アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

七夕面会

2007-07-07 10:53:47 | 介護


7/7 七夕面会


里見まんじゅうをあげたら

美味しくて美味しくて

ちょうだいなって、手を出すのですが

制限しました。

今度は一番最初にあげてよろこんでもらおう。



7日土曜は、母と私が一週間ぶりに面会に行きました。

水曜には、チョコパンが面会してくれたのでわたしは、木曜も家で用事をすることができました。



7日は七夕ですが、今年は雨もなく

暑さもほどほどで、良い季節です。

七夕の願い事も、そんな考えをする暇やゆとりがありません。

こころで願う余裕もありません。



長年生きていると

奇跡のおこる神社を見つけることができます。

ほんとうなんだから・・・

癌が消えたり、危篤がなおったり・・・

親戚が病気になるたびにお参りすると、どういう訳か長生きするんだから・・

そろそろ、あの神社に行かなきゃならんが、行く暇が無い。

たくさんのひとの奇跡を起こさないと・・・



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この頃、母も一緒に面会に行きます。

急に死んでしまうことがあるから

いけるうちに行くんだそうです。

どっちが先に死ぬのかは、不明です。



支配者の母とのお出かけは

それはそれは、神経が参ってしまいますが、さいごまで支配してもらいましょう。



私は今まで多くのひとと付き合ってきて

今日思った。

!!!自分の自慢話はしない!!!



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さて、1時40分に病院に到着し

1階の待合い椅子で体を休めてから

3階に上がります。



ジェンギンスは、おとなしくみんなと一緒のテーブル席に座っていました。

男性席です。

まわりのおじさん達に挨拶すると

話もできないお年寄りが、お辞儀をしてくれます。

エリートのおじさんは、声をだして笑ってくれました。 半年前あんなに一日中歩いていたのに、いまでは拘束されて歩けません。

面会に来ている間は拘束を外してくれるので毎日面会に来たらいいのですが、とうとう不自由な体になってしまい、それより、太っていた顔が痩せてしまって気の毒でした。



トイレ誘導も終わっているようなので

すぐに外に出ることにしました。

車椅子を押して歩いて行くことが出来ました。

カンカン照りもおさまって曇り空です。

蒸し暑くもないし、丁度良いです。



お庭中央の、いつものベンチで

座らせますが、座ることができなくて

苦労しました。座ることが分からないって、ひとには通じないかも知れませんが、動作を指図するのはたいへんなのです。

立つのも、座るのも、介護者の都合で動かしてはならないわけです。



後々のことを考えて、ベンチではなく、車椅子に座らせました。



私のために持参したおにぎりを

結局たべさせ、

バナナ一本。

ヨーグルト。

そこまで食べて終わりにしようとしましたが、ジェンの脳みそは

食べるスイッチが入ってしまいました。



話すことも動作も食べることです。

わたしのカバンもあさろうとします。

カセットレコーダーをかじったり、吸い込んだりしています。



小さな里見まんじゅうをちぎって

あげました。

すごくおいしい!!といって

夢中です。

ちぎって母も食べました。

母もすごく美味しいと言います。

じつは、わたしも好きです。

50円の里見まんじゅうは美味しいです。

でも、わたしは間食はしません。

禁酒禁甘禁量です。



空は、暗くなって雨が降ってもおかしくない空気でした。

すると、ジェンギンスが

「 雨がふりそうだな 」 なんていうので、これはすばらしい判断力だと関心しました。



とにかく食べたがるので車椅子で外周して、食べ物のことを忘れさせます。



外の公園まで行ったら、またいつもの

「Uターンして帰るよ!」と母の支配がでてきたのっで、

「 おかあさんは、ここから病院にさきに帰ってまってて、わたしは一回りして庭にもどるから 」って言ったら

一緒にくるというので、きょうは大きな坂を下ったりして、なんかヨクわからないけど、次の病院の門から入って、

知らない病院の敷地をあるいてやっと

病院に戻りました。



そしたら、母がブー垂れてました。

ダカラ・・・やっぱり先に帰っててくれないとジェンの散歩もできません。



私より5倍遅くあるく母は

ひとより5倍長く歩くのですから

それは、疲れます。

それにあんなにゆっくり歩いたら

わたしは必要のない筋肉をつかって歩くことになるので、非常に疲れる歩き方です。

長生きってつらいです。

人間は75歳で死ぬって言う法律が

あと300年くらいしたらできるでしょうか。

一夫多妻の法律改正が、あと300年くらいしたらできるでしょうか。

家族は大勢で協力し合わないとうまく生活出来ないです。



~~~~~~~~~~~~

さて、外周から帰ってお庭でくつろごうかと思ったら、母が病院に帰るって支配するから、ジェンの病棟に戻りました。

2時間以上時間が経過しているのですが、さっきのお年寄り達は

何の変化もなく同じ場所に車椅子に座ってあげくに立ち上がれないように拘束されています。



新しく入ったおばちゃんは

「 包丁ありませんか? 」ってベルトを切りたくて声を出しています。



いままで歩いていたひとを拘束するって・・・安全優先とはいえ

ドウなんだろうか?

「 じゃあ、転んでもいいんですか!

 ここは畳とは違うんですよ! 」

看護婦のきついいいかたが、耳から離れません。



この病院施設は良いのか悪いのか

分かりません。



昼間のトイレ誘導は非常に有り難いです。

暖かいタオルでお尻を拭いてくれます。

たっぷりのパットでお尻を固定してくています。

ショートステイのお尻拭きは、薄い紙だったから、あれじゃ、お尻も綺麗になりません。

この病院のトイレ誘導装置セットは

すごいモンダと思っています。

なにがといえば、お尻拭きタオルの充実でしょうか。

いままで見てきた幾つもの宿泊施設は

ただトイレに連れていくだけだったから。



お尻拭きタオルの充実と

床を拭く雑巾の充実はびっくりです。

ほんと、始めてみました、あの

堅くなった雑巾の束。

専門の業者がつくっている雑巾なんでしょう。



さて、病棟に戻ってしばらくすると

ジェンはトイレに行きたいと言って

立ち上がりました。

わたしが誘導しましたが

途中で親切な看護婦さんに会って

トイレに誘導してくれました。

カーテンのトイレをみるなり、プライバシーを守るために勢いよくカーテンを閉めてしまったジェンギンスです。

走るように便器に腰掛けていました。

呆けていると思っても、ちゃんとズボンを下ろしてトイレに座れるのです。



親切な看護婦さんは、根気よく

カーテンの隙間から見守ってくれていました。

たくさんの便もでて、良かったです。



これこそ、付き添いが居たせいで

トイレに行きたいときに行かせることが出来ました。

ジェンが立ち上がっても、介護士さんはトイレに行きたいことを察してくれないでしょう。

心の叫びは、家族が分かってあげれるのです。

週に1.2回しかトイレを察してあげれないつらさが襲ってきました。

かわいそうなジェン。

かわいそうな拘束されたお年より。



====



5時になり、ジェンも健やかにしているので、帰宅しました。



母が帰りに言いました



「 このちょうしだと

 

 お父さんは



 こんどの正月まで



  ・・・・・・



  。。。。。





 生きてるよ 」


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