貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

かるかや 花の世!?

2020-03-16 08:38:45 | 日記

かるかや 花の世!?

令和2年3月16日(月)

 今日は、「あとがき」を仕上げ、

『ぼくの寄道 芭蕉の古径』

の推敲完了日とする。

 その前に、刈萱堂、往生寺へ。

 これが、刈萱堂

刈萱一枚法語碑。

そして、往生寺参拝!

 

 正治元年(1199)創建の伝承を

持つ。

  九州博多の城主、刈萱加藤左衛門尉重氏が

出家して等阿法師と名のり、妻子から

離れて高野山に隠棲し、修行。

 そこへ子の石堂丸が来て弟子入りを

迫る。

 やむなく許可。

 しかし、親子の情愛にひかれて

修行の疎かになることを怖れ、

善光寺に参篭。

 如来よりこの地を授かり、83歳で

寂す。

 生前、彫刻して遺した地蔵尊を、

子の石堂丸も、それを手本として

同じものを刻む。

 これら二体の仏像を刈萱親子地蔵尊

と呼ぶ。

 当山は 父の刈萱上人の終焉の地。

それで刈萱堂往生寺とよぶことに。

 境内には善行寺如来が来迎して刈萱を

招いたという来迎松と、刈萱の墓、

苅萱親子地蔵がある。

また地元出身の草川信が作曲した唱歌

「夕焼小焼」のモデルとなった鐘と、

その歌碑がある。


 

 一茶の歌碑には、

 「かるかや堂 

 花の世ハ 仏の身にも 親子哉

 善光寺御堂 蝶とぶや 

 しんらん松も 知った顔  

 咲くや 伊達にくはえし 

        殻ぎせる」  

 一茶の真蹟を拡大した碑。

 刈萱の句碑と往生寺の解説。