撮影場所 岡山県倉敷市玉島
昭和48年7月撮影
玉島の市街の南部の方も古い町並みが残る。
三階建ての倉のある荒物店、白い漆喰は戦時中の空襲を避けるため黒く塗られていたのだろう戦後はこんな黒く塗られた漆喰が残っていた。
ご主人が物を運ぶのを撮影、昭和40年代に入ると天然素材からプラスチック製品に切り替わる時期だった。
最近は金物屋、雑貨屋、荒物屋の言葉を聞かなくなった。
いまはそんな店を総称してホームセンターで片付けられる。
ホームセンターは園芸店や木材屋や小間物店の機能も持っている。
こんな昭和の個人の店も記録に残すのがアマチュアカメラマンの役割だったのかもしれない。
建物も雰囲気も昭和のたたずまいを残す店屋は撮影して記録に残すべきだった。
少なくとも写真展や本の発行が出来るように類型的に500店くらいは撮るべきだった。
県外などでなく自分の住む土地からしっかり撮っていく事が必要である。
昭和48年7月撮影
玉島の市街の南部の方も古い町並みが残る。
三階建ての倉のある荒物店、白い漆喰は戦時中の空襲を避けるため黒く塗られていたのだろう戦後はこんな黒く塗られた漆喰が残っていた。
ご主人が物を運ぶのを撮影、昭和40年代に入ると天然素材からプラスチック製品に切り替わる時期だった。
最近は金物屋、雑貨屋、荒物屋の言葉を聞かなくなった。
いまはそんな店を総称してホームセンターで片付けられる。
ホームセンターは園芸店や木材屋や小間物店の機能も持っている。
こんな昭和の個人の店も記録に残すのがアマチュアカメラマンの役割だったのかもしれない。
建物も雰囲気も昭和のたたずまいを残す店屋は撮影して記録に残すべきだった。
少なくとも写真展や本の発行が出来るように類型的に500店くらいは撮るべきだった。
県外などでなく自分の住む土地からしっかり撮っていく事が必要である。