9月19日 おはよう日本
ヒョゴが学生街のライブハウスで活動を始めてからわずか1年。
デビュー曲の「ウィーンウィーン」が韓国のヒットチャートで2か月連続1位を記録。
一気にスターの座に登りつめた異色のグループである。
特徴は個性的な歌詞。
タイトルのウィーンウィーンとは小さな虫の羽音。
ウィーンウィーン 羽ばたくカゲロウも
哀れな僕をあざ笑うように 遠くへ飛び行く
ビーンビーン 回る世の中も
ぼくをあざ笑うように 揺れ動く
社会から孤立し希望を失った若者の心を歌っている。
ヒョゴのメンバーは全員が20代前半。
歌詞はボーカルのオ・ヒョクさんが書いている。
オさんは自らの経験から感じたことや悩みを率直に歌詞にしている。
(ヒョゴ ボーカル オ・ヒョクさん)
「私はとても内向的で人間関係がうまくいかなかった。
自分も苦しんでいる若い世代の1人なんです。」
ヒョゴの歌を毎日聴いていると言う大学4年生のユ・ジェホさん。
これまでのKpopとは違う魅力を感じている。
(ユ・ジェホさん)
「薄っぺらな恋愛物語ではなく
20代の悩みや就職活動中の大学生の気持ちを慰めてくれる歌詞で共感できるんです。」
ユさんたち韓国の学生はいま就職活動の真っただ中。
しかし韓国では経済の低迷で若年層の失業率が年々上昇し
今年は10%を超えた。
大手と中小との賃金格差も大きく学生たちは不安を抱えながら活動している。
(就職活動中の学生)
「全体的に採用数が減っているので
就職はますます厳しくなっています。」
「就職先が少ないので不安です。
夜も眠れません。」
母子家庭に育ち親に楽をさせてあげたいと猛勉強の末名門大学に入ったユさんも
いま再び競争の激しさに直面している。
そんなユさんの心の支えになっているのがヒョゴの歌。
隠れている僕を見つけても 見るな!
人々の視線を楽しんだりしないから
1人追いつけなくても 気にするな!
僕は静かに考えているだけだから
自分の姿と重なり
焦らなくていいんだという気持ちになれたと言う。
(ユ・ジェホさん)
「自分だけ就職が遅れたらどうしようという不安も大きいですが
ヒョゴの歌を聴くと力が出て頑張れる。」
いま韓国では5放(5つのことを諦める)という意味の言葉がよく語られている。
その5つとは 恋愛・結婚・出産・マイホーム・対人関係。
働いても十分な収入が得られない若者たちは将来への希望を持てないでいる。
(ヒョゴ ボーカル オ・ヒョクさん)
「私たちの歌は特別なものではありません。
少しでも力になれるなら私たちの歌を聴いて元気を出してほしい。」
ヒョゴの歌は若者が置かれている状況を幅広い世代に伝える役割も果たしている。
インターネットに投稿された「5放時代とヒョゴ」と題された文を書いたのは63歳の女性。
「最近ヒョゴというバンドが人気ですね
カゲロウにまで笑われ恋愛もできない人生だなんて
格差社会のいま
彼らの歌が私の心に突き刺さります」
このブログを書いたイ・スヒャンさん。
イさんには貿易会社で営業マンをしている34歳で独身の息子がいる。
その息子が「今の会社に居ても将来がない」と言い出し
先月 突然会社に辞表を提出した。
イさんは反対したが聞き入れてもらえなかった。
息子の気持ちを量りかねていた時ラジオからヒョゴの歌が聞こえてきた。
家で何もせずごろごろしている
自分の姿がとてもみじめで 本当にごめんな
息子の心を垣間見たようだった。
(イ・スヒャンさん)
「うちの子だけでなくほかの子たちも胸を痛めていると気づき
若者たちの心の中を理解したいと思いました。
彼らが息苦しさを感じるのは大人の責任かもしれません。」
若者の心の叫びを歌い韓国社会の今を打ち仕出すヒョゴ。
世代を超えて多くの人が自らを見つめなおすきっかけとなっている。
9月18日 キャッチ!
ずらりと並ぶ大学生たち。
ソウル市内の大学で開かれた合同採用説明会。
韓国でもトップ3に入る名門校だが多くの大学生たちが就職に不安を抱えていると言う。
大学を卒業しても2人に1人しか就職できないとされる韓国。
20代までの若者の失業率は10%近くに達するなど
若者の雇用情勢は年々厳しくなっている。
いまそうした時代を象徴するある言葉が流行している。
(韓国KBS)
就職できず「恋愛」{結婚」「出産」を放棄する若者たちを「3放世代」と言いますが
最近は「7放(チルポ)」という言葉まであります。
「恋愛」「結婚」「出産」
「マイホーム」「対人関係」「希望」「夢」
就職難で7つをあきらめる若者たちが「チルポ世代」と呼ばれている。
若年層の雇用の悪化は大きな社会問題となっている。
こうしたなか熱い視線が向けられているのが日本への就職である。
8月 日本の就職情報サイトがソウルで開いたのは
その名も“日本就職成功戦略セミナー”。
履歴書の書き方から面接の傾向まで説明はすべて日本語だが
日本企業への就職を目指す学生たちが熱心にメモを取っていた。
一方 韓国人学生の採用に関心を持つ日本企業も増えている。
人事担当者を韓国まで派遣し採用試験を行うケースは去年の2倍近くに増えていると言う。
(就職情報サイト「マイナビ」 山下弘喜部長)
「韓国人学生には日本人と同様の業務をしてほしいし
またできる人材だということがわかっってきた。
日本企業もそういう人材
バイタリティーやコミュニケーション能力の高さを求めている。」
ソウル市内の大学4年生 ミン・ヒョンジョンさんは日本語を専攻し1年間日本に留学した。
今春から日本企業にしぼって就職活動を行っている。
ミンさんは友人と一緒に毎日のように日本語による面接試験の練習をしている。
学生役と面接官役に分かれて対策を練っている。
(大学4年生 ミン・ヒョンジュンさん)
「日本企業は真の能力よりも潜在的な力や意欲を重視して評価してくれます。」
この夏 新たな試みも行われた。
経済団体の日韓経済協会が費用を負担し
日本企業の韓国支社に韓国人学生を派遣するインターン制度である。
日本企業の魅力をもっと知ってもらおうと企画し希望者を募ったところ
定員の10倍近くの学生から申し込みがあり
選ばれた20人が日本企業に派遣された。
(富士ゼロックスコリア 上野靖明社長)
「非常に明るい雰囲気で仕事をしていただいて
想像もしていなかったような意見も出てお互いに良い刺激が得られています。」
インターンの学生たちは事業計画部や人事部などの重要な仕事が任された。
先輩社員がマンツーマンで指導にあたり日本企業のビジネススタイルを学んだ。
(インターンに参加した学生)
「日本企業のイメージが良かったので就職を目指していきたいです、」
日本記号の技術力がどこから生まれるのかを学び就職の希望を強くした学生もいた。
工業用ロボットで世界トップクラスのシェアを誇っている日本企業。
韓国の自動車メーカーや電機メーカーとも取引があり韓国にも進出している。
大学4年生のイ・ジョンヒョンさんは電気工学を専攻していて
将来は自動車関連の企業に進みたいと考えている。
イさんは今回のインターンを通じて日本の企業文化に触れたことが最も大きな収穫だったと言う。
(大学4年生 イ・ジョンヒョンさん)
「誰でも短時間で高い効率性を発揮できる環境が素晴らしいです。
ぜひ日本の企業に就職したいです。」
日本企業で働く韓国人は日韓のビジネスを円滑に進めるために欠かせない存在だと期待されている。
(韓国ファナック ナムグン・ヨン社長)
「日韓がより親密な関係になるために元も重要なのは相互関係です。
仕事を通じた理解が一番望ましいことだと思います。」
日本企業を目指す韓国人の若者たち。
両国の政治的な関係が冷え込むなかでもこの動きは着実に広がろうとしている。
9月16日 キャッチ!
世界で最も多い極度の貧困層(1日1,25ドル未満で生活)2億7、000万人を抱えるインド。
貧困により栄養不足に陥る人も多く
世界の栄養不足に悩む人たちの約4分の1がインドに集中している。
インド政府は子どもたちの栄養状態を改善しようと学校給食で栄養価の高い卵を普及させようとしているが
宗教や慣習などが障害となっている。
インド東部 オディッシャ州。
大半の家庭が借りた土地で農業を営み生計を立てている。
この村にある小学校には80人余の児童が通っている。
子どもたちが楽しみにしているのが給食。
この学校では週に2回給食にゆで卵が出される。
年齢にふさわしい体重を下回る子どもが多かったため
栄養状態を改善しようと州政府が約2年前に実施した。
良質なたんぱく質がとれる卵を定期的に食べることで栄養不足の子どもは徐々に減る傾向にあると言う。
(カビタ・ロウトラ校長)
「子どもたちは卵で栄養がとれるので学校に来たいと思う。
出席率も上がりました。」
栄養不足の解消がなかなか進んでいない地域もある。
中部のマディヤプラディシュ州。
インドで乳幼児死亡率が最も高い州の1つである。
栄養回復センターは極度の栄養不足の子どもを治療する施設である。
医師の診察を受けながら1週間にわたって栄養価の高い食べ物を取り回復を目指す。
8つあるベッドは常にいっぱいである。
生後9月で体重5kgの女の子。
標準を2kg~3kg下回っている。
(ルビナさん(20))
「働くために家を留守にして子どもの面倒をちゃんと見ていられないのです。」
自分でミルクを飲む力が弱っている男の子。
(母親)
「息子は自分で座ることもできない。
まるで綿のように軽いです。」
(栄養回復センター 医師 クマール・シヴァニ氏)
「卵は高たんぱくで簡単に手に入る。
毎日食べられれば栄養不足は解消される。」
卵の有用性が訴えられているもののこの州では子どもたちの給食に卵が導入される見通しが立っていない。
学校に通い始める前に子どもたちが集まる給食センター。
インド政府はこうした施設を全国に134万か所つくり乳幼児死亡率の改善を目指してきた。
この日調理されていたのは小麦粉を油で揚げたものを混ぜたカレーソースにコメ
それにパンだけである。
栄養価の高い食事にしようと今年5月に「卵の導入」が州政府で議論されたが見送られた。
ヒンズー社会の伝統的価値を重んじる人たちを中心に肉も卵も食べないベジタリアンの人たちがいるため
こうした人々にも配慮するべきだという声が上がったからである。
代わりに粉ミルクで補おうとしているが費用の問題から毎日は提供できていない。
3歳7か月のシャルーちゃんはこれまでに2回栄養細苦で入院したことがある。
体重は10kgでいまも軽度の栄養不足である。
シャルーちゃんの自宅。
父親は日雇いの仕事しかなく1日の収入は多い日でも日本円で400円ほど。
母親も調理などに使う薪を森に取りにいかねばならず
家を留守にしがちで
家庭で満足な料理を出すのは難しいと言う。
(母親)
「家でも外でも仕事がたくさんあり娘の面倒をよく見られないんです。」
この地域では給食で得られる栄養が子どもたちの健康状態を左右している。
給食センターの責任者 ヤショダ・パルテさん(25)は子どもたちの体重の移り変わりを記録して来た。
貧しい地域では慣習より子どもたちの栄養状態の改善が優先されるべきだと言う。
(給食センター責任者 ヤショダ・パルテさん)
「州政府は子どもたちに恩恵を与える卵の提供を否定すべきではありません。
ここでは親たちはだれも反対しません。
子どもたちは卵が大好きですから。」
9月15日 キャッチ!
今年26回目を迎えた香港の大規模な本の見本市。
1週間の期間中の来場者はのべ100万人以上。
「1国2制度」のもと出版の自由が認められた香港では中国共産党に批判的な本も数多く出版されてきた。
そんな香港の出版業界に去年 衝撃が走った。
習近平国家主席の政治手法について書かれた本。
独裁で対外拡張路線を歩んでいると辛らつに批判する内容だが
この本を出版しようとした香港の出版社の代表が中国本土で拘束され
去年5月 懲役10年を言い渡されたのである。
出版社代表 姚文田(とうぶんでん)さん(74)。
その罪は出版とは関係なく
違法な化学物質を中国本土に運び込もうとしたということだった。
アメリカに住む息子は
中国当局が出版を中止させるため姚さんにありもしない罪をかぶせたと主張する。
(息子)
「父は不審なメールや電話、尾行もされていました。
すべては偽りで裁判は笑い話です。
出版の自由をどこまで容認するかで中国政府の方針の変更がわかります。」
こうした中国の指導部に批判的な本は他にもあり
主に小さな書店で販売されている。
このような店は中国本土からやってきた客がひそかに中国本土に持ち運ぼうと
多くの本を購入していくことで経営が成り立っていた。
しかし近年 中国本土に入る際の荷物検査が厳しくなったことで本土からの客が大幅に減り
こうした書店の経営が厳しくなっているという。
(書店店主)
「2回目の持ち込み違反で罰金
3回目で拘束されます。
中国本土からの個人旅行者が減ったうえに家賃も高いので打撃を受けています。」
出版業界をめぐる変化は見本市に出展した小規模な出版社にも起きていた。
来場者の人気を集めていたのは
「雨傘革命」とも呼ばれた去年の学生などによる大規模な抗議活動を記録した本や写真集。
ところが大手書店がこうした書籍について仕入れる部数を制限したり
取り扱いを拒否したりするケースが相次いでいるというのである。
香港の出版業界は中国本土の企業が株主の大手出版グループが強い影響力を持ち
市場の7割以上を占めるとも言われる。
グループは香港で大型の書店を約50店舗展開しているが
取材に対し出版社への扱いに対し政治的な扱いは無いと話した。
(おおて出版社広報担当)
「話題のジャンルの出版は増え
関心が冷めれば減ります。
当然のことです。」
大型の書店から書籍の取り扱いを拒否されたと言う出版社経営 劉細良(りゅうさいりょう)さん。
小さな出版社を営んでいる。
きっかけと考えられるのが政府に抗議するため香港中心部での座り込みを呼びかけた学者らの論文集。
学生たちに読まれ
去年の抗議活動に影響を与えたと言われる本である。
劉さんが出版した書籍で政治的なテーマを扱ったものは全体の2割ほどだが
それ以外の書籍も取り扱いを拒まれるようになったと言う。
(劉細良さん)
「『自分が何をしたのか分かっているはずだ』と卸売業者に言われました。」
劉さんはいま独自の方法で読者に本を紹介しようとしている。
ソーシャルメディア上で頻繁に書評を公表し
月に2回 自分の事務所で読書会を開いている。
自身が出版した本のほか大手書店には並びにくい特色ある本を伝えるようにしている。
(参加者)
「ここには自己啓発してくれる本があります。
オーナーの知識の多さも魅力です。」
劉さんはインターネットなどを上手く使いながら
人々の関心を呼び起こす本を世に出し続けることが大切だと考えている。
(劉細良さん)
「新しいメディアでの宣伝を増やして議論を起こそうと思います。
そうすれば人々の関心が集まり本を探してくれるでしょう。
単なる利益追求ではなく 地元の発展を追求することが非常に大切なのです。」
9月14日 おはよう日本
兵庫県加西市立北条小学校。
夏休みのひっそりとした学校に人の影。
現れたのは巨大な恐竜の絵。
これは黒板いっぱいに絵を描き子どもたちを驚かせようという取り組み。
黒板を乗っ取ることから「黒板ジャック」と呼ばれている。
集ったのは東京の武蔵野美術大学の学生たち。
加西市の教育委員会が子どもたちに美術の楽しさを知ってほしいと大学生に依頼した。
地元の兵庫教育大学の学生も加わり13人で描いた。
(武蔵野美術大学3年 星真由子さん)
「結構 迫力のある絵を描きたいと思っているので
『わっ!すごい!』って一言めに言ってもらえたらうれしい。
子どもたちに楽しんでもらえるようがんばりたい。」
色とりどりのチョークを使い
筆を使ってぼかす作業。
手や腕でこすり濃淡をつけていく。
1人1面ずつ黒板を受け持ち
絵柄はそれぞれが考えた。
美術の教師を目指している青木智哉さん。
身近な絵柄にしようと先生の顔に小学校のすぐ近くにある遺跡を合わせた。
(兵庫教育大学大学院1年 青木智哉さん)
「五百羅漢って
釈迦のお弟子さんを羅漢って言うんですけど
それを先生に変えることによって児童たちを見守ってるコンセプトで描こうと思う。」
この五百羅漢は河西市の指定文化財で数百年前に作られた。
全国的にも知られた石仏を先生に見立てる。
虎の絵は白のチョークを何度も重ね輪郭を際立たせた。
1面を描くのに早い人でも約5時間かかった。
少年が見ている人に夢を託すイメージで描かれた絵。
虎はいまにも飛び出してきそう。
「早く見てもらいたいです。」
夏休みの登校日。
子どもたちは久しぶりにいつもの教室に向かう。
そこには・・・。
他の教室の絵も見るため子どもたちは歩き回る。
「リアルに近い。」
「すごく立体的っていうかな。
まーすごいな!」
「すごすぎるな。」
「黒板でこんなに描けるってプロやな。」
先生の顔の羅漢像。
「絵の方がかっこいい。」
子どもたちの反応に青木さんも大満足である。
出来上がった絵をどうするかというと・・・
「みんなでこの絵を消してください。」
黒板ジャックは授業が始まる前だけ見ることができる時間限定のアート。
(武蔵野美術大学3年 星真由子さん)
「もったいないけど消すからいいのかなって。
子どもたちの頭の中にだけ焼き付いて残ってくれたらいいなと思う。
美術ってこういうものなんだ
自由なんだって知ってもらえるし
ずっと続けていけたらと思う。」
ひと時の芸術に触れた子どもたち。
心に残る夏の思い出となった。
8月14日 キャッチ!
中国の習近平国家主席は一昨年「一帯一路」という構想を打ち出し
中国主導の巨大経済圏によって発展を目指す国家戦略を示した。
「一帯一路」とは
中国からアジアへ
中東を経てヨーロッパまで
主要な都市を鉄道や道路、空路で結び
人・物・金が行きかう新たな経済圏のことである。
一路は海側のルート
一帯は中国から中央アジアを経てヨーロッパに至る陸路を差している。
広大な砂漠にこつ然と現れる膨大な数の太陽光パネル、
中国内陸部の甘粛省 敦煌郊外にある巨大太陽光発電施設である。
現在の総面積は40㎢。
さらに現在も施設の拡張が進んでいる。
2020年までに日本最大の太陽光発電所20個分に相当する5,500メガワットの出力を見込んでいる。
(発電所職員)
「太陽光以外の風力発電も整備します。」
かつてのシルクロードの要衝の1つ 敦煌。
砂漠に囲まれ太陽光や風力発電の潜在力は大きいとされている。
ここを中国最大級の自然エネルギービジネスの拠点として位置づけ
沿岸部に電力を供給するとともに今後開発が進められる内陸部の電力需要にも応えたいと考えている。
敦煌と同じ甘粛省の中心都市 蘭州。
荒涼とした砂漠の中に巨大工業団地「蘭州新区」の建設が進められている。
重要なのは周囲を走る道路交通網の整備。
これまでインフラの未整備が内陸部の発展を阻んでいただけに
蘭州新区を拠点とした流通網の整備が急ピッチで進められている。
中国各地を結ぶ9本の幹線鉄道が連結して整備され
国際空港や高速道路も完成した。
旧ソビエトの中央アジア諸国は
カザフスタンなどが豊富な天然資源の開発を進めるにつれて経済的に発展しつつある。
中国政府は中央アジアを新たな消費市場として位置付けており
蘭州を中央アジアへの交通拠点として
新時代のシルクロードの“ダイヤモンド・ジャンクション”にすると大きな期待を込めている。
(工事現場担当者)
「ここは中国の各都市ともつながっていて西側へも近い場所にあるので
重要な交通の要衝という優位性があります。」
石油化学や精密機械などの工業地区や居住区を含めると
総面積が日本の香川県に匹敵する広大な工業団地。
建設現場では倉庫や貿易センター、高層マンション
巨大な設備が次々と建設されている。
しかし地元政府の担当者は
「今はだれも住んでいないし具体的な入居者も決まっていない」と話していて
大規模なインフラ開発を優先させていることを明らかにした。
甘粛省の地元政府は急速に進む交通網整備加えて
コバルトやニッケルなどレアメタルを含む豊富な資源を生かし
「蘭州新区」を電子部品製造や航空宇宙産業
それにハイテク素材といった最先端産業の集積地にする計画である。
日本をはじめとした海外の企業に対して内陸部への投資を呼び掛けている。
(甘粛省政府担当者)
「投資貿易商談会を通じて企業誘致を行っています。
国の地域開発計画で私たちも自信を得ています。」
急ピッチで進む内陸部開発。
習近平国家主席が提唱する「一帯一路」のうち
陸のシルクロードが動き始めている。
9月12日 経済フロントライン
3日 大手電機メーカー日立製作所が海外で初めて鉄道車両を作る工場をイギリスに建設した。
(イギリス キャメロン首相)
「鉄道の製造業がわが英国に戻ってきた。
700人以上の雇用が生まれることも素晴らしい。」
現地の雇用を生むことが評価されたこの工場。
決め手となったのはITを導入したユニークな取り組みだった。
1つの車両に使われるネジの数は1000本以上。
大きさや使われる場所によって締める強さが異なるため
日本では熟練の技術者が経験に基づいて行っていた。
その高度な技を経験の少ない現地の従業員でも使えるようにしたのは
色が緑色に変わると適正な強さで絞められたことがわかる工具。
タブレット端末にあらかじめ日本の技術者の技がデータとして入力されていて
車両全体の安全確保に生かせるようになっている。
(日立製作所 交通システム社 正井健太郎社長)
「人間は常に100点は取れない。
ITでバックアップしながらミスをさらに減らす。
安全で信頼性の高い鉄道技術を世界各国に広げていきたい。」
モノづくりのデータ化の波は
伝統的な日本酒の製造現場にも及んでいる。
山口県岩国市にある旭酒造。
このメーカーがつくる純米大吟醸。
今年醸造酒の世界大会で金賞に輝いた。
売り上げはこの10年で10倍に伸びている。
造っているのは30代が中心の若い社員たち。
酒造りの職人 杜氏(とうじ)はいない。
旭酒造 桜井博志社長は長年勤めていた杜氏が退職したことをきっかけに酒造りの方法を大胆に変えた。
理想の味を追い求めて全国の研究者や農業試験場を回り
あらゆる工程でデータを重視する酒造りに切り替えた。
いわば酒造りの教科書を作り
社員誰もがつくれるようにした。
(朝日酒造 桜井博志社長)
「ど素人の集まりが造るんだから
最初に言っていたのはとにかく教科書通りにいこうと。
教科書にちゃんと書いてある目標数値 目標の結果を目指そうと。」
これまでの研究の結果
たとえば麹造りでは
まず蒸しあがったコメは65,3キロずつ置くのが最適だとわかった。
そして水分が蒸発して64,4キロになった時点で麹菌を振りかけることにしている。
その量も5グラムと厳格に決めている。
さらに温度管理も徹底している。
発酵作業を行う施設の室温は常に5℃に設定。
その後ももろみの重さやアルコール度数を見ながら温度調整を行い発酵が進むようにしている。
こうした1つ1つの細かなデータ管理を行うことで
理想と考える日本酒を1年を通じて大量生産することができるようになった。
(旭酒造 松藤直也工場長)
「データを製造の社員全員が共通の認識として持つことによって
よりスムーズに酒造りが行えるのは非常に大きな利点。」
この会社では原料のコメ作りにもデータ管理を取り入れた。
原料として使っているコメは山田錦。
その増産のために大手電機メーカーの富士通と協力してコメ作りのIT化に乗り出した。
毎日 気温・湿度・肥料の吸収量などを自動的に計算する機械。
最適なコメ作りに欠かせないデータを農家に知らせる。
去年から山田錦を栽培するようになった山根正之さん。
この日は土の中の肥料が減っていることをデータから知った。
さっそく山根さんは肥料を追加。
IT化でコメ作りがしやすくなったと言う。
(農家 山根正之さん)
「去年は1反当り6,7俵。
今年は8俵から8俵半は取りたい。」
原料のコメ作りから酒造りのすべての工程まで
旭酒造では徹底したデータ化とITヒット商品を出し続けたいと言う。
(旭酒造 桜井博志社長)
「データ化して数値化して集積していった結果を使いながら
さらに新しいところに挑戦していく。
データ化は非常に強みを発揮することができる。」
9月12日 経済フロントライン
高い場所や炎天下での作業を行うこともある建設作業員。
体調を崩せば重大な事故にもつながりかねないため
現場でも体調管理が重要な課題となっている。
そこで大手繊維化学メーカー 東レが開発しているシャツは
NTTコミュニケーションズのシステムと連動させて心拍数のデータを離れた場所に送信できる。
異常があれば危険を知らせる。
作業員の心拍数をリアルタイムに現場責任者が把握できるため
労災事故が減ると期待されている。
(大林組 工事事務所 河原宏副所長)
「顔色を見ても体調がいいのか悪いのか判断しにくい。
数字で出てくるのは非常に有効。」
シャツの裏側には心拍数を測るための特殊な布が張り付けられている。
この布の開発が行われている滋賀県大津市の工場。
布に特殊な樹脂をコーティングすることで
心臓の動きに伴って発生する微弱な電気信号を感知し心拍数を測ることができる。
布にも精度を高める最新の技術が使われている。
繊維の直径は髪の毛の100分の1。
極めて細くなっている。
一般的な繊維では皮膚との接着面が一部にとどまる。
しかし極めて細い特殊な繊維を使うことで肌と密着しより確実に電気信号を感知できる。
(東レ 加工技術開発室 竹田恵司室長)
「心拍だけでなく
筋肉 関節の信号 脳波もある。
そういう部分をとれるようになって服が感知して
医療のサポート ヘルスケアなどデジタルヘルス分野の展開を広げていきたい。」
救急医療の現場でも新たな製品の開発が進んでいる。
心電図を簡単に測れる電極布。
大手繊維メーカー 帝人が京都大学医学部付属病院と共同で開発を進めている。
胸部など10か所に電極を装着する心電図の計測。
救急の現場では正確な位置に取り付けることが困難なことがある。
緊急時にいかに素早く心電図を撮るか。
開発中の布には電極となる繊維がすでに織り込まれている。
そのため巻き付けるだけで電極が密着。
即座に心電図が計測できる。
病院への搬送前にデータがいち早く把握できればより適切な病院に搬送できるという。
(京都大学医学部付属病院 黒で知宏教授)
「命が助かるか助からないかは
どれだけ短い時間に治療まで持ち込めるかがキーになる。」
現在布のサイズは5種類。
今後はどんな体系の人でも1種類の布で正確な心電図が図れるよう開発を続けている。
(帝人グループ 帝健 上島一夫さん)
「こういったウェアラブルの製品はいままでなかったマーケットシーン。
こういったところへの戦略を非常に重要視して今後進めたい。」
9月10日 キャッチ!
メルボルンは
イギリスの有力経済紙が調査する「世界で最も暮らしやすい都市」のランキングで
何度も1位に輝いている。
その大きな理由としてメルボルンが「美食の街」として注目を浴びていることにある。
オーストラリア第2の都市メルボルン。
この街が誇るのが多彩な食文化。
3000軒にも及ぶレストランがその味を競い合っている。
街の有名な1軒。
オーストラリアと言えば牛肉やバーベキューを思い浮かべるが
メルボルンではヨーロッパを思わせる料理が主流である。
この店の売りはフランス料理の調理法を生かしたオリジナルメニュー。
この味に舌鼓を打つ人が満足そうな表情を浮かべる。
「世界各地の店に行ったけどここは素晴らしい。」
「パリで1番の店よりもおいしい。」
なぜメルボルンが食の街として発展してきたのか。
その理由は町の歩んだ歴史にある。
1830年代にヨーロッパからの入植がはじまったメルボルン。
ゴールドラッシュや第2次世界大戦後の移民流入を経て
180の国や地域の文化が混在しることになった。
そのなかで街の食文化の基礎を作ったのはイタリアからの移民たちだと言われている。
食にこだわりを持つ彼らが飲食店で提供したのは質の高い料理の数々。
それに刺激を受けたほかの移民たちも競うように出身地の料理を売りにする店を次々と出店。
その結果 街中でおいしい各国の料理を食べられるようになった。
この店のオーナーシェフはクロアチアからの移民を父親に持つジョー・ガバッチさん。
彼の料理を支えているのは街を取り巻く豊かな食材環境である。
町周辺の広がる農地と隣接する海から供給される食材はいつも新鮮。
メルボルンのシェフたちの強い味方となっている。
ガバッチさんの自慢の1品 「鶏肉とブルゴーニュ風煮物」。
鳥の胸肉の煮込みのわきにソーセージと薄いパイ生地で焼いたもも肉が添えられている。
ガバッチさんは
これからの地元の食材を生かしつつ
さまざまな国の調味料を使った料理を生み出していきたいと言う。
(オーナーシェフ ジョー・ガバッチさん)
「食材が旬かどうかが重要。
自然の恵みは大切にすべきです。
メルボルン産の食材はとても新鮮で素晴らしいと思う。」
メルボルンはいまでは国内のみならず世界の食通の間でも注目されている。
そのきっかけとなっているのが20年以上前から毎年街で開催される食のイベント
Melbourne Food and Wine Festival。
世界中から招かれた食のスペシャリストが選りすぐりのメルボルンの料理の数々を味わうことができる。
(フードライター ジェマイマ・コーディーさん)
「フードフェスティバルが世界中から有名シェフを招くようになりました。
そのシェフたちが帰国してメルボルンの評判を広めたのです。」
街の中心部にあるバーレストランのシェフ ケイシー・マクドナルドさん。
海外でメルボルンの評判を聞き
この町に住むことにした。
ロンドンやサンフランシスコでの経験を生かし
各国の料理を上手く融合させた料理を生み出している。
マクドナルドさん自信の1品 「ナツメヤシの実パストラミ巻き」。
中東や北アフリカで好まれるナツメヤシの実の中に
スペイン発祥のソーセージ チョリソーが入っている。
甘味とほどよい辛味が人気である。
(シェフ ケイシー・マクドナルドさん)
「いいレストランが多くて刺激を受けるし驚かされる。
メルボルンは多種多様な文化があって本当に素晴らしい。」
移民が伝え育てた食文化を礎に
新しい料理への挑戦を続けるシェフたち。
メルボルンの強い食へのこだわりは今後も続いていく。
9月18日 編集手帳
戦争に触れた文章をつづるたび、
その少年に読んで聞かせる。
感想が返ってくることはないが、
いつしか身についた習わしである。
少年は13歳のとき、
広島で被爆した。
枕もとの父親に二つの問いかけを残して息を引き取ったという。
〈お浄土には羊羹(ようかん)が あるの?
…お浄土には戦争はないね〉。
父親の山本康夫さんが『皮膚のない裸群』という哀切な詩に書き留めている(太平出版社『日本原爆詩集』所収)
少年に読んで聞かせるのは、
彼の目に触れても後ろめたくない記事であるのを確かめたいからで、
まあ、
自己満足の儀式にすぎない。
安全保障関連法案を取り上げるときもそうしている。
かわいい子や孫を、
甥(おい)や姪(めい)を戦場に送りたいと願う日本人がどこにいる。
一人も、
ただの一人もいまい。
「戦争反対」は廃案を望む人々の専売特許ではなく、
小欄を含めて法案に理解を寄せる人々だってバリバリの戦争反対派である。
日米同盟をより緊密にすることで戦争の芽を遠ざけようとする法案に“戦争法案”の汚名を着せ、
実りある議論に水を差したのは誰だろう。
天国の少年よ。
日本の明日を悲観するなかれ。
9月17日 編集手帳
稲の実は熟するときに吼(ほ)える。
コメどころにはそんな語り伝えがあったらしい。
〈稲ノ吼ユルヲ聞カントテ、終夜、田間ニ彷徨(ほうこう)セ ラレシト〉。
越後の人、
良寛はひと晩じゅう田んぼをさまよい歩いたと、
『良寛禅師奇話』という江戸期の逸話集が伝えている。
稲が吼えるわけはないが、
丹精こめて育てた耕作者の耳にはきっと、
実る喜びを爆発させる稲の雄たけびが聞こえるのだろう。
いつもと違うこの秋は、
嘆きの咆吼(ほうこう)であったかも知れない。
東日本を襲った記録的な豪雨で宮城、栃木、茨城3県の農地が冠水した。
収穫期を迎えた水田もある。
大切に育てた稲穂が濁流につかり、
泥にまみれた。
「一粒百行(いちりゅうひゃくぎょう)」 という四字熟語がある。
百の作業を経て一粒のコメは作られる、と。
一粒ひと粒の尊さを説きつつ、
苦労の絶えない耕作者に感謝の心をこめた言葉である。
農家にとって災害に襲われて差し支えのない季節などあるはずもないが、
待望の収穫へ“百行”の仕上げにかかるこの時期の仕打ちはむごい。
〈新米の其一粒(そのひとつぶ)の光かな〉(高浜虚子)。
光に炊きあげられることのない稲穂の、
悲しみに吼える声を聞く。
9月15日 編集手帳
夏目漱石は迷子になったらしい。
句稿に、
「阿蘇の山中にて道を失い終日あらぬ方にさまよう」と前書きがある。
〈行けど萩(はぎ)行けど薄(すすき)の 原広し〉。
1899年(明治32年)9月、
第五高等学校の同僚と阿蘇山に登った、
ちょうど今頃の季節だろう。
小旅行はのちに短編『二百十日』として実を結ぶ。
その作品を収めた文庫本を旅の道連れに、
今週末からの大型連休は「行けど萩、行けど薄」の秋景色に出会う予定の方もいたはずである。
黒い噴煙が火口か ら激しく上がるニュースの映像に見入った方は多かろう。
熊本県の阿蘇山が噴火した。
関東・東北地方を記録的な豪雨が襲ったばかりで、
死者・安否不明者は20人を超えている。
地上の豪雨と堤防決壊だけで、
人々の胸にある悲しみの容器はすでに満杯だろう。
せめて地底の異変は穏便に鎮まってほしい。
吉井勇の歌 がある。
〈君にちかふ阿蘇のけむりの絶ゆるとも万葉集の歌ほろぶとも〉。
その名前が恋歌のなかに置かれて違和感がない。
仰ぐ人々に生きる情熱と生命力を感 じさせてくれる山である。
どうか、
ご自分の印象を裏切らないで――と、
山の神に祈る。
9月7日 おはよう日本
福島県郡山市にある東邦銀行で働く鈴木常子さん(60)は職場に欠かせないベテラン。
住宅の資金援助を担当している。
今年 鈴木さんは新たな会社の休暇制度を利用し9日間の休みを取った。
休暇を過ごしたのは長女夫婦が暮らす家。
孫の面倒を見るための休暇
孫の育休 イク孫休暇を取得した。
娘の宏美さんは今年5月に3人目の子どもを出産。
生まれたばかりの赤ちゃんとともに4歳と2歳の子どもの世話をしなければならない。
なんとか娘の助けになりたいと鈴木さんはイク孫休暇をとった。
食事の用意や幼稚園の送り迎えなど3人の孫と過ごすうれしい時間である。
(鈴木常子さん)
「楽しいですよ。
自分の時間は取られますけどそれに代えられないものがある。
子どもは。」
イク孫休暇の導入のきっかけは働く世代の大きな変化である。
この銀行では2年前から70歳まで雇用期間を延長。
60歳以上の働き手は3倍近くに増え
震災で増えた業務や人材育成に活躍している。
しかし孫が気になる世代。
「孫と過ごす時間をもっと持ちたい」
「休めないなら会社を辞める」という切実な声が寄せられるようになった。
(東邦銀行 職員活躍推進室長 戸田満紀子さん)
「『お母さん手伝いに来てよ』と言われて
1か月はなかなか銀行員で長期休暇をとる機会がないので
かなり悩まれて辞職されてしまったら銀行としても大きな損失なので。」
そこでイク孫休暇。
思う存分孫と過ごし仕事に精を出してほしい。
これまで鈴木さんを含む4人がこの休暇を取得している。
(東邦銀行 職員活躍推進室長 戸田満紀子さん)
「スムーズに休めるような体制をきちんと職場の体制として作る。
組織として作っていけばもっともっと休める人が増えていくと思う。
制度を使ったらますます生き生きと働いてくださいね
というのがこちらの思い。」
社員の家族の思いに耳を傾けることで手当てや休暇を大きく見直した会社もある。
従業員1000人余のインターネット広告会社。
この日 オフィスで行われていたのは創立15周年を祝うイベント。
社員の家族も参加した。
従業員の平均年齢は29歳。
子どもを持つ社員が増えている中
この会社では去年から子育てを支援する手当や休暇の導入に力を入れている。
(株式会社アドウェイズ 人事戦略室長 西久保剛さん)
「いろんなライフイベントを迎える社員が増えてきた。
ケアしないと人材流出を防げない。」
しかしそれぞれ家庭の事情も異なるなか
制度の見直しには苦労もあった。
まずは家族を持つ社員120人にシートを配布し労働などの聞き取り調査を実施。
しかし社員からは具体的な意見があまり出てこなかった。
(株式会社アドウェイズ 人事戦略室長 西久保剛さん)
「女性社員に聞くといろいろ要望とか困っているとか出てくるが
男性社員は『ウチは大丈夫です』と問題視をしていないことがあって。」
そこで考えたのは社員の家族や子どもから直接話を聞くことだった。
年に2回家族を会社に招き“子ども役員会”という場を設けた。
“授業参観にパパに来てほしい”
“夕飯時の一番忙しいときに帰宅しお風呂に入れるなど面倒をみてほしい”
こうした声を受け出来たのが
家庭の事情に合わせて職場を離れることができる一時帰宅OK制度。
そして子供の誕生日や運動会などに気軽に休みがとれる子ども特別休暇やベビーシッター補助など
様々な休暇や手当を導入した。
4月に産休から職場に戻った橋爪早苗さんは復帰に大きな不安を抱えていたが
こうした制度が導入されたことで前向きに仕事に打ち込めるようになったという。
(橋爪早苗さん)
「復帰をしたいという願望はすごくありました。
制度が整っているのは働く側としては安心感につながっている。」
ベビーシッター補助など福利厚生にかかる費用は年間200万ほど増えた。
しかしそのコスト以上に離職率の改善や社員のやる気を高める効果があったと分析している。
(株式会社アドウェイズ代表取締役社長 岡村陽久さん)
「社員が入って辞めて入って辞めてだと会社自体が進歩せずにずっと繰り返してしまう。
家庭もあって子どももいて経験豊富な社員がどんどん残ってくれる会社にしていかないと
今後競争に勝っていけないのかなという思いはある。」