7月3日 おはよう日本
静岡県に住む夫婦。
ふたりが出会ったのは友人の紹介でもなく合コンでもない。
大手IT企業が運営する“婚活アプリ”。
自分の趣味や相手に求める性格などを入力すると
条件に合う相手が次々に現れる。
気に入った相手がいれば“いいかも!”のボタンを押し
自ら直感的に選択できるのが特徴である。
男性が勤めていた職場の工務店は女性との出会いがほとんどなかった。
そこでアプリに登録。
2週間後に出会い
1年で結婚に至ったということである。
(深澤建人さん)
「“酒を飲むことが好き”ということにひかれた。
相手が“いいかも”と思ってくれるとすぐ通知が来て見られるので
会うまでに時間があまりかからないのもいい。」
現在230万人が利用するこのアプリ。
1日4,000人が新たに登録し
サービスの拡大を見込んでいる。
(サイバーエージェント 合田武広執行役員)
「“より多くの人が出会いを求めている”ことが顕在的にある。
よりインターネットを使うことで
今後10倍20倍にもなる市場と思う。」
結婚情報誌「ゼクシィ」を手掛けるリクルートマーケティングパートナーズも
スマホの婚活サービスを強化している。
利用者は18問の“価値観診断”を受ける。
たとえば
貯金や経済感覚を問う質問。
するとコンピューターが数ある相手の中から毎日4人を厳選する。
結婚情報誌の読者から集めた膨大なデータを活用し
相性の良い組み合わせを自動的に判断して提案するシステムである。
(リクルートマーケティングパートナーズ 貝瀬雄一執行役員)
「10代のころからSNSを活用しコミュニケーションをとっている延長線上で
彼氏彼女もそういった場で作るのは
とても自然なことと利用者は捉えている。」
7月25日 編集手帳
11歳の少女は日記に書いている。
〈五月十四日土曜日、
晴。
ママと康ちゃん(弟)と一緒に銀座のコロンバンに行った。
干(ほし)葡萄(ぶどう)の入ったお菓子を買った。
あしたの晩、
みんなでお祖父(じい)ちゃまにおいしい洋食をさし上げる予定だからです〉
干葡萄のお菓子はどうなったのだろう。
翌日の記述は1行しかない。
〈五月十五日。
お祖父ちゃま御死去〉。
犬養毅(いぬかいつよし)首相が暗殺された1932年(昭和7年)の「五・一五事件」である。
総理大臣の権力も、
死に対しては何の力も持ち得ない。
限界のないもの、
絶対不変のものを求めて、
少女はクリスチャンになった。
評論家の犬養道子さんである。
20歳のとき、
父・健(たける)氏がソ連の謀略活動「ゾルゲ事件」に関与した疑いで逮捕された。
特高警察が家宅捜索に来る直前、
母親が書斎の書類を釜の底に入れ、
コメをぶち込むや、
飯を炊くのを犬養さんは見ている。
難民の支援活動などで見せた不屈の意志は、
昭和史が家族に見舞った不幸の中で育まれたのだろう。
犬養さんが96歳で亡くなった。
誰が名づけたか、
その呼び名がこれほど似つかわしい人もいない。
〈歴史の娘〉という。
7月23日 編集手帳
大勢の子供が歓声を上げて校門を出てくる。
〈夏休みが始まるのだ。
生徒たちの前には、
自由な、
楽しい二カ月が待っている〉
ヴェルヌの『十五少年漂流記』(波多野完治訳)である。
19世紀にフランスの作家が著した少年冒険小説に、
21世紀の日本の少年少女も共感するところ大であるに違いない。
各地の小中学校で先週、
1学期の終業式が行われた。
2か月には及ばずとも先は長い。
この時期の子供にとって休みの終わりは大海の水平線のようなものだろう。
行く手は茫(ぼう)として、
それこそどんな冒険が待ち受けるとも知れない。
子供の学力向上を旗印に、
授業日数増加の方針を打ち出した自治体が静岡県にある。
夏休みの大幅な短縮も念頭に置くという。
動きの広がり次第で人が夏休みに抱く心持ちも変わって来よう。
夏になると私はこころのなかに船をつくる。
積み荷は酒とさまざまな記憶だけ――詩人の木原孝一は「ちいさな船」という作品に綴(つづ)った。
〈私のちいさな船は時の運河をさかのぼり
こころのなかの七ツの海を漕(こ)いでゆくのだ〉。
誰の胸中にもある追憶の海は、
海のままであり続けるだろうか。
7月22日 編集手帳
元関脇北勝力(ほくとうりき)、
いまの谷川親方は「勝てば賜杯」の一番に負けた。
2004年夏場所。
相手は当時19歳、
新入幕の白鵬である。
二度の“待った”でじらされ、
立ち合いの変化にしてやられた。
谷川親方に後日談をうかがったことがある。
その一番から4年後、
2008年のモンゴル巡業で一人の婦人に声をかけられた。
「あの相撲はあなたが勝っていました。
ごめんなさい」。
白鵬関の母、タミルさんだった。
4年前の息子の取り口を恥じ、
覚えていて相手に謝る。
何とまあ、
すごいお母様だろう。
「越権行為ですね。
でも、
おふくろはありがたい」。
伝え聞いた白鵬関は苦笑いしたという。
きのうの「スポーツ報知」でタミルさんの手記を読んだ。
帰化する道を息子が選ぶのなら、
その意見を尊重する。
なぜなら、
ここまで成長させてもらい、
〈息子は「相撲」に恩返しをしなければいけない〉からだ、
と。
前人未到の1048勝を成し遂げた人がテレビに映っている。
この日の勝ち相撲ではなく前々日の負け相撲に触れ、
ポツリとつぶやいた言葉が耳に残った。
「相撲は奥が深い」。
この母にして、
この子あり。
7月1日 経済フロントライン
東京大手町にある書店。
一番目立つところにバブルに関連した本が集めたコーナーが設けられている。
すでに売り上げが8万部
「バブルと生きた男」。
証券会社でばく大な利益をあげていた営業マンが自らの経験を記したものである。
銀行の元幹部が経済事件の内幕をつづった本
「住友銀行秘史」
13万部売れている。
(紀伊国屋書店 大手町ビル店 石井美幸さん)
「去年の秋口から
バブル関連の商品が相次いで出版になり
発売と同時に売れたという感じ。」
読者の半数以上は当時を知らない若い世代。
その場しのぎが過ちにつながったとわかった
日本企業のダメさを感じる
これは30年前の話じゃない 今の話だ!
当時の教訓を今の我々はどれだけ生かしているのか
ネット上には“教訓になった”という声が数多く寄せられている。
そうしたバブルを知らない世代に呼んでほしいと書かれた本がある。
「バブル」。
バブルがなぜ膨らみ
いかにはじけたのか
検証した本である。
著者の永野健二さん。
当時新聞記者としてマネーゲームの最前線を取材した。
本の中で貫かれているのは
今の日本の経済状況に対する強い危機感である。
何かあの頃と
80年代と似たものを感じている。
バブルの時代を知ることなしに
現在の日本を理解することはできない。
「大胆な金融緩和が続く今こそ
バブルの歴史に目を向けるべきだ」と永野さんは言う。
(ジャーナリスト 永野健二さん)
「バブルというのは必ずしも同じ顔をしてやって来ない。
資本主義が緩んで
お金が余って
不動産や株に向かっている状況を
まともだと見るか
バブルと見るか
いまは問われている。」
この本を一気に読んだという人がいる。
投資アドバイザーの竹内明日香さんである。
銀行で働いた経験はあるが
すでにバブルは崩壊していて
当時何が起きていたのかは詳しくは知らなかった。
本を読んで
多くの人が何の疑問も持たず突き進んでいたことに怖さを感じたという。
(投資アドバイザー 竹内明日香さん)
「バブルも人々が気づかない間に熱狂の渦の中にいた。
なにも知らない間にリスクがずっと内在されていて
あるとき皆が気づいたときにはもう手遅れだった。
非常に勉強になった。」
7月1日 経済フロントライン
大阪の繁華街ミナミ。
今年3月
バブル時代の伝説のディスコ「マハラジャ」が
25年ぶりにオープンした。
ディスコの象徴のお立ち台やVIPルームなど
当時の空間を再現している。
客の中心はバブルの時代の遊びを知る40~50代の人たちである。
ボディコン姿で踊る女性は
20代のころは週に1回通っていたと言う。
(50歳)
「週3回くらいは来ます。
ここに来て
写真を撮って
娘に見せると『ええやん!』って。」
21歳と19歳の2人の子を持つ母親という女性も。
(51歳)
「家庭や仕事をしていたけど
自分の時間が欲しくて。
今もこれからのずっと同じように輝きたい。」
このディスコは東京や名古屋でもオープンし
これで4店目。
バブル世代に大きな可能性を感じている。
(マハラジャ ミナミ 営業部長 林道晴さん)
「当時早い時間からノリノリで遊んでいた方がたくさんいるので
今でもバブル世代のパワーは絶対どこかに潜んでいると思うので
消費意欲はかなりある。」
バイクもバブル世代の心をとらえている。
排気量1,330ccの大型の3輪バイク。
カナダ製で一台200~350万円である。
赤迫重之さん(48)は
店頭でこのバイクを見つけすぐに購入を決めたという。
(飲食店経営 赤迫重之さん)
「一目ぼれ。
すごく興味があり
そそられた。
こういうので走り回っている方が人生かっこいいかなと思う。」
バブルの時代に多くの若者をひきつけたバイク。
今もその思いは続いている。
去年300台売れたこのバイク。
購入者の多くはバブルを経験した世代だった。
若者のバイク離れが進むなか
メーカーではさらにこの世代にアピールしていきたいとしている。
(BRPジャパン マーケティングマネージャー 佐藤毅さん)
「バブル世代は非常に遊びを欲している。
人生を楽しむ天才。
バブル世代は非常に重要なターゲット。」
一方
バブル時代の生きがいを再現することで若い世代を取り込もうとする動きも。
今年3月
JR静岡の高架下にオープンした飲食店街。
懐かしさとバブル時代の活気あふれる雰囲気を同時に打ち出している。
バブルファッションの女性とジャンケンをして勝てばハイボールが無料になるというイベントも。
客の4割は20~30代の女性たち。
普段には無いお祭り気分が味わえると好評である。
(客)
「異世界な感じがすごく楽しい。
ガヤガヤしているから話しやすい。
それでいっぱい飲んじゃう。」
「こんなにワイワイしているところはあまりないから
バブルな体験をしたことがなかったから体験できてよかった。」
この飲食店街を企画したジェイアール東海静岡開発。
発案したのは部長の日下部昭彦さん(48)である。
自分自身が経験したあの時代の楽しさは若い世代にも響くはずだと考えた。
(JR東海静岡開発 高架下事業部長 日下部昭彦さん)
「バブルの時代は我々は毎日のように飲みに繰り出して
働く・遊ぶ
それを一生懸命やってきた時代。
バブルを再現することで若い人に興味を持ってもらい消費を促したい。」
この飲食店街はひと月の売り上げは目標の2.5倍を達成。
バブルを意識したイベントを増やし
さらなる集客につなげようとしている。
バブルの華やかさに引きつけられる若い世代。
今あるサービスが人気を呼んでいる。
月6、800円で高級ブランドバッグを何度でも借りられるサービスである。
この会社では高級ブランドバッグを持って町に出かけたいというニーズをとらえ
2年前にサービスを始めた。
都内に住む和田綾香さん(24)。
いま愛用しているのは先月借りたシャネルのチェーンバッグである。
パーティやショッピングに持っていくと気持ちが華やぐと言う。
(和田綾香さん)
「バブル時代と比べると控えめだと思うが
皆ぜいたくはしたいと思っているので
すごくワクワク
テンションが上がる。」
あの時代を懐かしむ40~50代から
憧れを抱く若い世代まで。
バブルブームはどこまで広がるのか。
7月1日 おはよう日本
香港は中国に返還されてから20年。
返還後も50年間は“一国二制度”のもと高度な自治が約束されたが
今さまざまなひずみが生じている。
その背景にあるのが増え続ける中国本土からの移住者である。
ビジネスチャンスや
より良い教育環境を求めて
返還後に香港に移住した中国本土出身者やその子どもたち。
“新香港人”と呼ばれている。
“新香港人”は20年間で延べ140万人。
人口の5分の1近くにあたり
もともと香港に生活していた人たちの生活が圧迫されている。
返還から20年の節目を迎えた香港。
中国本土から移住者と巨額の投資マネーが流れ込んでいる。
建設予定のマンションは30㎡で1億円である。
住宅価格はこの10年で3倍に上昇。
過去最高となっている。
それでも売りに出された300戸を1万7,000人が見に来た。
中国本土の人たちなどがこぞって購入しているのである。
(香港市民)
「不動産価格はどんどん高くなります。
新しい物件が出るたびに競うように取り合うんです。」
中国本土・福建省出身の林成さん(28)。
香港の大学で1年間学び
卒業後香港の保険会社に就職した“新香港人”である。
4年前
5千万円のマンションを購入した。
父親が公務員の林さん。
中国本土に知り合いが多く
本土の富裕層を顧客にできるため営業成績は好調である。
(“新香港人” 林成さん)
「より良いチャンスや生活を求めて移住するのは当然のことです。
香港は皆のものです。」
林さんのような“新香港人”は140万人にのぼっている。
友人の多くが林さんと同じように香港に自由を求めて本土から移住した若者たちである。
(“新香港人”)
「これからの香港で暮らしていきたいです。
子どももいますし。」
(“新香港人”林成さん)
「香港は包容力があって自由な成長を認めてくれる場所です。
中国本土は保守的ですが香港には可能性があります。」
一方
香港で生まれ育ち
自らを“香港人”とする若者たち。
高収入の仕事は本土出身者に取られ
将来への見通しが立たないと海外への移住を希望する人が増えている。
文迪匡さん(28)は大学卒業後社会福祉士として働いている。
月収は香港では平均的な30万円ほどである。
両親のアパートで家族4人暮らし。
文さんは結婚を控えているが
物価が高すぎて今の給料では香港では暮らしていけないと
オーストラリアへの移住を考えている。
(“香港人”文迪匡さん)
「将来子どもができたら部屋もいりますが
私たちには払えません。」
文さんが移住を考えるのには経済だけでなく政治的な理由もあるという。
2014年
民主的な選挙を求めて学生などが座り込みを行った大規模な抗議活動。
文さんは
本土の影響を強く受けるようになった香港政府が
市民の声に耳を貸さず活動を強引に抑えたと感じた。
(“香港人”文迪匡さん)
「政府は無理やり運動を解散させ
その過程には暴力があふれていました。
まさか香港でこんな暴力が振るわれるとは思っていませんでした。」
現在は移住を仲介する会社に相談している文さん。
この会社を訪れる若者はここ数年増え続けているということである。
香港は自分たちのものではなくなってしまう。
香港らしさが失われていく状況が
文さんら若者を移住へと追い立てているのである。
(“香港人”文迪匡さん)
「私が生まれ育った香港には人と人とのつながりが強く人情がありました。
離れるのはつらいですが
これも人生なので仕方ありません。」
香港は誰のものなのか。
社会が変わりゆくなか
人々の間に意識の差が広がっている。
香港から海外に移住しようという人は
毎年7,000人を超えている。
6月30日 国際報道2017
日本の芸術大学の最高峰
東京藝術大学で
6月にある授賞式が行われた。
学生たちが対象の美術コンペ。
受賞者の3人はこの秋にパリで開かれる
有名な現代アート展「FIAC」に出展する権利を得た。
主催したフランスのコルベール委員会。
高級ブランドのアパレル企業や美術館などでつくる組織で
60年余にわたり
フランスのライフスタイルや美意識を広げる活動をしている。
利潤を追求するだけでなく
“文化を育む社会的責任を果たすべきだ”という哲学のもと
若手芸術家の育成に力を入れてきた。
そして今回
はじめて日本での活動を実現。
コンペを開催したのである。
学生50人それぞれ奨学金20万円を提供。
作品作りを支援した。
(コルベール委員会 ポンソル・デ・ポルト プレジデント&CEO)
「日本の若手芸術家は
良いアイデアを持っているが
それを形にするにはお金もかかり困難が伴う。
私たちは日本の若手芸術家の制作の手助けをしたかった。」
いろいろな才能が集まる東京藝術大学。
一方
日本では芸術家の需要は高いとはいえず
卒業後アートで生計を立てていけるのはほんの一握りである。
コンペに参加した北林加奈子さん。
修士課程で彫刻を学んでいるが
日々将来への不安を抱いていると言う。
(東京藝術大学大学院2年 北林加奈子さん)
「美術で生活していける人は本当に数少ないので
自分がそういう生活ができると思わずにいる。」
北林さんの作品「肌」。
焼き物とウールなどの柔らかい素材を組み合わせ
外の世界と自分の境界である皮膚を表現した。
そして迎えた授賞式当日。
北林さんは見事受賞者の1人に選ばれた。
世界中のギャラリーが集まるパリで展示する大きなチャンスを手にした。
コルベール委員会のメンバーの見染められ
北林さんは今後も藝術を続けていく決意を新たにしている。
(東京藝術大学大学院2年 北林加奈子さん)
「チャンスを絶対逃さないように頑張りたい。」
(コルベール委員会 ポンソル・デ・ポルト プレジデント&CEO)
「FIACへの出展は
きっと彼女に名声をもたらし
将来の芸術かとしての人生にもつながることでしょう。」
6月23日 おはよう日本
中央官庁が集まる霞が関。
5月
ここで働く官僚たちからある提言が出された。
タイトルは
「不安な個人、立ちすくむ国家」。
・手厚い年金や医療も
必ずしも高齢者を幸せにしていない
・若者の社会貢献意識は高いのに
活躍できていない
こんなもったいない状況を放置していいはずがない。
率直な言葉で日本の現状に強い危機感を訴える内容である。
公表から1か月余で約127万人が文章をダウンロード。
反響が広がっている。
「新鮮だったのでおもしろいなと思った。」
「官僚の人たちも危機意識がすごくあるんだというのが印象的。」
この提言
もともとは経済産業省の会議用資料で
ホームページに公開したところSNSなどを通じて拡散していったのである。
インターネット上では提言が打ち出す強い危機感に対して
・「なんとかしないとヤバイ感」がすごい
・共感をもった
という意見。
逆に
・具体的解決もなく甘い
・現場を知らない人々の“机上の空論”
賛否さまざまな多くの反響が出ている。
この提言はどのようにして書かれたのか。
そしてなぜ広がったのか。
昼休み経済産業省の官僚たちが集まってきた。
提言をまとめたプロジェクトのメンバー
20~30代の若手官僚たちである。
今回の反響は予想外だったという。
(平成26年入省 メディア・コンテンツ課)
「これまでの役人の仕事より
少しでも皆さんにいろんな思いをお伝えできたかなと思う。」
(平成17年入省 石油・天然ガス課)
「12年仕事していて初めて
嫁も弟も親父もじいちゃんもみんな食いついてきてくれた。
ネタになったのは初めて。」
メンバーの1人
平成23年入省 大臣官房総務課課長補佐 高木聡さん。
プロジェクトに加わったのは官僚になった原点に立ち返りたいという思いからだった。
官僚になって7年、
様々な仕事を経験して家庭も築いた高木さん。
経済を通して
“誰もが豊かに暮らせる社会を作りたい”という入省した当時の思いが実現できているのか。
疑問を感じていたという。
(経済産業省 提言作成メンバー 高木聡さん)
「職場の先輩に飲み会のときに『高木は何で経産省に来たんだ』とか
『そのために高木は何やってるんだ今』と言われて
そのときに答えに詰まったのがすごく印象的で。
目の前の仕事は一生懸命やっているけれど
自分の元々経産省に入省した理由とあまりつなげて考えていないと
すごく反省して。」
こうして高木さんたち若手官僚がまとめた提言。
各種のデータや調査をもとに
従来の政策が現状に合っているのかを率直に問い直す内容になった。
(「不安な個人、立ちすくむ国家」より)
・本格的な少子高齢化が進むなか
過去に最適だった仕組みは明らかに現在に適応していない
・子ども・若者の貧困を食い止め
連鎖を防ぐための政府の努力は十分か
(経済産業省 提言作成メンバー 高木聡さん)
「10年20年言われ続けて変わっていないことの方が提言の中身としては多いと思う。
ただ若手がやって良かったかなと思うのは
それを改めて恥ずかしげもなく
“こういう問題ですよね”ということをきちんと再定義できたのは
若手ならではだったかなと思っている。」
提言を読んだ1人
IT起業に勤める福岡明彦さん(28)。
福岡さんはより自分に合った職場を求め転職し
今の会社が3社目である。
一方でこのままでは将来は大丈夫なのか
時折不安も感じていた。
しかし提言は
“若い世代の新しい生き方にも目を向けている”と感じたと言う。
(「不安な個人、立ちすくむ国家」より)
“昭和の標準モデル”を前提に作られた制度と
それを当然と思いがちな価値観が絡み合い
変革が進まない
これが多様な生き方をしようとする個人の選択を歪めているのではないか
(IT起業社員 福岡明彦さん)
「高齢者の方が幸せに暮らせる環境ももちろんなんですけれど
若者がもっと挑戦できる環境だったり
若者に対しても十分幸せに暮らせるような制度だったり
環境というか
何かそういうのが追いついてくれればいいかなと思う。」
一方この提言の内容に違和感を持った人もいる。
人口約2万の宮崎県国富町で暮らす佐藤友宥子さん(39)。
町役場で高齢者福祉を担当している。
提言に気になる言葉があった。
“高齢者が支えられる側から支える側へと”
働ける高齢者が社会福祉に依存しなくなれば
財政負担の軽減にもつながるという内容である。
日々接しているのは都会とは取り巻く環境が違うお年寄りたち。
佐藤さんはこうした発想が地方のそのまま当てはまるのか
疑問に感じたのである。
(地方公務員 佐藤友宥子さん)
「提言に地方の目線は無いのかなと思う。
各個人ではなくてあくまで国としての平均の数値で見ているのかなと感じた。」
佐藤さんはいま県内の若手の公務員と共に
地方の観点を取り入れた宮崎県版の提言を作ろうと議論している。
「今の宮崎で本当にやばいことってある?」
「預貯金額とか財産。」
「自分の子どもの世代は年金どうなんだろうとか。
先々ね20~30年後。」
地方からも独自の提言を考えていこうという模索が始まっている。
さまざまな波紋を広げる提言。
この日プロジェクトのメンバーは今回の提言をテーマにした市民主催のイベントに参加した。
高木さんは多様な生き方を目指す人たちの声を実感した。
「地域で働くというのに魅力を感じている。
2拠点とかで働くことに興味を持っている。」
「理想は雇用形態レベルで流動性が高まること。
一度フリーランスになってまた会社に戻ってとか。」
提言で集まり始めたこうした声を今後どう生かしていくか。
今その責任を感じている。
(経済産業省 提言作成メンバー 高木聡さん)
「具体的な政策提言までいっていないことはまずちゃんと反省しないといけないと思っていて
他省庁の人たちとの連携も含めて政策の具体的な形に落とし込まないと
“言いっ放し”と言われて当然だと思うので。
社会全体で次の新しい制度なり
仕組みのあり方というのを考えていくような進め方をしたいなと思う。」
6月22日 キャッチ!
フランスでは近年の日本食ブームに合わせ日本酒の輸入量が増えていて
この3年間で約10倍になっている。
パリ中心部にある和食レストラン。
いまフランスの食通の間で人気が急上昇しているのが日本酒である。
(客)
「今夜は2種類の日本酒を飲みました。
フルーティなのに力強いのでいろいろな料理に合いますよね。」
この店の常連客の1人 シルバン・ユエットさん。
フランスでは数少ない日本酒の専門家の1人で
ブログで最新情報を発信したり
日本酒を紹介するイベントを開いたりしている。
(日本酒の専門家 シルバン・ユエットさん)
「日本酒は酸味が少なく赤ワインのように渋みもないので
西洋の料理によりマッチするはずです。」
18年前に初めて日本を訪れてから日本酒のとりこになったというユエットさん。
案内されたのは多くの日本酒を取り扱っている食料品店。
1960年代にフランスに輸入されるようになった日本酒は
90年代
日本の地酒が多く紹介されたこともあってブームに。
近年は有機野菜を使った健康志向のフランス料理に合わせやすいまろやかな味わいの大吟醸など
高級酒も好まれるようになっている。
(店員)
「日本酒には様々な種類や味があるので
さらなる可能性を感じますね。」
ユエットさんがやって来たのはパリの日本文化会館。
この施設が主催した日本酒の試飲会での講演を依頼されたのである。
昨今の日本酒ブームを物語るように会場は満員。
(日本酒の専門家 シルバン・ユエットさん)
「これは精米の違いによる種類を示していますが
より精米した方が品質が良くなり価格も高くなります。」
試飲会で紹介されたのは
秋田や島根など5つの県にある酒蔵の高級酒。
参加した人たちもそれぞれの味わいに満足げだった。
(参加者)
「日本酒の味は私たちにとって非常に興味深く
香りや酸味
繊細さが大好きです。」
ユエットさんは日本酒の魅力を正しく理解してもらうことが大切だという。
(日本酒の専門家 シルバン・ユエットさん)
「日本酒は“アルコール度数が強い”とか
“蒸留酒”とか思っている人が多いです。
そういうイメージを変えるのが渡井の使命です。」
一方フランス料理と組み合わせることで日本酒を楽しんでもらおうという試みも始まっている。
フランス料理のシェフ ギー・マルタンさん。
業界の関係者を招待して
自ら選んだ日本酒と共に創作料理をふるまった。
マルタンさんはレストランの格付けで知られるミシュランガイドで2つ星を獲得した店の料理長である。
これまで100回にわたって日本を訪れる日本通で
日本酒を使ったメニューも数多く生み出してきた。
提供されたのは地元の食材を使った料理の数々。
(シェフ ギー・マルタンさん)
「スズキのタルタルと酢漬けの野菜にソバの実をのせた料理です。」
日本酒に何時間もつけたカモ肉の皮を焼いて季節の野菜を添えた料理。
柔らかくなった肉に掛かるのは伊勢えびのソースである。
飲み物としてだけでなく料理にも日本酒を生かそうと考案した。
この日集まったのは料理を専門に取材する地元の記者たち。
マルタンさんの腕前に魅了されたようである。
(記者)
「今回の料理と日本酒の組み合わせに
私の認識は完全に覆されました。」
マルタンさんは自分の創意工夫を生かして日本酒の魅力を今後も伝えたいと考えている。
(シェフ ギー・マルタンさん)
「私の創作料理が持つ日本酒の香りや食感は私の店でしか味わえません。」
フランスで広がる新たな日本酒ブーム。
そこには日本酒を愛するフランス人の情熱が息づいていた。
7月19日 編集手帳
ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の巻頭に新約聖書を引いている。
〈一粒の麦もし地に落ちて死なずば唯(ただ)一つにてあらん。
もし死なば多くの実を結ぶべし〉。
日野原重明さんはその一節を印象深く読んだという。
これほど異常な状況下の読書もない。
1970年(昭和45年)3月、
赤軍派にハイジャックされた日航機「よど号」の機中である。
ましてや、
人質の乗客に向けたサービスで用意したものか、
犯人から借りた本である。
「業績をあげて有名な医師になる。
そういう生き方は、
もうやめた。
生かされてある身は自分以外のことにささげよう」
当時58歳の日野原さんは心に誓ったという。
「よど号」から生還したとき、
名声と功業を追い求める麦は一度死んだのだろう
。“生涯現役”の医師として、
健康で豊かな老いのあるべき姿を体現しつづけた。
誓いどおりの第二の人生に、どれだけ多くの高齢者が励まされたことか。
日野原さんが105歳で死去した。
いまでは、
語感も軽快な「アラハン」(=100歳前後の人)なる言葉が少しも不自然に聞こえない。
その人が残した麦の実の、
何と豊穣(ほうじょう)なことよ。
6月22日 おはよう日本
子育て中の母親たちから絶大な支持を受けている漫画「毎日かあさん」。
(「毎日かあさん」 著者 西原理恵子)
・両手がふさがるとなぜか子どもをどっかに置き忘れる。
・先日
私はデパートのトイレに娘をぼったり落としました。
デパートの大きな暖房機の前でかわかしたら
「はい じっとしてて」
けっこうちゃんとかわいたので
一日それで遊んで家に帰ったらやっぱり臭くておばあちゃんにしかられました。
「何のためのお金ぞね
その場で新品一式買うてあげんかね」
「なるほどその手があったか」
作者は西原理恵子さん。
2人の子どもとの日常を赤裸々に描いてきた。
(読者)
「細かいことは気にしないで
どんとしてる。
そこがすごくいい。」
「自分だけじゃないんだなと安心する。」
これまで数多くの賞を受賞し
アニメや映画にもなった「毎日かあさん」。
週に1回新聞に連載されてきたが終了することになった。
2人の子どもの成長と共に続いてきた漫画は
連載のスタートから16年。
子育てに悩んでいるたくさんの人たちを勇気づけてきた。
栃木県佐野市に住む本島由美子さん(47)。
中学1年生の双子の男の子
颯人くんと壮太くんの母親である。
長男の颯人くんは物事へのこだわりが強い傾向がある。
小さい頃は特にやんちゃで目が離せなかったという。
(本島由美子さん)
「行きたい方向がそれぞれ違うから
どこ行っちゃうか分からなくて。」
(夫 利明さん)
「運動会でいなくなっちゃったりとか。」
「ダンスやりたくなくて保育園逃亡しちゃったり。」
「1人で2人見てなくちゃいけない時に
本当に泣けてきちゃうときとか。」
そんなときに出会ったのが「毎日かあさん」。
そこに描かれたいたのは
ダンゴムシを取ってきては母親の携帯でつぶしたり
ドロまみれになって遊んだり
学校からお漏らしをして帰って来る
息子たちよりはるかにやんちゃな男の子。
骨折してギブスをすれば
バット代わりに野球。
「バットにしてもいけないんだけどなあ・・・」
お母さんはあきれながらも
思わず関心。
「いやあ
よくとんでるなー
ナイスセンス
いいスイング」
(本島由美子さん)
「うちもここまでじゃないぞ
大丈夫大丈夫って思いながら
これを読んでわが子を見て
読んでわが子を見て
その繰り返しで。
“この子はこれでいいんだよ”と毎日かあさんを見て考えられるようになりました。」
出版社には単行本が出るたびに多くの読者から感想が送られてきた。
“ラクにしてくれた。”
“有名な生き方本より生き方の参考書いなります。”
最近では新たに母親になった若い世代からの反響も目立つ。
浜島朋子さん(33)は4歳と2歳の子育て真っ最中。
IT企業で働き育児に家事にと毎日がいっぱいいっぱいである。
歳の差2歳の兄弟はケンカも耐えず
ひとときも休まらない。
平日は帰りが遅い夫。
子どもたちを風呂から受け取るぐらいしかできない。
(夫 寛治さん)
「もっと僕に任せてくれればいいのにと
胸を張って言いたいけどなかなか言えない。
仕事で帰りが遅かったりして。」
(浜島朋子さん)
「たいへ~ん。
私だけじゃなくてみんなそうだと思うけれど
ギリギリの歯車でやっていて。」
そんなときに出会ったのが「毎日かあさん」。
ある作品に心を動かされた。
子どもが大きくなった西原さんが昔を振り返って描いたものである。
(「毎日かあさん」 著者 西原理恵子)
「お母さん お母さん!」
「おかあさん おうちの事で忙しいんだから
もうちょっとビデオ見ててよ。
んもー。」
かまってほしいとまとわりつく子どもに向き合えなかった自分。
お母さんはその頃の自分を思い出して言う。
「家事なんかしなきゃよかった
家なんてもっと汚くてよかった
洗濯物もためちゃえばよかった
食事なんか手作りすることなかった
あんなに抱っこしてほしがってたのに
もったいないことしちゃったなあ・・・」
(浜島朋子さん)
「“家なんてもっと汚くてよかった”
“家事なんてためちゃってよかったのに”っていうのを見て
すとんと腹落ちしたところがありました。
子どもと接する時間は私の方が絶対長いから
それを楽しんだ方が
義務と思わず楽しんだ方がいいと思えるようになったかな。
やっと。」
それまでは出勤前に夕飯の準備をするなど無理をしていたが
漫画を読んでから考え方が変わったという。
“あれもしなければこれもしなければ”と自分を追い詰めるのではなく
子どもたちとの今しかない時間を大切に過ごそうと心がけている。
今は間島さんの心の支えはこのシーン。
(「毎日かあさん」 著者 西原理恵子)
保育園の朝は大忙し。
「じゃね いってきます。」
「おかーさん はやくおむかえきてねー」
夕方のお迎えも大忙し。
「かーさん おそいー」
「すぐごはんつくるから
いそいでかえろ」
こんな苦労が男にできるか
バカヤロウ
人生は女の方が絶対たのしい。
(西原理恵子さん)
「とにかく子どもは汚くていいんです。
部屋も汚くてもいいんです。
店屋物でもいいんです。
一番はお互いが笑顔でいることです。
どんどん手を抜いて店屋物を食べてください。
本当にみんな疲れているんです。
だから優先順位ベスト3を決めて
それ以外は燃えないゴミの日に捨ててください。
わかりましたか。」
さらに次の世代を生きる若い女性たちへの言葉。
(西原理恵子さん)
「もう結婚する前から決めましょうよ。
フレックスタイムの旦那を選ぶ。
決算の時期に親の葬式にも帰れないとか
そういう職種の男を選ばないとか。
共働きで女性だけが家事を負担しなければいけないとか
子どもが熱が出た時に帰れないとか
そういうことをちょっとでも良くしようと
どんどんどんどんおばさんになって自分のわがままを主張してください。」
6月21日 キャッチ!
5月30日 EUは
地域の活性化や人道支援などを行う若者のボランティア活動を後押しする取り組みを発表した。
EU加盟国の若者の交流を深め
連帯や人権意識など
EUの理念を浸透させるのが狙いである。
2020年まで420億円余を支出する大規模な計画である。
(EU委員会・教育担当 ナブラチッチ委員)
「“ヨーロッパ市民”というアイデンティティーの危機だ。
この取り組みで
ヨーロッパの若者に“連帯”を経験する場を提供したい。」
EUはこれまでも学生同士の交流を支援してきたが
その中核をなすのが加盟国内の留学を促す「エラスムス計画」である。
この計画を利用するのがフランスの学生マキシム・ラガジさん(19)。
現在ベルギーの首都ブリュッセルの大学に留学し
政治やマーケティングを学んでいる。
フランス地方都市出身のラガジさんは
これまでEUやヨーロッパを意識することはあまりなかった。
しかし各国のさまざまな学生と議論を交わすうちに
お互いの中に共通点を見出し同朋意識を抱くようになったという。
(留学生 マキシム・ラガジさん)
「ここに来て“ヨーロッパ市民”という意識が以前より強くなりました。
自分の国に愛着を感じる若者も多いですが
もっと外に出るべきです。」
「エラスムス計画」では協定を結んだ大学の間で学生たちは自由に留学できる。
留学先での単位は帰国後に在籍する大学の単位として認められるほか
留学中は最大で1人あたり日本円で月4万円余が支給される。
異なる文化や価値観を受け入れる姿勢
またEUの連帯意識を
学生に自主的に学んでもらうのが狙いである。
これまで900万人の学生がこの制度を利用している。
この「エラスムス計画」は6月で開始からちょうど30年。
かつての留学生やEUの関係者が参加する式典が行われた。
EUの執行機関にあたるヨーロッパ委員会のトップ ユンケル委員長は
ヨーロッパで懸念される自国第一主義の広がりを防ぐためには
「エラスムス計画」こそが確かな解決策になると訴えた。
(ヨーロッパ委員会 ユンケル委員長)
「エラスムス計画は国家の愚かなエゴイズムに対する明確な答えだ。
計画は結束し確信に満ちたヨーロッパ
未来へと確実に渉ヨーロッパそのものだ。」
EUがどのような理念のもとに作られたのかに興味が湧いたラガジさん。
ヨーロッパの歴史が学べるヨーロッパ歴史観を訪れた。
ラガジさんの目を引いたのは2度にわたる世界大戦の映像だった。
各国が自国の利益を追求するなかでナショナリズムが台頭。
またたく間にヨーロッパが地獄へと転落していく姿に衝撃を受けた。
過去の反省から
寛容さや結束を理念として今のEUが作り上げられたことを
ラガジさんはあらためて学んだのである。
(留学生 マキシム・ラガジさん)
「過ちを繰り返さないため
EUの連帯は大切です。
フランスに戻って反EUの若者がいたら
自分の経験を話し
間違っていると伝えたい。」
教育は時間がかかるもののEUの結束を取り戻すためには最も着実な方法だとして
EUは今後も教育に力を入れていく方針である。
(EU委員会・教育担当 ナブラチッチ委員)
「民主主義やEU統合の歴史を教育に加え
ヨーロッパ市民としてのアイデンティティーの教育の強化に力を注いでいきます。」
6月20日 キャッチ!
6月7日と8日
中国全土で94万人の受験生が「全国統一試験」と呼ばれる全国共通の大学入試を受けた。
この入試の結果によってほとんどの大学が受験性の合否を決めることになっている。
受験戦争が年々過熱している中国だが
全国統一試験だけを目標にした“スーパー受験校”もある。
入試の3日前に行われた合格祈願のイベント。
受験生たちが願いをランタンに託した。
「入試頑張るぞ!」
生徒たちが通うのは中国内陸部の安徽省にある高校。
大学入試対策に特化し
浪人生も受け入れて授業を行う“スーパー受験校”として知られている。
生徒数は約2万人。
“アジア最大の受験工場”とも呼ばれている。
授業は週7日。
毎朝6時半からみっちり16時間受験勉強に費やす。
中には北京大学など都市部の一流校に合格する受験性も出ている。
生徒たちの唯一の心のゆとりは短い休み時間である。
校門のすぐわきにあるレンタル電話店では家族と連絡を取る生徒たちの姿。
校舎の外には子どものために親が食事を持ち寄っていた。
(生徒)
「帰宅しても宿題で大忙しです。
十数枚の問題用紙を渡されました。」
(教師)
「わが校の厳しさは熱意の表れです。
誘惑から遠ざけて勉強に集中させます。」
もともと主だった産業がなかったこの町だが
高校への入学者が殺到したことで人口は急増。
受験熱にあやかったビジネスが生まれている。
店の看板には“合格者向けスーパー”の文字。
さらに“受験の幸運パンツ”など縁起物の受験グッズを売る店も出てきた。
受験生の親子にアパートの部屋を斡旋する不動産仲介業の会社。
扱う物件は約1,000件。
移り住む親子の増加にともない家賃は高騰しているという。
(不動産業者)
「アパートが不足しています。
地元の高校の人気が上がれば
我々の商売にとっても好都合です。」
1人息子をこの学校に通わせる 朱杰さん。
受験を控えた息子のため100キロ離れた都市から移り住んできた。
朱杰さんが住むアパートは住人は全て受験生の親子である。
共同の台所で一緒に食事を作り生活費を切り詰めている。
朱杰さんの息子 高校3年生の楊光さん。
もともと通っていた高校を中退しこの学校に入学した。
平日より長い昼休みがもらえる日曜日でも
朱杰さんが見守るなか時間を惜しんで勉強に励んでいる。
(高校3年生 楊光さん)
「自分と家族のために結果を出したい。
大学は人生に必要な経歴です。」
親子の努力もあって楊光さんの学力は希望の大学に手が届くところまで伸びてきた。
(受験生の母親 朱杰さん)
「学校は私の息子に希望を与えてくれました。
この学校の卒業生たちは
社会に出たあと挫折しても簡単には屈服しないと思います。」
統一入試の2日前。
パトカーに先導されて28台の大型バスは街を出発した。
乗っているのは受験生たち。
受験会場のある地元に帰るためである。
約1万人の親たちが子どもを見送った。
(受験生の親)
「いい大学に入れるため勉強させたんです。
そうでなければ苦しい思いはしません。」
「大学に入っていい仕事に就いてほしいです。
将来がかかっていますから。」
故郷を遠く離れた町で受験のために生活のすべてを注ぎ込む親子の姿。
今なお加熱する中国の学歴社会を映し出している。
6月19日 国際報道2017
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド。
レコードジャケットの中でビートルズのメンバーを取り囲むのは時代を象徴する人物たちである。
ボブ・デュランに
マリリン・モンロー。
印象的なデザインはその後のレコードジャケットの概念を一新したと言われている。
このデザインを担当したのがジャン・ハワーズさん。
70歳を超えたいまもポップアーティストとして精力的に活動している。
制作当時ハワーズさんは20代半ば。
同世代のポール・マッカートニーから依頼を受け
当時の夫と2人でジェケットをデザインした。
(ジャン・ハワースさん)
「当時は経済が成長して高揚感にあふれた時代でした。
ビートルズはその象徴で
私たちもそうした時代を表現したかったのです。」
“大勢のヒーローに囲まれたバンド”というアイデアをもとに
ビートルズのメンバーやレコード会社のスタッフなどと
誰を登場させるべきか話し合いを重ねた。
ジョン・レノンは当初キリストとヒトラーをあげたが多くの人が反対。
(ジャン・ハワースさん)
「キリストとヒトラーはちょっと行き過ぎでした。
ジョン・レノンも若くて浅はかだったの。」
そして出来上がったジャケットは
時代の雰囲気を象徴すると高く評価され
グラミー賞のレコードジャケット部門を受賞した。
ところがそのトロフィーは
「犬が壊してしまいました。」
一躍広く知られるようになったハワーズさん。
しかし人種や性別に対する社会の意識が大きく変化するなかで
ジャケットに違和感を感じるようになった。
人物が欧米や男性に偏り
多様性がないと考えるようになったのである。
(ジャン・ハワースさん)
「多くの人種がいるかな
多くの国の人が入っているかなと考えたわ。
特に女性が何人いるか数えたら
その結果に唖然としました。」
ハワースさんはこの感覚をもとに
ジャケットをモチーフにしたさらに多様性のある作品を作ろうと模索してきた。
2004年に製作した壁画。
「指を差しているのが黒澤明監督よ。」
世界各地さまざまな人種の人たちを選んだ。
ミャンマーのアウン・サン・スー・チー氏。
チベット仏教の最高指導者ダライラマ14世。
多様な地域や文化を代表する人物が登場する。
作品に多様性を追求するハワースさん。
いま排他的な時代の空気の広がりを危惧しているという。
今年1月には
大統領選挙のあいだ女性蔑視の発言を繰り返したトランプ大統領に抗議するデモに参加。
最新作では
アメリカ社会に今も残る女性への偏見をなくしたいと
世界中の女性の豊かさやパワーをテーマにした。
ダイアナ妃や
日本の前衛芸術家 草間彌生さん。
歴史をつくってきた女性たちが登場する。
(ジャン・ハワースさん)
「60年代から長い旅をしてきて
私たちは多様な人種や国を尊重するようになりました。
いまの後ろ向きな動きを芸術などの力で止めたいのです。
ビートルズと共に1つの時代を象徴する作品を作ったハワーズさん。
芸術の力を信じ
時代と向き合い続けている。