古綿打ち直しと書かれた看板があった。撮影場所 岡山県倉敷市茶屋町
綿布団は長年使っていると固くなりフワフワ感がなくなる。
そのためにほぐし直して再利用する。ほぐし直すのを打ち直しと言われていた。
布団の打ち直しという言葉も昭和の言葉ですっかり死語になってしまった。
まだ十分使える布団をゴミにだしてあるのを見るといたたまれない。
現在はアクリル繊維の綿がほとんどで木綿の布団は少なくなった。
綿が本格的に日本に入ってきたのは安土桃山時代だと言われている。
絹や麻などの植物繊維を使った繊維は古く奈良時代以前に入っていたに比べるとはるかに遅い。
絹で作られる綿は真綿とよばれていたのに対して綿の木の綿は木綿と呼ばれている。
木綿を「もめん」と呼ぶのは「もくめん」は言いにくいので中の「く」が抜かれるのではと思う。
江戸時代になり中国地方などで綿花の栽培が盛んに行われた。岡山でも綿花の栽培で栄えたところがある。
それでも綿は高価で江戸時代には布団三枚が100両もしたと書かれている。
到底庶民は蒲団に寝る事は出来ず、農民はゴザや藁にもぐって寝ていたようだ。
町民はドテラを長くした。「かいまき」や「よぶすま」と呼ばれる夜具を身につけて寝ていた。
厳冬期の夜は寒かったと思われる。凍死するのも珍しくなかったと思われる。
囲炉裏で木を焚き煙で部屋を暖めたという。
囲炉裏にロマンを感じる人もいるであろうが煙で眼から涙はでるし呼吸が苦しくなるし我慢できるのは一時間である。昔の人は肺や眼を病む人が多かった。
蒲団が一般的に普及したのは明治以降だそうだ。
母が生きている時に子供の頃は蒲団で寝ていたのかと聞いた事がある。蒲団に寝るのは当然だろうという顔をした。大正時代は綿の布団に寝られたのだと思った。
それでも東北などの昭和30年代まで綿の代わりに藁を入れた藁布団が使われていた。
海岸地帯は海藻を綿の代用に使っていた。藁は暑くなると布からだして新しい藁をつかっていたとかかれている。
綿布団は長年使っていると固くなりフワフワ感がなくなる。
そのためにほぐし直して再利用する。ほぐし直すのを打ち直しと言われていた。
布団の打ち直しという言葉も昭和の言葉ですっかり死語になってしまった。
まだ十分使える布団をゴミにだしてあるのを見るといたたまれない。
現在はアクリル繊維の綿がほとんどで木綿の布団は少なくなった。
綿が本格的に日本に入ってきたのは安土桃山時代だと言われている。
絹や麻などの植物繊維を使った繊維は古く奈良時代以前に入っていたに比べるとはるかに遅い。
絹で作られる綿は真綿とよばれていたのに対して綿の木の綿は木綿と呼ばれている。
木綿を「もめん」と呼ぶのは「もくめん」は言いにくいので中の「く」が抜かれるのではと思う。
江戸時代になり中国地方などで綿花の栽培が盛んに行われた。岡山でも綿花の栽培で栄えたところがある。
それでも綿は高価で江戸時代には布団三枚が100両もしたと書かれている。
到底庶民は蒲団に寝る事は出来ず、農民はゴザや藁にもぐって寝ていたようだ。
町民はドテラを長くした。「かいまき」や「よぶすま」と呼ばれる夜具を身につけて寝ていた。
厳冬期の夜は寒かったと思われる。凍死するのも珍しくなかったと思われる。
囲炉裏で木を焚き煙で部屋を暖めたという。
囲炉裏にロマンを感じる人もいるであろうが煙で眼から涙はでるし呼吸が苦しくなるし我慢できるのは一時間である。昔の人は肺や眼を病む人が多かった。
蒲団が一般的に普及したのは明治以降だそうだ。
母が生きている時に子供の頃は蒲団で寝ていたのかと聞いた事がある。蒲団に寝るのは当然だろうという顔をした。大正時代は綿の布団に寝られたのだと思った。
それでも東北などの昭和30年代まで綿の代わりに藁を入れた藁布団が使われていた。
海岸地帯は海藻を綿の代用に使っていた。藁は暑くなると布からだして新しい藁をつかっていたとかかれている。