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踊る中高年の女性たち 「広場踊り」で新たなビジネス

2018-12-31 07:00:00 | 報道/ニュース

11月29日 国際報道2018


中国ではいま 定年後の元気な女性たちが増えている。
女性の場合 定年が50歳と比較的若いためである。
そんな女性たちがいま夢中になっているのが
公園などで音楽に合わせてみんなで踊る「広場踊り」である。
この10年で人気が急上昇し
愛好家は1億人にのぼるとも言われている。
「汗をかいてとてもスッキリよ。
 友だちもたくさんできたわ。」
「踊れば踊るほどきれいになるの。
 18歳に若返ったみたい。」
人気の広がりでコンテストまで開かれるようになり
踊りに欠かせない派手なドレスなど関連グッズの売り上げも好調。
地元のメディアによると
市場規模は1兆7,000億円に達するという。
新たなビジネスチャンスに企業の参入が相次いでいる。
3年前に創業したベンチャー企業が開発したのは踊りの動画を投稿できるアプリ。
すでに600万人が登録している。
ほかの人の踊りの動画を見るだけでなく
衣裳なども購入できる。
「踊っている時きれいに見えます。」
関連グッズの売り上げはこの1年で7億円に達した。
(ベンチャー企業社長)
「中高年の人たちは経済的にも余裕ができ
 若いころにできなかった楽しみが今できるようになっています。」
広場踊りで盛り上がる市場の中で
特に活発なのが高齢化で増え続けるシニア層である。
ここに目をつける大手企業も出てきている。
中国のネット通販最大手アリババである。
シニア世代にネット通販を普及させようと
アドバイザーを公募。
応募条件の1つが60歳以上の広場踊りのリーダー経験者だった。
約3,000人の応募者の中からただ1人選ばれた劉さん(64)。
大学などで英語を教え
定年を迎えたあと広場踊りに出会った。
劉さんは週に1回会社に出勤する。
若者が多いIT企業でシニア向けのアプリ開発の助言役を任されている。
「中高年は注文のタッチをしてくれない。」
「だまさえたりしないかこわいのよ。
 だから1つ1つ丁寧に説明してあげないとね。」
(劉さん)
「中高年だって若者の役に立てます。
 彼らが思いつかないアイデアを伝えることができます。」
さらに劉さんに期待される役割は
シニア世代にネット通販に馴染んでもらうこと。
中国ではいま
子どもと同居するために農村から都会に移る中高年が増えている。
劉さんは都会になれない彼らがネット通販を使えるようになれば
生活のの手助けになると考えている。
(劉さん)
「私が教室を開いたり広場踊りをするのは
 みんなに家の中から社会に出てきてほしいからなんです。
 シニア世代の生活の幅が広がり
 交流も多くなるといいです。」
時間と経済的な余裕があるシニア世代が増え続ける中国。
「広場踊り」の人気拡大とともにシニア向けの市場も膨らみ続けている。




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名前の美しさ

2018-12-30 07:00:00 | 編集手帳

11月29日 編集手帳

 

 <ユダヤ人の名前は美しい>。
言語学者の田中克彦さんが著書『名前と人間』(岩波新書)に書いている。
<まるで絵に描いたようだ>と。

ローゼンタール(ばらの谷)、
アプフェルバウム(りんごの木)、
ビルンバウム(梨の木)、
ブルーメンガルテン(花園)…。
これらは姓であって下の名ではないけれど、
昔に比べてずっと美的になったのが日本の子供たちの名前だろう。

明治安田生命が平成に入ってからの人気名前ランキングを発表した。
男の子は上から翔太、翔、健太、蓮、大輝。
女の子は美咲、葵、陽菜、さくら、愛。

とりわけ美咲さんは8回も1位の年があった。
そう聞くと昭和生まれの小欄は対抗心からか、
「ひろし」を浮かべてしまう。
別の生保会社の調査でトップを41回記録している。
そういえば、
寅さんの妹の夫もひろしだし、
ちびまる子ちゃんのお父さんも、
ひろしである。
もちろん翔太くんや美咲さんのお父さん、
おじいさんにもおられよう。

俳優の高倉健さんは会う人会う人、
名前をほめた。
実際にほめられた人を知っている。
「名前は人生に同じ、
 大事にしよう」と聞こえたそうである。


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復活!東北大学名物 “貧食カレー”

2018-12-29 07:00:00 | 報道/ニュース

11月29日 おはよう日本


東北を代表する大学 東北大学で
貧しい学生たちから親しみを込めて“貧食カレー”と呼ばれた人気カレーがあった。
そのカレーがこの秋
かたちを変えて10年ぶりによみがえった。

レトルトで復刻した“貧食カレー”。
東北大学の食堂で10年前まで40年にわたって提供されていた
学生たちのソウルフードである。
復刻にあたって開かれた試食会。
(東北大OB)
「懐かしいです。
 4年間お世話になった味だなと思って
 とても懐かしく思います。」
カレーが提供されていたのは東北大学川内キャンパスの第2食堂。
粗末なつくりから貧民食堂
“貧食”と呼ばれていた。
その貧食で1番人気だったのが190円だった普通カレー
通称“貧食カレー”である。
大学院で金属材料の研究をしている吉見享佑 教授は
学生のころ週4日は貧食カレーを食べていた。
使えるお金が少なかった当時
貧食カレーはありがたい存在だった。
(吉見享佑教授)
「圧倒的に安かったと思う。
 ブルジョアの皆様が行かれるようなところにはなかなか入り込めなくて。」
各地から親元を離れて学生が集まる東北大学。
食堂には多くの学生が列を作った。
しかし平成20年
学生たちの強い味方だった貧食カレーは
地下鉄の工事に伴う食堂の閉店とともに姿を消した。
懐かしのカレーをもう一度味わえないか。
吉見教授たちは大学生協とともに復活に乗り出した。
当時の店長が残した秘密のレシピに従って調理した。
具材はタマネギと豚バラ肉。
ところが試食にあたった教授陣からクレームがつけられる。
(教授陣)
「ほとんど肉は入っていなかった。
 入ってたのはタマネギだけだった。」
次に作られたのはタマネギがたくさん入ったカレー。
しかしまたもや厳しい指摘が。
(教授陣)
「こんな上品な切り方ではなかった。」
そこで思い切ってざく切りの玉ねぎを入れた。
少しのルーでごはんがたくさん食べられるよう
味は濃いめに。
“貧食カレー”の復活である。
(東北大学大学院 吉見享佑教授)
「食器がいいのを持ってきてますね。
 久しぶりなんだよな。
 口に入れる直前にフッと香る。
 もうすでにそれが貧食カレーですね。
 おいしい。
 どこかで聞いたことがあるんですけど
 人間の“おいしい”“おいしくない”のは懐かしいとかぶっているので
 何度も小さいころに食べたものは
 いま食べると“おいしい”と思う。
 おいしいです。」
復活したカレーは2か月で5,000食以上販売。
一時は入荷待ちの状態となり
売り上げの一部は大学の基金に入った。
予想を超える売れ行きに大学は
貧食カレーの販売を通して
卒業生に基金への協力を呼びかけたいと意気込んでいる。
(東北大学 原信義 副学長)
「カレーを買っていただければ
 東北大基金に一部入るんだなあということで
 後輩たちに使われているんだと
 後輩の活動支援にもなっていると分かってくると
 将来 寄付金の増額につながる流れになっていくのかなと思う。
かつては貧しかった学生のふところを温めたた貧食カレー。
今度は大学のふところを温める存在となるのか
期待されている。

貧食カレーは378円で
東北大学にある大学生協とインターネットで販売されている。



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DeNA 巻き返しへ ユニークな取り組み

2018-12-28 07:00:00 | 報道/ニュース

11月28日 おはよう日本


グラウンドでキャッチボールをしているのは平川ブライアンさん。
チーム専属の英語教師である。
(ラミレス監督)
「ここ数年来の問題だった。
 コミュニケーションを改善すること。」
今シーズンは就任以来初めての4位。
ラミレス監督はその要因の1つにコーチとのコミュニケーション不足をあげていた。
(平川ブライアンさん)
「外国人選手とスタッフや日本人選手の間にある壁を壊し続けることが私の目標。
 みんなが気軽に意思疎通できるように
 お手伝いをしていきたい。」
取り組みは秋のキャンプから始まっていた。
ブライアンさんの個人レッスンに参加したのは坪井智哉 打撃コーチ。
シーズン中から“コミュニケーションがもっと深く取れれば”と感じていた。
(坪井智哉 打撃コーチ)
「もともとこれではだめだと思っていた。
 僕もいつも監督の隣に立っているし。」
簡単なやり取りでも英語で会話ができれば
これまでより円滑なコミュニケーションにつながると考えた坪井コーチ。
レッスンは野球に関する英単語から日常会話までさまざまである。
坪井コーチはキャンプ中 毎日のようにレッスンを受けた。
空いた時間に気軽にレッスンを受けられるブライアンさんは貴重な存在である。
(坪井智哉 打撃コーチ)
「ちょっといたときに
 『英語でなんて言うの?』と言えるので
 それはすごく助かる。」
ブライアンさんがチームに加わって半年余り。
コーチだけでなく選手たちにも“グラウンド留学”は広がってきている。
(三嶋一輝 投手)
「僕もあまりしゃべれなかった。
 外国人選手と何をしゃべればいいか分からなかった。
 文章にできていないけれど
 単語単語で伝える。
 ぽんぽんと伝えられれば意外とコミュニケーションできる。
 授業で習っていない会話の部分ではすごく助かる。
 勉強になっている。」
(平川ブライアンさん)
「毎日ちょっとずつ
 外国人選手と日本人選手の橋をつくる。」
(ラミレス監督)
「コミュニケーション技術を身につけるのに
 ブライアンは大きな助けになっている。
 みんながいいコミュニケーションをとることで
 みんながひとつになれる。」


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引退した競走馬の余生と歩む牧場

2018-12-27 07:00:00 | 報道/ニュース

11月28日 おはよう日本


観光客が触れ合う馬たち。
かつて競走馬として活躍してきた。
(観光客)
「ぱっと見えたんで入りました。
 競走馬と触れ合えるところが少ないので
 すごくいいところだと思う。」
高知県土佐清水市にある牧場。
宮崎栄美さん(60)が7年前から経営している。
「この子は競走馬のときはナムライナズマという名前。」
「マチカネカミカゼという名前で走ってました。」
G1レースなどでも活躍した11頭の馬。
人間で言えば70代以上の高齢の馬の余生を支えている。
きっかけは宮崎さんが趣味で始めた乗馬。
馬の魅力に引き付けられた。
そこで衝撃を受けたのが
引退した競走馬のうち一部の馬しか余生を過ごせないことだった。
なんとか余生を全うさせたい。
目指すのは高知競馬で注目された1頭の生き方である。
ハルウララである。
引退まで負け続けたにもかかわらず懸命に走る姿が人気を集めた。
今も千葉県の牧場で余生を過ごしている。
(宮崎栄美さん)
「競馬で勝てなかった馬たちが余生を送れる
 命を全うできるシステムを作ることは大事。
 陰に隠れてた馬たちを保護できるようにしたい。」
宮崎さんの1日は毎朝5時から始まる。
馬たちの世話である。
1頭1頭の餌やりや馬小屋の掃除など1日も休むことなく続ける
馬中心の生活である。
高齢の馬を育てるうえでの工夫も。
固い干し草のかたまりを食べやすいように砕いたり
餌の配合を変えたりしている。
(宮崎栄美さん)
「お相撲さんの朝稽古みたいに
 食事の前にひと仕事。
 馬は朝早い方が放牧しても喜ぶし
 この仕事始めてから自分のために何もしてないですよ。」
しかし馬の数が増えるとともに牧場の経営も厳しさを増していく。
えさ代や薬代などで年間1,000万円近くかかる。
馬を預けている馬主からの委託金や全国の約50人の会員から月に1口3千円の会費を集めているが
ぎりぎりの状況である。
それでも続けるのは馬の魅力を知ってもらいたいという思い。
誰でも触れ合うことができる牧場を作り上げてきた。
この日訪れたのは地元の小学生。
子どもたちに馬と仲良くなってもらうため特別な方法を教える。
宮崎さんだけが知っているこの馬の特徴。
じっと聞き耳を立てて歌を聴くのである。
「おとなしくなった。」
「ね 聞きようやろ?
 大好きなんよ。」
1人でも多くの人たちに関心を持ってもらい
引退馬の命を救うことにつなげたいと考えている。
(宮崎栄美さん)
「地域の人たちや
 周りの支援者の皆さんと協力して
 動物の命を守っていける場所にすることに力を貸してもらいたい。
 1つの命でもいいから救いたい
 助けてあげたい。」
引退した競走馬の余生を支える宮崎さん。
馬の一生に寄り添い
歩く。


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米カリフォルニア州山火事 過去最悪 なぜ被害拡大?

2018-12-26 07:00:00 | 報道/ニュース

11月27日 国際報道2018


11月8日にアメリカ カリフォルニア州で発生した大規模な山火事による犠牲者は北部だけで88人。
過去最悪の被害となっている。
多くの犠牲者が出ている北部では
ようやく火が消し止められたものの
27日現在で連絡がつかない人が200人余にのぼり
現地では懸命の捜索活動が続いている。
毎年のように発生しているカリフォルニアの山火事だが
今年はなぜここまで被害が拡大したのか。

今回の大規模な山火事で被害が最も大きかったパラダイス。
カリフォルニアがゴールドラッシュにわいた19世紀半ばに
山を切り開いて造られ
その名のとうり自然豊かな楽園として知られていた。
老後を穏やかに暮らそうと多くの高齢者が暮らしていたが
連絡がつかない人が200人余にのぼり捜索活動が続いている。
自宅を焼け出された人たちは隣のスーパーの駐車場などにテントを張って避難生活を送っている。
(パラダイスの被災者)
「この先どうなるかわからないけど
 仮住まいしながら前に進みたい。」
「自宅も店も失い
 残念だけど
 この街での再建はあきらめたわ。」
この街でなぜ被害が拡大したのか。
原因の1つと考えられているのが気象条件である。
(ABC 11日放送)
北部は例年になく少雨で
この先も雨は降りそうにありません
カリフォルニア州では例年
空気が乾燥する春から9月ごろまでが“山火事のシーズン”と言われてきた。
しかし最近はこの時期に限らず火災が発生するようになっている。
気象当局によると
今年の夏はカリフォルニア州一帯で平均気温が高く
9月は例年の5%程度しか雨が降っていない。
雨が降りやすくなる10月に入っても北部の降水量は平年の半分以下。
土壌や草木がからからに乾いたところに強風が吹きつけ火事を拡大させたと
専門家は見ている。
(UCLA 気象学者 ダニエル・スウェインさん)
「非常に強く乾燥した風が延焼を拡大させ
 道路や川を超えて人口密集地まで達した。
 ここまで速く山火事が広がることは誰も予想できなかったと思う。」
悪条件がいくつも重なって起きた山火事。
その火の勢いを
パラダイスから避難した住民はこう証言する。
(パラダイスの被災者)
「これまで見たことのない勢いで炎が渦巻きながら一気に広がった。」
「風が炎をあおって延焼を拡大させた。」
予想を超える速さで燃え広がった今回の山火事。
犠牲者が増えたもう1つの原因と考えられるのが
非難の遅れである。
山火事が発生した11月9日。
(パラダイスの被災者)
「道路は大渋滞でパニック状態でした。」
地図で確認すると
山間部のパラダイスから街の外へ抜ける主な幹線道路は1本だけ。
この1本の道に避難する車が集中し
大渋滞が発生した。
そこへ道が入り組んだ住宅街から多くの車が押し寄せる。
しかし渋滞している幹線道路に合流することができず
多くの車が立往生した。
火事が発生した直後
車に娘を乗せた父親は周囲を炎に囲まれるなか必死に抜け道を探していた。
この親子は炎を潜り抜けなんとか非難することができた。
しかし渋滞に巻き込まれたまま車内で犠牲になった人も少なくない。
(パラダイスの被災者)
「車の中で焼死した人や車から出て火に包まれ亡くなった人もいた。
 まさにパニックだった。」
大規模な山火事が頻繁に発生するカリフォルニア。
異常気象が常態化するなか
当局だけでなく
そこで暮らす市民にも新たな備えが求められている。

指摘されているのは
非難を呼びかけるシステムが不十分だったという点。
多くの犠牲者が出たパラダイスでは山火事などが起きた際に
住民に対して一斉に非難を呼びかける防災無線のようなシステムは無かった。
当局によるとホームページに登録した人に対しては
電子メールやSNSを通して避難を呼びかけたということである。
ただ被災者は「火が迫って来たので慌てて逃げた」という人たちばかりだった。
パラダイス周辺はゴールドラッシュの時代に金を探すために開拓されたということで
道路は入り組んでいて
過去の山火事でも避難しようとする車で大渋滞が起こっている。
このため当局は山火事が起きた場合には
道路を一方通行にしたうえで
地域をいくつかのゾーンに分割して順番に避難するということにしていた。
住民は車による避難訓練をしていたが
想定を上回る規模で山火事が広がった。
リスク解析会社の試算によると
被害総額は北部だけで100億ドル(1兆1,300億円)。
ロサンゼルス近郊でも大規模な山火事があり
合わせると被害総額は州全体で1兆5,000億円にも達する見通しである。
課題となるのが住宅の確保である。
カリフォルニア州はIT産業の業績拡大などを背景に好景気が続いていて
住宅不足によって住宅価格は高騰している。
カリフォルニア州では1万3,000棟の住宅が火事で焼失。
被災者にとっては厳しい状況が予想される。
生活の再建を進めつつ
さらにいつあってもおかしくない次の山火事への備えも早急に求められる。




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ニューヨーク南西部で進む巨大な再開発

2018-12-25 07:00:00 | 報道/ニュース

11月27日 キャッチ!ワールドEYES


NYマンハッタンの3つの地区におけるオフィスビル空室率は
ミッドタウン     9,2%
ミッドタウンサンクス 7,4%
ダウンタウン    12,0%
いちばん空室があるのはウォール街があるダウンタウンで 
その1,5倍以上の人気があるのがミッドタウンサウスとなっている。
ミッドタウンサウスでは大規模な再開発が進行中である。
なぜこの地区がいま注目されているのか。

マンハッタン南西部の一角でニューヨークで過去最大の再開発が進んでいる。
列車の広大な操車場にふたをして敷地を確保するハドソンヤード・プロジェクト
総事業費は日本円で約2兆8,000億円と
民間による開発としてはニューヨーク最大の事業である。
東京ドーム2つがすっぽりと入る敷地には
商業ビルやデパートなど13棟を建設。
公園も整備され
さながら新たな街を1つ作るような開発である。
中心に鎮座する松ぼっくりに似たオブジェは新たな観光名所にする狙いである。
最も高いビルには屋外の展望台。
高さは東京タワーの先端とほぼ同じの地上300mである。
再開発の発端は15年ほど前。
当時ニューヨークは2012年の夏のオリンピック招致に名乗りをあげていた。
その際メインスタジアムの予定地がこの場所だったのである。
結局 開催権を得られず
リーマンショックもあって開発はストップ。
しかしここ数年ニューヨークで起きている企業の大移動をきっかけに再び動き出したのである。
もともと南のウォール街に金融業をはじめ多くの企業が本社を置いていた。
その後 北のミッドタウンへの移動が続き
2010年ごろから
ミッドタウンから
このハドソン・ヤードのあるミッドタウンサウスに拠点を移そうという企業が増えている。
このプロジェクトには日本企業も参加している。
2つのビルを所有する三井不動産。
その投資額は約5,500億円である。
日本国内の事業が低金利でなかなか収益が見込めないなか
有力な投資先として参加を決めたのである。
なぜいま企業は拠点を移すのか。
その理由は
ターゲットとする次世代の価値観そのものにあるようである。
まもなく引き渡されるオフィスには大きなテラスがつくられていた。
(三井不動産アメリカ 社長)
「もともとこちらのビルの設計を進める際に
 テラスを設けるよう工夫をしてきました。
 とりわけミレニアル世代というか
 若い方の交流や憩いの場を提供する感じでした。
 いい人材にアピールするためのひとつの仕掛けなんでしょう。」
ミレニアル世代”。
おおむね1980~2000年にかけて生まれた人たちのことで
アメリカではすでに労働人口の35%
数年後には半分を占めると言われている。
その世代の中でも
高学歴で
アメリカ経済のけん引役を担う人たちが気に入るオフィスが必要となっているのである。
ハドソン・ヤード近くに住む岩泉紫響さんとエマさんのカップル。
今泉さんはアメリカ育ちの24歳。
建築デザインの仕事をしている。
インテリアデザイナーのエマさんと友人の3人でシェアして住んでいる。
バルコニーと2つのベッドルームとリビングで
家賃は月60万円超。
ここでの生活が気に入っているという今泉さんは
“ミレニアル世代”と呼ばれる自分たちが求めるものがこの地区にあるという。
(岩泉さん)
「ハドソン川も見えるし
 公園もあるし
 とてもいいところです。
 だから多くの企業や大勢の人々がここに集まるのは当然だと思います。」
ハドソン・ヤードのすぐ南には
洒落たレストランなどが多いチェルシー地区がある。
若者に人気のエリアがオフィスの近くにあることも
開発の原動力になっている。
(市民)
「すぐ近くで働いていますが
 眺めもいいし
 最高です。」
「キラキラした街でないとダメですが
 もちろん便利さも大切です。」
ミレニアル世代が未来を支える。
岩泉さんたちの会話には
「金融の街ウォール街だけがニューヨークの中心ではない」といった
新世代の自負心のようなものが見え隠れする。
(エマさん)
「ウォール街で働くのは
 私には合っていないと思います。」
「僕たちミレニアル世代が求めるのは
 常に新しい場所です。
 古い世代の人たちが不況を味わった場所ではないのです。」

企業業績がもうかっていることに加え
トランプ大統領の減税もあって
不動産に関しては企業が投資に回す資金が増えている。
“ニューヨークの中心に拠点を作って新しい若い人材をとる”。
オフィスビルの需要はかなり強いと言っていい。
マンハッタンの賃料は2008年のリーマンショックで大きく落ち込んだが
その後順調に回復し
すでにリーマンショック前を超える水準にまで上昇。
海外企業のニューヨークの商業不動産に魅力を感じている。
三井不動産のほかにも
ミッドタウンに東急不動産も大規模ビルを建設している。
マンハッタン全体で新しいビルがどんどん建っている。
若い世代にはウォール街は人気がないようである。
金融業が人気がないわけではなく
街の古さが人気がないのである。
不動産業でも新しくオフィスを作る余地が乏しく
建物自体が古い。
このためウォール街にあった大手金融グループはどんどん北へ移動している。
ハドソン・ヤードの新しいビルには大手ヘッジファンドが入居を決めている。
ミッドタウンにあるアメリカ総局の隣の隣のビルにはバンク・オブ・アメリカの拠点がある。
金融業を目指すミレニアル世代をひきつける意味でも
ミッドタウンは魅力である。
オフィスビルは需要が旺盛だが
住宅は頭打ちで
飽和状態になりつつあるというデータもある。
地元の不動産業界のジンクスで
1922年のエンパイアステートビル着工の直後に世界恐慌が起きた。
入居者があまり集まらなかった。
「エンプティーステートビル」=「空っぽのビル」と揶揄された。
大きなビルを建て始めると景気が落ち込む。
その声がまた強まってくるかもしれない。
景気には山と谷がある。
リーマンショックのあと山はずっと続いてきたもので
来年7月まで続けばアメリカの景気拡大は121か月と戦後最長になる。
そろそろ山が終わって谷に向かうという声も出てきている。
そのきっかけは何か。
1つは中国との貿易摩擦といったトランプ政権の政策。
もう1つは起業はもうかっている一方負債も多いとされている。
アメリカは金利が上がっていく予定である。
金利の上昇が負債の多い企業の経営を苦しめるという指摘もある。
そろそろ谷が来るのではという見方があるのはたしかである。
先日 OECD経済協力開発機構は『世界経済は谷を超えた」というリポートを発表した。
その経済を引っ張ってきたのがアメリカ
その中心がニューヨークである。
今年は活況を呈する不動産の再開発の進捗を横目に見ながら
景気のほころびを注意深く見ていく年に来年はなりそうである。




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先輩風を吹かせると

2018-12-24 07:00:00 | 編集手帳

11月27日 編集手帳 

 

 サラリーマン川柳(第一生命保険)の入選作を思い出す。
<飲み会に部下を誘って10連敗>。
職場の飲み会を嫌がる人が多い現状を変えようと、
長野県軽井沢町のビール会社が開発した扇風機が話題になっている。

その名も「先輩風壱号」。
人工知能(AI)が会話に聞き耳をたて、
ぬけぬけと先輩風を吹かせばビューと吹き付ける。
AIが約2000のキーワードに反応するという。
俺の若い頃は 近頃の若者は 甘い バブル 昭和…などなど。

バブル期入社のうえ、
先のキーワードにまるで身に覚えがなくはない小欄はどきっとするものの、
こんな装置がお酒の席にあれば楽しいだろう。

冒頭の句を含め、
今年のサラリーマン川柳100選には若い人とのコミュニケーション不足を嘆く作品が少なくなかった。<相談は上司先輩よりネット>
<ブログ見て部下の本音を家で知る>
<後輩が心開くのLINEだけ>。
いかに先輩との会話が面倒でも、
スマホの頼りすぎはどうだろう。

「先輩風壱号」のAIは程度に応じて強、中、弱の風を送る。
宴会の予定が手帳を埋める時節が近づく。
先輩は先輩で、
ほどよい風を。


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有楽町1丁目 中国料理 礼華 四君子草

2018-12-23 07:00:00 | グルメ


 

  

  
                         (食べログより)

 



日比谷駅から144m

https://www.hibiya.tokyo-midtown.com/jp/restaurants/31400/







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大阪の力

2018-12-22 07:00:00 | 編集手帳

11月25日 編集手帳

 

 マジンガーZやゴルゴ13を生んだ国にあこがれてイバイ・アメストイさん(41)は18年前、
母国スペインを後にした。
当時は夢にも思わなかったはずである。
日本の一大事で大役を担うことになろうとは。

2025年の万博開催地を決める最終のプレゼンで登壇して、
大阪の人情を語った。
「東京から会社を移転した折に、
 こんな言葉に助けられました。
 大丈夫やで、
 兄ちゃん」

見知らぬ地で社員3人、
金も信用もない。
それでも周りの人たちは「大丈夫やで大丈夫やで」と様々、
助力してくれたのだと言う。
イバイさんにとって「大丈夫やで」は魔法の言葉に思えたらしい。

「お・も・て・な・し」ほど、
カッコよくはない。
されど、
泥臭く、
サービス精神あふれる大阪人の逸話は、
きっと各国代表の胸に響いたに違いない。大阪で55年ぶり、
2度目の大規模な万博の開催が決まった。

イバイさんの会社は今、
120人ほどの社員を抱え、
その国籍は26か国にも及ぶそうだ。
高度成長期と違って、
今時、
なぜ万博なのか判然としないし、
心配の種も尽きない。
けれど、
まずは関西の力を信じてみたい。
大丈夫だよね?


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南部鉄器がヨーロッパで“熱い”

2018-12-21 07:00:00 | 報道/ニュース

11月21日 国際報道2018


岩手を代表する伝統工芸品 南部鉄器。
いまヨーロッパを中心に海外で人気が高まっている。
秘密は
伝統に裏打ちされた品質の良さに加え
外国人向けに施したある斬新な工夫にあるという。

イギリスの首都ロンドン中心部にあるレストラン。
紅茶を注文すると出てきたのは南部鉄器。
その急須で紅茶を提供している。
この店ではおよそ70個もの南部鉄器が使われている。
最近 海外で南部鉄器の人気が高まっている。
輸出は15年前に比べると約2,5倍。
輸出額は6億円近くにのぼる。
人気の秘密は
東洋的なデザインに加え
1つ1つ職人の手で作られた品質の良さ。
さらに鉄器の保温性の高さも評価されている。
(レストラン店長)
「南部鉄器はとても美しいうえに壊れません。
 客からも『どこで手に入るのか』とよく聞かれます。」
岩手県奥州市にある老舗の製造会社。
いまでは売り上げの4割を輸出が占めるようになった。
そこで力を入れているのが
外国人の好みに合わせたカラフルな商品の開発である。
色の好みは輸出先の国や民族・気候によって全く違うという。
(及富 着色担当)
「緯度が高い地域では色温度が低く寒々しい色が好まれる。
 熱帯の暑いところではトロピカルカラーなど太陽の色に近い黄色が好まれる。
 外国人はどう感じるかを考えながらやっている。」
鮮やかに色づけされた南部鉄器は海外で着実に浸透している。
ロンドン中心部の紅茶などお茶の道具を扱っているお店では
入り口を入ってすぐのところに南部鉄器が並べられている。
この店の人気商品は赤や緑・橙色のもの。
1つ1~4万円で販売されている。
店では
カラフルな商品の登場で南部鉄器への注目がさらに高まったという。
今後は仕入れの数をさらに増やすことにしている。
(店長)
「客は好きな色を選んで買うことができます。
 黒は幸運の色ではないので
 カラフルなものが人気ですね。」
趣向を凝らしたカラフルな商品で新たな魅力を発信する南部鉄器。
海外の人をもとりこにしている。



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中・東ヨーロッパ よみがえる「キリスト教の騎士団」

2018-12-20 07:00:00 | 報道/ニュース

11月20日 国際報道2018


中東や北アフリカからの移民に揺れるヨーロッパ。
2017年11月の選挙で難民・移民の受け入れに否定的な政権となったオーストリアでは
いまイスラム教徒が増えていくことへの危機感が
かつてのハプスブルグ家の栄光によりどころを求める動きにつながっている。

ハプスブルグ家は
中世から20世紀初頭まで600年以上にわたってヨーロッパに君臨した一族である。
最盛期にはスペインやハンガリー
さらにはアジアやアメリカ大陸にまで勢力を拡大し
“太陽の沈まぬ帝国”とも呼ばれた。
歴代の当主は“キリスト教に根差した文化・価値観を守る皇帝”として
オスマントルコのヨーロッパへの侵入を防ぐなど
イスラム教徒との攻防の最前線に立ってきた。
ウィーンにあるシュテファン大聖堂の壁には
オスマン帝国軍が撃ち込んだ弾が埋まっていて
かつてのヨーロッパとイスラムの攻防を今に伝える象徴的な場所である。
しかし100年前の第1次世界大戦の終結とともに帝国は消滅。
ハプスブルグ家も帝位を失った。
ところが今そのハプスブルグ家の名ももとに団結し
キリスト教に根ざしたヨーロッパの伝統的な文化を守ろうと
活発な動きを見せているのが騎士団の人たちである。

オーストリアの首都ウィーンの街を練り歩く男たち。
自らを「ハプスブルグ家の騎士団」と名乗る人々である。
この日 大聖堂で厳かに行われたのは新たな騎士の入団式。
忠誠を誓うのは今の当主 カール・ハプスブルグ=ロートリンゲン氏である。
入団できるのは騎士団がエリートと認めるキリスト教徒に限られる。
メンバーには
中・東欧を中心に14か国の現職閣僚や有力な政治家
それに企業経営者などが名を連ねている。
(医師)
「騎士団には入れて光栄です。
 私の人生そのものなんです。」
(オーストリア第2の都市 グラーツ市長)
「本当に光栄です。
 より良い世界のために頑張らねば。」
騎士団が目指すのは
ヨーロッパの伝統であるキリスト教を中心とした文化を守ることである。
(ハプスブルグ家当主 カール・ハプスブルグ=ロートリンゲン氏)
「ヨーロッパはまさにキリスト教の価値観に基づき成り立っている。
 それは我々の社会を象徴するもので
 我々の歴史と切り離せないものだ。」
騎士団は貴族の子孫たちが2008年に創設したものである。
当初は社交の場として政財界での人脈を広げることが主な目的だった。
転機となったのは3年前の難民・移民問題である。
それまでは140人だったメンバーが
3年で5倍の700人に膨れ上がった。
言葉も文化も違う大勢のイスラム教徒を目の当たりにした
キリスト教徒のエリートたちが
こぞって入団を希望するようになったのである。
今年入団したオーストリア軍の現役の大佐
クリスチャン・オルトナー氏。
イスラム教徒の移民を受け入れ続ければ
ヨーロッパは崩壊しかねないと考えている。
(オーストリア軍 クリスチャン・オルトナー大佐)
「信じられないほどの大勢のイスラム教徒が入ってきている。
 短期間に大勢が流入すれば
 社会が壊れかねない。」
オルトナー氏はハプスブルグ家の歴史を伝える軍事史博物館を案内した。
母子像はハプスブルグ家の帝国の本質を象徴するものだという。
「オーストリアが母で
 母が守っている子どもは領内の国々を表しています。
 つまり寛容と自由の象徴です。
 それぞれの国をそのまま受け入れたのです。」
言葉や文化が違う国々も帝国の1員として受け入れてきたハプスブルグ家。
しかし現在の移民や難民の流入は
その寛容さを失わせるほどの勢いで迫ってきているとオルトナー氏たちは考えている。
(オーストリア軍 クリスチャン・オルトナー大佐)
「キリスト教徒は困っている人を助けたいとは考えている。
 しかしあまりにも人数が多すぎて対応ができなくなっているんです。」
騎士団への入団者が増えたもう1つの理由が
EUの現状に対する不満である。
騎士団のメンバーは
ドイツとフランスがEUを主導しほかの加盟国は軽視されていると感じている。
騎士団の創設者 ノルベルト・ハンデル氏。
ハプスブルグ家というシンボルをいただき
ドイツやフランスに対抗できる新たな勢力を作りたいという。
(騎士団の創設者 ノルベルト・ハンデル氏)
「オーストリアやスロベニアが単独で主張しても何も変わらない。
 中小国ばかりだからこそ
 共闘して初めて
 自分たちの主張を取り合ってもらえる。」
今年9月
騎士団のメンバーはイタリア トリエステで第1次世界大戦の追悼式典を開催した。
オーストリアとイタリアの閣僚を引き合わせ
ドイツやフランスに対抗して
協力していく方針を確認した。
(イタリア ファンターナ家族相)
「EUに望むのは
 各国の文化や伝統を尊重することだ。
 そうなればEUも真に団結できる。」
(オーストリア クナセク防衛相)
「同じ問題を抱えるオーストリアとイタリアは行動を起こす必要がある。」
式典にはカール・ハプスブルグ=ロートリンゲン氏の姿も。
「ヨーロッパの文化を守るためにも移民の流入を制限すべきだ」と訴えた。
(ハプスブルグ家 当主 カール・ハプスブルグ=ロートリンゲン氏)
「ヨーロッパはオープンであるべきだが
 あらゆる人を受け入れる義務はない。
 我々ヨーロッパの文化を守るため
 どこかで線引きしなければならない。」

騎士団の活動を市民が広く知っているわけではなく
表舞台にも出てこないが
階級社会のなごりがいまもなお
政治や経済が人脈で動いていると言われるヨーロッパの
ひとつの象徴的な例だと思われる。
オーストリアは移民の受け入れを支援するための国際的な合意から離脱することを表明した。
オーストリアが自国第1主義を掲げるトランプ大統領に追随し離脱したことに
各国から驚きと批判の声が上がったが
実はこの決定には騎士団のメンバーが関わっていたと言われている。
オーストリアに続きチェコとブルガリアも離脱を表明したほか
ポーランドも合意文書に署名しない方針を明らかにしている。
騎士団と同じような思想を共有する人々のつながりが
こうした動きに影響を及ぼしていると思われる。
騎士団の思想に共鳴する人が増えているということは
全ての宗教が平等だとする今のヨーロッパの価値観そのものが揺らいでいることを物語っている。
キリスト教に基づく文化を優先して守るべきだという主張は
宗教に順列をつけることにもつながり
EUの考え方と相いれないものである。
ヨーロッパでは自国第1主義を掲げる政治家も増えているが
人々が新たなよりどころを求めた結果が
自国第1主義の広がりや
キリスト教の優位性を主張する動きにつながっているのではないかと考じられる。
3年前に中東などから100万人以上の難民や移民が流入したことが
ヨーロッパにとってその思想の根幹を揺さぶるほどの大きな衝撃だったことを痛感する。



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中国 共産党ゆかりの地へ 「赤い旅行」が人気

2018-12-19 07:00:00 | 報道/ニュース

11月20日 キャッチ!ワールドEYES



「囲岡山はきれい?」
「きれい!」
「毛主席は身近?」
「身近です!」
「次も来ますか?」
「来ます!」
江西省井岡山は中国共産党ゆかりの地である。
最近 中国では共産党ゆかりの地に多くの観光客が訪れている。
1927年
蒋介石などが率いる国民政府による共産党弾圧を受け
毛沢東率いる部隊が井岡山(せいこうざん)に入り中国最初の農村革命拠点を築いた。
ここでの活動が中華人民共和国の建国につながったとして
“中国共産党の聖地”と呼ばれている。
毛沢東の像に加え
中国共産党のスローガンなどがいたるところに掲げられている。
こうした共産党ゆかりの地を訪ねる旅行は
党を象徴する色
赤にちなんで「赤い旅行」と呼ばれ
井岡山は中国国内でも人気の高い観光地の1つとなっている。
みやげ物店では3千円ほどで当時の共産党の軍服を模した服が売っていて
多くの人がこれに着替えてから観光する。
(観光客)
「昔のようでいいですね。」
「革命に参加した人たちがこの服でどんな活動をしたか感じたい。」
いわゆるコスプレのような感覚でこの服を着て楽しむ人もいる。
(観光客)
「ここで着るととても楽しいし
 かわいいでしょ。」
小さな子ども連れの家族もいる。
(観光客)
「ここは毛おじいさんが住んでいたのよ。
 とっても質素でしょう。」
「いまの生活はとても幸せです。
 これを大切にしなければと思いました。」
こうして着替えた人たちがめぐるのが観光地として整備された地域の名所である。
病院の跡地には福建省から軍事関係の企業の従業員たちが見学に訪れた。
会社の社員旅行だということである。
(観光ガイド}
「当時活動していた人たちです。
 とても痩せているのが分かりますか?」
公務員や企業の研修の場としても使われることが多い井岡山。
参加者たちは学習することに意義を感じている。
(観光客)
「彼らの働きで私たちの平穏な日々があります。
 それがわかった
 とても意義のある旅行です。」
「こんな機会をくれた会社に感謝します。
 使命感を感じますね。」
(観光ガイド)
「以前はそれほど多くなかったですが
 ここ数年
 政府機関や企業が特に多くなりました。」
さらに現地ではより多くの観光客を呼び込み経済発展につなげようと観光地化も加速させている。
険しい山にはロープウェーを設置。
山には記念写真用の撮影台も設けた。
毛沢東のそっくりさんもいて
来た人たちとの記念写真に応じる。
さらに郊外には巨大な野外劇場を建設。
連日のように共産党の活躍を描いたとする劇を上演する。
地元の住民の人たち約600人も出演し
観光客の呼び込みに一役買っている。
街全体で観光を盛り上げ
見ている観客の反応も悪くない。
(観光客)
「生きているだけで幸せだということが分かりました。」
「革命の聖地で良い教育になると思い
 子どもに見せようとみんなで見ました。」


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栄光の陰に

2018-12-18 07:00:00 | 編集手帳

11月20日 編集手帳

 

 世間に称賛が渦巻いたのを思い出す。
カルロス・ゴーン社長(当時)率いる日産自動車が、
最大3兆円近くあった負債を完済したと発表したのは2003年春のことだった。

当時の本紙「時事川柳」に次の句がある。
<ゴーン氏に日本改革まかせたい>。
ルノーから倒産寸前の日産に派遣された経営者は一躍、
時の人となった。
「企業の通信簿」とも呼ばれる有価証券報告書を、
氏の像や言葉をかさねて読んだ投資家もおいでだろう。

きのう流れたニュースもまた、
通信簿とともにあった。
東京地検特捜部がゴーン氏を逮捕した。
報酬を有価証券報告書に過少に記載した疑いがあるという。

捜査と軌を一にしていたか、
日産は資金の重大な私的流用があったとして取締役会に会長職の解任を提案すると発表した。
すぐれた性能の車を次々に作り、
ユーザーに喜ばれ、
世界第2位(昨年)のグループに押し上げた栄光の陰に、
私欲まみれの不正があったとすれば残念というほかはない。

その人の高額報酬が話題になったのはいつ頃だったか。
約8年前、
川柳欄を飾った一句が予見的である。
<報酬にゴーンと頭殴られる>


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これからの手帳

2018-12-17 07:00:00 | 編集手帳

11月18日 編集手帳

 

 作家の父が書いた「人に言えない鬱屈(うっくつ)」とは何だったのか。
遠藤展子さんは遺品の手帳を頼りに考えを巡らせて一冊の本にまとめる。
『藤沢周平 遺(のこ)された手帳』(文芸春秋)である。

例えば昭和38年、
短編が雑誌に掲載され始めたこの年、
長女の誕生と妻の病死が相次ぎやってくる。
10月29日の記述。
<夜、
 濡(ぬ)れて帰る。
 缶詰、
 白菜のつけたもの。
 それと卵を買って…
 狂いだすほどの寂しさが腹にこたえる。
 小説を書かねばならぬ。
 展子に会いたい>

書き連ねた予定やメモの切れ切れがいつしか持ち主の物語を紡ぐ。
残り少なくなった手帳の文字に山あり谷ありの一年を思い返す人も多かろう。
西日本豪雨の被災地、
岡山県倉敷市真備町では「これから手帳」の配布が始まったという。

被災者が健康状態や受診結果、
相談事項など日々の記録を書き込める。
豪雨から間もない頃、
支援者が同様の帳面を配ったところ、
「生活の支えになった」といった声が多数寄せられたそうだ。

カレンダー欄は被災1年となる来年7月まで。
覚書の数々が励みに転じる日がきっと来るだろう。
あの時私はこんなに頑張ったんだと。


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