貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

姥石の上

2020-03-20 08:58:30 | 日記

姥石の上

 令和2年3月20日(金)

 3月19日、20度超えの春暖の

中、羽村小作の堰の、古木桜が

開花。新記録の早さ?

 春爛漫も間近!

 千曲市の 長楽寺の巨木は桂で、

そこに切りたった崖がある。

「姨石」と呼ばれている上で、一人

のんびり風景と涼風を楽しむ。

 姥捨山ぐらいの高さでは、這ってでも

降りてくのではないか等思いも巡らす。

 説明板にも記載されているように、

「くまもなき 

  月の光をながむれば 

   まず姨捨の山ぞ恋しき」 

と西行法師が詠った歌を、

芭蕉は口ずさんでいたのだろう?

  小林一茶は4度の来訪。

 伊能忠敬も文化11年に訪れ、日記に

13の古詠を書き留めている。

  千枚田や四十八枚田と言われる棚田の

向こうに広がる長野盆地は善光寺平、

川中島平ともいわれる。

 その景色は全てが武田氏、上杉氏の

12年間5度に亘る川中島の戦いの

戦場でもある。
  
 姨捨(田毎の月)は、

広い意味では棚田に映し見る月をいう。

 この場合は「姨捨山放光院長楽寺」

の持田である四十八枚田に映る月を

指す。

 この田のある地籍を「月見田」とも

いい、古い文献では「月夜田」と

記されている。

 古来、仲秋の名月をここの田に映して

の句会や歌会を開く事がステータス

とされていた。

 多くの団体が申し入れた中から

寺に許された会派は、総出で穫り入れ前

の稲を刈り取り、桟敷を組んで田には

水を引き入れて月を映し、句や歌に

詠んだと伝えられる。

 それがいつの頃からかは不明。 

 上杉謙信が麓の武水別神社にあげた

武田信玄討滅の願文には、

「祖母捨山田毎潤満月の影」

とのくだりがある。  

 また、謡曲「木賊」(四番目物の内の尉物)

にも「田毎の月」の名がある。

 室町時代には既に広く知られていたの

だろう。

 但し、このような宴が催されたのは

昭和2年(1927)が最後と伝えられている。