【Live Information】
コントラバスは、ジャズにおいては概ねピチカート奏法(指弾き)で演奏されますが、アルコ(弓)でソロをとる人も少なからずいます。
ポール・チェンバースなんかの流暢なアルコ・ソロなんかを聴いていると、やっぱり「カッコいいな」と思っちゃいますね。
最近の自分は、美しいメロディを丹念に弓で弾いてみたいと思っていて、「Someone to Watch Over Me」や「In a Sentimental Mood」なんかを好んで弾いているのですが、クラシックやジャズ以外でも意欲をかきたてられる曲はたくさんあります。
いいなあ、と思ってときどき部屋で弾いているのが、「浜辺の歌」とか「アメイジング・グレイス」、そして「ダニー・ボーイ」です。
「ダニー・ボーイ」はアイルランド民謡です。
イングランドで弁護士のかたわら作家・作詞家としても活躍していたフレデリック・ウェザリーのもとに、アメリカに住む義理の姉(あるいは妹)から「ロンドンデリーの歌」の楽譜が送られてきました。1912年のことです。
ウェザリーは、別の曲のために1910年に書いていた歌詞を「ロンドンデリーの歌」のメロディに合うよう書き直し、1913年に発表しました。
これが現在「ダニー・ボーイ」として愛唱されているものです。
その後、イギリスのオペラ歌手であるエルシー・グリフィンによって歌われたことによって広く知られることになりました。
フレデリック・ウェザリー(Frederic Edward Weatherly 1848~1929)
ぼくの好きな映画のなかに「メンフィス・ベル」と「ブラス!」がありますが、その両方で「ダニー・ボーイ」が効果的に使われています。
「メンフィス・ベル」では、出陣前のパーティでハリー・コニックJrによって歌われるシーンがあるほか、瀕死の重傷者を乗せた満身創痍のメンフィス・ベル号の帰還時にこのメロディーが流れ、クライマックスをより劇的なものにしています。
「ブラス!」では、炭鉱町のブラス・バンドのリーダーが病に倒れ、炭鉱も閉鎖が決まり、涙を呑んでバンドは解散せざるをえない状況に追い込まれます。リーダーが入院している病院の夜の中庭で、バンドのメンバーたちがお別れにこの曲を奏でるのです。思わず涙腺が緩んでしまう場面です。
この両方に共通しているのが、「別れ」の場面で曲が使われているところなんですね。
「ダニー・ボーイ」は、別れの歌です。
異性に対する別れの歌とも言えますが、遠く離れた土地へ旅立つ息子に対する親の気持ち、または子(あるいは孫)を戦地へ送り出しつつもその身を案じる親の深い愛情を歌ったものと解釈されることも多いようです。
歌詞の冒頭に出てくる「パイプの音色」は、兵を召集するバグパイプの音色のことなんだそうです。
原曲である「ロンドンデリーの歌」の成り立ちについてはよくわかっていません。
北アイルランドのロンドンデリー州(デリー州。長年アイルランドを支配してきたイギリス人が『ロンドンデリー』と呼ぶ)に住んでいたジェイン・ロスによって1855年に採譜されてから広く知られるようになりました。
その後、アイルランドの作曲家チャールズ・スタンフォード(「惑星」を作曲したホルストの師)が、故郷を想って「アイルランド狂詩曲」を作曲しましたが、6曲からなるこの狂詩曲の第1曲で「ダニー・ボーイ」のモチーフが何度も出てきます。これによってイギリスのクラシック音楽の世界で「ダニー・ボーイ」が認知されるようになったと言われています。
また現在「ダニー・ボーイ」が世界中で愛されている背景には、移民として海外へ移っていったアイルランド人の苦難の歴史があります。
19世紀中頃にアイルランドは100万人もの餓死者を出した大飢饉に襲われました。
アイルランド人は生き延びるため、海外、とくにアメリカに渡ってゆきました。
1901年のアイルランドの人口は450万人。死亡と移民が原因で、その60年前の820万人から激減しています。
アイルランド移民は、移り住んだ地で「ダニー・ボーイ」のメロディーを聴き、歌って祖国をしのんでいたといいます。
そして1914年には第1次世界大戦が起こります。
この大規模な戦争で多くの肉親が離れ離れなってしまいますが、そんな人々の胸にも「ダニー・ボーイ」は切なく響いたのです。
こうして「ダニー・ボーイ」は故郷を懐かしみ、肉親を案ずる切ない気持ちとともに世界に広まってゆきました。
ゆったりして起伏に富んだ、優しく、切ないメロディー。
子供のころに親しんだ景色、懐かしい故郷の野山が記憶の底から蘇ってくるようです。
クライマックスのハイ・トーンを聴くと、胸が締め付けられるような気持ちになります。
心が洗われるような、美しい曲です。
多くの歌手がこの曲をレパートリーに入れていますが、なかでもアンディ・ウィリアムスやエルヴィス・プレスリーが愛唱していたことは有名です。
アイルランドの風景
フィギュアスケートの荒川静香さんが使って一躍知られるようになった「ユー・レイズ・ミー・アップ」は、「ダニー・ボーイ」をベースに書かれた曲です。
ケルティック・ウーマンの代表曲でもありますね。
【歌 詞】
【訳 詞】
ああダニー、バグパイプの音色が呼んでいる
谷から谷へ、山のほうへと
夏は過ぎ去り、バラの花は枯れ落ちゆく
あなたは行かねばならない
だからわたしも待っている
でもあなたが帰って来るのは牧草地が夏になる頃だろう
あるいは谷が静まり雪で覆われる頃だろうか
太陽の光の中だろうと暗闇の中だろうと
わたしはここであなたの帰りを待っている
ああダニー、とても愛している
もしかするとあなたは花が枯れてしまう頃に帰ってくるのだろうか
たぶんわたしは生きてはいないだろう
あなたは帰ってきてわたしが眠っている場所を見つけてくれるだろう
そしてひざまずいてわたしのために祈ってくれるのだろう
わたしの上のあなたの足音がかすかであってもわたしには聞こえるだろう
そしてわたしの見る夢は、温かくも甘いものになるだろう
もしもあなたが愛していると言ってくれるのならば
あなたが帰ってくるまで、わたしは安らかに眠っていよう
◆ダニー・ボーイ/Danny Boy
■作 詞
フレデリック・ウェザリー(1913年)
■作 曲
不詳(アイルランド民謡)
映画『メンフィス・ベル』クライマックス・シーン
ダニー・ボーイ (映画『ブラス!』より)
ケルティック・ウーマン「ダニー・ボーイ」
ケルティック・ウーマン「ユー・レイズ・ミー・アップ」
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