懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

昭和の遺物たち 塩田 その1

2016年04月01日 | 昭和の遺物たち写真展
倉敷市児島にあった塩田跡
瀬戸内海沿岸は塩田が盛んであった。
一番の理由は波が穏やかな事であろう。
台風や寒波襲来で何メートルもの大波では製塩はやりにくい。
塩田は海水の塩分濃度を高めて蒸発させる燃料を少なくするものだった。
海水には3.5%しか塩分は含まれていない。96.5%の水分を除去する必要がある。

岩塩のあるところや乾燥地帯ならばもっと楽に作れる。
塩が無ければ人類は生きられない。減塩と言われ塩は毒扱いされているが夏場の熱中症でミネラルが不足すると人は簡単に死ぬ。
これは生物動物は海から生まれたためと言われている。
江戸時代塩の消費も増え各藩の産業として塩田開発がされたようだ。

JR児島駅周辺は塩田王 野崎家の塩田であった。この土地は今も野崎家の会社ナイカイ塩業の所有地があるようだ。
今はイオン交換膜で海水の濃縮をするので広大な敷地は必要なくなった。

私が岡山に来た昭和44年はまだ枝条架による流下式で製塩をしていた。
瀬戸内海にはいたるところに塩田はあったが撮影していない。今は広い干拓地や工場に様変わりしている。先を見る目が無かったと悔やむ。