ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト 【1】

2020年06月14日 | 随想録

【Live Information】

 
 
 ジャズバーGROOVYの洋子ママより、facebookでのバトン「毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト」のご指名いただきました。
 おそらく「世の中『自粛自粛』でヒマができたから、その持て余しているヒマを楽しく使おう」という趣旨ではじまったものなんじゃないかと推測してますが、洋子ママからは「自粛云々は別として貴殿が影響を受けたアルバムがなんであるか興味があるのでゼヒ」、ということなので、長いだけでありきたりな内容になるとは思いますが(しかもジャズだけではないと思います)、facebookで書き綴ったものを転載します。


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★毎日1枚、自分に影響があったアルバムをご紹介するプロジェクト★


【1】 ビートルズ 「1967~1970」(通称:青盤)

 
 あれは忘れもしない小4の冬。
 「遊びに来ん?」と誘われて、学校の帰りに行った友だちの家。
 部屋でダベったりゲームしたりがひと段落して、もうじき日が暮れるというとき、そいつが「うちの兄ちゃんのレコード、聴かせてやろうか?」と言ったんです。
 かけてくれたレコードから流れてきたのは、ピアノによるシンプルなイントロ。
 
 
 部屋は夕陽でオレンジ一色に染まっています。
 その、窓から夕陽が見える部屋に、おごそかに響くピアノと、甘いんだけどどこか感傷的な歌声。
 この瞬間、ぼくはそれまで音楽にほとんど興味がなかったにもかかわらず、「いつか必ずこの曲をピアノで弾いてみたい」と決心したのでした。
 
 
 ぼくの心を一瞬で捉えたこの曲は、「レット・イット・ビー」です。
 かけてくれたレコードは、「青盤」という通称で知られている後期ビートルズの2枚組ベスト・アルバムでした。
 そして、これが「ロック・ミュージック」というものに生まれて初めて触れた日でもありました。
 この体験は、今でもその情景をありありと思い浮かべられるくらい衝撃的でした。
 おかげで一生音楽と離れられないだろう生活を送っています。
 シアワセなことだと思っています。
 
  
 そして月日は流れ、中学3年の3学期。
 音楽の授業の最後の試験の内容は、「誰と組んでもいいから、好きな曲を演奏すること」。
 すぐさま友人K君を誘い、「レット・イット・ビー」をやることに決めました。 
 もちろんぼくはピアノを弾くつもりです。でも相変わらずまったく弾けないままです。
 田舎の中学のこと、ギターのコードをジャカジャカ弾くことのできるヤツすら学年で数人程度、カゼならひくけどピアノを弾く男子なぞ皆無でしたが、レット・イット・ビーをやるならどうしてもピアノを弾きたかったのです。
 
 
 そして、音楽の先生へお願いに行きました。
 「レット・イット・ビーをどうしても弾きたいんです。ピアノを教えてください」
 音楽の授業というと、男子は「いかにふざけるか」がテーマみたいな年頃なので、その中のひとりだったぼくが放課後の職員室に現れたものだから、先生は最初かなり不審げだったんですが、本気で頼むと快くOKしてくれました。
 「ただしビートルズのレコードどおりに弾くのは時間的にみてムリだから、簡単な方法を教えてあげる。」
 たまたま姉が習っていたおかげで、家にはエレクトーンがありました。
 夜中にヘッドホンをつないで、結構練習を頑張ったんです。
 おかげで、最後の試験は無事に弾き終えることができました。
 
 
 どういう縁か、いまではピアノではなくてベースを弾き続けていますが、音楽に浸ったまま人生の終盤を迎えられているのは、小4の時にふとしたことで「レット・イット・ビー」を聴いたからなのです。

 

コメント (2)
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