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湾岸アラブ諸国にイスラエルが接近

2019-01-31 07:00:00 | 報道/ニュース

1月16日 キャッチ!世界のトップニュース


約70年にわたってイスラエルと対立してきたアラブ諸国。
その中でも今イスラエルが急接近しているのがペルシャ湾に面した湾岸アラブ諸国である。
去年11月イスラエルのネタニヤフ首相は国交のないオマーンを電撃訪問し
中東情勢をめぐり意見を交換。
突然の訪問は中東諸国を驚かせた。
その後イスラエルの閣僚3人もUAEアラブ首長国連邦などを訪問。
狙いは共通の敵となっているイランへの対抗軸を固めるためである。
UAEを訪れた女性閣僚は
イスラム教徒と同じようにヒジャブを被り
アブダビの象徴となっているモスクを表敬訪問した。
(イスラエル レゲブ文化スポーツ相)
「ここからわが国と湾岸諸国の平和と繁栄を祈ります。」
一方UAEは
自国で開催した国際柔道大会で優勝したイスラエル選手のために
初めてイスラエル国家を流し
接近する両国の関係を印象付けた。
さらにイスラエルは戦略的な関係を深めようと
湾岸アラブ諸国に対してインフラの共同プロジェクトも提案している。
(イスラエル政府制作)
この鉄道で
イスラエルと湾岸諸国の交流が拡大し
お互いの経済発展につながるでしょう
その名も「平和鉄道」。
ペルシャ湾で有事が発生しイランがホルムズ海峡を封鎖した場合でも
イスラエルと湾岸アラブ諸国をつなぐ鉄道によって物資の補給を確保できると
安全保障上のメリットを強調している。
この鉄道で
イランがホルムズ海峡の及ぼす安全保障のリスクを回避できます
接近を図るイスラエル。
一方 湾岸アラブ諸国の側には
これまで抱いていた“反イスラエル”の感情が薄れる兆しが出てきている。
テルアビブに本社を置く幼児や小学生向けの教育アプリを開発・運営しているIT企業。 
各国の教師たちが自作のソフトを公開し
閲覧した教師がソフトをダウンロードして授業で使う仕組みである。
このアプリはイスラエルと国交のない湾岸アラブ諸国で利用が広がっていて
このうちユーザーが最も多いのがサウジアラビアである。
積極的に利用している教師は約10万人にのぼる。
アプリがイスラエル製だと気づかずに利用するケースが大半だが
気づいた場合でも解約されたケースはこれまで1件も無いという。
(IT企業 CEO)
「利用者と連絡を取る際
 必ずイスラエル企業だと名乗ります。
 大切なのは政治的関係を超えて利用者と価値を生みだすことです。」
湾岸アラブ諸国の側でイスラエルとの接近を推し進めてきたとされるのが
サウジアラビアの改革者
ムハンマド皇太子である。
ところが去年10月
重大な事態が発生した。
サウジアラビア人ジャーナリスト カショギ氏の殺害事件で
ムハンマド皇太子自身が深く関与した疑いが浮上したのである。
国際的な非難が高まり
“皇太子の立場は危うくなるのではないか”という見方も出た。
これに対しサウジアラビアを擁護する立場にまわったのがイスラエルだった。
(イスラエル ネタニヤフ首相)
「イスタンブールの大使館で起きた事件は
 非常に恐ろしく
 適切に対処すべきだが
 中東地域の安定にはサウジアラビアの安定が極めて重要だ。」
イスラエルのテレビ局もサウジアラビアの首都リヤドと異例の中継を結んで好意的な反応を伝え
両国関係が改善に向かう流れを印象付けた。
(イスラエル チャンネル2の番組 サウジアラビアのジャーナリスト)
「ネタニヤフ首相に感謝しています。
 ユダヤ人とは問題ありません。
 共通の敵はイランです。
 イランに対抗するための方法を共に模索する必要があります。」 

イスラエルと湾岸アラブ諸国が大きく動き出した背景は
2017年5月にトランプ大統領がサウジアラビアを訪問し
イランを抑え込むためとしてアメリカとアラブ諸国の連帯を強く打ち出したことである。
たとえばサイバーの分野ではこれを境として
イスラエルとサウジアラビアのサイバーセキュリティーの政府担当者や関連業者が
互いの国を直接行き来するという
以前であればありえなかった状況である。
またイスラエルの対外諜報機関モサドは
海外での諜報活動の経験が乏しいサウジアラビアに対し
イランに関する多くの機密情報を提供しているということである。
いずれもイスラエル側が湾岸アラブ諸国のサポートにまわっているのが協力の実態である。
イスラエルが湾岸アラブ諸国に接近するのはイランに対抗するためだけではない。
難航するパレスチナとの和平交渉を脇に置いたまま
湾岸アラブ諸国と国交の正常化を図る狙いである。
イスラエルとパレスチナの和平交渉は「中東和平交渉」と呼ばれてきたのは
両者が和平を結んだあかつきには
他のアラブ諸国もイスラエルとの和平に応じる。
そして中東全体に平和が訪れるという道筋だった。
しかしいまイスラエルはその道筋をひっくり返そうとしている。
イラン問題をてこに湾岸アラブ諸国と先に和平を締結できれば
安全保障は一気に改善できる。
さらにパレスチナは後ろ盾を失って
イスラエルはパレスチナとの和平交渉も有利に運べるという思惑が指摘されている。
イスラエルの湾岸アラブ諸国への外交戦略は今後
“カショギ事件”を理由にやりづらくなるだろうという見方と
むしろ一層進むという相反する見方がある。
前者はいわば針のむしろに座るサウジアラビアがこれ以上イスラエルとの接近を受け入れれば
さらなる批判を招きかねないとして
しばらく控えるというものである。
後者の方はサウジアラビアにとっては“カショギ事件”の難局を乗り切って
ムハンマド皇太子を将来の国王に無事就任させるにはアメリカの後ろ盾が欠かせない。
アメリカの支援を得るためにより一層イスラエルに歩み寄るという選択肢である。
いずれにせよイスラエルのネタニヤフ政権は蜜月の関係にあるトランプ政権と緊密に連携して
情勢を値踏みしながら
湾岸アラブ諸国への接近を続けていくことになる。





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中国「改革開放」40年 変わる香港の役割

2019-01-30 07:00:00 | 報道/ニュース

1月15日 キャッチ!世界のトップニュース


12月 中国では「改革開放」40年を迎え各地で記念の催しが盛大に行われた。
この間 中国の経済発展に大きく寄与してきたのが1997年に中国に返還された香港である。
イギリス領だった時代から中国に旺盛に投資を行ない
中国の工業生産に基盤づくりに貢献した。
しかしいま中国の経済発展とともに香港の役割は変わろうとしている。

香港の博物館で12月から始まった展示会。
“中国「改革開放」と香港”をテーマに40年間を振り返る。
(香港 林鄭月娥 行政長官)
「この40年
 香港は改革開放に貢献するとともに恩恵も受けてきました。
 香港は国家の改革開放において欠かせない役割を果たしてきました。」
展示では代表的な例としておもちゃの製造が紹介されている。
最も多かった2007年には
香港の約8,500社の関連企業が中国本土で工場を構えていたという。
その1人 趙さん。
「これはカプセルのおもちゃです。
 お菓子のおまけなどに使われます。」
改革開放が始まった1978年。
欧米や日本に輸出するおもちゃの工場を香港から中国南部の広東省に移転した。
当時は破格の歓迎を受けたという。
(趙さん)
「中国で私たちは大歓迎されました。
 なぜなら技術から資金まですべて中国に持っていったからです。」
格安で工場の敷地を譲り受け
多いときには従業員400人を抱えていたという趙さん。
しかしここ数年は人件費の高騰が経営を圧迫。
また工場の環境対策にも追われるようになった。
(趙さん)
「中国の発展はとても早く
 簡単には生き残れません。
 もう必要とされていないなら
 ほかに歓迎してくれるところに行くだけです。」
趙さんは一昨年 工場を現地の人に譲った。
いま中国本土から香港のおもちゃメーカーの撤退が相次ぎ
ピーク時の3分の1程度にまで減ったとみられている。
こうしたなか香港では新しい動きが生まれている。
中国で生まれた新しい技術を生かし発展させる
けん引役を担おうというのである。
去年の11月 香港の中小企業団体が開いた催し。
将来性のある企業の技術やアイデアなどを表彰する。
このなかに中国で設立された染料のメーカーがあった。
中国本土の染色の専門家が設立し
ナイロンやポリエステルなど化学繊維を染めるための特殊なインクをつくる。
手軽できれいに染めることができ
スポーツ選手のユニフォームなどに活用が期待できるという。
香港の投資家 陳さん。
陳さんはこの会社の将来性を見込んで
一昨年 共同経営者になった。
(香港の投資家 陳さん)
「いま必要なのは中国と一緒に新しい技術を作り出すことです。」
陳さんはいま工場を含め会社を丸ごと香港に移す準備を進めている。
技術はあるものの知名度がない会社にとって
国際的な信用力のある香港で資金や顧客を集めた方が有利だと考えたからである。
(陳さん)
「中国では政治的な要素に影響されますが
 香港だとそういう問題はありません。
 精密な機械も中国では買えないことがあります。
 売る側がまねされるのが嫌だからです。
 香港にはまだ信用してもらう力があります。」
香港政府も新しい技術やアイデアを持つ企業の誘致を積極的に進めている。
中国本土との境界近くに整備された香港サイエンスパークは
技術力や将来性などについての審査を経て
安価な利用量で使える研究室やオフィスを提供している。
約30万㎡の敷地に現在入居するのは700社。
このうち中国本土からも約60社が拠点を置いている。
本土からの問い合わせも相次いでいて
その数はさらに増えるとみられる。
(香港サイエンスパーク CEO)
「香港を拠点として資金を集めビジネスモデルを見つければ
 企業はさらに発展できるはずです。」



 

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調律師の“闘い” 浜松国際ピアノコンクール

2019-01-29 07:00:00 | 報道/ニュース

1月15日 おはよう日本


去年開催された浜松国際ピアノコンクール。
ピアニストたちが華やかな闘いを繰り広げたこの大会を陰で支えたのがピアノの調律師である。

88本ある鍵盤。
繊細な調整を尽くして最高の音を導き出す。
それが調律師である。
浜松市内に本社がある楽器メーカー。
ピアノ調律技能士 大久保さん。
より良い音を導き出すために最適なバランスを探し求め調整を続けてきた。
(1級ピアノ調理技能士 大久保さん)
「本当にいい音とは何か
 いいタッチとは何かを
 この3年間追求してきた。」
コンクールはピアノを選ぶことから始まる。
用意されたピアノは3台。
地元浜松のメーカー2社と世界的シェアを誇る海外メーカーのものである。
出場するピアニストは与えられた10分の間に自分が演奏するピアノを選んでいく。
自分のピアノを選んでもらえるかどうか
大久保さんは別室で見つめる。
しかし次々と他のメーカーのものが選ばれていく。
そんななか1人のピアニストが大久保さんのピアノを選んだ。
トルコ出身の若手 ジャン・チャクムルさん(21)である。
大きなコンクールでの受賞歴はないが
将来の活躍を期待されているピアニストである。
ピアノの調整は髪の毛1本の太さに満たないレベルで行う。
これまで培ってきた感覚だけが頼りである。
「0,0何ミリでいろいろな音が変わってくる。
 そういう微妙な調整をしているが
 最後は耳で判断して。」
本番直前
オーケストラとのリハーサル。
チャクムルさんから“音の止まり方にわずかなばらつきがある”と指摘された。
残された時間はわずか。
「40分に交代?」
「あと18分。」
ぎりぎりまで調整が続いた。
「ちょっと手がつけられていなかった所を指摘された。
 一流のピアニストになると
 細かい所に気づいてしまう。
 それだけ感覚が敏感。」
予選を勝ち抜いた6人のピアニストたち。
それぞれが選んだピアノで演奏に望む。
いよいよチャクムルさんの出番。
大久保さんは舞台袖から見守る。
全てを出し切ったチャクムルさんの熱演。
割れんばかりの拍手が巻き起こった。
審査の行方を見守る大久保さん。
1位はチャクムルさんに決定。
大久保さんのピアノが最高の演奏を引き出した。
「あなたの調律は完璧だった。」
「君のピアノも完璧だった。」
(1級ピアノ調律技能士 大久保さん)
「人生をかけたコンクールで
 そのピアノに信頼を置いて
 演奏してもらえるのは
 最高の喜び 幸せ。」


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春を待つ冬芽にエールを

2019-01-28 07:00:00 | 編集手帳

1月14日 編集手帳

 

 冬の公園には小さな妖精たちが隠れている。
葉を落とした木に近寄り、
目を凝らせば見えてくる。
とんがり帽子の小人、
笑い顔の子供、
サルやヒツジなどの動物も。

春を待つ冬芽と古い葉の跡の組み合わせが生み出す面々である。
葉のあった部分には養分や水を運ぶ管の跡が刻まれ、
しばしば顔のように見える。
樹種ごとに表情が異なり、
頭にのる冬芽の個性とともにユーモラスな姿を描く。

樹木は生命再生の力を冬芽に蓄え、
寒さに耐える。
その試練あってこそ、
やがて葉を茂らせ、
花を咲かせる。
ポプラの枝に宿る赤褐色のとんがり帽子に、
思わずエールを送りたくなる。

今日の成人の日、
125万人の若者が新たな門出を迎えた。
大人になるとは? 
晴れがましさの一方で戸惑う新成人も多かろう。
今は冬芽の時期かもしれぬ。

新川和江さんに『名づけられた葉』と題された詩がある。
何千何万のポプラの葉はどれも同じ名だけど、
人には固有の名がある。
〈だからわたし 
 考えなければならない
 誰のまねでもない
 葉脈の走らせ方を 
 刻みのいれ方を〉。
自分なりの大人への道を、
焦らず、
逃げず、
着実に。


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僧侶の僧衣

2019-01-27 07:00:00 | 編集手帳

1月13日 編集手帳

 

 土地には土地の不文律があり、
よそ者が知らずに禁を犯すと、
悶着(もんちゃく)に発展してしまうことがある。
古都・京都に伝わるのが「白足袋に逆らうな」との警句である。

お公家さんや茶人、
花街関係者、
室町の商人ら足袋をユニホームとする人たちには窺(うかが)い知れぬ力があり、
機嫌を決して損なうことなかれ、
との戒めだ。
本紙連載をまとめた『京都 影の権力者たち』で一端が紹介されている。

特に印象的なのが僧侶の生態だ。
皇室や政財界との深いつながり、
巨額の予算等々、
なるほど、
と納得するとともに、
もし彼らが北陸方面へドライブに出かけたらと少々不謹慎な想像を巡らせる。
福井の僧侶が僧衣で車を運転したことを理由に、
交通反則切符を切られたという。

県の規則が運転操作に支障がある衣服での運転を禁じている。
「会社員にスーツを脱げと言っているようなもの」と僧侶は訴え、
所属する浄土真宗本願寺派も「法令は順守するが、受け入れがたい」と困惑しているそうだ。

白足袋さんVS法の番人の騒動は、
海外でも報道されているとか。
不思議の国の、
不思議な規則といった受け止めなのかもしれない。


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また隣国の大統領の変身?

2019-01-26 07:00:00 | 編集手帳

1月12日 編集手帳

 

 その詩は<ちきゅうぎを見て>と題する。
6歳の男の子が書いた。
隣の国とごたごたすると、
思い出す。

<ママ
 アメリカは
 カナダのとなりだからさ
 「カナダくん あそぼ」っていってさ
 ニッポンは
 中国のとなりだから
 「中国くん あそぼ」っていったらいいのにね>
(川崎洋編『おひさまのかけら』中央公論新社)。
幼心にもニュースの言葉が飛び込むのだろう。

時代時代で国の名も変わる。
最近は韓国だろう。
その国の最高裁判所が元徴用工への賠償を日本企業に命じた判決をめぐり、
関係が冷え込んできた。

わが子に聞かれて答えに困る親御さんもおられよう。
裁判所が何と言おうと、
いったんは「最終的解決」とした国家間の取り決めになぜ、
文在寅大統領が責任を持とうとしないのか。
政権の支持率や反日教育に触れても分かる子は多くはいまい。
不幸な歴史もある。
言葉に注意しながら、
相手に仲良くする気がないのだと説明するしかないのかもしれない。

李明博元大統領の“変身”を思い出す。
親日のはずが突然、
日本海の島の帰属に文句をつけ、
国民の支持を高めようとした。
文さんも?

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中国制服市場に商機 ジャージから学生服へ

2019-01-25 07:00:00 | 報道/ニュース

1月9日 国際報道2019


中国では中学生の通学にジャージ姿が一般的である。
でも本人たちはどう思っているのか。
(上海の中学生)
「ジャージは動きやすいし
 学校で着替えなくていいので便利です。」
「ダサくていやです。
 実用性とカッコ良さは別です。」
賛否両論あるようだが古くからの習慣にいま変化が起きている。
きっかけは2014年3月
当時のアメリカ大統領夫人のミシェル氏が北京の中学校を訪問したときのこと。
“大統領夫人の前にジャージとは恥ずかしい”と批判が続出。
学生服導入を求める世論が高まった。
これを受けて2015年
中国政府は全国の学校に制服の導入を進めるよう通達。
その結果
私立学校を中心に学生服をつくる学校が増えていったのである。
去年 上海で開かれた学校制服博覧会。
国内外のアパレルメーカーなど100社以上が出展。
おしゃれなデザインの制服が数多く展示され大盛況となった。
小学生から高校生まで合わせて2億人の児童がいる中国。
学生服の市場規模は8,000億円以上にのぼると言われ
企業の参入が相次いでいる。
中国の大手アパレルメーカー。
もともと子供服のメーカーだが2016年に制服部門を新たに起ち上げた。
売れ行きは絶好調。
2017年に3億2,000万円の売り上げは
2018年に6億4,000万円と倍増。
今年は去年のさらに倍の12億8,000万円を見込んでいる。
(中国アパレルメーカー幹部)
「顧客はより高品質なものを求め需要も増えています。
 さらに研究開発を進め
 中国のトップブランドに成長したい。」
日本企業の進出も始まっている。
日本の大手繊維メーカー ニッケ。
少子化により日本国内の市場の先細りが懸念されるなか
中国で新たな販路の拡大を目指す。
(ニッケ 上海支社)
「日本の制服の強みは長持ちすること。
 そういう部分で中国で品質をPRしていきたい。
 本当に魅力ある市場という認識を持っている。」
中国での学生服導入はまだ始まったばかり。
巨大な市場を狙って国内外のメーカーの競争が激しさを増しそうである。



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非を認めて再発防止を

2019-01-24 07:00:00 | 編集手帳

12月29日 編集手帳

 

 パソコンの文書ソフトがときに、
偶然の誤変換でだじゃれの名人になることは前にも書いた。
こんな例もある。
ちょっとウトウトしちゃった→ちょっと撃とうとしちゃった。

韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊の哨戒機にミサイル誘導に使うレーダーを照射した問題で、
防衛省は哨戒機が撮影した証拠映像を公開した。
韓国側は否定しているが、
見る人が見れば分かるのだろう。

映像では駆逐艦の大砲は自衛隊機を向いておらず、
ミサイルを撃とうとしたわけではないらしい。
まして乗員がウトウトしていたはずはないし、
本当の原因は何なのか。

「北朝鮮の漁船をレーダーで探索していた」といった苦しい言い訳はせず、
非を認めて再発防止に取り組んでほしいものである。
軍艦からの照射は武器使用に準ずる行為で、
不測の事態を招きかねない。
なぜ不用意に使われることになったのか、
日本政府は理由を問い続けるべし。

<戦闘兵器投入>。
この語には小欄が仕入れた誤変換ネタの中でも傑作選に入るものがある。
<銭湯へ行き豆乳>。
笑いを誘う自信があったのだが、
よもやの事態を引きずってか、
面白みが減る。



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海の汚染

2019-01-23 07:00:00 | 編集手帳

12月26日 編集手帳

 

 童謡詩人まど・みちおさんに「するめ」という短い詩がある。
<とうとう/やじるしに/なって/きいている/うみは/あちらですかと…>

人に捕まり干されて名前をスルメに変えられた生き物が、
火にあぶられてかみ砕かれる前、
イカとして生かされていた海の方向を尋ねるのである。
命への哀れみはむろん、
人間の力の大きさを余すところなく写すようで、
自然破壊の報などに触れると思い出す。

プラスチックごみによる海の汚染は今年、
急浮上したテーマだろう。
鼻にストローが刺さったウミガメ、
腹からペットボトルやレジ袋が見つかったクジラ…。

目に見えるものだけではなく、
細かな破片の「マイクロプラスチック」なるものも日本沿岸で確認されている。
そのうち魚を通して人間の体内にも忍び込むのではないか。
そんな懸念も差し迫った声として聞くことが多い。

先日、
国連の宣言案が伝えられた。
「2025年までにレジ袋を全廃せよ」。
地球規模の各国の協調に期待しつつ、
一人ひとりの小さな暮らしを見つめ直すこともしよう。
どんな心持ちでいればいいか、
まどさんの感受性が参考になる。


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大学スポーツを変える 東大アメフト部の改革

2019-01-22 07:00:00 | 報道/ニュース

12月15日 おはよう日本


創部62年を迎えた東京大学アメフト部。
部員は170人。
学内で最も規模の大きい運動部の1つである。
2018年のシーズンはリーグ戦で優勝。
関東学生リーグの最高峰 “トップ8”への昇格を決めた。
チームが躍進するなかで東大アメフト部は組織運営の改革にも乗り出していた。
それが部の活動を支援する社団法人
東大ウォリアーズクラブの設立である。
法人の代表理事に就任したアメフト部OBの好本一郎さん。
マクドナルドやスターバックスなどで取締役を務めてきた。
「やるからには軽々しくはできない。
 性根を入れて
 新しく日本の大学スポーツに先べんをつけなければならない。」
日本の大学の運動部の多くは任意団体。
たてまえ上は“スポーツ好きな学生が集まって活動している”という扱いである。
部費を監督の個人口座で運用するケースもあり
不透明な資金運用につながるとの懸念がある。
権限が監督に集中しやすいことも問題点としてあげられている。
こうした点を解消するため
東大アメフト部では支援法人が
監督の人事権を持つほか予算管理など部の運営全般を担う。
さらに法人自体のチェック機能を強化するため
OBやOGだけでなく父母会からも代表を選出。
新たに起ち上げたファンクラブの代表も監督人事や予算の承認に関わる。
今回ファンクラブの代表として法人に参加したのが
部員がよく訪れるうどん屋のオーナー 寺尾将幸さんである。
「みんなの兄貴分ですから。」
部員と頻繁にコミュニケーションをとっている人物として
監督人事や予算承認の議決権を与えられている。
(社団法人 東大ウォリアーズクラブ代議員 寺尾将幸さん)
「ただの“うどん屋のおっさん”なのでしゃべりやすいと思う。
 そういう部分で役割を果たせたらプラスになると思う。」
(社団法人 東大ウォリアーズクラブ代表理事 好本一郎さん)
「運動部の活動をいろいろな立場から見て
 見守っていくのがガバナンス上 大事。」
ガバナンスの向上に加え法人が力を入れているのが資金力の強化である。
コーチの人件費や用具の購入費など
なにかとお金がかかる大学スポーツ。
法人として組織を透明化することで
多くの企業から協賛してもらおうとしている。
「いま部費は2,500万円くらい。
 実は全部 選手の親の負担。
 ここから先 収入を伸ばすのは我々の努力で企業協賛の交渉に行くべき。」
この日 法人のスタッフが部員とともに訪ねたのは都内のIT企業。
しっかりとアメフト部を法人が支援していることを説明。
法人が相手だと責任の所在が明確になるため協賛がしやすいと
企業側も前向きな回答を示した。
(IT企業 担当者)
「契約でいうと
 法人と契約するという安心感は大きい。」
獲得した資金は学生たちが競技に集中できる環境づくりに生かしている。
これまで部員が自費で購入していたヘルメットやプロテクターなどの用具。
一式そろえるだけで10万円近くかかるが
選手全員に支給した。
「今まで金銭的な理由でやめてしまう人もいた。
 いろいろな人から支援をもらって
 練習機器が整ってきて
 ありがたい。」
法人設立から5か月。
東大アメフト部は日本の大学スポーツのこれからのあり方を示そうとしている。
(社団法人 東大ウォリアーズクラブ代表理事 好本一郎さん)
「大学の運動部に対する制度という意味で
 必ずしもサポートが十分でないという部分がある。
 それを支えるひとつの仕組みとして
 法人の体制をつくってみて
 まだまだ成功とはいえないが
 ひとつ投げかける形としてトライしてよかった。」



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平成最後の天皇誕生日

2019-01-21 07:00:00 | 編集手帳

12月23日 編集手帳

 

 映画『ローマの休日』を彷彿(ほうふつ)とさせる有名な冒険譚(たん)である。
高校生の頃、
天皇陛下はこっそり寮を抜け出して学友と銀ブラを体験された。
コーヒーやアップルパイを賞味されたとか。
後の記者会見で「電車に乗ってみたかった」と明かされている。

昭和8年、
ご誕生の折にはサイレンが鳴り、
巷間(こうかん)、
万歳の声が響いたという。
3歳でご両親と離れ、
東宮傅育(ふいく)官らに養育された。
戦時下の疎開生活を経て、
戦後は米国人家庭教師に学ばれた。

平成最後の天皇誕生日、
陛下がたどられた曲折の道を改めて思う。
「私人として過ごす時にも自分たちの立場を完全に離れることはできません」
「天皇になってから昭和天皇のお気持ちが分かったというようなものもあります」――。
過去のおことばには重責の二文字がにじむ。

広島、長崎、沖縄、サイパン、パラオ、フィリピン…。
戦没者の慰霊のため方々に足を運ばれた。
雲仙、奥尻、神戸、東北、熊本…。
どれほど多くの被災者が勇気をもらったことだろう。

来春の退位の後は、

旅の趣も幾分変わるやもしれない。
皇后陛下とお二人、
お忍びを楽しむ、
そんなお姿を夢想する。


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幻の古伊万里 破片が伝える歴史

2019-01-20 07:00:00 | 報道/ニュース

12月20日 国際報道2018


日本の陶磁器 古伊万里。
佐賀県有田町を中心に生産され
江戸時代さかんに海外にも輸出された。
この古伊万里の破片がオーストリアの古城で大量に発見された。
その中には日本にもほとんど残されていない幻の作品もあった。
なぜ貴重な陶磁器の破片が残っていたのか。
その経緯を調べると
江戸時代に作られた古伊万里が世界に与えた影響の大きさが伝わってくる。

オーストリア東部にある12世紀に建てられたローズドルフ城。
この城に大量の破片が残されていた。
その数1万点以上。
第2次世界大戦の終結直後
旧ソビエト軍がこの城を接収したときに破壊したものだという。
調査しているのは日本陶磁史が専門の学習院大学 荒川正明教授。
同じ陶磁器の破片を探し出し元の形に戻すという根気のいる作業を続けている。
復元作業の中でめずらしい古伊万里を発見した。
江戸時代中期に輸出されたとみられる古伊万里の植木鉢である。
(学習院大学 荒川正明教授)
「おそらくこれまで例を見ない
 新発見になるんじゃないかと。
 もし完成品でありましたら途中でどこかに売られていたりとか
 割れていることによって歴史が復元できていく。」
さらに保管されていたのが
(ローズドルフ城 城主の妻)
「見てください。
 これは奇跡的に割られずに残っていたのです。」
国の重要文化財に相当する極めて貴重な古伊万里の花瓶。
「透かし紋」と呼ばれる網目のように表面が切り抜かれ
獅子が彫刻のように立体的に表現された作品である。
そして部屋のなかには江戸時代中期の古伊万里のなかでも最高峰ともいえる作品があった。
ランプ台として使われていたこの古伊万里は
色鮮やかな色彩が特徴の「金襴手」という様式で
ニワトリの親子を繊細な表現で描いている。
(学習院大学 荒川正明教授)
「日本にあまり良いものが残っていなくて
 これは本当に研究者冥利に尽きる。
 300年以上大事に海外で残されてきた。」
なぜこれほど貴重なコレクションがこの城にあるのか。
それは城主の家系に関係があるという。
(ローズドルフ城 城主)
「親族に陶磁器の貿易商がいて
 その関係で私の先祖がその陶磁器を買ったと聞いています。」
17世紀中期から18世紀にかけてヨーロッパで高い人気を集めた陶磁器。
城主の親族の1人が日本や中国の陶磁器を輸入し
ヨーロッパの貴族に販売していたのである。
古城に遺された多くの破片には世界各地のものもあった。
調査を進めると
古伊万里がヨーロッパや中国などに大きな影響を与えた過程が見てとれるという。
中国の陶磁器の破片は
「これが古伊万里スタイルですが
 これを写す形で中国
 ふんだんに金と赤 染付を使うという非常に日本と近しい関係。」
ヨーロッパの陶磁器の破片は
「日本の古伊万里の写しを見事に作っている。
 東洋の影響から新たな西洋的な器が出来上がっていく。
 その状況が非常によくわかる。」
当時世界が模倣した古伊万里の作風は今なお世界各地に受け継がれている。
(学習院大学 荒川正明教授)
「これだけのクオリティーと人気を西洋で誇れたということは
 我々にとって非常に誇りにすべきことだと思う。
 当時 日本らしさを表現しそして成功していったか
 そこは本当に学ぶべきところが我々にもまだ十分ある。」



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大手町1丁目 アルヴァ アマン東京

2019-01-19 21:30:00 | グルメ

 

   

  




地下鉄 大手町駅

大手町駅から118m



https://www.aman.com/ja-jp/resorts/aman-tokyo/dining-experience





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日本の「名作ゲーム」 未来へ強みを残せ!

2019-01-18 07:00:00 | 報道/ニュース

12月19日 おはよう日本


世界のゲーム市場をけん引してきた日本のゲーム。
その強みは独自の“ストーリー性”や “世界観”である。
細かいキャラクター設定や小説のように展開する物語が多くのプレイヤーをひきつけてきた。
しかし世界の市場規模が推計15兆円余まで成長するなか
存在感を増しているのは海外のゲームメーカーである。
巨額の資本を投入し
迫力ある映像でプレイヤーを引きつけ
売り上げを伸ばし続けている。
こうしたなか日本の名作ゲームから未来のゲームのヒントを探ろうという動きが始まっている。

世界中で愛されている日本のゲームと言えば
(ブラジル人観光客) 
「ポケモンは友だちみんなやってるよ。
 世界中で大人気さ。」
(イタリア人観光客)
「ポケモンのキャラクターとストーリー性が好き。」
平成8年に誕生したポケットモンスター。
“ポケモン”と呼ばれる生き物を捕まえて対戦
成長させていくゲームである。
このゲームを開発した1人 石原恒和さん。
自分たちが子ども時代に野山で遊んだ体験を
ポケモンの世界で実現することに一貫してこだわったという。
(ポケモンの開発者 石原恒和さん)
「遊びの中で昆虫採集をしたり魚釣りをしたり植物を育てたり。
 そういった事の中で得られた体験が一番大もとにあって。」
開発初期の資料。
当時のタイトルは「カプセルモンスター」だった。
捕まえてわくわくするような親しみやすいキャラクターをたくさんデザイン。
その数は151にも及んだ。
さらにそのポケモンをカプセルを使って集められるようにした。
ゲームの中で虫捕りを再現したのである。
そして虫を集めれば友だちと交換したくなるもの。
それをゲーム上で実現することにこだわり
ポケモンを交換できるシステムを6年がかりで開発した。
一昨年には「ポケモンGO」が大ヒット。
開発当初から変わらない世界観が人々を魅了し続けているのである。
(石原恒和さん)
「子どもの足と自転車でできるひと夏の冒険みたいな世界設定。
 それはずっと一貫して変わらないアイデアや作り方です。」
日本のゲームの強みであるストーリー性や世界観。
それを次の時代に伝えようという動きも出てきている。
11月に都内の大学で開かれたレトロゲームの展示会。
パックマンなどの往年の名作の開発資料が初めて公開された。
(ゲームファン)
「すごいテンション上がります。」
「どこにもないような世界やキャラクターをイメージして
 それを魅力的にする力が優れている。」
展示会を企画した兵藤岳史さん(60)。
大手ゲームメーカーで長年ゲームを開発してきた。
自分たちが培ってきたゲーム作りへの情熱やこだわりを
若い世代にも引き継ぎたいと企画した。
(バンダイナムコスタジオ 兵藤岳史さん)
「当時つくっているのは古い時代なので
 チームの人数も少ないなかで
 しかも限られた資源の中でやっていた。
 密接にキャラクターとストーリーとゲームが結びついて
 小ぶりなんだけどそれだけで楽しめる世界。」
展示会の準備をする中で兵藤さんはあるゲームの貴重な資料を発見した。
昭和58年のシューティングゲーム
ゼビウス。
戦闘機で宇宙からの謎の侵略者と戦うSF設定が話題となり大ヒットした。
開発資料では
ゲーム上では直接表現されていないSF小説のようなストーリーが残されていた。
プレイヤーがゲームで操るパイロットが主役。
侵略者と戦う背景が綿密に描かれ
実際その後小説化された。
さらに設定にリアリティを持たせるために独自の言語も考案する徹底ぶり。
その奥深い世界観で多くのファンを魅了したのである。
兵藤さんはこうした資料からほとばしる開発者たちの熱い思いを次の世代にたくしたいという。
(兵藤岳史さん)
「もう1回見直して
 新しい日本のゲームとしての価値を作っていくところができてくれればいいと思う。」
 バンバン作って
 世界と戦っていってほしい。」



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中国「改革開放」40年 経済発展の光と影

2019-01-17 07:00:00 | 報道/ニュース

12月18日 国際報道2018


12月18日 改革開放40年を記念して行われた式典で
習近平国家主席は発展の成果をアピールした。
(中国 習近平国家主席)
「改革開放は中国の象徴だ。
 世界で2番目の経済大国で
 製造業は世界最大規模だ。
 世界の平和と発展のために今後も中国の千恵・提案・力を発揮していく。」
改革開放政策で中国はどう変わったのか。
1978年以前の中国では
“建国の父” 毛沢東の指導のもと
政府が生産販売を管理する計画経済を導入していた。
当時の事実上の指導者 鄧小平は
「改革開放」路線に転換。
中国に市場経済が導入されることとなった。
中国のGDP(国内総生産)の推移を見ると
急速に経済発展し豊かになった。
その一方で格差が広がっている。
可処分所得が上位20%の人と可処分所得が下位20%の差は広がるばかりである。

中国南部の深圳は
経済特区として改革開放政策を主導してきた。
従業員1,000人を抱える服飾メーカー。
これを1代で築いたのが会長の劉さん(48)。
(劉さん)
「深圳で成功して夢を実現しなければと自分に言い聞かせていました。」
劉さんは22歳のとき内陸部江西省から農民工として深圳にきた。
工場で働きながら食費を切り詰めて貯金をし
自分の会社を起ち上げた。
去年1年間の売り上げは日本円で80億円。
今後は海外進出も検討している。
(劉さん)
「深圳は平等で開放的で寛容な街。
 だからこそ今の私があるのです。」
こうした改革開放の成果は中国共産党のおかげだと訴える催しが各地で開かれている。
共産党の中央宣伝部が主催する展覧会では
経済・科学技術・軍事まであらゆる分野の成果をアピールしている。
(来場者)
「祖国は偉大です。
 改革開放がなければ今の私たちはありません。」
「国も科学技術も発展し
 人々の生活レベルも向上し
 本当に素晴らしい。」
展示で特に強調されているのは習近平国家主席の功績である。
“改革開放の総設計士”と呼ばれる鄧小平氏
江沢民氏・胡錦涛氏ら
歴代の指導者も紹介されているが
それを上回る圧倒的なスペースを割いて習近平氏の功績が紹介されている。
共産党1党支配の正当性を主張し
習近平指導部への求心力を高める狙いが見てとれる。
中国政府は海外のメディアに向けて
改革開放40年の成果をアピールすることに力を入れている。
原子力産業で中核を担う国有企業。
9割近い国産化率で自主開発したという新型原子炉。
ここでも習主席自らが後押しして
イギリスなど海外に売り込みを進めているとアピールしている。
(中国広核集団 報道官)
「改革開放以降イノベーションの推進に力を入れてきました。
 原子炉の国産化率は今後さらに向上するでしょう。」
政府が経済発展をする一方で広がっているのが貧富の格差である。
ハイテク企業の工場などが集まる深圳。
物価が上昇する一方で
農民工など労働者の賃金はそれほど上がっていない。
(人材手配業者)
「あと4人だよ。
 来たいなら急いで。
 時給は18元(約300円)。」
以前 農民工は努力すれば高い専門知識がなくても生活水準を上げるチャンスがあった。
しかし政府が産業の高度化を進める中で
高い学歴や技能がないと農民工は貧困から抜け出すのが難しくなっている。
現実社会で希望を失いネットゲームに依存する農民工も増えている。
内陸部甘粛省主審の陳さん(30)は深圳に来て5年になる。
日雇いの仕事をしながらネットカフェを行き来する毎日である。
(陳さん)
「学歴や技術のないものにとって深圳は残酷だ。
 農民の子どもはいい教育を受けられない。
 這い上がるチャンスなんてない。
 何が平等だ。」
こうした格差に不満をつのらせる農民工のなかには集団で抗議する動きも現れている。
抗議活動は2018年は1,600件余。
2018年7月
深圳の工場で組合の設立などを求めて農民工たちが起ちあがった。
農民工や支援者の大学生たち30人余は深圳近郊のアパートの1室で共同生活を送っていた。
外には警察とみられる車が停まり
部屋の様子が監視されていた。
内陸部貴州省から出稼ぎに来て4年になる尚さん(22)。
不平等な社会に不満を持ち
活動に参加した。
(尚さん)
「私の工場で作っている腕時計は買うことができません。
 私たち農民工が作った車も家も深圳では高くて買えない。
 今の状況を変えない限り
 私たちの子どもも出稼ぎをすることになります。」
尚さんは仲間とともに労働者の権利の保護などを求めて地元政府に陳情に向かった。
しかし政府批判を許さない大量の警察に取り囲まれ阻止された。
「何の法律のもとに我々の自由を制限するんだ!
 答えろ!」
(尚さん)
「私たちは政府に合法的に書簡を渡したいだけなのに
 何を恐れているの?」
改革開放を主導した鄧小平は
“豊かになれるものから豊かになり
 その後に他の人を助けていく”
という「先富論」を掲げた。
しかしその理想とは裏腹に
格差のひずみが溜まり続けている。




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