初節句から更科逆さ紀行へ
令和2年3月3日(火)
今日は、孫の初節句。
1日の日曜日に、節句祝いをし、
写真を十数枚ラインで送ってくれた。
可愛く、煌びやかな雛飾りの前で、
ニコニコ笑顔の孫。
みんなにかわいがられ、ほんとに
嬉しそう!
ついほころびる。
家でもお内裏様とお雛様を!
笑顔一杯、花一杯で、今日も安寧に!
さあ、今日から更科逆さ紀行へ。
更科蕎麦と更科への月見かな?
「更級(更科)蕎麦」
蕎麦通でない私でも記憶のある言葉
であるし、勿論食した事もある。
最近はあまり目にとまらない
「更科(さらしな)」。
思わず更科ってどの辺り?
長野あたり?。
調べると、千曲市の上山田から八幡に
かけての地域名。
歌枕のひとつだそう。
姥捨山・田毎の月等の名所で、
昔から有名という。
「我が心 なぐさめかねつ
更級や 姥捨山に
照る月を見て」
(古今和歌集)
「さらしなの里、おばすて山の月見んこと、
しきりにすゝむる秋風の、心に吹き
すさびて・・・」と、
芭蕉は更科紀行の巻頭で述べている。
それからもわかるように、この旅は
更科の月を愛でるためである。
今では、月見は庶民の楽しみではなく
なったが、昭和の50年代頃までは、
月見の団子、ススキそして月を愛でる
ことは、秋の家庭行事の一つであった。
芭蕉の更科への月見出発は、
元禄元年(1688)8月11日。
前年の8月14日には、曾良と宗波を
連れて鹿島へ月見に出かけている。
杜国と旅した明石までの旅では、
「月はあれど
留守のやう也
須磨の夏」
「蛸壺や
はかなき夢を
夏の月」
と詠み、秋の月を愛でたいという思いは
ひとしきりだったのだろう。
明石!
明石灯台と夕陽!
つづく。