もうこの先、
転勤とか引越しとか私の人生関係なしだと思っておりました。
あったとしても、
娘が札幌に戻ってくるときか、
大どんでん返しで結婚しちゃうとかね。
あるいは…私が家出を決行するとかね…(爆)。
単身赴任ですわ。
え?…
それが夫ではないんです、私の兄でして。
兄からの電話ほど恐ろしいものはないでして、
また父に何かあったのではと引きつったのですが、
兄も兄でしっかり読んでおりまして(笑)。
『おぅっ、ちびか?ちび。
オレだ、親父じゃないからな、
親父は元気だからな、オレだオレっ』。
って兄が病気かと焦ってわなわなだったのですが。
『おぅっ、オレ札幌に単身決まったから。
すまんけどこれから行くけど居るか?』
もう、どっひゃ~でしたわ。
まさか兄が転勤、
それも単身赴任で札幌だとは…
あ、
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
ちびとは、
このデカくていい歳したおっばはぁ~んのワタクシのことにございます。
一応念のためにね(笑)。
ちびフォーエヴァーですわ(笑)。
そんなんで、
ひょっこり兄と兄の娘3人が我が家にやってきまして。
ちなみに兄は夫婦と子供4人。
長男は江別でアパート暮らし中。
兄が単身となると家が3っつに。
といいつつ、
我が家も一人に家が一つの時代がありました。
娘は弘前、
夫は単身函館、
私は一人で札幌。
一人暮らしよ、
一人で西野と今の家で優雅な暮らしを送っていた(爆)。
今ならどうするかなぁ、
どうなるのかなぁ、夫に転勤話が出たら。
断固この家守りますって同行を拒むか(笑)、
夫のほうから来なくていいよと話が出るか(爆)、
泣く泣くこの地を離れるか…
兄の話だったのにね、
かなり私にはショックな話だったのでした。
…父が聞いたらもっとショックでしょね、
頼りにしているので。
そばに居るのと居ないのではね。
気持ちは変わらないのにね。
(父と兄夫婦は同居ではなく隣町です)
と。
午後からばたばたと過ぎまして、
今日はジャンプ進んでおりません。
無理やり(笑)話題をアップいたしやしょう。
琴似の地図というか、
まぁこれも地図でしょか。
今の街並みは昔はこうだったと。
この頃の写真を見ると絶句ですわ。
ひどい…
よく入植開拓してくださったとね。
なんだか写せませんでしたもの。
この頃で約135年前でしょ、計算すると。
木の根がごろごろというかにょっきにょき。
これを掘ってでしょ。
これがここだけじゃなくて一面こうだったわけでしょ。
それが今の商店街で琴似で西区で札幌だったわけでしょ。
はぁ~。
インガルス一家大好きだったんですけどね。
憧れていたんですけどね。
はぁ~っ。
なんかすっごいローカル地域ネタ?(笑)。
もうご近所エリアの生活圏なものでして…
この頃にシルバーシャンツェとアルファシャンツェよ。
建造されていたんだからすっごいと思いません?
…手元にある本にね、
『大正のはじめから昭和、
札幌周辺のスキー場にジャンプ台約20ヶ所』ての見つけましたわ。
うぉぉぉっですわっ。
あ、
今日はジャンプじゃないはず(笑)。
で。
昭和30年 1955年8月8日
なんだかおソロな数字の日ですけど。
七夕の次の日のこの大火、
琴似本通りの両側に燃え広がって、
逆に今の街づくりになっていったとか。
ジャンプ台を追いかけているんですけど、
どうしても付加というか、
他サイドからの攻めも必要となってきまして。
平行して地域の歴史や流れも関わってくるわけでして。
…って今日はジャンプ台の話題じゃないのにね(笑)。
夢見ちゃいましたから。
赤いダウンで探し歩いている夢(笑)。
…って初めてこのブログころころ画像だけ見た人は、
とても奥様のブログには見えないでしょね…
私これでも奥方様(笑)。
ちなみに住んだ家はここで14軒目。
これは結構な部類ではないかとね(笑)。
いかがでしょ??