
モスクの運営団体で働いている。
取り組み自体は広く知ってもらいたいが
自分だけが目立つことはしたくないと言う。
自宅には友人などが持ち込んだ古着や靴が保管されていた。
この中から1日に3,4着を選んで壁に掛けている。
(メフランさん(仮名))
「1年を通していつもハンガーに掛かっているようにしています。」
メフランさんがフックを設置したのは本格的な冬が始まる前の去年10月。
ある外国の取り組みをインターネットで知ったことがきっかけだった。
イランにはもともと不特定多数の人同士が直接古着をやり取りする習慣は無い。
しかしメフランさんがインターネットにつぶやいたら
「思いやりをシェアしたい」というメッセージが壁の住所とともにまたたく間に広がり
数時間後には人々が服を壁に掛け始めたという。
(メフランさん(仮名))
「手軽に古着を役立てる方法です。
 続けることが大切です。」
想像を超える大きな反響から約3か月
取り組みはこの界隈に住む人の生活の一部になりつつある。
(住民)
「最初は服を求める人のたまり場になるかと心配しましたが
 大丈夫でした。」
誰でも手軽に始められる思いやりの壁。
シンプルな仕組みと大きなニーズに支えられてイラン各地に広がっている。
クリーニング店から持ち出した衣類。
実は市民から寄せられた古着である。
次々と古着を壁に掛けていくのはテヘラン市内で活動するNGOの学生たちである。
こうした取り組みは経済的弱者への支援だけでなく
社会全体の利益につながると見ている。
彼らが目指すのは資源を再利用する循環型社会。
(NGO代表 アリドゥスティさん)
「不要な服を捨てる前に再利用の可能性を考えるような社会に変えたいです。」
またこの考えに賛同する利用者からは
さらに人々に浸透させるためのアイデアも寄せられている。
(利用者)
「服を持ち帰るときに恥ずかしくないよう目隠しを立ててほしいな。」
NGOはいわばイラン版の“もったいない精神”の普及に向けて
この2か月で3つの壁を設置し
今後新たに2か所増やす計画である。
去年 イランで始まった思いやりの輪は
多くの人々の共感とともにさらに広がりを見せている。



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韓国 “番号制度”の現状

2016-01-24 07:30:00 | 報道/ニュース

1月13日 キャッチ!


韓国の番号制度は「住民登録番号」と呼ばれている。
日本のマイナンバーと違って番号は無作為ではなく生年月日などが含まれており
税金や年金はもとより医療や金融など
多くの個人情報と結び付けられている。
長い運用の中でメリットが拡大する一方
情報流出が起きるなど問題も起きている。

市役所の建物の外にATM似た機械が設置されている。
機械に住民登録番号を入力し
指紋で確認が取れると
24時間 365日 
さまざまな公的な書類を受け取ることが出来る。
韓国で住民登録番号が導入されたのは1968年。
今では駅などの公共施設に設置された端末から
いつでも
住民票のほか60種類以上の公的な書類を取得することが可能である。
韓国での住民登録番号の導入には安全保障上の目的があったと言われている。
1968年に北朝鮮の特殊部隊がソウルに侵入して
大統領を襲撃しようとした事件が発生し
それを受けて韓国政府がスパイなどを見分けるために
より詳細な身元の証明が必要だと考えられた。
導入から約50年
行政サービスだけでなく
銀行口座の開設やクレジットカードの申請など民間にも活用されてきた。
今では人々の生活に欠かせない。
(市民)
「便利です。
 身元証明書は必要ありません。」
「運転免許証にも“番号”が入っています。」
2000年ごろからスマートフォンやパソコンなどでインターネットを使って住民登録番号を使えば
所得証明など3000もの届け出を行うことができるようになった。
さらに住民登録番号を使ったインターネットでの納税サービスを2002年に導入。
確定申告が自宅のパソコンからわずかな操作でできるのと同時に
脱税防止に役立っているという。
(国税庁 担当者 チェ・ユンミンさん)
「税収を高めることができたり
 納税者の来署数を減らすことで
 職員の業務の軽減など様々な効果があらわれています。」
大変便利な制度だがメリットばかりではない。
インターネットの普及が進んだ2000年ごろから
韓国では繰り返しカード会社などから個人情報の流出事故が相次いでいる。
2014年1月 
カード会社から人口の約3分の1にあたる1,500万人分の住民登録番号などの個人情報が流出した。
会社が契約するセキュリティー会社の社員が持ち出したのが原因だった。
こうして流出した情報の一部が
誰でも見られる状態でインターネット上にさらされていることもわかった。
サイトからファイルをダウンロードしてみると
6,000人を超える氏名と住民登録番号が掲載されていた。
サイトは中国やロシアのプロバイダーを介して転載が繰り返されているため
情報流出が止められない状態だという。
流出した情報は犯罪にも使われている。
被害にあった30代の女性。
ある日 捜査当局を名乗る男から電話があり
「あなたは犯罪に巻き込まれている。捜査に協力してほしい。」などと言われた。
相手を捜査当局と信じ込んだのは
自分の住民登録番号など個人情報を詳しく知っていたからである。
女性は捜査のためだと言われるまま
銀行預金の引き出しに必要なパスワードまで教えてしまう。
気付いたときには口座から約450万円が無くなっていた。
犯人はいまだにわからず
警察の捜査も進んでいない。
女性は再び同じような被害にあうのではと不安にかられている。
「国民番号で管理するなら個人の情報はしっかり守るべきです。
 それが守れないならいっそのこと廃止すべきです。」
一度与えられた住民登録番号は基本的に変更できないということになっている。
しかし12月 韓国の憲法裁判所は
政府が住民登録番号の変更を認めていないのは憲法に違反しているとして
番号が流出したために犯罪の被害にあった人などを対象に
2018年から番号の変更を認めるように言い渡した。
一方で個人情報の流出事件で被害者の補償を求めて企業と争っている弁護士は
番号の変更だけでは根本の問題は解決されず
幅広く住民登録番号が利用されている現状を変えていかなければならないと言う。
(弁護士 キム・ギョンファンさん)
「住民登録番号で多くのサイトに入れるので
 番号が盗まれれば情報が流出します。
 そのため最近は“番号”の活用を縮小させ
 目的の範囲を狭める傾向にあります。」


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丸の内2丁目 モリタ屋

2016-01-23 17:42:36 | グルメ

 

    

   
                                  (食べログ) 


 

JR東京駅丸の内中央口 徒歩1分
丸ノ内線東京駅 地下道直結
千代田線二重橋前駅 徒歩2分

二重橋前駅から228m
丸の内ビルディング 35F

http://www.moritaya-net.com/restaurant/marunouchi.html

 

 

 

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香港 ~時代にとりのこされた街~

2016-01-23 07:30:00 | 報道/ニュース

1月12日 キャッチ!


かつてイギリス領だった香港は1997年に中国に返還されたが
今も昔の雰囲気を残す場所がある。
沙頭角(さとうかく)と呼ばれる。
この地区はイギリスの統治により分断された香港の歴史を今に残している。
北側が中国本土
南側が香港。
かつてイギリスが統治していた時代には
一時 本土から貧しい人たちが押し寄せたために
境界線に隣接した一帯を封鎖して出入りを禁止する区域を設けていた。
しかし返還から20年近くたって
徐々に区域の開放が進み
現在の面積はかつての7分の1になっている。
今もこの制限地区が完全に無くならない理由は
観光の自由化で本土の中国人が香港に買い物に行くことができるようになったものの
無秩序に人々が流入するのを防ぐためである。
沙頭角もそうした制限地区の1つである。
沙頭角は東京ドーム7つ分の広さに約3千人が暮らしている。
中国本土側からも香港側からも自由な立ち入りができないため
香港の中心街に比べて経済的に遅れている。
ただ沙頭角の東側にある中英街と呼ばれる長さ250mほどの通りは
双方が自由に行き来でき
買い物客の賑わいもある。
中国本土と香港の境界にある知る人ぞ知る街である。

香港の最も北東にある250mの通りを挟んで香港と中国が向かい合っている場所。
中国と英国の街という意味からその名も「中英街」。
1898年 イギリスが香港北部を中国から租借した当時は
小川が流れそれが国境になっていたが
やがて水が引いて通りになり
いつしか両側に商店が立ち並ぶようになった。
この通りは70年代から80年代にかけて繁栄を遂げる。
外国の製品欲しさに中国人の買い物客が大勢やってきたのである。
貴金属や香港に輸入された日本製のカセットレコーダーなどが飛ぶように売れた。
通りの中央に国境線を示すために置かれた礎石を挟んでにらみ合うイギリスと中国の警官。
1つの通りの両側を異なる国の警官が警備にあたる
世界でもユニークな場所となった。
19年前に香港が返還された後
通りにはかつてほど中国本土の買い物客はやって来なくなった。
香港への観光が自由化され
中国本土の買い物客は香港中心部のショッピングモールなどを訪れるようになったからである。
中英街から検問を通って沙頭角に入ると
訪れる人は激減。
多くの商店がシャッターを占めている。
いま住民は地区の開放を強く求めている。
自治組織の代表はその声を拾い上げ
香港政府への働きかけを続けている。
(自治会代表 李冠洪さん)
「ここの暮らしは刑務所と同じです。
 出入りの度に本人証明書を調べられる。
 外国でもなく香港の中なんですよ。」
地区の中で薬局を営む曽偉業さん。
返還前までは中国本土で手に入らない薬が買えるということで1日150万円を売り上げることもあったが
いまでは売り上げゼロの日もあるということである。
店の屋上からは経済成長で次々と高層ビルが建つ中国本土が見える。
香港の多くの地域がその発展の恩恵を受けているのに
この地区だけが取り残され
不平等だと感じている。
(薬局経営者 曽偉業さん)
「解放しないと新しい仕事の機会もなくゴーストタウンのままです。
 制限区域になって60年以上たちます。
 政府はここの問題を直視してほしい。」
一方 沙頭角の東端にあり中国の人も自由に行き来できる中英街。
今でも日用品を買い求める人がやってくるが
この通りで商売をする人の中には開放に慎重な住民もいる。
中英街の通りに面した父の薬局を手伝う李柏年さん。
地区が解放されれば香港の他の地域のように中国本土からの資金が流入し
物価や不動産価格が上昇するのではと不安を感じている。
(李柏年さん)
「このワンタンメンは25香港ドル(約400円)
 中心部だったら30~40ドルしますよ。」
李さんは地区で生まれ育ち
いま3人の子どもを地区の中で育てている。
店の売り上げはピーク時の半分に減ったが
一家が暮らしていくには充分だと言う。
むしろ地区に伝わる伝統や住人同士の強いきずなを
子どもたちの世代に残してあげたいと考えている。
(李柏年さん)
「結婚式では伝統にのっとり私が花嫁を迎えて自宅に連れ帰ります。
 1歩進んでは半歩下がり
 家までゆっくり移動しました。
 買い物で外出しても近所の人が家を見てくれる
 人情味があります。
 ここの住民であることは私の誇りです。」 

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紫煙の肩身はせまかろうと小さな箱の中には平和の心

2016-01-22 07:30:00 | 編集手帳

1月13日 編集手帳

 

 作家の高見順は日記のなかで顔をしかめている。
〈英語国に負けたので英語の名…〉とは浅薄すぎる
と(1945年11月23日付、文春文庫『敗戦日記』)。

1等「ピース」、
2等「漣(さざなみ)」「憩(いこい)」、
3等「郷土」「黎明(れいめい)」。
専売局が募ったたばこの名前を見ての感想である。
とくに1等がお気に召さなかったようで、
〈好戦国が戦争に負けるとたちまち平和、平和!〉と手厳しい。
「ピース」の発売は翌年の1月13日、きょうで70年になる。

たばこに成り代わって弁明するならば、
戦時中は口にしたくともできなかった敵性語である。

世 の人々は「ハイキング用品=錬歩用品」(敵性商品名言いかえ集)や
「ファウル・チップ=即捕外圏打」(東京六大学野球連盟用語集)にうんざりしていたこと だろう。
浅薄と言われようが、
何はともあれ“平和、平和!”、「ピース」に胸を弾ませた心情も分からぬではない。

かつての広告コピー〈今日も元気だ たば こがうまい〉が
〈今日も元気だ たばこ買うまい〉のご時世になって久しい。
紫煙の肩身は狭くなっても、
名前にこめた心はいまも小さな箱のなかに生きてい る。

 

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イノベーションを生み出せ

2016-01-21 07:30:00 | 経済フロントライン

1月9日 経済フロントライン


都内に住む熊沢衣杏佳さん。
12月に買ったお気に入りのものがある。
レコードプレーヤーである。
(熊沢衣杏佳さん)
「生活の一部。
 とりあえず流しといてみたいな感じ。」
この製品はスピーカーとアンプが内蔵されているのが特徴で
電源を入れたらすぐにレコードを聞くことが出来る。
ファッションやインテリアのようにレコードも気軽に楽しみたい。
そんな若者たちの感覚をとらえて開発された。
(熊沢衣杏佳さん)
「初心者が聴けるものなのかな?という感じだった。
 コンセントに差して電源入れて
 レコードを置いて針落とすだけですぐ聴けちゃう。
 本当に自分にぴったりだと思った。」
12月に発売されたばかりのこの製品の価格は1万5千円。
若者の間で評判を呼び販売予定の3,000台が完売した。
「これが家にあったら楽しそう。
 楽しんでいる空間をイメージしたときに欲しいと思った。」
「ワンルームの小さい部屋でも
 置いたら聴けるのが魅力的。」
製品を開発したのは従業員16人の会社。
彼らにとってのイノベーションは
若者のニーズを先取りしライフスタイルに合った製品を提案していくことである。
20代の社員たちは自由にアイデアを出し合う。
{レコードプレーヤー なにそれ?みたいな子も
 カワイイから入ってくれそうな。」
「レコードを聴かなくても置いておきたいかもしれない。」
(アマダナ 代表取締役社長 熊本浩志さん)
「いかに生活の中に必要なツールとして受け入れられるかを大前提に考えて
 そこに商品をはめていくアプローチの方が今っぽい。
 そうしないと成功の確立は高まらない。」
技術者自身がほしいと思うものを次々と形にしているベンチャー企業もある。
自分が演奏している様子をインターネット上で生中継したいと開発されたのが
カメラとつなぐだけで手軽に配信できる製品。
映像も自分好みに加工できる。
これまで1万台以上売り上げている。
スノーボードがうまくなりたいという発想からこんな製品も作った。
スノーボードに搭載するセンサー。
足の力の入れ具合や体のバランスなどのデータをリアルタイムで取得し
専用のアプリに送信する。
価格は69,800円。
自分の滑りを数値化することで癖などが見つけやすくなり
効率的に上達できるというものである。
こうしたイノベーションを生み出しているのが
多くが大手企業を辞めてこの会社に来た技術者たちである。
大手のものづくりには窮屈さを感じていたと言う。
「『これを変えたい』というのに対して
 決済が下りるまで時間がかかり無駄になる。」
「会社としてこういうモノを作りたいというよりも
 自分たちが欲しいモノだったり
 『こんなことが出来るぜ』という発想のもと開発が出来る。」
この企業は設立から8年で20以上の製品を作った。
これまで40か国以上で販売され
海外からも注目されている。
(セレボ CEO 岩佐琢磨さん)
「大手企業と全く同じことをしても勝てない。
 粗削りでもいいから最初の製品をとにかく素早く出すのが重要なミッション。
 出したものを見てお客様がどう反応するか。」


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“わが闘争”解説付きで再出版 ひろがる波紋

2016-01-20 07:30:00 | 報道/ニュース

1月9日 おはよう日本

ヒトラーの著書“わが闘争”が社会的な背景を説明した解説を付けることで
読者に歴史的な教訓を学んでもらおうと70年ぶりに再出版された。
これに対しドイツ国内では
いくら批判的な解説をつけても再出版すべきでないという意見も出ている。

ドイツ ミュンヘン市内の書店。
“わが闘争”が8日から販売が始まった。
学術的な本として現代史のコーナーで売られている。
今回「わが闘争」は約4,000冊が出版された。
ヒトラーが書いた原版に加え
ページ数にしてそれを上回る学術的解説が付いている。
例えば
“ユダヤ人は金持ちばかりで貧しい人はいない”という原版。
“実際には貧困に苦しむユダヤ人も数多く存在していた”と解説し
“記述は偏見に満ちたものだ”としている。
(本を買った人)
「大学でドイツの現代史を研究している。
 解説付きの本が出版されるのを待っていた。」
再出版に踏み切ったのはミュンヘンの公立の現代史研究所である。
ナチス・ドイツの思想が再び社会に広がらないよう
その危険性を正しく理解してもらおうと
研究所では3年余にわたって本に批判的な解説を付ける作業を行ってきた。
研究所が懸念してきたのがインターネットの外国のサイトである。
「わが闘争」の内容が掲載され誰でも閲覧できる状況が続いてきた。
研究所は
“本の著作権が切れた今こそ危険性を伝える解説付きの本を出版する必要がある”
と考えた。
(現代史研究所 アンドレアス・ヴィアシング所長)
「このような非人間的な本を誰もが読めるように放置しておくのは無責任だ。
 ナチズムや人種差別主義を解明し
 批判的な解説をつけた本の出版が社会のために必要。」
戦後70年が過ぎ
ドイツではヒトラーやナチズムに対する警戒感が一部で薄らいでいる
と指摘されている。
去年の秋にはヒトラーを主人公にしたコメディー映画が公開され大ヒットした。
(映画を見た人)
「もう時代が違う。
 彼は笑いの対象で
 昔のように彼を信奉する人などいない。」
戦争を知らない世代が国民の大半を占めるなか
ドイツの教育界からは今回の解説付きの「わが闘争」の出版に賛同する声も上がっている。
教員の全国団体は16歳以上を対象にした歴史の授業の教材として推薦した。
(ドイツ教職員連盟 ヨーゼフ・クラウス代表)
「インターネット上に出回るものに生徒が触れるとうのみにしてしまう恐れがある。
 教師が授業で丁寧に教えればそれを防げる。」
一方で「わが闘争」の再出版を憂慮する人もいる。
ベルリンに住むユダヤ系ドイツ人のララ・ズースキントさん。
2008年にユダヤ人に対する犯罪などを調査する民間団体を起ち上げた。
ドイツ国内ではユダヤ人を対象にした犯罪や嫌がらせは増加傾向にあり
その内容は激しくなっているという。
(ララ・ズースキントさん)
「“弱虫のユダヤ人 やれるものならやってみろ”と叫んでいる。」
さらにズースキントさんは今回の出版のタイミングも最悪だという。
かつてナチス・ドイツは「わが闘争」を根拠にユダヤ人などを迫害し
多くの難民を生み出した。
その反省からドイツは難民に対して寛容な政策をとり
中東などから100万人を超える難民や移民が到着した。
しかしあまりに多すぎる、と
ドイツ国内では難民たちの受け入れに反対する動きも活発化している。
「わが闘争」の出版はそうした排他主義をあおりかねないと危惧されている。
(ユダヤ人団体の代表 ララ・ズースキントさん)
「人殺しのヒトラーが書いた本を再び出版する必要があるのか。
 解説を付けても飛ばして読む人が出てくる。
 難民問題などで揺れているこの時期に世に出すことは大きな過ち。」
差別や偏見をあおる危険な思想が二度と社会に広がらないように
ヒトラーの本をどう扱うべきか。
ドイツにとって難しい問題になっている。

今回 再出版された「わが闘争」についてはドイツ国内の書店でも対応が分かれている。
大々的には店頭に置かない。
注文が入ったときにのみ販売するという店が大部分だが
販売しないという書店もある。
一方 地元のメディアでは
解説付きで「わが闘争」を出版することについては理解を示す論調が目立つ。
難民や移民への風当たりが強まっている時期でもあり
関係者は当面 国内の反応を見ながら慎重に対応しようとしている。


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W杯から再び世界の舞台へ

2016-01-19 07:30:00 | 報道/ニュース

おはよう日本


去年のW杯の活躍で一躍時の人となった五郎丸歩選手。
帰国後は様々なイベントに呼ばれ
各方面からひっぱりだこである。
練習や試合の合間を縫って積極的に参加する五郎丸選手。
そこには強い思いがあった。
Q.本当に忙しい日々を送っていると思うが自身ではどう受け止めている?
(ラグビーW杯日本代表 五郎丸歩選手)
「もうこれは僕に与えられた使命。
 皆さんにラグビーを知ってもらうという。
 ラグビー選手って寿命が長くないから
 ラグビー人生の中で自分ができることはすべてやり終えて引退したい。
 いまを点で見たら頑張りすぎているかもしれないが
 それを通じてラグビーを知っていただけるならありがたい。」
Q.W杯改めてお聞きしたいのですが今どんな思いですか?
(五郎丸歩選手)
「本当にこの4年間努力してきてよかった。
 失敗して初めて気づくことだったり得るものが本当に大きいと思った。」
失敗から学び成長につなげる。
それは五郎丸選手が胸に刻んできた教訓だった。
29歳で初めて挑んだ去年のW杯。
初戦直前の国歌斉唱
その目には涙が浮かんでいた。
この舞台は5年前に味わった大きな挫折を乗り越えつかんだものだった。
(五郎丸選手)
「いろんな経験をさせてもらった中で思いがこみ上げてきた。」
強豪早稲田大学で1年生からレギュラーとして活躍した五郎丸選手。
19歳で早くも日本代表デビューを飾り順風満帆の選手生活を送っていた。
しかし2011年のW杯
大会直前最終メンバーから外されグラウンドに立つことが出来なかったのである。
Q.2011年のW杯では代表から外れてしまいましたよね?
(五郎丸歩選手)
「なんとなくラグビーをしていて
 もちろん努力はしたが今と比べると努力が足りなかった。
 去年のW杯に対する意気込みとその当時の自分を照らし合わせたとき
 まず出る権利がなかった。」
この苦い経験を成長につなげ次のW杯には必ず出場する。
そこで五郎丸選手は得意のキックを世界で通用するものに磨き上げようと決意した。
チーム練習の後1人残って練習する日々。
30分以上蹴り続ける日もあった。
その中で徐々に作り上げていったのが
“ルーティン”と呼ばれる一連の動きからのキックである。
一つ一つの動きに集中することで
緊迫した場面でも正確なキックができることを目指した。
そしてこうした動きを10点満点で自己採点し改良を重ねていった。
そしてようやくたどり着いたW杯の舞台。
1次リーグでは全選手中2位となる58得点をあげた。
1つの挫折を糧に
五郎丸選手は大きな進化を遂げたのである。
(五郎丸歩選手)
「失敗しないと自分自身が得るもの少ない。
 成功ばっかりしてても。
 何か逆境が来てもそれをチャンスだと思えばすべてが順風満帆になったと言える。
 いいことがあってもそれが自分にとって良くないと思えばそれは逆境になってしまう。
 考え方だと思う。」
そして今年
五郎丸選手は新たな舞台に挑む。
それは正解最高峰のプロリーグ スーパーラグビー。
そこにはW杯に出場した一流の選手たちが集結する。
Q.初めての挑戦で不安はない?
(五郎丸歩選手)
「不安はない。
 成功することが楽しみじゃない。
 失敗していろんなことに気づいたりするのが楽しみ。
 このまま日本でプレーし続けていれば
 あまり失敗もせず指摘もされずやっていく。
 失敗した先に何かあると僕は思う。
 本当にゼロからのスタートだと思ってやっていく。」
W杯をきっかけにラグビーを始める子どもたちが急増した。
日本ラグビー界の未来のために
五郎丸選手はスーパーラグビーでの活躍を誓う。
(五郎丸歩選手)
「今はサッカー界も野球界も海外に出ていって
 海外で活躍した選手に対して子どもたちはあこがれを持つ。
 もう時代は変わっている。
 世界でいかに活躍できるか。
 別に世界を美化するわけじゃない。
 日本も素晴らしい部分たくさんある。
 ただやっぱり子どもたちが目指すところは
 今海外で活躍しているプレーヤーだというのは
自分も十分理解している。
 僕はプレーヤーなんでプレーで皆さんに示したいというのが自分の思い。」
Q.成し遂げることはまだまだあるということですね?
(五郎丸歩選手)
「楽しみにしておいてください。」
 


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世界が注目 ママさんプリンシパル“西野麻衣子さん”

2016-01-18 07:30:00 | 報道/ニュース

1月6日 おはよう日本


世界から注目されている
ノルウェーで活躍するバレリーナ 西野麻衣子さん。
麻衣子さんは現在ノルウェーでダンサーの最高ランクであるプリンシパルとして活躍している。
注目される理由はそれだけではない。
1児の母であること。
ノルウェー人の夫と結婚し
2年前に長男を出産。
出産とともに引退するケースが多いバレエ界で
今なお現役のプリンシパルであり続ける数少ないダンサーなのである。
その活躍はドキュメンタリー映画となり
2月に日本でも公開される。
(ノルウェー国立バレエ団 西野麻衣子さん)
「パワーアップした“ママプリンシパル”として活躍したい。」
西野麻衣子さんは大阪出身の35歳。
プリンシパルの称号を与えられるダンサーはバレエ人口の1%以下。
さらにその中で出産後も現役で活躍するダンサーは世界でもほんの一握りである。
母となった今もなぜプリンシパルであり続けられるのか。
本場ヨーロッパの中でも斬新な演出で人気を誇るノルウェー国立バレエ団。
麻衣子さんはここで10年間プリンシパルを務めている。
(ノルウェー国立バレエ団 西野麻衣子さん)
「練習大好き。
 筋肉痛になったときに“生きてる”感じがする。
 これがあるからいい舞台ができる。」
バレエを始めたのは6歳のとき。
当時から夢は世界で活躍するバレリーナだった。
中学卒業と同時に海外にバレエ留学。
両親はそのために家まで売って費用を工面したという。
バレエ団のオーディションを受け続け
19歳のときノルウェー国立バレエ団に合格。
麻衣子さんのプロとしての挑戦が始まった。
(ノルウェー国立バレエ団 西野麻衣子さん)
「まだまだだった。
 プロになっただけではもの足りない。
 主役のダンサーになってやっと恩返しができると思っていた。」
毎日9時間の練習を欠かさずにこなした麻衣子さん。
舞台にも練習にも絶対に妥協はしなかった。
(イングリット・ロレンツェン総監督)
「麻衣子は自分に厳しくひたむきに取り組むダンサー。
 自分に大きなプレッシャーをかけていると思う。」
その努力が実を結んだのは入団から6年後。
25歳で東洋人初のプリンシパルに抜擢された。
麻衣子さんは夫と息子の3人でオスロに暮らしている。
朝8時息子アイリフ君(2)の保育園の見送りから1日が始まる。
妊娠がわかったとき喜びと同時に大きな不安にも襲われた。
(西野麻衣子さん)
「“麻衣子はもういい”とバレエ団からあきらめられたらどうしよう。」
ドキュメンタリー映画の中でも麻衣子さんの迷いと葛藤を追い
舞台復帰までの奮闘を描いている。
(「Maikoふたたびの白鳥」ハピネット・ミモザフィルムズ)
(イングリット・ロレンツェン総監督)
「出番を待つダンサーが他に大勢いる。
 あなたの産休は彼らにとってチャンスよ。」
(バレエ団の同僚)
「後悔しない?
 舞台復帰すれば間違いなく小さなお子さんと過ごす時間が削られる。」
悩み末に出した答え。
それはどちらにも全力投球だった。
出産後すぐにアイリフ君の横でストレッチを開始。
出産でゆがった骨盤や衰えた体力を取り戻すため
一から全身の肉体改造を始めた。
こうした麻衣子さんを支えてくれたのが夫のニコライさん(41)である。
バレエ団で舞台装置を担当しているが
積極的に休みを取ってアイリフ君の面倒を見ている。
(ノルウェー国立バレエ団 西野麻衣子さん)
「限られた時間の中でどれだけ自分をプッシュできるか。
 愛する人がいてくれたからこそ舞台復帰できた。
 プリンシパルなので
 戻るべき場所がある。
 舞台。」
常に全力投球の麻衣子さんが肩の荷を降ろせる場所が大阪にある。
年に1度は必ず帰る大阪の自宅。
母親の衣津栄さんは
自身も工場で働きながら子育てをしていた。
今も夢を追いかける麻衣子さんの一番の理解者である。
(ノルウェー国立バレエ団 西野麻衣子さん)
「家事をするのがたまにしんどい。
 でもしなかったらご飯は出てこないし。
 どうやってメニュー作っとった?」
(衣津栄さん)
「電車の中や仕事をしながら今晩のおかず何にしようかなと。
 お母さんは普通のサラリーマン。
 麻衣子はやっぱり全然違うやん。
 麻衣子が日本人のままたちにきっとエールになると思う。」
帰国するたび習っていたバレエ教室を訪れる麻衣子さん。
後輩たちに必ず伝えていることがある。
(ノルウェー国立バレエ団 西野麻衣子さん)
「ここまで頑張ってきたのは好きだからやろ。
 時間を無駄にしてほしくない。
 お母さんお父さんにもらった時間を賢く頭を使って
 後悔してほしくない。」
現役を引退するまでプリンシパルであり続けたい。
母となった自分にしかできない表現を極めることが新たな目標である。
(ノルウェー国立バレエ団 西野麻衣子さん)
「妊娠する前の作品wママになって踊りたい。
 ママになった私はどうこの役を踊るだろう。
 この役をどう勉強するのか興味がある。
 これからどんどんチャレンジしていきたい。」
麻衣子さんの映画は現地ノルウェーの先行試写会で1,000人のスタンディングオベーションがあった。
日本では2月に劇場公開される。
 

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