☆以下は旧聞であるが、色んな問題を孕んでいると思うので、いちお、私も記しておく。
《鳩山首相「クジラ肉大嫌い!」 反捕鯨後押し? オランダ首相との会談で(産経 2009.10.30 23:09)》
<鳩山由紀夫首相が、反捕鯨国として知られるオランダのバルケネンデ首相との会談で、日本の捕鯨問題に絡み、「私はクジラ肉は大嫌いだ」と発言していたことが30日、分かった。調査捕鯨活動を直接否定したわけではないが、再び活発化しつつある世界的な反捕鯨の動きを後押ししかねない危うさをはらんでいる。
鳩山首相は26日、首相官邸でバルケネンデ首相と会談した際、米環境保護団体「シー・シェパード」がオランダ船籍の抗議船を使い、日本の調査捕鯨船の活動を妨害していることについて「旗国としてしっかり対処してほしい」と要請。捕鯨に関する両国の考え方の相違に言及しながらも「クジラ肉は大嫌いだ」と強調した。
関係者は「首相は相手の考えに合わせて共感を示そうとした」と説明するが、鳩山首相は民主党幹事長時代の昨年6月、やはり反捕鯨国であるオーストラリアのスミス外相と会談した際も「実は今朝、家内(幸夫人)の手料理にクジラが出た。私はクジラを食べない主義なので拒否した」と述べている。地元の北海道苫小牧市や室蘭市などでホエールウオッチングを観光資源とする動きがあることにも配慮しているようだ。
日本は世界でも例をみない多種多様なクジラ料理と文化を有しているが、捕鯨制限・禁止の潮流の中でその消失が危惧(きぐ)されている。今年は和歌山県太地町のイルカ漁を批判したドキュメンタリー映画「The Cove(入り江)」が米サンダンス映画祭で観客賞を受賞し、世界的に反捕鯨の動きが活発化しつつあることもあり、政府内からも「捕鯨国、日本の首相として甚だ軽率だ」との声が上がっている。>
おかしいことだらけである。
これは、用意された首相としての言葉では「捕鯨に関する両国の考え方の相違」だけを語る予定であったと思う。
しかし、アドリブの会話の部分で、どうしようもない鳩山由紀夫の思慮のなさが露呈している。
どうあっても、目の前のオランダ首相に媚を売りたいらしい。
で、「私はクジラ肉は大嫌いだ」などと脈絡なく、言ってしまうのだ。
この発言だが、クジラに対しての、鳩山の思想なのか、それとも鳩山の味覚の好き嫌いなのかいまいち分からない。
しかも、その話の前フリが、「実は今朝、家内(幸夫人)の手料理にクジラが出た。私はクジラを食べない主義なので拒否した」である。
「主義」という言葉を使っているので、自分も思想的にはあなた方と同じだよ、と言いたいのか。
オランダ首相は、「こいつは何なんだ」と戸惑ったことだろう。
でも、幸夫人が、クジラを料理しているのである。
仮に、それが、不気味ではあるが、リップサービスだと看做し、自分と主義を同じくするものだとしても、オランダ首相においては、その奥さんは「クジラを切り刻む者」である。
そんな「妻の悪行」をひけらかして、放置して、それを「踏み台」にして、自分の主義とやらを主張する鳩山に、オランダ首相はのけぞったことだろう。
・・・いや、そもそも、この鳩山のセリフ自体が、嘘である。
クジラ肉を食することを主義としない夫に、朝も早よから、比較的手に入れ難いクジラ肉を、反捕鯨国の首相との会談を後に控えている状況で、調理して出すなどと言うキチガイは、この世には存在しないであろう。
鳩山の、浅はかな嘘である。
鳩山は「友愛」と言う言葉を掲げ、常に、猪突猛進で、目の前の者だけに軽薄なことをのたまう。
日本の「クジラ文化」などには考えが及ばない。
◇
普天間基地問題における、鳩山のオバマ大統領への「私を信じて欲しい」のセリフも、同根である。
◇
そもそも、「友愛」と言う言葉自体、人前で公言できる言葉ではない。
《「友愛という名の背信」 潮匡人 (2009.11.5 07:40)》
<鳩山由紀夫首相は所信表明演説で「友愛政治の原点」を語った。氏の「座右の銘」は「友愛」である。「リベラルは愛である。私はこう繰り返し述べてきた。ここでの愛は友愛である」(「わがリベラル友愛革命」)と訴える。
リベラルは罪である。私はこう繰り返し述べてきた(拙著『日本を惑わすリベラル教徒たち』産経新聞出版)。ここでは「友愛」にこだわろう。
鳩山氏が寄稿した「私の政治哲学」(「Voice」9月号)によると、「友愛」はラブとは「異なる概念」で「フラタナティー」を差す。氏は仏語で表記したが、英語ではfraternity。どちらも兄弟を意味するラテン語に由来する。慈善団体や秘密結社、大学の男子寮に加え、同性愛を差すこともある。
さらに、動詞のfraternizeには「兄弟のように親しく交わる」に加え、「軍紀に反して親しくする」「異性の部下と性的関係をもつ」「被占領国の女と親しくなる、性的な関係を持つ」などの意味がある。
要するに、守るべき一線を踏み越えて不道徳な親交を結ぶことである。右の通り、犯罪行為や利敵行為の意味も持つ。あえて英語で演説する鳩山博士には、釈迦に説法であろう。
友愛外交の反対語は「価値観外交」である。今年5月15日、日本記者クラブで鳩山氏自ら、そう解説した。ならば「友愛外交」は反価値的である。名実ともに利敵行為にほかならない。喜ぶのは外国だけである。
鳩山首相は所信表明演説で「まず、何よりも、人のいのちを大切にし、国民の生活を守る政治」を訴えた。他方、オバマ大統領は就任演説で「自分自身よりも大きな何かに意味を見いだそうとする意志」を訴えた。同じ「民主党」でも、日米の落差は大きい。
鳩山内閣が唱える「友愛」に価値はない。日本語での耳当たりはよいが、奥には不潔な背信が潜んでいる。>
◇
確かに、「友愛」に則った鳩山の言動ではある。
表情も、語る言葉も「虚ろ」な、鳩山由紀夫である。
(2009/12/02)
《鳩山首相「クジラ肉大嫌い!」 反捕鯨後押し? オランダ首相との会談で(産経 2009.10.30 23:09)》
<鳩山由紀夫首相が、反捕鯨国として知られるオランダのバルケネンデ首相との会談で、日本の捕鯨問題に絡み、「私はクジラ肉は大嫌いだ」と発言していたことが30日、分かった。調査捕鯨活動を直接否定したわけではないが、再び活発化しつつある世界的な反捕鯨の動きを後押ししかねない危うさをはらんでいる。
鳩山首相は26日、首相官邸でバルケネンデ首相と会談した際、米環境保護団体「シー・シェパード」がオランダ船籍の抗議船を使い、日本の調査捕鯨船の活動を妨害していることについて「旗国としてしっかり対処してほしい」と要請。捕鯨に関する両国の考え方の相違に言及しながらも「クジラ肉は大嫌いだ」と強調した。
関係者は「首相は相手の考えに合わせて共感を示そうとした」と説明するが、鳩山首相は民主党幹事長時代の昨年6月、やはり反捕鯨国であるオーストラリアのスミス外相と会談した際も「実は今朝、家内(幸夫人)の手料理にクジラが出た。私はクジラを食べない主義なので拒否した」と述べている。地元の北海道苫小牧市や室蘭市などでホエールウオッチングを観光資源とする動きがあることにも配慮しているようだ。
日本は世界でも例をみない多種多様なクジラ料理と文化を有しているが、捕鯨制限・禁止の潮流の中でその消失が危惧(きぐ)されている。今年は和歌山県太地町のイルカ漁を批判したドキュメンタリー映画「The Cove(入り江)」が米サンダンス映画祭で観客賞を受賞し、世界的に反捕鯨の動きが活発化しつつあることもあり、政府内からも「捕鯨国、日本の首相として甚だ軽率だ」との声が上がっている。>
おかしいことだらけである。
これは、用意された首相としての言葉では「捕鯨に関する両国の考え方の相違」だけを語る予定であったと思う。
しかし、アドリブの会話の部分で、どうしようもない鳩山由紀夫の思慮のなさが露呈している。
どうあっても、目の前のオランダ首相に媚を売りたいらしい。
で、「私はクジラ肉は大嫌いだ」などと脈絡なく、言ってしまうのだ。
この発言だが、クジラに対しての、鳩山の思想なのか、それとも鳩山の味覚の好き嫌いなのかいまいち分からない。
しかも、その話の前フリが、「実は今朝、家内(幸夫人)の手料理にクジラが出た。私はクジラを食べない主義なので拒否した」である。
「主義」という言葉を使っているので、自分も思想的にはあなた方と同じだよ、と言いたいのか。
オランダ首相は、「こいつは何なんだ」と戸惑ったことだろう。
でも、幸夫人が、クジラを料理しているのである。
仮に、それが、不気味ではあるが、リップサービスだと看做し、自分と主義を同じくするものだとしても、オランダ首相においては、その奥さんは「クジラを切り刻む者」である。
そんな「妻の悪行」をひけらかして、放置して、それを「踏み台」にして、自分の主義とやらを主張する鳩山に、オランダ首相はのけぞったことだろう。
・・・いや、そもそも、この鳩山のセリフ自体が、嘘である。
クジラ肉を食することを主義としない夫に、朝も早よから、比較的手に入れ難いクジラ肉を、反捕鯨国の首相との会談を後に控えている状況で、調理して出すなどと言うキチガイは、この世には存在しないであろう。
鳩山の、浅はかな嘘である。
鳩山は「友愛」と言う言葉を掲げ、常に、猪突猛進で、目の前の者だけに軽薄なことをのたまう。
日本の「クジラ文化」などには考えが及ばない。
◇
普天間基地問題における、鳩山のオバマ大統領への「私を信じて欲しい」のセリフも、同根である。
◇
そもそも、「友愛」と言う言葉自体、人前で公言できる言葉ではない。
《「友愛という名の背信」 潮匡人 (2009.11.5 07:40)》
<鳩山由紀夫首相は所信表明演説で「友愛政治の原点」を語った。氏の「座右の銘」は「友愛」である。「リベラルは愛である。私はこう繰り返し述べてきた。ここでの愛は友愛である」(「わがリベラル友愛革命」)と訴える。
リベラルは罪である。私はこう繰り返し述べてきた(拙著『日本を惑わすリベラル教徒たち』産経新聞出版)。ここでは「友愛」にこだわろう。
鳩山氏が寄稿した「私の政治哲学」(「Voice」9月号)によると、「友愛」はラブとは「異なる概念」で「フラタナティー」を差す。氏は仏語で表記したが、英語ではfraternity。どちらも兄弟を意味するラテン語に由来する。慈善団体や秘密結社、大学の男子寮に加え、同性愛を差すこともある。
さらに、動詞のfraternizeには「兄弟のように親しく交わる」に加え、「軍紀に反して親しくする」「異性の部下と性的関係をもつ」「被占領国の女と親しくなる、性的な関係を持つ」などの意味がある。
要するに、守るべき一線を踏み越えて不道徳な親交を結ぶことである。右の通り、犯罪行為や利敵行為の意味も持つ。あえて英語で演説する鳩山博士には、釈迦に説法であろう。
友愛外交の反対語は「価値観外交」である。今年5月15日、日本記者クラブで鳩山氏自ら、そう解説した。ならば「友愛外交」は反価値的である。名実ともに利敵行為にほかならない。喜ぶのは外国だけである。
鳩山首相は所信表明演説で「まず、何よりも、人のいのちを大切にし、国民の生活を守る政治」を訴えた。他方、オバマ大統領は就任演説で「自分自身よりも大きな何かに意味を見いだそうとする意志」を訴えた。同じ「民主党」でも、日米の落差は大きい。
鳩山内閣が唱える「友愛」に価値はない。日本語での耳当たりはよいが、奥には不潔な背信が潜んでいる。>
◇
確かに、「友愛」に則った鳩山の言動ではある。
表情も、語る言葉も「虚ろ」な、鳩山由紀夫である。
(2009/12/02)