☆一緒に観に行く予定だった甥に振られた私は(関連エントリー←クリック!)、フリーチケットもあったので、大人単身で乗り込んだ^^;
この作品は、「ウルトラマン」シリーズを熟知している者が、練って作り上げた、なかなかに素晴らしい物語であった。
M78星雲の「ウルトラの国」を舞台にして物語は描かれ、・・・つまり、テレビシリーズでは、神秘的な要素を持つ、ベールに包まれたヒーローの文化・文明・歴史・生活が描かれる。
うん、私と同年代の者なら、内山まもるの傑作マンガ『ザ・ウルトラマン』を思い出してもらえば分かりやすいと思う。
あれと同様に、市井のウルトラ族も描かれ、あたかも、内山マンガでの「ウルトラ28人衆」のような、危機に瀕しての切羽詰った状況も描かれる。
先ず、悪のウルトラマン<ベリアル>が魅力的だった。
造型が、ウルトラマンに似ているようでいて似ていなくもあり、ウルトラ種族のイメージを壊すようでいて、妙に作品にしっくりしているのである。
体つきも柔道家のようにいかつく、その立ち居振る舞いは荒木飛呂彦マンガのようであり、宮迫博之がノリノリで声をあてている。
その強さがハンパじゃなく、次々にウルトラヒーローを打ち倒していく。
それぞれのヒーローとの戦いも、延々とバトルが続くにもかかわらず、単調さはない。
それは、それぞれのアクションが斬新なのではなく、それぞれのヒーロー自体が持っている魅力で見れるのかも知れない・・・。
かつて主役を張ったウルトラ族は、マントを羽織っているのだが、それが似合っているんだよなあ。
キングのマントのひるがえし方が格好良かった^^
小泉元総理の声もいい!
ゾフィーにはゾフィーの、タロウにはタロウの、80には80なりの見せ場がある。
また、テレビ作品の記憶もないがしろにせず、ウルトラの父と母はタロウとちゃんと距離が近い。
今回、ウルトラの母に、ウルトラの父が「ケン」と呼ばれていてびっくりしたよ^^(ちなみに、母は「マリー」!!)
後で語るが、セブンにしごかれたレオが、セブンの息子を特訓しているのも、作り手のシリーズの熟知を物語っている。
その特訓は、やはり、シリーズに則し、アストラとキングに見守られている。
名もなきウルトラマンの顔にも個性があり、集団の中にアンドロメロスもいた!
人間パートでは、メビウスを演じた若者が、ハヤタやモロボシ・ダンと行動を共にする。
ハヤタ(黒部進)やモロボシ・ダン(森次晃嗣)の貫禄は、往年のファンへの懐古趣味ではなく、物語への圧倒的な説得力となっている。
新ウルトラファンへの気配りも、顔見せではなくあり、「羞恥心(ウルトラマンダイナ=つるの剛士)」もおいしいトコで活躍していた。
昨今の軽快なウルトラアクションや、ゲームセンターで人気のカードゲーム「大怪獣バトル」の要素を見事に融合させてもいた。
よくもまあ、多くの要素を詰め込みつつも、あくまでもバトル主体で派手な展開で進められたなあと感動した。
◇
ウルトラマンレオは誠実な男なので、かつて、セブンに陰湿な訓練をほどこされてきたが、セブンの息子ゼロに対しては、そのお返しにシゴキを加えるようなことはない。
しかし、現代的に生意気な若者・ゼロを、厳しく教育することは怠らない。
そもそも、「レオ」が放送された時代は、『巨人の星』に代表される熱血作品がブームで、そのノリで、レオもセブンにしごかれたのだそうだ。
・・・『巨人の星』と言えば、<大リーグボール養成ギプス>が有名だが、
今回のゼロは、まさに<大リーグボール養成ギプス>を着せられてレオに特訓を受けるのだ。
私は、この作品の作り手の「ウルトラ思想」の深さに、感心しきりだ。
◇
ベリアルに率いられ、100体超の怪獣が現われる。
それら怪獣たちも、私にとっては、それぞれに記憶があるいとおしい者たちだ。
だが、その特撮に重みがないのが気になった。
「重み」とは比喩表現ではなく、個々の怪獣の重量感が描かれてないことを言う。
ベリアルに「行けーっ!」と号令をかけられ、100体の怪獣が群れをなして移動するのだが、往年の大怪獣たちが小走りなのが興醒めだった。
もっと、それぞれが、「ズシーン!」「ズシーン!」と大抑に移動してくれたらば雰囲気出たのになあ。
私の好きな最強怪獣バードンが、決戦場に登場したゼロに瞬殺されたのは悲しかった^^;
怪獣殿下ゴモラがあれだけ活躍したのに対し、怪獣番長レッドキングの扱いのぞんざいさも気に食わん!!
◇
面白かったです^^v
(2009/12/19)
この作品は、「ウルトラマン」シリーズを熟知している者が、練って作り上げた、なかなかに素晴らしい物語であった。
M78星雲の「ウルトラの国」を舞台にして物語は描かれ、・・・つまり、テレビシリーズでは、神秘的な要素を持つ、ベールに包まれたヒーローの文化・文明・歴史・生活が描かれる。
うん、私と同年代の者なら、内山まもるの傑作マンガ『ザ・ウルトラマン』を思い出してもらえば分かりやすいと思う。
あれと同様に、市井のウルトラ族も描かれ、あたかも、内山マンガでの「ウルトラ28人衆」のような、危機に瀕しての切羽詰った状況も描かれる。
先ず、悪のウルトラマン<ベリアル>が魅力的だった。
造型が、ウルトラマンに似ているようでいて似ていなくもあり、ウルトラ種族のイメージを壊すようでいて、妙に作品にしっくりしているのである。
体つきも柔道家のようにいかつく、その立ち居振る舞いは荒木飛呂彦マンガのようであり、宮迫博之がノリノリで声をあてている。
その強さがハンパじゃなく、次々にウルトラヒーローを打ち倒していく。
それぞれのヒーローとの戦いも、延々とバトルが続くにもかかわらず、単調さはない。
それは、それぞれのアクションが斬新なのではなく、それぞれのヒーロー自体が持っている魅力で見れるのかも知れない・・・。
かつて主役を張ったウルトラ族は、マントを羽織っているのだが、それが似合っているんだよなあ。
キングのマントのひるがえし方が格好良かった^^
小泉元総理の声もいい!
ゾフィーにはゾフィーの、タロウにはタロウの、80には80なりの見せ場がある。
また、テレビ作品の記憶もないがしろにせず、ウルトラの父と母はタロウとちゃんと距離が近い。
今回、ウルトラの母に、ウルトラの父が「ケン」と呼ばれていてびっくりしたよ^^(ちなみに、母は「マリー」!!)
後で語るが、セブンにしごかれたレオが、セブンの息子を特訓しているのも、作り手のシリーズの熟知を物語っている。
その特訓は、やはり、シリーズに則し、アストラとキングに見守られている。
名もなきウルトラマンの顔にも個性があり、集団の中にアンドロメロスもいた!
人間パートでは、メビウスを演じた若者が、ハヤタやモロボシ・ダンと行動を共にする。
ハヤタ(黒部進)やモロボシ・ダン(森次晃嗣)の貫禄は、往年のファンへの懐古趣味ではなく、物語への圧倒的な説得力となっている。
新ウルトラファンへの気配りも、顔見せではなくあり、「羞恥心(ウルトラマンダイナ=つるの剛士)」もおいしいトコで活躍していた。
昨今の軽快なウルトラアクションや、ゲームセンターで人気のカードゲーム「大怪獣バトル」の要素を見事に融合させてもいた。
よくもまあ、多くの要素を詰め込みつつも、あくまでもバトル主体で派手な展開で進められたなあと感動した。
◇
ウルトラマンレオは誠実な男なので、かつて、セブンに陰湿な訓練をほどこされてきたが、セブンの息子ゼロに対しては、そのお返しにシゴキを加えるようなことはない。
しかし、現代的に生意気な若者・ゼロを、厳しく教育することは怠らない。
そもそも、「レオ」が放送された時代は、『巨人の星』に代表される熱血作品がブームで、そのノリで、レオもセブンにしごかれたのだそうだ。
・・・『巨人の星』と言えば、<大リーグボール養成ギプス>が有名だが、
今回のゼロは、まさに<大リーグボール養成ギプス>を着せられてレオに特訓を受けるのだ。
私は、この作品の作り手の「ウルトラ思想」の深さに、感心しきりだ。
◇
ベリアルに率いられ、100体超の怪獣が現われる。
それら怪獣たちも、私にとっては、それぞれに記憶があるいとおしい者たちだ。
だが、その特撮に重みがないのが気になった。
「重み」とは比喩表現ではなく、個々の怪獣の重量感が描かれてないことを言う。
ベリアルに「行けーっ!」と号令をかけられ、100体の怪獣が群れをなして移動するのだが、往年の大怪獣たちが小走りなのが興醒めだった。
もっと、それぞれが、「ズシーン!」「ズシーン!」と大抑に移動してくれたらば雰囲気出たのになあ。
私の好きな最強怪獣バードンが、決戦場に登場したゼロに瞬殺されたのは悲しかった^^;
怪獣殿下ゴモラがあれだけ活躍したのに対し、怪獣番長レッドキングの扱いのぞんざいさも気に食わん!!
◇
面白かったです^^v
(2009/12/19)