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朝鮮戦争休戦60年 ①休戦監視の最前線は

2013-07-31 08:00:01 | 海外ネットワーク
7月28日 NHK海外ネットワーク

太平洋戦争の後 朝鮮半島では南部にアメリカ軍が
北部にソビエト軍が進駐。
1948年 北緯38度線を境にして韓国と北朝鮮がそれぞれ樹立を宣言した。
しかし2年後の1950年6月 武力による朝鮮半島統一を狙った北朝鮮は突如韓国を攻撃。
これが朝鮮戦争の始まりである。
北朝鮮は約2か月でソウルを含む朝鮮半島のほぼ全域を制圧。
これに対し韓国はアメリカ軍を中心とする国連軍とともに攻勢を強め一気に巻き返す。
しかし北朝鮮は中国からの援軍を受け再びソウルを制圧。
北緯38度線付近で一進一退の攻防が繰り広げられた。
1953年7月27日 北朝鮮、中国、国連軍が休戦協定を締結。
韓国は戦闘の継続を主張し休戦協定には署名しなかった。
開戦直後のような大規模な戦闘こそ行われていないものの休戦協定のもと両国はいまだに戦争状態にある。

ソウルから北に約60キロ。
道路沿いに物々しい鉄条網と監視台が見えてくる。
この道の先にあるのが南北の分断の象徴パンムンジョム(板門店)。
ここでは今も両国の兵士がにらみ合いを続けている。
臨戦態勢をとる両国のすぐそばで休戦状態が保たれているかを監視する部隊がある。
朝鮮戦争で一貫して中立の立場をとったスイスとスウェーデンで作る中立国監視委員会である。
休戦協定の締結以来60年にわたって警戒を続けている。
パンムンジョムに拠点を置き現在10人の兵士が駐留している。
(中立国監視委員会 スイス軍将校)
「我々の任務は朝鮮半島だけではなく近隣の国々にも影響を及ぼす。
 難しいが非常に重要な任務なのでやりがいを感じている。」
週に1度スイスとスウェーデンの責任者が軍事境界線の上に立つ建物で協議する。
監視活動を通して得た南北の舞台の動きや兵士の人数の増減について情報交換するためである。
協議した内容は休戦協定に基づき国連軍と北朝鮮にそれぞれ提供することになっている。
毎回部屋の北側にあるレターボックスにメモを入れる。
しかし北朝鮮のレターボックスにはメモが大量にたまっていた。
(中立国監視委員会 スイス軍将校)
「北朝鮮は1995年以降一度も取りに来ていない。
 いっぱいなのですべて取り除いてからまた入れる。」
北朝鮮は1995年 中立国監視委員会は無意味なものとし委員会との接触を一方的に拒絶。
北朝鮮側と情報交換ができないまま休戦監視を続ける日々が続いている。
(中立国監視委員会 スイス軍将校)
「いまも任務は完了していない。
 私ではないがいつか後任の兵士たちが母国に帰り任務完了を報告できる日が来れば嬉しい。」






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上野駅開業130年 ホームに流れる思い出の歌

2013-07-30 08:02:36 | 報道/ニュース
7月29日 おはよう日本

28日に開業130年を迎えたJR上野駅。
上野駅と言えば昭和38年に発売された井沢八郎さんの“あゝ上野駅”。
10年前 駅前にこの歌の歌碑が建てられ井沢さん自ら歌を披露した。
“あゝ上野駅”は東北方面の列車が発車する合図として流れることになった。

明治16年の開業から130年を迎えた上野駅。
記念式典で歌われたのは“あゝ上野駅”だった。
この歌がヒットした高度成長期
就職のため上京した多くの若者にとって初めて東京に降り立つ場所が上野駅のホームだった。
上野はおいらの心の駅だ
この曲で上野駅は「心の駅」として歌われ日本の高度成長を支えた人々の思いが込められていた。
東北方面の列車が発着する13番ホーム。
開業130年を記念する臨時列車から発車を知らせるメロディーが“あゝ上野駅”に変わった。
ホームに流れる思い出のメロディーを聞くために訪れた人がいた。
「上京する時は将来は社長にと大きな夢を持って東京へ出てきた。
 上野駅はまさに私の人生の始発駅。」
「やっぱり懐かしい。
 お袋を思い出す。」
集団就職列車が運行されていた当時に上野駅に勤めていた飯塚次郎さん。
「14番15番16番線路がここまで来ていた。
 ここからお客様が入ったり
 荷物を積んだトロッコが荷物専用のホームに運んでいました。」
就職したばかりのころは慣れない環境で苦労したと言う飯塚さん。
駅に降り立つ若者に自分の姿を重ねながら見送ったと言う。
「中学を卒業して親元から離れて親に甘えたい時期なのに
 東京のど真ん中に来て生活するんだから
 これから頑張れよとエールを送る感じですね。」
新幹線が東京駅まで延長され今後は東北線が東海道線と直接結ばれるなど
北の列車の終着駅としてのイメージが薄れつつある上野駅。
いまだ多くの人たちの“心の駅”として刻まれている。
(飯塚次郎さん)
「どこに出かけても戻ってくると上野に来たんだと心が落ち着く。
 さびれず昔のままで和やかなにぎやかな駅になってもらえれば。」
胸にゃでっかい夢がある


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「サウンド・オブ・ミュージック」よみがえるハーモニー

2013-07-29 08:08:05 | 報道/ニュース
7月27日 おはよう日本

半世紀ほど前に公開され大ヒットした映画「サウンド・オブ・ミュージック」。
映画の舞台は1930年代のオーストリア。
妻を亡くした軍人トラップ大佐と子どもたちのもとに家庭教師のマリアがやってくる。
歌を通じて絆を深めていくトラップ一家とマリア。
助け合う家族の姿がえがかれている。
映画の中でえがかれた家族にはモデルがいる。
トラップ大佐と妻となるマリア、子どもたち。
このふたりのひ孫たちが今合唱団を結成。
映画でのハーモニーが時を超えてよみがえった。

美しいハーモニーを披露する4人の姉妹。
アメリカをはじめ世界各地で公演している。
25日に東京品川区で行われたコンサートは映画「サウンド・オブ・ミュージック」で使われた曲が中心。
観客の中には一緒に口ずさむ人の姿もあった。
長女 ソフィアさん
次女 メラニーさん
三女 アマンダさん
末っ子 ジャスティンさん
4人は映画「サウンド・オブ・ミュージック」のモデルとなった人物のひ孫。
映画の主人公トラップ大佐とマリア。
7人の子どもたち。
大所帯のトラップ一家でトラップ大佐の次男ウェルナーさんが4人にとっての祖父にあたる。
この時代から約半世紀を経て4人は家族での音楽活動を始めた。
(長女 ソフィアさん)
「12年前に祖父が病気で倒れたとき
 励ますために祖父が教えてくれた歌を録音して病院に持っていったの。」
(末っ子 ジャスティンさん)
「そのとき初めて音楽で人を喜ばせることができるとわかった。」
(次女 メラニーさん)
「劇場で歌うとき
 祖父たちが以前同じ劇場で歌ったことがあると聞いてびっくりしたこともある。」
トラップ大佐と家族にとって大きな転機になったのが1938年。
この年オーストリアはナチスドイツに併合され大佐はナチスへの服従を求められる。
愛国心の強い大佐は映画でえがかれているように家族を連れて国を出ることを決意。
一家は自由を求めてアメリカへ渡ったが待っていたのは苦しい生活だった。
(次女 メラニーさん)
「祖父たちは祖国を去ってアメリカに来た時にはお金もなかったから
 生活のために20年間歌い続けたの。
 大変な時代だったけどつらい状況をなんとかいい結果に変えようとして
 みんなで乗り越えてきたの。
 逆境でも家族がバラバラにならないように団結していたことも大きかったし
 音楽も大切な役割を果たしたと思う。」
その歌の力を4人が痛感下のは2001年にニューヨークなどで起きた同時多発テロ。
復旧作業にあたる消防士たちの姿を見て4人は力になりたいと「エーデルワイス」を歌った。
(長女 ソフィアさん)
「私たちが口を開いて歌う。
 ただそれだけで苦しんでいる人たちが癒しを感じてくれた。」

今回 日本で行っているコンサートのアンコールでは日本語で「ふるさと」を歌っている。
(長女 ソフィアさん)
「『ふるさと』を選んだのは我が家や故郷の思いが込められた歌だから。
 津波で自宅が壊れて戻れなくなった人たちが多いので
 そういう人たちのために歌いたいと思ったんです。」
(次女 メラニーさん)
「私たちのコンサートに来てくれた人たちが
 その数時間だけでも日頃の不安や心配事を忘れて
 楽しい気持ちや幸せな気持ちを味わってもらえればうれしいです。」
 



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味方は敵よりも怖いもの

2013-07-28 12:06:09 | 編集手帳
7月23日 編集手帳

どちらも故人である。
落語家の柳亭小痴楽さんと三遊亭金遊さんが夜の街で与太者にからまれた。
凄すごみのある顔立ちの金遊さんがひと芝居打った。
「てめえら、“爆弾の金きん”を知らねえか。相手になるぜ」

迫真のタンカに相手がひるんだとき
小痴楽さんが言った。
「ウソ。ウソ。こいつ、顔は怖いけど噺はなし 家かなの」。
悲惨な結末は申し上げない。
参院選の民主党惨敗でこの挿話を思い出した。

小痴楽さん役は、
二人の元首相である。
鳩山由紀夫氏は公示直前に
「尖閣諸島を日本が盗んだ」云々うんぬんと述べた。
菅直人氏は党の公認候補と競う候補者を支援した。

かつて民主党政権の持病であった「無定見」を鳩山氏が、
「党内不和」を菅氏がおさらいしてくれたことになる。
候補者が「民主党は変わりました」と声をからしても、
元首相が「ウソ。ウソ。以前のまんま」と混ぜっ返せば票が伸びるはずもない。

小痴楽さんに、
なぞかけがある。
新聞とかけてお坊さんと解く。
「今朝(袈裟)きて今日(経)読む」。
落選した人は
、きのうの朝刊をお通夜の心境で読んだことだろう。
ときに味方は
敵よりも怖いものである。
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ひまわり

2013-07-27 08:55:11 | 編集手帳
7月17日 編集手帳

あたりに人影はなく
風も絶え
しんと静まり返っている。
夏の昼下がりにはときどき
そんな沈黙の時間がある。
〈ひとり/げらげら/わらってる/まわりを しーんと/させちゃって〉。
まど・みちおさんの詩『ヒマワリ』である。

形容矛盾ではあるが
音のない世界をこれほどにぎやかに彩る花はほかにないだろう。
日曜の東京版に
千葉県成田市の牧場で黄金色に咲き誇る写真が載っていた。
早めの猛暑到来で、
花も幾らか急ぎ足であるらしい。

浮かんでくるヒマワリがある。
北上川のほとり
震災で児童74人が犠牲になった大川小学校(宮城県石巻市)のそばである。

わが子の生きた証しにと
あるご両親が種をまき
同じ境遇の親御さんと世話をした。
児童があの日
津波から逃れようと目指した高台である。
「しーん」とした夏景色に耳をすませば
記憶のなかの無邪気な「げらげら」が聞こえるかも知れない。

〈列車にて遠く見ている向日葵ひまわりは少年のふる帽子のごとし〉
(寺山修司)。
もうじき今年も
廃虚となった校舎を見おろす高台にその花は咲くだろう。
少年の
少女の
振る帽子のように。
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原発忌

2013-07-27 08:26:40 | 編集手帳
7月11日 編集手帳

山笑う春、山滴る夏、山粧よそおう秋、山眠る冬…。
俳人の長谷川櫂さんは詠んでいる。
〈山哭なくといふ季語よあれ原発忌〉(句集『柏餅かしわもち』より)

吉田昌郎まさおさんが食道がんで亡くなった。
58歳という。
官邸や東京電力本店からの指示が混乱、
錯綜さくそうし、
寝ぼけたような命令も飛んでくるなかで、
東電福島第一原子力発電所の所長として最悪の事態を回避すべく、
現場で陣頭指揮にあたった人である。

現場と東電本店を結んだテレビ会議で吉田さんは突然立ち上がり、
カメラに尻を向けてズボンをおろした。
パンツの中にシャツを入れ直す。
カメラの向こうには当時の菅直人首相もいた。
作家の門田隆将さんが吉田さんの談話を交えて綴つづった『死の淵ふちを見た男』(PHP)にある。

自分が感情を爆発させれば部下が動揺する。
パンツの尻を向けることで、
もろもろの不満を腹にのみ下したのだろう。
がんと被曝ひばくに因果関係はないとしても、
過労とストレスが命を縮めたのは間違いない。
暴れ狂う原子炉と格闘した末の戦死である。

長谷川さんの造語であるらしい「原発忌」という言葉が、
悲しくもこれほど胸に迫る人はいない。
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マンデラ元大統領の理想を受け継いで

2013-07-26 08:16:37 | 海外ネットワーク
7月21日 NHK海外ネットワーク

肺の感染症が再発して6月から入院中の南アフリカ元大統領のマンデラ氏。
南アフリカ各地でマンデラ氏の回復を願う祈りが連日行われている。
(ネルソン・マンデラ氏)
「今戦いをやめたらアパルトヘイトは永遠に続いてしまう。」
アパルトヘイト人種隔離政策の撤廃運動を率いたネルソン・マンデラ氏。
1976年当時の南アフリカは白人と黒人は同じバスに乗ることを禁じられていた。
異なる人種間の結婚は許されず参政権は白人だけに認められていた。
マンデラ氏は1964年 国家反逆罪で終身刑となったが獄中から黒人の解放を訴え続けた。
国際的な批判が高まるなか南アフリカ政府は東国から27年経ってマンデラ氏を釈放する。
マンデラ氏は白人と対話を重ね人種隔離政策の撤廃を実現。
黒人として初めて南アフリカの大統領に就任した。
(マンデラ大統領《当時》)
「二度と絶対にこの美しい国で人が人を抑圧し
 人が屈辱を経験することはあってはならない。」
マンデラ氏は根深い対立の歴史を乗り越えてすべての人種が平等に扱われる国づくりに力を注いだ。
そうした功績が認められノーベル平和賞を受賞している。
マンデラ氏は7月18日に96歳の誕生日を迎えた。
ボランティアの人たちが色鮮やかなカップケーキを5,000個以上並べマンデラ氏の肖像画を作った。
マンデラ氏が掲げてきた理想は南アフリカの社会を変えようとする多くの人たちを今も突き動かしている。

南アフリカの人々にとって7月18日は特別な日である。
国連もこの日を『ネルソン・マンデラ国際デー』と定めている。
マンデラ氏はアパルトヘイトと戦った67年の歳月になぞらえ
皆で67分間の奉仕活動を行なおうというのである。
ホールではボランティアの人たちが貧しい子どもたちに食べ物を送った。
「貧しい人たちを助けるため67分間をささげることは大切だ。」
人種隔離政策が撤廃されて19年 黒人も参政権を得て職業や結婚の差別は無くなった。
しかし経済活動は今も白人主導で貧富の差が広がっている。
黒人の多くは今もかつての居住区で暮らしており人種間の溝は埋まっていない。
マンデラ氏が理想とした社会を実現しようと活動を続ける人たちがいる。
そのひとりマリリン・バッサンさん。
“1人1人の力が社会を変える”というマンデラ氏の言葉に動かされ活動を始めた。
毎日のように貧しい地区を訪ね野菜の作り方を指導している。
(マリリン・バッサンさん)
「マンデラ氏の理想を受け継いでいく。
 私たちには社会を変える力がある。
 だから改善するために行動するべきだ。」
週に一度は異なる人種の子どもたちを畑に連れて行く。
黒人と接する機会の少ない子どもたちは
初めは戸惑いながらも一緒に汗を流すうちに次第に打ち解けていく。
「初めは怖いと思った。
 実際に会ってみると怖がる必要がないことがわかった。」
「いろんな人と知り合えた。
 楽しかった。」
(マリリン・バッサンさん)
「親の中には今も子どもたちに異なる人種への恐怖を植え付ける人がいる。
 互いを怖がるという悪循環を断ち切るには子ども同士が会って理解しあう機会を作るしかない。」
教育を通じて社会を変えたいという人もいる。
保育園を運営するオルガ・シノボロさんは
高校を中退し学歴がなく仕事につけない現実に直面したとき
“教育は世界を変えるための最強の武器”というマンデラ氏の言葉に出会った。
自分と同じような失敗を未来がある子どもたちにはさせたくない。
13年前 小さな小屋で保育園を始め今では250人をあずかるまでになった。
(オルガ・シノボロさん)
「マンデラ氏の夢は子どもに教育をうけさせること。
 その夢を実現させたい。」
保育園には費用を払えない家庭の子どもも少なくない。
シノボロさんは寄付を募りながらそんな子どもたちも受け入れている。
卒園した子どもの家にもたびたび足を運び学業を続けられるよう見守っている。
大統領になったマンデラ氏は貧しい家庭の子どもたちの高校までの授業料を無料にした。
しかし貧困などで約50%の生徒が高校を中退。
その多くは黒人の子どもである。
教育を通じて子どもたちの可能性を広げたいというのがシノボロさんの願いである。
(オルガ・シノボロさん)
「教育をうければ暮らしをよくすることができる。
 簡単に実現できるとは思っていない。
 でも実現に向けて前に進んでいきたい。」
平等な社会の実現を追求してきたマンデラ氏。
後に続く人たちは自分の力で道を切り開こうとしている。

南アフリカではマンデラ氏の言葉
“1人1人の力で社会を変えられる”と口にする人に多く出会う。
9年前にすべての公職を退いたマンデラ氏だが
南アフリカの人にとってその存在がいかに大きいか思い知らされる。
南アフリカはいま世界最大の格差大国と言われるほど格差が広がり
半税や汚職の万円など問題は山積みである。
そういう厳しい現実があるからこそ
不屈の精神で道を開き対話を続けたマンデラ亜氏の生き様が人々の共感を呼んでいる。
マンデラ氏が思い描いたすべての人が平等な社会には程遠いのが現実だが
マンデラ氏の理想を道しるべに人々は困難に立ち向かっていこうとしている。
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米 新駐日大使にケネディ氏起用を発表

2013-07-25 08:00:31 | 報道/ニュース
7月25日 おはよう日本

アメリカのオバマ大統領は新しい駐日大使にケネディ元大統領の娘のキャロライン・ケネディ氏を起用すると発表した。
議会上院で承認が得られれば秋にも日本に着任するものとみられる。

オバマ大統領は24日に声明を出し新しい駐日大使として現在のルース大使に代わり
ケネディ元大統領の長女のキャロライン・ケネディ氏をを起用すると発表した。
声明でオバマ大統領は“すばらしい貢献をしてくれるはずだ”として期待を示した。
キャロライン・ケネディ氏は55歳。
作家やチャリティ活動を行ってきた。
2008年1月 上院議員だったオバマ氏が大統領に立候補した際は早い段階で支持を表明し勝利に大きく貢献した。
(キャロライン・ケネディ氏)
「私の父を同じくらい人を引き付けるのがオバマ候補だ。」
多くの政治家を送り出してきたアメリカ屈指の名門一族ケネディ家。
キャロライン・ケネディ氏は43歳の若さで大統領に就任した ジョン・F・ケネディ氏とジャクリーンさんとの間に生まれた。
子どものころに撮影された映像には父親のケネディ大統領とホワイトハウスの庭で遊んだり執務室で話したり姿が映っている。
ケネディ氏の大使起用の可能性がアメリカ国内で報道されると
元大統領の娘としての生い立ちから高い関心が集められた。
(アメリカン・エンタープライズ研究所 オースリン日本部長)
「大使への指名は大統領が彼女を信頼している証拠だ。 
 アジアと日米間の重要課題についてケネディ氏が学ぶべきことは数多くある。」
ケネディ氏は議会上院で承認が得られれば秋にも日本に着任するものとみられる。
大使に就任すれば女性初の中日アメリカ大使になる。
 



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グローバル化を見据え新しい農業を目指す

2013-07-24 08:01:33 | 報道/ニュース
7月24日 おはよう日本

宮城県で行われている最新の農業技術の実証実験。
自動操縦で動かすヘリコプターを使って水田に上空から種もみをまくデモンストレーションが行われた。
大規模な農地ではこうしたじかまき栽培をすることで苗を育てる工程を省き
作業時間を4分の1に短縮できるという。
(じかまき栽培を実践する農業生産法人)
「作業の効率性を考えながら大きな面積を作業するには先端技術が最も必要。」
IT技術で栽培環境を制御したイチゴやトマトの大型の栽培用ハウス。
コンピューターを使ってハウス内の温度や空気の流れや二酸化炭素などを管理し
栽培に最も適した環境を作り出す。
(見学した農業関係者)
「これなら快適にかなりの収量をあげられる。
 非常に希望を与える成果が出ていた。」

こうした先端技術を使った農業が広がっている。
6月末 仙台市の農地に大規模な野菜工場が完成した。
農業生産法人 菊池守社長は
TPPによって貿易が自由化されても新たな農業技術によって生き残れると考えている。
ITを使った最先端の設備によって栽培を管理し安定した品質の野菜を大量生産する。
販売先は大手スーパーやコンビニチェーンなど。
年間を通して新鮮な野菜を安定供給することで付加価値を高め収益の確保を目指す。
将来は野菜の輸出も検討している。
生産を開始したばかりの施設を経団連の幹部たちが視察に訪れた。
(農業生産法人 菊池守社長)
「露地野菜 土地利用型の農業はTPPに参加すれば難しくなる。
 安定した品質で安定した出荷量で安定した値段。
 工業製品のような価値が野菜には今まで無かった。
 それを生むためにはこういう設備しかない。」
最先端の野菜工場の課題はその運営コスト。
栽培用ハウスの空気の流れを制御するファンなどを使う電気代などだけで月60万円かかる。
水道代も月10万円かかっており
今後 栽培する野菜を増やせばさらに膨らむ見込みである。
(農業生産法人 菊池守社長)
「こういった農業をするためには工業製品のように様々な経費がかかる。
 どう数字を読みコストダウンできるかが戦いになってくる。」

新たな農業技術の導入の動きがTPPを乗り切る切り札となれるのか。
その成果が試されている。




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日本の捕鯨の将来は

2013-07-23 08:15:27 | 海外ネットワーク
7月21日 NHK海外ネットワーク

日本は南極海で1987年からクジラの生態を調べる調査捕鯨を行っている。
今年は1月から3月までの間に103頭を捕獲した。
取ったクジラは無駄にしないことが求められていて食用にすることができる。
ところがこれに異を唱えたのがオーストラリア政府である。
日本の捕鯨活動は国際条約に違反しているとして3年前に国際司法裁判所に提訴した。
書面による争点の整理などを経て先週まで口頭弁論が行われた。
仮に日本が敗訴すると南極海での捕鯨は事実上できなくなる。

シドニー沖でシーズンを迎えたクジラの見学ツアー。
オーストラリアにとって年間300億円近くを稼ぎ出す重要な観光産業である。
大勢の子どもたちや外国人観光客の人気を集めている。
「クジラを見ることができてワクワクして楽しかった。」
「日本がクジラを捕獲するのは残酷だ。」
「捕鯨は良くないとオーストラリアは日本を説得すべき。
 国際司法裁判所は我々の言い分を認めてほしい。」
メディアも捕鯨の裁判について大きく伝えている。
ニュース番組のホームページには視聴者から日本に対して厳しい意見が寄せられている。
倫理的に許されない
日本は国際法を悪用して無意味な捕鯨をしている

こうした世論の背景に何があるのか。
オーストラリア東部バイロンベイに住むフランクリンさん夫婦。
夫婦は25年前にNPOを立ち上げクジラの保護を訴えてきた。
オーストラリアでは1960年代まで捕鯨が盛んに行われていた。
しかし乱獲で多くの種が絶滅の危機に直面。
一転 保護の機運が高まった。
(保護活動に取り組むウォリー・フランクリンさん)
「オーストラリアの人は捕獲でクジラが影響を受けていることに気づいた。
 1970年代には人々の考え方が大きく変わった。」
夫婦は独自にクジラの生息調査を行っている。
クジラの写真を1枚1枚丁寧に記録し頭数の増減などを調べている。
(ウォリー・フランクリンさん)
「電波での追跡 DNA採取など今はさまざまな方法がある。
 クジラを殺さなくても調査はできる。」
クジラを殺すのは残虐だなどと世論が広がるなか
オーストラリア政府はクジラ保護法など捕獲を禁止する政策を次々と打ち出した。
3年前に行われた世論調査では日本の調査捕鯨に反対する意見は90%超。
こうしたなかラッド首相は国際司法裁判所に提訴する考えを示したのである。
(2010年 オーストラリア ラッド首相)
「日本の説得を続けているが捕鯨をやめなければ行動を起こす。」

日本の捕鯨が調査目的なのか
それとも商業目的なのか。
国際捕鯨取締条約では1986年以降商業捕鯨は禁止する措置が取られている。
一方で科学的な調査を目的とする捕鯨は認められていて獲ったクジラを食べることもできる。
日本は南極海での捕鯨はこうした調査が目的だと主張している。
日本とオーストラリアの主張のどちらが正しいと判断されるのか。
今回日本は初めて裁判の当事国として国際司法裁判所の法廷に立った。
オランダ ハーグにある国際司法裁判所。
国家間の争いを法に基づいて審理し平和的な解決を目指す国連の機関である。
1946年の設立以来 扱った事例は150以上。
国家間で争われる領土や国境の問題に判断を示してきた。
また国連の機関の要請を受けて核兵器の使用の合法性について見解を示したこともある。
今回の裁判を担当するのは16人の裁判官。
日本やオーストラリアなど国政は全員異なる。
最初に主張を行ったのはオーストラリアだった。
(オーストラリア側代表 ビル・キャンベル弁護士)
「日本は調査捕鯨という隠れ蓑のもと商業捕鯨を行っている。
 日本人の多くも年間何百頭もクジラを殺す目的が科学調査とは思っていないはず。」
日本はクジラを捕獲するのは年齢や性別を詳しく調べたり
胃の内容物からどのような魚を食べているかを調べるために必要だと反論した。
(日本側代表 鶴岡公二外務審議官)
「日本が科学的な調査活動を行っているのは持続可能な方法で商業捕鯨を再開したいから。」
さらにオーストラリアは自分たちの考え方を押し付けていると批判。
法廷のもう一つの公用語フランス語も交えながら裁判官に訴えた。
(日本側代表 鶴岡公二外務審議官)
「ヒンズー教徒にとって牛が申請であるように国によってはクジラを神聖な生き物と考える。
 人々が平和に共存する唯一の方法は違いを認め合い特定の観念を押し付けないこと。」
こうした一連の批判にオーストラリアは
(オーストラリア側 ドレイファス司法長官)
「根底にあるのは感情的な反捕鯨活動た
 という日本の主張は法的な論議から逸脱している。
 オーストラリアに対して失礼だ。」
激しい応酬が行われた口頭弁論は16日に終了。
判決は早ければ年内にも示される見通しである。 


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ミャンマー代表 日本人監督の奮闘

2013-07-22 08:00:16 | 報道/ニュース
7月19日 おはよう日本

なでしこジャパンが連覇を目指す女子ワールドカップで初出場をねらうのがミャンマー代表。
日本サッカー協会から派遣された監督の指導のもと急成長を遂げている。

ミャンマー女子代表の熊田喜則監督。
来月でチームを率いて3年目に入る。
ミャンマーは去年 
隣国のライバルであるタイに勝って東南アジアの国際大会で準優勝するなど大きく飛躍した。
その手腕が評価された熊田監督は地域の最優秀監督に選ばれ
ミャンマーのサッカー連盟の態度に変化が出ているという。
(ミャンマー女子代表 熊田喜則監督)
「まわりの態度はだいぶ変わった。
 意見を聞いてくれるようになった。
 ミャンマーサッカー連盟の会長が『お前の好きなようにやれ』みたいなところがあり
 今回の日本合宿も遠征費を作ってくれたのが大きい。」
(選手)
「熊田監督が来てから
 プレーの質が上がりチームのまとまりがよくなってきたのがはっきりわかる。」
ミャンマーはワールドカップ出場権をかけた来年5月のアジアカップに出場することが決まっている。
キャンプの最大の狙いは
日本など強豪との対戦で欠かせないカウンター攻撃に磨きをかけることだった。
(熊田喜則監督)
「日本・韓国・中国とやったら“カウンター”
 必ずそういう試合になる。
 そこを今から経験して
 どうやったら点をとれるのか。」
キャンプの終盤に行った練習試合の相手はなでしこリーグで3位のチームだった。
守りに追われ劣勢のミャンマーは相手のボールを奪うことができない。
終始パスを回されシュートを打たれる。
カウンター攻撃はおろか攻め込むことがほとんどできなかった。
2点に抑えて善戦したものの熊田監督は選手にあえて厳しい言葉をぶつけた。
「勝ったわけじゃないんだよ。
 お前たちは負けたんだよ。
 負けた試合で自分たちが満足してちゃダメだって。」
翌日は男子高校生とミニゲーム。
狭いグラウンドで相手からボールを奪うことをより意識させるためだった。
ここでもボールを奪うのに苦労するが粘り強く対応した。
ボールを奪って素早くパスをつなぎ狙っていたカウンター攻撃が決まった。
(熊田喜則監督)
「ミャンマーでもサッカーはワールドカップや五輪だと時代を変えていかないと。
 自分たちはミャンマー女子代 表というプライド
 サッカー選手だというプライド
 やればできないことはないという気持ちを持たせたい。」
ミャンマーの選手たちにワールドカップの舞台を経験させたい。
大きな目標に挑む熊田監督の指導が続く。

ミャンマーはワールドカップの出場権がかかる来年5月のアジアカップで
日本を含む8チーム中5位までに入れば初出場が決まる。





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米アンシラリー市場 増える蓄電池の電力供給

2013-07-21 08:00:30 | ビズ プラス
7月14日 Bizプラス サンデー

長寿命の電力分野で伸びると見込まれているものがアメリカにある。
それがアンシラリー市場とよばれている。
ancillary=補助的な
足りなくなった電力を補助するための市場。
長寿命のリチウムイオン電池の需要が最も伸びると思われている分野である。
電力の自由化がすすむアメリカでは発電会社と送電機関に分かれて電力供給を担ってきた。
送電機関はさまざまな発電会社から電力を受けているが
電力の需要と供給のミスマッチから一時的に電力が不足することがある。
この不足分を補うために電力を売買する市場がアンシラリー市場である。
この市場で蓄電池を使って電力を供給する会社が注目されている。

全米最大規模の送電機関PJM。
13の州にまたがって事業を展開している。
送電のネットワークを管理しているコントロールルーム。
不足する電力がアンシラリー市場から調達している。
(PJM スコット・ベイカー チーフエンジニア)
「これは電力供給に対するアンシラリー市場の買い取り価格。」
PJMの電力買取価格は需要と供給の変化に応じて大きく変動する。
さらに電力の安定供給のためある特別な仕組みがある。
PJMは予測される電力の不足と価格の情報を数秒ごとに電力を供給する会社に発信している。
PJMは電力供給会社に対してその対応のスピードが速ければ早いほどより多くの代金を支払う。
こうすることで素早く安定した電力調達が可能になる。
(PJM スコット・ベイカー チーフエンジニア)
「効率的に電力を供給する事業者に多く支払う。
 蓄電池は私たちの要求に最もよく応えてくれる。」
蓄電池を使って電力を供給している会社 エクストリーム・パワー。
独自に集めた電力をリチウムイオン電池に蓄え
価格の変動を見ながら最適なタイミングで送電機関に売ることで利益をあげている。
(エクストリーム・パワー アラン・ガッチャー社長)
「需要が供給を大きく上回ると値段もつり上がる。」
売り上げを左右するのはリチウムイオン電池の性能である。
この会社では日本や韓国などの電池メーカーの製品を
出力の大きさや耐用年数などさまざまな角度から比較検討している。
(エクストリーム・パワー アラン・ガッチャー社長)
「東芝製は素材に工夫がみられる。
 長寿命でパワーが大きいのが特徴。
 サムスン製は風力、太陽光と相性が良さそう。」
今年2月 この会社がサムスンの子会社と共同開発した蓄電施設。
約700個のリチウムイオン電池を組み込み1500kwの出力がある。
この会社は次に蓄電施設では東芝製の電池も導入したいと話している。
(エクストリーム・パワー アラン・ガッチャー社長)
「電池は誓う環境に合わせて選ぶ。
 東芝製はイリノイ州で使い
 サムスン製はテキサス州で使う予定。
 本当に楽しみ。」

大手電機メーカー東芝。
アメリカで拡大が続くアンシラリー市場への参入を狙っている。
太陽光発電などの自然エネルギーや高性能のリチウムイオン電池を組み合わせたシステム。
発電から電力のっ供給までを安定的に制御する高い技術を売り込む戦略である。
(東芝 電力流通システム 高木喜久雄技師長)
「電池を置けばいいではなく
 電力系統に効果を出さなければいけない。
 アメリカのアンシラリー市場ですと
 電力系統に合う蓄電池システムを知っているかで大きな差が出てくる。
 電力系統のノウハウを持っていきアンシラリー市場にきっちり入れる。」

一方 中国企業もアメリカ市場に積極的に参入してきている。
アメリカの大手電池メーカー A123システムズを
去年12月中国の自動車部品メーカーが約260億円で買収。
関係者に衝撃が走った。
リチウムイオン電池を作る技術と販売網を同時に手に入れたのである。
(ワンシャン・アメリカ 社長)
「A123を買収したのは優れた技術
 アメリカ市場の参入にも有利だから。
 わが社にない長所を持つ企業と一緒になれば確実に高い競争力を得ることができる。
 逆に買収しなければライバルに取られわが社がやられる。」

 

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自動車産業の象徴デトロイト市財政破綻 

2013-07-20 08:00:07 | 報道/ニュース
7月19日 ニュース7

アメリカの自動車産業を象徴する都市デトロイト市が巨額の負債を抱えて財政破綻した。
景気が回復傾向にあり自動車産業の復活も鮮明になっていた中での破綻に衝撃が広がっている。
(米デトロイト18日 デトロイト市 ビン市長)
「デトロイト市は財政危機にありなんとかしようとしたが極めて困難だった。」
デトロイト市は18日 現状のままでは財政再建は困難と判断し
裁判所に連邦破産法9条の適用を申請したと発表した。
負債総額は180億ドル
日本円で1兆8,000億円を超え
自治体の財政破綻としてはアメリカ史上最大である。
このニュースにアメリカでは衝撃が広がった。
(米ABC)
大きなニュースです。
自動車の街デトロイトが白旗を上げ破綻しました。

(市民)
「財政がそんなにひどかったなんて。
 少しは良くなると思っていたのに。」
「破たん申請は市の再建にとっていいことだ。
 何らかの対策が必要だった。」

アメリカ自動車産業の成長とともに発展してきたデトロイト市。
GMゼネラルモーターズの本社や大手自動車会社の工場などが置かれて多くの雇用を生み出し
自動車の街として栄えてきた。
しかし日本の自動車メーカーなどに押されて1980年代以降は衰退が進み
2009年にはGMが経営破たんに追い込まれた。
自動車産業を救済するためオバマ大統領は多額の公的資金を投入。
景気の回復もあって自動車産業は息を吹き返した。
(去年 アメリカ オバマ大統領)
「自動車産業を見捨てようとした政治家もいたが我々は拒否した。
 そして今自動車産業は復活し雇用も戻りつつある。」
自動車産業が復活したのに財政破綻したデトロイト市。
背景には慢性的な財政難で行政サービスが低下し人口の減少に拍車をかける悪循環があった。
市内の街灯の40%は点灯できず街は暗いまま。
警察官の数も大幅に減らされている。
通報から現場に駆け付けるまでの平均時間は58分もかかり
アメリカでもっとも治安の悪い都市のひとつとされている。
治安の悪化などから自動車産業の労働者や関連工場の多くはデトロイト市から流出。
1950年代に180万人超だった人口は2010年には70万人程度にまで落ち込んだ。
去年の市の所得税収入は10年前より約30%減少。
さらに追い打ちをかけたのが
負債の支払いや退職した職員向けの年金負担といった
いわゆるレガシーコストと呼ばれる費用である。
歳出全体の38%を占め行政サービスを切り詰めても負債が膨らむ悪循環に歯止めがかからなくなっていた。
(18日 米ミシガン州 スナイダ―知事)
「デトロイトの財政は破たんしている。
 困難でつらい決断だが他に選択肢はない。」

アメリカに大きな衝撃を与えたデトロイト市の財政破綻。
市は今後裁判所の管理下で再建を目指し
金融機関からの借り入れや退職職員の年金削減などについて調整を進めるとみられる。
ミシガン州知事は中核的な行政サービスへの資金投入は続ける姿勢だが
債権の過程で行政サービスが切りつめられるのではないかという懸念も広がっている。
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「Suica」ビッグデータ “分析・販売”新サービス

2013-07-19 08:02:49 | 報道/ニュース
7月14日 ニュース7

毎日たくさんのICカード乗車券が通る駅の改札。
ここから膨大な情報が鉄道会社に送られている。
約4,300万枚発行されているJR東日本のSuica.
定期券などとして使われているものからは利用者の性別や年齢、
その人が何駅で電車に乗り何駅で降りたのかなど膨大な情報が得られる。
このビッグデータをJR東日本から買い取り独自の分析を加える新たなサービスを
大手メーカーの日立製作所が今月から始めた。
Suicaから得られる情報のうちJR東日本は氏名や連絡先といった個人情報を除く。
その上で利用者の年齢・性別・利用駅などの情報を提供する。
日立製作所はその情報をもとに首都圏の約1,800の駅について
どのような年齢層がどんな時間帯に利用しているか分析
その結果を企業に販売する。
では分析結果はどのように使われるのか。
たとえばJR渋谷駅に近い若者に人気の飲食店が新たな出店を検討しているとする。
Suicaのデータの分析から渋谷駅と同じように休日に若者が多い駅を探し出すことによって
出店先を決めるマーケティング戦略に役立つということである。
このサービスにはすでに多くの問い合わせが寄せられており
データの分析結果は年間500万円から販売するということである。
(日立製作所 流通システム本部 大関一博主任技師)
「駅ごとにどんな特徴があるのか
 商業型の駅か住宅型の駅か
 駅前に出店する会社や不動産会社がマンションを建てたり
 ダイレクトに駅にひもづくような会社には活用できる。」
一方でSuicaの情報を販売することについてJr東日本は利用者に告知していない。
(Suicaの利用者)
「駅や街が発展するならいい。
 説明してくれないと勝手に使われているのではと思う。」
「自分が知らないところで売買されるのはやはり不安なところがある。」
JR東日本は
“提供するデータに個人情報は含まれていない。
 プライバシーやセキュリティーについては厳格に取り決めており
 JRとして利用者に告知・公表を行う予定はない”
とコメントしている。
ただプライバシーの問題に詳しい専門家は
利用者への告知もルール化する必要がある
と指摘している。
(新潟大学 鈴木正朝教授)
「ビッグだーたビジネスを立ち上げるにはプライバシー保護のルールを明確化する。
 データの根本は利用者一人一人の毎日の履歴だから
 まず公表する。
 透明性を確保すること。」




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韓国ファンを増やせ「ソフトパワー」戦略

2013-07-18 08:01:03 | 海外ネットワーク
7月7日 NHK海外ネットワーク

世界72か国から選ばれたKーPOPファンたちが舞台で踊るというイベント。
仕掛けたのは韓国政府である。
K-POPの人気を生かし世界に向けて韓国をPRしようとしている。
(世界大会の主催者)
「ソフトパワーは好感度アップの鍵。」
グローバル化が急速に進む今の時代は
国の持つ様々な魅力をどうやってほかの国の人たちにアピールして
世界におけるイメージや存在感を高めていくかがこれまで以上に問われるようになっている。
特に国への好感度を高めてもらう上で重要な鍵を握っているのがソフトパワー
軍事力や経済力ではなく主にその国の文化や人の交流などが持つ発信力を指している。
このソフトパワーの力を高め最大限に活用しようとしているのが韓国である。

6月に北京で行われた韓国と中国の首脳会談。
そのさなかパク・クネ大統領が訪れたのはK-POPのコンサート会場である。
コンテンツ産業の育成と輸出を重要な国家戦略の一つと位置付ける韓国。
アイドルたちを激励したパク大統領。
K-POPは韓国の魅力を発信するための柱だと考えている。
(韓国 パク・クネ大統領)
「みなさんはとても人気があります。
 そのプライドを持って活動してください。」

韓国政府は今あの手この手で韓国ファンを増やそうとしている。
世界74か国のジャーナリストたちがソウルを訪れた。
多くはアフリカや南米など韓国とは馴染みが薄い途上国から来た。
韓国政府が無料で招待したのである。
1週間かけて伝統文化やIT技術を見せて回った。
(ジャマイカの記者)
「これほどたくさんの種類の電子機器やコンピューターを見たのは初めて。」
(ウガンダの記者)
「テクノロジーで韓国に追い付くにはやるべきことが山のようにある。」
取材旅行は世界で30本以上の生地に結びついた。
(記者招へい担当の政府責任者)
「我が国の発展ぶりを途上国に伝えることで彼らの韓国に対する印象が良くなる。
 それが韓国の発展にもつながる。」

韓国は10年後20年後を見据えた人材交流の取り組みも行っている。
エネルギーとITの2つの分野に絞った留学生の受け入れである。
この分野で海外進出を狙う韓国は48の途上国から若手の官僚たちを招いた。
天然ガスが豊富なペルーから招かれたペドロ・イスシさんは
母国では天然ガス伝を開発する外国企業の誘致にかかわる仕事をしている。
韓国政府はペドロさんに韓国で学んでもらうことで
将来韓国企業のペルーでのビジネスチャンスにつながることを期待している。
研究や生活に必要な毎月20万円の費用は韓国政府が全額負担している。
(ペドロさん)
「必要なものはすべてそろえてくれました。」
ペドロさんはエネルギー開発に関する国際学会に出席し
大学の指導教授にぜひ紹介したい人がいると言われた。
海外のエネルギー事情について調査し政策への提言を行っている政府機関の幹部である。
(ペドロさんの指導教授)
「彼はペルーから来ました。
 弁護士でもあります。」
将来母国で政策決定にかかわる官僚たちに韓国に対する親しみを感じてもらう
韓国での人脈を広げてもらいゆくゆくは強力な応援団になってほしい
それが留学制度の狙いなのである。
(韓国政府機関 幹部)
「ここに来た官僚たちはそれぞれの国ではとても有望な人材。
 今度我々が会う時には母国の政策を決めるような立場になっているだろう。」
(ペドロ・イスシさん)
「ビジネスの相手としては文化にまで親しみを抱いている国の方がやりやすい。」








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