音楽というのは面白いもので、同じ曲を演奏しても、メンバーが変われば全く別のサウンドになってしまうことがあります。
メンバーの組み合わせによっては、出てくるサウンドの広がりが素晴らしいものになったり、反面、狭くてつまらない音になったり。
凄腕ミュージシャンの集まりである「スーパー・グループ」の音楽が必ずしも最上級のものになるとは限らないんです。不思議ですね~。清原、小久保、江藤、ローズ、高橋由、阿部、二岡、清水などなど、3・4番クラスの打者をズラリと揃えた某巨人(どこが某やねん)が強力チームにはなり得なかったことに似ています。
メンバーの組み合わせによって出てくる音の違いって、ある薬品と別な薬品を混ぜ合わせた時に起こる「化学反応」のようなものかもしれませんね。
メンバー同士の、波長や、相性の問題もあるのかも。
昨夜は自分が「リーダー」としてのライブだったので、かねてから試してみたいと思っていたメンバーによるピアノ・トリオで臨んでみました。
ピアノとドラムが初顔合わせでしたが、どんな音になるのかは、ある程度は予想していました。しかし、予想以上に興味深いことになりました。
まだまだ音を練り上げて行かねばならない三人ですが、とても大きな可能性を感じることができてちょっと嬉しいのです。
お客さまにもとても喜んで頂けましたしね。
三人ともが全力を尽くしたアツい演奏ができたことがまず嬉しい。
三人それぞれが持てる手段を活かして、「生きた音」を出そうとする緊張感。
仮にミスっても誰かがフォローしてくれる、という安心感。
創造的なサウンドを出そうとする前向きな姿勢。
これは、三人全員が、まずは他のふたりの音楽観(仮にそれが自分と違うものだとしても)を素直に認めることを前提としていたからこそできたことだと思うんです。だからこそ、他のメンバーの「創造的な自由」を積極的に受け入れることができたのだと思います。お互いがお互いを高め合い、カバーし合う関係です。
ぼくは、こういうのを「音楽的な信頼関係」と呼んでます。
でもこういうことって、音楽上に限られたことではなくて、どの仕事、どの世界にも当てはまることなんですよね。
例え音楽的相性が合わなくても、相手の音楽性を受け入れることで、何かが生まれることって往々にしてあります。これは、自分が謙虚であることが大事だ、ということも言えるのではないでしょうか。
時々いっしょに演奏するある女性プレイヤーがいます。彼女は常に「自分が中心」という意識を持っていて、他のメンバーの音楽観をあまり認めようとはせず、時には自分の音楽観以外の考え方を否定したりもします。つまり、共演者を信頼して音楽を作っていこうという気持ちがあまりないようなのですね。そして自分の狭い音楽観のみを他のメンバーに押し付けようとするので、実はぼくはその人と一緒に演奏するのが苦痛だったりします。
でも実際ステージに上がっている時はそんなことは言っていられません。それにぼくは、「バンド・リーダーには従うもの」だと思っていますから。
しかしそのリーダーの音楽性・人間性が狭い場合、出てくる音も自然狭くてつまらないものになるところがとても面白いと思っているのです。(面白い、と言うと語弊があるかな)
昨夜の演奏を振り返ってみると、改めて「信頼関係というものがどれほど大事か」ということに気づかされます。また信頼関係を築くことはとてもたいへんなことではあるけれども、反面、それを築くのは自分次第でもあるんだ、ということをも改めて思い起こさせてくれた夜でもありました。
おかげでだいぶ元気が出ました。「人生楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」ってとこでしょうか(笑)。前回の記事で心配して下さった方々、ありがとうございました。(といっても、きっとまたヘコむ時はやって来るでしょう。落ち込んだり、元気になったり、われながら忙しいな~)
人気blogランキングへ←クリックして下さいね
メンバーの組み合わせによっては、出てくるサウンドの広がりが素晴らしいものになったり、反面、狭くてつまらない音になったり。
凄腕ミュージシャンの集まりである「スーパー・グループ」の音楽が必ずしも最上級のものになるとは限らないんです。不思議ですね~。清原、小久保、江藤、ローズ、高橋由、阿部、二岡、清水などなど、3・4番クラスの打者をズラリと揃えた某巨人(どこが某やねん)が強力チームにはなり得なかったことに似ています。
メンバーの組み合わせによって出てくる音の違いって、ある薬品と別な薬品を混ぜ合わせた時に起こる「化学反応」のようなものかもしれませんね。
メンバー同士の、波長や、相性の問題もあるのかも。
昨夜は自分が「リーダー」としてのライブだったので、かねてから試してみたいと思っていたメンバーによるピアノ・トリオで臨んでみました。
ピアノとドラムが初顔合わせでしたが、どんな音になるのかは、ある程度は予想していました。しかし、予想以上に興味深いことになりました。
まだまだ音を練り上げて行かねばならない三人ですが、とても大きな可能性を感じることができてちょっと嬉しいのです。
お客さまにもとても喜んで頂けましたしね。
三人ともが全力を尽くしたアツい演奏ができたことがまず嬉しい。
三人それぞれが持てる手段を活かして、「生きた音」を出そうとする緊張感。
仮にミスっても誰かがフォローしてくれる、という安心感。
創造的なサウンドを出そうとする前向きな姿勢。
これは、三人全員が、まずは他のふたりの音楽観(仮にそれが自分と違うものだとしても)を素直に認めることを前提としていたからこそできたことだと思うんです。だからこそ、他のメンバーの「創造的な自由」を積極的に受け入れることができたのだと思います。お互いがお互いを高め合い、カバーし合う関係です。
ぼくは、こういうのを「音楽的な信頼関係」と呼んでます。
でもこういうことって、音楽上に限られたことではなくて、どの仕事、どの世界にも当てはまることなんですよね。
例え音楽的相性が合わなくても、相手の音楽性を受け入れることで、何かが生まれることって往々にしてあります。これは、自分が謙虚であることが大事だ、ということも言えるのではないでしょうか。
時々いっしょに演奏するある女性プレイヤーがいます。彼女は常に「自分が中心」という意識を持っていて、他のメンバーの音楽観をあまり認めようとはせず、時には自分の音楽観以外の考え方を否定したりもします。つまり、共演者を信頼して音楽を作っていこうという気持ちがあまりないようなのですね。そして自分の狭い音楽観のみを他のメンバーに押し付けようとするので、実はぼくはその人と一緒に演奏するのが苦痛だったりします。
でも実際ステージに上がっている時はそんなことは言っていられません。それにぼくは、「バンド・リーダーには従うもの」だと思っていますから。
しかしそのリーダーの音楽性・人間性が狭い場合、出てくる音も自然狭くてつまらないものになるところがとても面白いと思っているのです。(面白い、と言うと語弊があるかな)
昨夜の演奏を振り返ってみると、改めて「信頼関係というものがどれほど大事か」ということに気づかされます。また信頼関係を築くことはとてもたいへんなことではあるけれども、反面、それを築くのは自分次第でもあるんだ、ということをも改めて思い起こさせてくれた夜でもありました。
おかげでだいぶ元気が出ました。「人生楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」ってとこでしょうか(笑)。前回の記事で心配して下さった方々、ありがとうございました。(といっても、きっとまたヘコむ時はやって来るでしょう。落ち込んだり、元気になったり、われながら忙しいな~)
人気blogランキングへ←クリックして下さいね
この記事を書いてもう18年経ったのですね~
でもこの記事に関する自分の価値観は全く変わっていません。互いに敬意を払えない方、心にもないことを平気で言う方とは今では心の中で距離を置いています。
Unknownさんのとった行動、ぼくはそれが正解だと思います。残念なことに、立派なことは言うけれどそれは自分を良く見せたいだけだったり相手にマウントしたいだけ、という方はとても多いですから、イヤな思いをさせられる相手にわざわざ近寄っていく必要はありませんものね。
縁があればまたその方とも出会うでしょうけれど、その時は「おかげで自分もひとつ勉強になった」と心の中で思えるようになればいいですね。(無理に仲良くする必要はないです)
(自分でいうのもなんですが)大事な記事にコメントありがとうございました。
誰かとチームを組んで、一緒に音を出場合、ぼくは「してはダメなこと」を指示するより、「こうして欲しい」と思うことを指示するようにしています。その方が自分の目指すことを具体的に、プラス思考で伝えられると思うからです。
相手を信頼していないリーダーは、「してはならないこと」のみを羅列しがちですが、そうなると逆にメンバーは何をしてよいのかわからなくなり、方向を見失う可能性が大きくなると思うんです。
hippoさんのおっしゃる通り、メンバーの可能性をできるだけ引き出すこと、言い換えれば、メンバーがいつも以上の音を出せるような雰囲気を整えることが、リーダーとして大事なことのひとつだと思いました。人に命令するだけではリーダーは務まらないですもんね。良い勉強をさせてもらってます。
波長、相性、信頼度…
チームを組んで共同作業する場合、メンバーによって違った結果を生むということは多々ありますね。音楽的なことは経験が無いので分かりませんが、組んでみてそれぞれが何らかの可能性を見出せたことは大きな飛躍に繋がる素敵な体験だと思います。そして聴いている人々も同じ思いを経験したのだろうと思います。
信頼関係、とても大事なことですね。個人プレイするならともかく、共同作業の場合、これが無いとてんでバラバラになって結果がちぐはぐになりよく分からないものになってしまう。そんな場合、リーダーは大変です。別畑のヨーヨーマがウィントン・マルサリスと競演して音をなぞるシーンを思い出しながら読ませて頂きました。MINAGIさんがリーダーで、メンバーのいろいろな可能性を引き出されて熱い演奏が完成したのでしょう。聴きたかったなあ
ジャム・セッションお疲れ様でした!
何度も何度も実際にバンドとして音を出していく経験を積むことが大事ですから、どんどんジャム・セッションに参加して、ハイテンションで吹き倒してみましょう!
>信頼できる人たち
大丈夫です。一生懸命やっていれば、同じ価値観を持つ人と巡り合うことができるはずです。ほら、よく言うでしょう、「類は友を呼ぶ」って。あれ、ほんとだな~と思うんですよ。
お互いに頑張りましょうね。そしてステージでは「焼きウ○コ」(笑)の心で!
ライブお疲れ様でした!
化学反応とかの話は良く分かりますよ~。
でも私は身をもって体験した事はまだありません。頭では分かったつもりになってますが(笑)
いつかそんな信頼できる人たちと音楽をやりたいなぁと思います。
そのためには上手くならないと!練習せねばー!
>信頼関係がなければ産まれなかった音楽
同感です!譜面なし(エリントン楽団でしたっけ)であれだけのアンサンブルを生み出すんだから、厳しさの中にある信頼関係の強さ、覗えますよね。
メンバーそれぞれの責任感があってこそ信頼関係が成り立つように思います。
>ぶつかり合いの産む緊張感
あ~、こういうのって聴いててゾクゾクしますもんね。それこそその場で何が起こるかわからない面白さが味わえますから。ジャズでもビル・エバンスとスコット・ラファロの関係などでそういう緊張感が垣間見えますね。
ラテン系のバンドの、ティンバレス同士のインタープレイというか、バトルを見たことありますが、あれも凄かったな~。もう目が釘付けでしたよ。
バンドに於ける信頼関係と言うと、思わずカウント・ベイシーという名を思い出したりします。あと、エリントンとか。あそこら辺の音楽は、間違いなく、信頼関係がなければ産まれなかった音楽って感じがしますよね。
ジャズに於いては、信頼関係が強力な音楽を産む土壌になるんでしょうね。
一方で、ロック系では、ぶつかり合いの産む緊張感、みたいな名盤も結構ありますよね。(CSN&Yとか)
音楽って、深いですね