アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

10/26 復活3日目

2005-10-26 17:35:01 | 介護



夜は、そわそわして、キョロキョロして
テーブルの上でリズムを刻んでいた。
父は、私と同じでいつも頭の中に
リズムが流れているらしい。

朝は、目覚めるまで寝かせていおいた。
10時過ぎにはおきて、今日はご飯を
用意したので食べてくれた。

水曜日は私が大変忙しい日なので
忙しくデイサービスへ送っていった。

両親をバスに乗せて、私は自転車で
一緒に走った。
道がすいていたので、いつもの2倍の速さで漕いだ。
そして、バス停でお迎えした。

バス停から、デイサービスセンターまで
父の足で15分かかった。
半年前まではすいすい歩いていた父が
どうして、ここまで足が上がらずゆっくり歩くのか
不思議だった。
杖を使っているご老人は、何処が痛いのだろうか?

父に聞いてみた
『 歩くとき、何処が痛いの?
  足の裏? 膝の骨が痛いの? 何処?』
『ここ、ここがいたい』
と、太ももの裏側をたたいた。

そんなところが痛いんだ・・・
知らなかった。

デイサービスに父を預けて
私は、自転車でスピード出して帰宅した
夕飯の支度をして、仕事が夜7時までだ。

3時間後の4時には無事に父帰宅。
お見送りの車からなかなか降りないで
スタッフの方も困っているらしい。
あいにく、その時間は私は迎えに出れない。

今日の夕方は仕事の邪魔はされなかったけれど、
階段の電気を消された。
真っ暗な中を仕事で出入りする人たちがいたわけだ。

よるは、どこかに帰ろうとして困っていた。
『 電車は何時だ?』
『 いつまでもここには、いられない』

ベッドに寝ると言う動作が
説明してもよく分からず、
時間のかかる就寝だ。

おまけに、スーザンがかなりのボリュームで
ラジカセで音楽をかけていたので
私達は目を見合わせて驚いた。
就寝しようとして眠れない人の部屋で
1時間くらい大音響だ。

50年間この大音響の中で就寝していた
父は良く耐えた。
そのせいで呆けたかもしれない。
そのせいで機嫌が悪いのかもしれない
そのせいで歌がうまいのかもしれない

よるは、不思議な事に
いつのまにか私の仕事が増えた、
ありえない、

きらいな 犬の散歩だよ。



一言コメント (全 4 )




みるき(milkie@gaiax)

しもつかれさんのご両親は、先を読んでいますね、ペットは両親の介護が済んでから飼いましょう。  ジュニタさんも、散歩が始まったんですね。散歩してみて解ったことは、 生きる=排泄 だ



ジュニタ(jyunita@gaiax)

私も犬の散歩が新しく日課になりました。ヤレヤレ・・・



ジュニタ(jyunita@gaiax)

しもつかれさん、ナーイス!!



しもつかれ(shimotsukare@gaiax)

犬も猫も飼った経験ないです。両親曰く、「ハムスターより大きいのは飼っちゃダメ」だそーで、それをずっと守っています



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10/25 ボケ復活か

2005-10-25 17:32:05 | 介護



昨日はデイサービスに40日ぶりで2時間半ほど
行って来て、食欲も出て元気も出たけれど、ボケも出た。

夜、うろうろするし、落ち着きが無く、トイレへ行っても用を足さず帰って来るようだ。

そして、今朝は早朝にトイレに起きてもすぐ寝てしまったのでもう、寝かせておいた。
どうせ、朝は植物状態だから、昼に起きれば
元気で起きれそうだ。

わたしは今日お稽古事の日だったので
ジェンギンスのためにうどんを煮て11時半に出かけようとしたら、ジェンはうどんをパジャマ姿で食べていた。

『 おじいちゃんおはよ!! うどん、おいしい?
 ちょっと、レッスンに行ってくるから、後よろしくお願いします 』
『 なんだよlそれ?どこ行くって?』

聞き取れ無かったらしい。
でも、元気そうで安心した。

今日は、母が一人でいつものようにバスで連れて行くのだ。
お見送りも出来なくて申し訳ない。
いつもは、バスに乗せる作業まで付き添うのに。

帰宅すると、母がのんびりしていた。
こんな時間も大切だ。
母は、夜中にジェンに付き合っているから
もう、たいへんだと思う。

私は今日思った。

うちにある電話はモニター機能がついていて、
へやの様子を聞くことが出来る。
(これって、事件につながると絶対おもう
 だってね、私の知ってる人、これを人にプレゼントしてた。設定しとけば、部屋の声が聞けるのですよ。)

それで、私は2階で1階の様子をスピーカーで流すことが出来るから、父の物音を判段して行動することが出来るわけだけれど、母がいるからそれは、プライバシーってもんがあるからできない。

と、考えただけのことでした。


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ジェンギンスは、きょうとうとう、
私の仕事の部屋に上がってきたですよ!!

パジャマで仕事場に来た!!

仕事が終わって下に行ったら、ウロウロそわそわしていました。

この30日間、おとなしくなって、迷惑なボケは一切消えてしまったというのに、復活です

ジェンギンスにとってはどっちがいいんだろう。

老衰状態でじっとして、家で暮らしているのと
活性化して、イライラ、ウロウロ、怒って徘徊しているのと。


一言コメント (全 2 )




みるき(milkie@gaiax)

ありがとうございます。血の濃さをつくづく実感していますよ。 こんな形でも、実父だからこそ長生きして欲しいと思う。



ジュニタ(jyunita@gaiax)

素直におめでとうございます。



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10/24 生き返って来た

2005-10-24 17:28:58 | 介護




40日ぶりにバスに乗った。
40日ぶりにデイサービスに参加した。

今週から、デイサービスに午後2時間半くらいだけ
行ってみる事に予定してあった。

今朝、いつものように母の
寝たきり老人にしないパワー
のお陰で起きて来た。

トーストとコーヒーの朝食を目の前に
ジェンギンスは、植物状態だった。
無表情、無関心、食べない、飲まない。。。

無理やりパンを持たせて無理やり
食べさせて、

そして、寝た。

最近のジェンギンスははいつもこんなで、
普通だったら寝たきり老人となって、
家族はやっと楽になるわけだけれど、
母の生きろパワー
のお陰でジェンギンスは、
無理やり生きてるって感じです。

ヒルの11時半になって
また、起こして支度をしました。

母は、下着の上にセーター
その上にトレーナーを着せたので
わたしは、不安になりました。
・・・すごく、不安になって、
父の支度を手伝いました。

ジェンギンスの脳はやっと起きたようで、
話をしたり、テレビも見ていました。
あさの、脳みそは働いていないことが
よくわかります。

お昼の麻婆豆腐ご飯とスリりんごを食べて
デイサービスへ連れて行きます。

今日は私も初めて付き添って行きました。

バスに数分乗って、バス停から近いのかと思ったら、結構たくさん歩いたので
不便でした。
でも、どうしょうもありません、ジェンギンスは
朝のセンターからのお迎えには到底間に合わせることが出来ません。

センターの入り口でスタッフの方たちに会って
声をかけていただきましたが、
ジェンは、不安そうでした。
バスの中でも
『 どこ行くって?』 ばかり繰り返して聞いてきました。

わたしは、その入り口でお別れし、母は上まで付き添いました。

さて、夕方4時 元気に帰ってきたので安心しました。

センターでは、マイクで歌を歌ったと書いてありました。
40日間老衰していましたが、
母のおかげ、デイサービスセンターのお陰で
死にそうだった細胞が復活しつつある気がします。
夜は、ちょっと、混乱が出ていたので、
老衰化した脳が騒いでいるんだと思います。

今夜は、もうトイレに夜11時半、12時50分
・・1時間おきにおきているしな~

脳が復活したせいで、
夜は、床に散らかっている物を
拾っていました。
床に物を置く母と、床に物を置かない父の
関係は、50年続いて何の改善もなく続いています。一生続くのです。

今週は午後1時にデイサービスセンターに連れて行って
4時に帰宅です。




一言コメント (全 1 )




kappa(kapparumba@gaiax)

お父様復活の兆しが見えてきましたね。



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10/23 落ち着いた日曜日

2005-10-23 17:26:27 | 介護


私の姉が来て、人形を持って
ジェンギンスに話しかけていた。

昨日は異常行動だったけれど
今朝は何事も無く、夜中のトイレ起床も無かったそうで
両親はよく眠れたらしい。

異常行動と、正常行動と、何が原因か考えてみても
はっきりとは結びつかない。。。。

具合が悪い間やめていた前立腺の薬を
再開したとたん異常行動は出たけど
よくわからない。

今日の日曜は、母が会のリハーサルだというので
久しぶりに出かけたから、わたしが父とお留守番だ。
母は、父の認知症のせいで、お稽古事の先生を辞めたわけで、でも30日には大きな舞台で歌うらしい。

朝食の後、ジェンギンスは2時間ほど寝てしまった。
珍しくいびきをかいているから、血管が切れたかと心配したけど、大丈夫だったラシイ。

昼食のうどんを作って、起きてくるように声をかけた。

うどんを食べてしばらくした3時頃、スーザンが帰ってきた。 

ずっと、おとなしくいすに座った生活だ。
歌も歌わないし、スースーって口も鳴らさない。
どうしたんだろ、ボケが回復したかのように見える。
ただの、記憶喪失のおじいさんがいるだけだ。

攻撃も無くなってしまった。
異常な戸締りもしなくなった。
安定剤を止めたせいだろうか?

夜、近所に住む姉がやってきた。

姉の一方的おしゃべりが始まった。
大きな声でよく喋るので、ジェンギンスもびっくりだ。
姉のおしゃべりが始まると、ジェンは絶句だ。

人形を持って、人形劇みたいに思い出話をたくさんしていた。
家族以外の人が来るのは、話題が新しくなっていいもんだ。 私たちが飽き飽きしているジェンの話も、新鮮に聞いてくれるし、ドンドン話しかけてくれて答えを求めるからいい刺激となった。

無理やり自分の名前も言わせてるし、孫の名前も
しつこく聞いていたわ。

そして、時々ジェンの口から出てくる 『 まりこ 』 
という人物についても、聞いていた。

チョコパンは『 元カノ でしょ 』 とか言ってるし。


最近 イヌの散歩は私とチョコパンが夜遅く行っている。
わたしは、10年以上飼っているこのイヌの散歩なんかしたことが無い。
ビニール袋もって、おまけに、金属のパン屋さんでトレーと一緒においてあるパンつかみの道具をもって、散歩です。 
スーザンの仕事を取ってしまっていいのかどうか、疑問なんだけど、元気なイヌの散歩はすごく無理があると思う。 でも、スーザンの仕事だから取り上げたくない。

ジェンギンスは、明日、デイサービスに3時間だけ生かせていただく予定だ。

今までは週に5日行っていたけれど
これをどうするかを、いま話し合っている。

父がこのまま衰弱していくなら、当然家に置いておきたい。
回復してくれるなら、デイサービスに行ってもらわないと、母が24時間付きっ切りになってしまう。

母は、このままもう家に置いておきたいというのだけれど、それは、私がひと月仕事を休んで、家に居たから
お互い楽だったのだ。

どうなるんだろうか
父の衰弱、どうなるんだろうか






一言コメント (全 1 )




ジュニタ(jyunita@gaiax)

夫婦愛って深いですね。喉元過ぎればじゃないけれど、お母様は心から傍に居たいと思っていらっしゃるのでしょうね。





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10/22 初めての異常行動あり

2005-10-22 17:20:20 | 介護



夕飯に天ぷらをあげたら、たくさん食べてくれたので
キャベジンを急いで飲ませました。
だいじょうぶかな~

ボケがすっかりなくなってきたと思っていた矢先
今朝午前5時、階下で母が怒っているので目が覚めた。

わたしは、降りていかなかったけど、40分以上騒いでいた。

父は裸になってトイレのお風呂にはいったわけだ。
裸になって、便器の水にタオルを入れて
バシャバシャするわけだ。
怒った母にむかって、便器の水をかけたそうだ。

私がちょっと覗いたときは、裸の父がいたので
降りていくのを遠慮したわけだ。

母は、パトカーを呼ぼうかと思ったほどたいへんだったらしいが

『 パトカー呼ぶ前に私らを呼べよ!!』 とチョコパンに言われていた。
『 人をよんでも、どうにもならない』 とも言っていた。
父の脳の回路が狂っているときは、何を言っても駄目なのだ。


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献体(死後、医学生のために死体を提供する)について
問い合わせをしていたところから返事が来た。

『お父様の現状を考えさせて頂くと、”自発的な意志”は考えられず、
申し訳ありませんが、献体登録はむずかしいと考えられます。』

自発的な本人の意思がもっとも大切だということでした。
父は発展的な物事の考えをする人ではないので
自分の体を役立てようとは思わないかもしれない。
こんど、聞いてみることにする。
それくらいの返事はまだ、自分で考えて出来る人だ。

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10月28日に母の精密検査が朝から夕方までかかるため、その間の夕方1時間ほど、父を見る人がいなくて困惑していた。
結局、検査を11月9日に延ばした。
9日は、わたしが午前の仕事を休んで父をショートステイに
連れて行き、父には泊まってもらうことに予定した。
しかし、ショートステイが無理だとしたら、
お手上げだ。
9日は、魔の水曜日だから私は1時半から夜まで休みなしの仕事だ。
寝たきり老人なら、寝ていてもらえば済むことなのに
痴呆老人は付きっ切りじゃないと駄目なので最悪だ。

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今日は土曜日で、わたしはたいへんのんびり過ごしていた。
母は、 デイサービスに電話すること、イヌの散歩に行くこと
老健に荷物を取りに行くこと、老健の支払いのこと、眼鏡が具合悪いこと、。。。
何回も私に部屋に上がってきて参った
階段を上ることは父以上にたいへん危険なので、2階にはこないほうがいいのに、何回も来た。

自分が動けないからいろいろ気になってしょうがないんだろう。 父以上に徘徊の激しい人だったから
ボケたら、本当に大変なことになる勢いだ。

人の命と生活を引き受けることはたいへんだと思った。
3食の食事の支度で一日が終わってしまいそうだ。





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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。