八咫烏の道案内
令和2年3月7日(土)
私の子ども時代は、12月28日頃、
恒例の餅つきを母屋でやった。
母親は4時頃母屋へ。
私は5時過ぎに起き、母屋へ行く。
小突きをやり、つきたての餅で、
小豆や大根おろし、きなこなどをまぶして
おなかいっぱい食べた。
最初の一臼は、鏡餅になり、神前に!
その鏡餅は、八咫鏡ともいう。
直径20センチ以上の大きな思い丸餅。
「翌年も円満に!」という祈願!
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本当の「八咫鏡」は直径46センチほど
あるという。
今朝は、深谷市。
楡山神社参拝!
ハルニレの大木が以前にあり。
今は蘖(ひこばえ)が何本も我先にと
競っている。
早めに育てる木を決めた方が・・・。
御社名の由来は、御神域一帯に
楡の木が多かったことによる。
当社の御神紋の「八(や)咫(た)烏(がらす)」
は、初代神武天皇の東征の際、
南紀の熊野から、翼の大きさ八尺余り
の八咫烏の道案内で、大和に入ったと
いふ故事から、当社が熊野権現と
いわれた時代に定まったともいわれる。
東参道入口左百㍍道路際にある芭蕉句碑。
句は、
「冬こもり
又よりそはむ
此はしら」。
元禄元年。
前年から旅に出て十月末、帰庵した芭蕉
には、特別の懐かしさが感ぜられたで
あろうし、
久しぶりで自庵で冬籠もりをする
落ち着いた気持ちもある。
「又」と「此」の二文字から
その心を読み取ることができる。