♪演奏中に脳内がこんなになったことも、かつてはしばしばありました…
今、ぼくの周りを見回しても、音楽と関わっている身内は誰もいません。ただのひとりも、です。
その代わり、と言ってはなんですが、絵に関わっている者はかなりおります。父方の祖母は日本画を近所の人に教えていたし、母は趣味の油絵をもう数十年も描き続けています。そのほかには、昔、少女漫画誌に投稿しては、よく賞を貰ってきてた人、美大を出てグラフィック・デザイナーになっている人などなど。
しかし、音楽に関わっている者は、なぜかぼくだけなんです。不思議だ…
幼稚園の時、オルガン教室をたったの一日で挫折したのちは、テレビの歌番組を見るくらいで、ほとんど音楽とは無縁の少年時代を送っておりました。ところが小学校で耳馴染みの良いクラシックと接して音楽に対する垣根が下がり、小4の時には初めてビートルズを聴いていずれは「Let It Be」をピアノで弾いてみたい、という野望が芽生えました。しかし、家では姉がエレクトーンを習っていた程度で、自分と音楽との距離はまだまだ遠かった。中学に入ってからは野球少年だったし。
中3の3学期、「最後の音楽のテストのテーマは、好きな曲を好きなメンバーで演奏すること」というお達しが出ました。友人Kとふたりで組むことになり、そこでひらめいたのが「Let It Be」!
放課後、ひそかに音楽室へ行き、先生に平蜘蛛のようになって頼みましたよ。「先生、レット・イット・ビー弾けるように教えてくださーい」
だいたい、若い女の音楽の先生が受け持つ授業に、ナマイキ盛りの中学生がおとなしく授業を受けていたことなどそれまで全くなく、この時も先生は一瞬「何をたくらんでいるのか…」と疑惑を抱いたようでしたが、ぼくが真剣だと見てとるや、快く承知してくれました。
なにぶん地方都市のことですからピアノが弾ける男の子がすでに珍しい存在なんです。そこでぼくがピアノを弾くとどうなるか。
これはウケる!
と計算するのは雑念まみれの中学生としては当然のことでありましょう。
基礎が全くない状態なので、曲そのままのコピーなどとてもできない。そこで先生はイントロを簡単にアレンジ、あとは右手でメロディ、左手でブロック・コードという手抜きワザを伝授して貰いました。
それからはもう、練習に励みましたよ。でもね、
「きっとレット・イット・ビーを弾けるようになってやるんだ」
と決意したわけじゃなくて、女子連中に
「MINAGIくんがピアノ弾くのぉぉ~ええぇぇぇ~」と言わせてモテてやろうという欲望だけでした。いやもう、今思うと、ええ、
バカ丸出しですね。
しかし、この頑張りが、コードの構成音が瞬時にわかる、という思わぬ成果に結びつきました。今でもこの成果はたいへん役に立っています。
そしてこの時に、楽器を演奏することに対しての抵抗も無くなっていったのでした。
さて、話は高校時代に進みます。入学間もない頃、クラブのオリエンテーションがありました。そこで吹奏楽部が演奏したのですが、部紹介の場ですから、難しい曲なんかじゃなくて、ディスコ・ソングの「ハッスル」(ヴァン・マッコイ)なんかを披露しています。
この時のドラマーがとても上手く、カッコ良かった。もう考えることはただひとつ、ですね。
「これはオンナのコにモテるはず!」(こればっかし…)
そしてそのまま吹奏楽部のドアを叩いたのでした。
しかし世の中甘くない。ふだん演奏するのはほとんど吹奏楽用の曲で、その時担当させられるのはシンバルだの大太鼓だのばっかり。あぁ、こんなハズじゃなかった… しかも放課後は、練習台とメトロノーム相手にひたすら基礎練習の繰り返し。先輩をさしおいて、初心者がすぐにドラムセットに座ることができるわけがない。
人間万事塞翁が馬、などと言いますが、この時の基礎練習が知らない間にリズム感を養ってくれてたんですね。これにものちにたいへん助けられました。
ただ、この世には「グルーヴ感」というものがあり、それが無いといくら正確に演奏してもダメなのである、ということが解ったのものちのことで、それはそれでたいへん悩まされました…
そうこうしているうちに毎年恒例の定期演奏会の日が近づいてきます。1500人クラスの大ホールがほぼ埋まる一大イベントです。この時にはポップスもたくさん演奏するのですが、当然先輩ドラマーが脚光を浴びることになります。
半分クサっていたぼくに部長が言いました。「ポップスの時、エレキベース弾けよ」。
こうしてついにベースと出会ったのです。ちなみに、その時の曲の中に、スティーヴィー・ワンダーの「サー・デューク(愛するデューク)」がありました。もちろんあの複雑なキメのユニゾンはベースも参加。うぅぅ~、初心者にはあんまりな仕打ちではないか~
定演の練習には、OBで国立音大卒の方がコーチに来ていました。地元でビッグ・バンドを運営している方ですが、ある時いきなり「お前、うちのバンドに来い」
練習場所に行ってみると、「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト ビッグバンド部門準優勝」などの華々しい賞状の数々が……
そしていきなり100曲以上の譜面をドサッとばかりに渡され、こう申し渡されます。「弾けるようにしときなさい」。ロック、フュージョンの譜面もありましたが、オーソドックスな4ビートものもタップリ!その頃は秋から冬にかけてダンスパーティーが盛んに催されていましたから、当然「それに間に合わせろ」ってことです。
こうしてワケの解らぬうちにジャズとの出会いも果たしてしまったのです。
その後、不思議とベースとは縁が切れることがなく、今に至っているというわけです。
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