アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

2/11 今日も面会

2007-02-11 00:54:44 | 介護
2/11 今日も面会




2月11日(日)



世の中は3連休ですが、私の家ではいつもと変わりません。

わたしの午後の仕事が無いことは救いです。



今日は母と孫のチョコパンと私の3人で久しぶりに面会に行きました。

12月31日以来です。



差し入れのプリンやカステラを買わなければならなかったので

一つ手前の便利な駅で下車しました。

こちらの駅から病院は徒歩10分くらいで、いつもより2分ほど時間がかかりますが、あたらしい駅で気持が良いです。



でも、なかなか新しいことが受け入れられない年寄りの母は、「 遠い、遠い」と言いました。

ジェンギンスも1年前には「遠い遠い」を連発していましたが、ジェンと同じ症状がひしひしと多くなっている母です。



日付が分からなくなった10年以上前のジェンは、必死で新聞をみて日付を確認する姿が何回も何回もありました。


「何回もみてるわ」って笑って見ていましたが、今思えばジェンギンスは自分の脳みその記憶が無くなっていく恐怖と一人で戦っていたんです。

家族に相談もしないで悩んでいた頃だったと思います。

それから数年経ってからも、今度は頭が真っ白になることを、本格的に悩んでいました。

認知症に理解の無かった私は、父に何も安心させてあげることができなかったことを悔やみます。



いま、母がジェンギンスと同じ悩みを持っています。 認知かしら?って悩んでいるんだから、ここで優しい言葉を書けてあげるべきでしょうが、なかなかどうして、できないもんであります。



「 きつい嫁だね~おばあちゃん 」

と孫のチョコパンが私を非難してくれることが唯一の救いです。

祖父母に優しい孫が非常に助かります。



~~~~~~



さて、病棟に2時に到着したら、今日もジェンギンスの姿がありません。

昨日と同様にきっと歩いているんでしょうから私とチョコパンで手分けをして探しました。



各部屋を回ってもなかなかいなかったのですが、個室のどなたかの部屋のソファに一人で座っていました。

声を掛けて、立たせましたがぼーーっとしていました。

チョコパンもきて、挨拶しましたが、ぼーーっとしていました。



いつものロビーに行こうかとも思いましたが、今日は私たち3人とも昼食を食べていなくて、お握り持参ですから、


ジェンギンスのお部屋で過ごすことにしました。

ここなら、誰にも遠慮せず、暖かい部屋で食事ができます。



ジェンのベッドは拘束ベルトが付いていました。

どうやら夜はベルトをして居るんですね。

ジェンには必要です。

放尿が激しいからです。



さて、柔らか御飯で作った小さいおにぎりをジェンにあげたら、ポクポクと3ついっきに食べてしまいました。

ミルクココアを両親に飲ませたら、母が甘すぎると言って私を叱ります。

昨日は、漬物を噛む音が下品だと言われてさんざん叱られた私です。



それで、甘いと言うから、孫のチョコパンがお茶を介護士さんからもらってきました。

話しによると、お茶をくれた介護士さんはチョコパンと同じ学校出身だそうです。

でも、物理学科だったということで就職には困らない物理専攻の方が介護を選択したのは本当にやりたい仕事だったのかも知れません。

彼の仕事ぶりはすごいといつも思うほどよく働いているのです。

夕方には、ジェンギンスのために足湯のたらいを持ってきてくれて、暖めてマッサージをしてくれました。

感謝です。



さて、お茶を飲んだりココアを飲んだり、カステラを食べたりして過ごします。



トイレも行きたいことを訴えてくれたので連れていきました。

面会の良いところはコレです。

トイレに行きたくなった時誘導出来るのです。

いつもは、ウロウロ歩いて困って居るんだと思います。

ジェンは、トイレに行きたいとスタッフに言えないんだろうな~



お腹がいっぱいになってくると、

やっとジェンギンスらしさがでて、

お喋りしてくれます。

歌も歌います。

チャモロ人形を可愛がって大笑いします。

そうそう、おにぎりを食べ始めたころ、ジェンのお腹はグルグルと音をたてていました。徐々に治まりましたが、お腹が空いていたのかなんなのか・・・



さて、ゆうがたも近くなり、

ロビーに出ることにしました。

4時過ぎたのでそろそろ夕飯準備に忙しい頃です。

トイレ誘導をすませて、お部屋に居る人が続々と車椅子で出てきます。



歩ける人たちは勝手に歩くので、これまた大変でしょうが、車椅子の人たちは歩かないのである意味楽です。

でも、トイレやお風呂はたいへんなんでしょう。 どんなかたちになっても歳をとるってたいへんです。



チャモロの赤ちゃんは、えらいセラピーです。

いつも怒っているおじさんが笑顔になるのです。

いつも黙っているおじさんが声を出すのです。

みんな笑顔です。

でも、ひとりのおじさんは嫌がっていたな。

私が年をとっても、絶対に動物は近づけないで欲しいんだけど、そう言う気持かも知れません。

わたしには、若い男の人を与えてください。たぶん笑顔になると思います。



4時を過ぎると、母が

「 帰る 帰る 」というので

帰ることにしました。

どうせ、用事もないのでゆっくりしていけばいいのですが、そんなことは許されず、帰ります。



病棟をでて、ガラス越しに遠くからジェンを見ていたら、看護婦さんが気付いて、ジェンを窓際に連れてきてくれました。

みんなで手を振りました。

ジェンもご機嫌です。

その後は、空虚な気持になっていたことと思います。



夕飯をつくるのも面倒で、でも外食には時間が早いので

今夜の夕食は

煮込みラーメンです。



ごちゃごちゃ具の入ったラーメンです。

具が多すぎてなかなか麺が出てこない

ラーメンです。



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2/10 3週間ぶりの面会

2007-02-10 00:59:34 | 介護


2/10 3週間ぶりの面会


日記を読み直してみたら、

正月にウイルスで病棟が面会禁止になって、

その面会が許されたのが1月20日で、その日以来わたしは父に会っていなかったので、そうとう、病院にお任せで居たわけです。



私の風邪は、相当長く、コレはおかしいぞ!って言う感じですが、

咳き込みもなくなったので人前に出れるようになりました。

昨日からは、瀧のようだったハナも止まってきたのです。



午前中は仕事があったので、

仕事現場から直接ジェンギンスの病院へ一人で面会にいきました。



朝、家を出てそのまま夕方まで留守をしました。

サラリーマンが家に帰りたくない気持が良くわかります。

わたしも、できることなら帰りたくないです。



仕事の荷物が沢山あるので

途中で海苔の付いていないおにぎりを買って暖めてもらいました。

でも、ぜんぜん冷たかったです。

蒸しパンを買って、病院の売店で自分が食べるお握りと暖かいカフェオレを買い、病院の長いすで孤独ながらも、


おにぎりを一つムシャついてから、

病室に行きました。



エレベーターでお母さんが10ヶ月入院しているというご家族と一緒になり、少し話しをしました。

1月は自宅で過ごし、何も知らずに4日に病院に戻ったらウイルスに感染してしまったそうです。



さて、病棟に入っても、ジェンが居ないのです。

介護士さんに何処にいるか尋ねましたが、わからず、各部屋をさがしてもらいました。

ジェンの部屋の周りの部屋にはいませんでした。

ロビーにもいないし、

別のとおいお部屋のほうを介護士さんが探してくれて、廊下を歩いているのが発見されました。



狭い病棟だと思っていましたが、十分にかくれんぼはできます。



ジェンギンスに近寄って

「 おじいちゃーん!!」って手を振って近づいたのですが、

ジェンはわたしに、丁寧に頭をさげて

挨拶していました。

今、考えてみれば、私ったら!!

マスクをしていたのです。

目しか出ていないから、分からないはずです。

わたしったら、今頃それに気付いた!

わたしは今日一日マスクでジェンに接していました。

だから、遠慮していいこだったんだ。



ジェンをソファに誘って一緒に座りました。 

そしたら、差し入れてあったヨーグルトやカステラを介護士さんが持ってきてくれました。 気が利きます。

適当に減っているので、食べさせてくれていることが分かりました。



でも、私も持参していたので、そちらを食べさせることにしました。



おにぎりをあげたら、一人でむしゃむしゃと一つ食べてしまいました。

入れ歯がないのでなるべく柔らかそうで海苔の付いてない物がいいみたいです。

ペットボトルの暖かいカフェオレは、コップがないのでボトルのままラッパ飲みしてもらいました。

ちゃんと飲めました。良かったです。

このとき、病院からもお茶が出ますが

どうやら、お茶はまずいらしい。



周りをみわたすと、お茶をスプーンで食べている人がいるので、とろみが付いているんだろうなと思った。



とにかく、おやつが許されたことで、もう廊下で食べなくても大丈夫になったことが晴れ晴れしい。



でも、わたしがジェンの口に蒸しパンを入れていたら、

まったく喋れないけれど、ノートに字を書いているお婆ちゃんが

《 あめ玉をください。 あめ玉をひとつください。 あめ玉をください・・・》

って書いてあったので、かわいそうになってしまいました。



別のお年寄りが、ジェンのおやつ袋をみて手をさしだしたので、

〈 大丈夫なら差し上げてください〉といったところ、

〈糖尿なのでだめなのです〉

ということでした。



この病棟でおやつが出ているのは

ジェンギンスと毎回固定隔離されている女性です。

さすが、この2人だけが痩せてマス。



おやつを食べ終わった頃、

介護士さんが体操のビデオをかけてくれました。

みんなを誘ってラジオ体操とかするので、ジェンも立たせて体操を一緒にしました。



じぇんは、泳ぐ真似をして得意になっています。

みんなのまねをして、体操もしていました。 

認知病棟では、なかなかまともに体操出来る人は居ません。

でも、リズム感の良い人がいるので

これは身に付いて居るんだと感心しました。



体操もおわって、椅子に座り

体にクリームをぬったり、耳を綿棒で掃除したり至れり尽くせりです。

今日は介護つなぎも着ていなくて、普通のレンタル室内着でした。

背中にかゆみ止めの薬をぬりましたが、かき傷が沢山ありました。

それに、背中もすっかり痩せてしまって肋骨みたいにギロギロしていました。



椅子に座っていると、みんな困って歩いてきます。

「全部無くなっちゃのよ」とか

「さとしは、どした?畑に行くの?」

「じゃ、家にかえります、お世話様でした。 帰るところへかえります 」

「 トイレに靴が片方落ちていたから

 あなたに知らせに来たわ」

・・・・

暇そうな私の所へみんな来ます。

わたしは、裸足の人に靴を履かせたり、安心させたり、話しを聞いてあげたり、隣に座らせて落ち着かせたりと、


結構楽しい時間を過ごします。



入所した人の性格によっては

最近喧嘩が多くなったので

仲裁もします。

たいてい、世話好きのおばちゃんをこっちに連れてくれば解決です。



4ヶ月間、認知症のみんなをみて、

家ではもう見れない問題のあるお年よりを理解できました。

看護婦さんが言っていたように、どの人も家に帰るのは無理です。

絶対に無理です。



私は風邪をひいたせいで、次の施設の面談に行けなくなってしまったのですが、今の病院の良さも見えてきましたから、丁度良かったのだと思いました。



★ 間食を与えてくれるようになった

★ 安定剤睡眠剤の服用はしない

★ 拘束つなぎは夜だけ室内着の上から着せて、放尿を防止している。

★ 認知症専門のため、どんな異常行動も許してくれる。

★ 介護士さんは全員優しい男性です

★ 看護婦さんは女性です

★ 介護士さんたちもジェンのことが分かって来たところです。

★ 病院であることが大きな安心です



いつも観察していると、短気をおこして

暴力的になるひとって分かってきました。そして、平和主義のひとも分かって来ました。

きょう、2人の平和主義の人をみて

そのおじさん二人を私は好きになりました。

短気を起こしているおじさんたちも、人に嫌なことをされるから怒っているので理由はあるのです。



でも、嫌味な意地悪を言うのは

女です。とりわけ意地悪な口調で指図してくるおばちゃんは嫌です。

これは、もう女という動物のせいです。



夕方ちかくになると、どのお年よりも

ちょっとイライラ気味です。

とにかく、する事もなく食べるものもなく

テレビもおもしろくないし、話し相手もいない・・・

つまらなくなってきて居るんです。



ジェンはトイレ誘導があって

素直に介護士さんに付いていきました。帰ってきた時は、つなぎを着ていました。 この時間からつなぎを着ますって説明してくれました。

なんて、おとなしくて好青年な介護士さんでしょう。

きょうも、介護士さん看護婦さんが沢山いました。 どの人も休む暇なく、仕事に追われていました。



わたしも、この施設でみんなの話し相手のお仕事をしたいです。

午前の仕事を辞めて、ここで働きたいです。



さて、今日はすぐに帰るつもりでしたが、病棟をみちゃったら帰るわけにも行かず、夕方5時までお邪魔しました。




帰る時、ジェンギンスにバイバイの手を振ったら、ジェンも振ってくれました。



みんな、別れを惜しんでくれます。

いぜん、肩を揉んであげたおじいさんが居たので、また、肩をもんであげながら、となりのおばあさんと話しをしました。

「 もうすぐ、夕御飯だから待っててね。 だいじょうぶ、ここで待っていれば看護婦さんが持って来てくれるから 待っていればいいの 」

って、不安がいっぱいのお年寄りを

何回も安心させてあげるのです。



つい、そうやって寄り道をしながら

帰宅しました。



帰宅すると、パンプキンコロッケの中身をチョコパンが作っていました。

ふたりで揚げましたが

どうもうまくいきません。

コロッケの中身は冷めていなきゃだめなの?

破裂したり、焦げたり・・・

中身が余ったので、スイートポテトみたいに卵を塗ってオーブンで焼いたんだけど、砂糖がたりなくて香りも付けなかったからおかずみたいな味で・・・



久しぶりにジェンギンスに会い、

痩せてるけど元気で良かった。

また、明日の日曜に行きます。




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2/6 差し入れに行きました

2007-02-06 01:03:36 | 介護
2/6 差し入れに行きました

今日火曜日は母がデイサービスに行く日です。



午前8時半に起きて階下へ行くと

母はもう食事も終わって準備ができていました。



ジェンギンスの時と違って、あさの戦争がありません。一人でしたくをしてくれるので

とっても助かります。



9時にお迎えが来てお別れし、

私は午前のアルバイトに出かけます。



よく考えれば、ジェンにおやつの差し入れをしなければなりません。



バイトの帰りに病院に寄ることにしました。



昼12時。

面会はこの時間はできませんが

ヨーグルト3つ、バームクーヘンみたいな袋菓子を3つ、マジックで名前を書いてスプーンを添えて看護婦さんに渡しました。



面会はできませんが

看護婦さんが部屋に入れてくれようとしました

「 土曜日にゆっくりきますので、今日は帰ります 」 と

えっらい鼻声ではなしました。



ガラス越しにジェンを探しましたが

私は近眼でぜんぜん見えませんでした。

とにかく、忙しくて大あわてで家を出てきたので、メガネもパスネットもマスクも忘れてしまいました。



仕事の荷物もたくさんで

夕飯の買い物もしたり、洗濯物を持ったりで、わたしは、乗った駅で切符を落とし、

戻ったり何ダリと、あせりました。



でも考えました。

「 いま、大荷物をもって階段もあがれるし、すぐに面会も不自由なく来れる。

あれこれ、考えて行動もできる。。。。

それなのに、年をとると不自由であるのは、不自由である。 今の自分は考えて動くことができて、なんて活動できる年頃なのであろうか!!」 って。



大荷物で家に帰り、

夕食のしたくと、犬の散歩に鳥の世話に金魚とハムスターのご機嫌伺い。

そして、3時から夜までの仕事が始まる。

時間との戦いだった。



デイサービスの日は母に気を遣わなくてすむのと、母の昼食準備が無いのはちょっと楽です。

母の夕食準備がなければ、

ジェンギンスの所へ面会に行けるのですが、とにかく、私一人で何もできない両親の世話をしていることは、非常に大変です。



あさから、泣きたくなるほど飛び回っていましたが、それでも

母はわたしを叱ります



 


















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2/2 面会・・・あたらしい動きあり

2007-02-02 15:11:33 | 介護
2/2 面会・・・あたらしい動きあり



私はもう12日間も風邪をひいていて
とうてい老人施設に顔を出すことができません。
金曜日は平日でしたが、ジェンギンスの孫のチョコパンが一人で面会に行ってくれました。



そこで、進展がありました。


平日だったせいで、病院の先生や看護婦さんケアマネージャらが揃っていたようです。
チョコパンは若いので介護士のお兄さん達から沢山話しかけてもらえます。
そこで、「 何かあったらなんでも話してください」といわれて、
日頃の食生活の不満を話す機会が与えられました。

私や母は、施設の方には日頃お世話になっているし、気を悪くされてはいけないと思って遠慮して言えないことも、若造のチョコパンは平気で言っちゃいます。



痩せてきたこと

家では沢山食べていたこと

寝付けない夜中も食べさせていたこと

そうしたら、看護婦さんと話し合ってくれて、こちらで用意したおやつ食べさせてくれることになりました。チョコパンは急いで売店へ走って、
栄養たっぷりの牛乳プリンの大きいのと小袋に別れたバームクーヘンを買って介護士さんに預けました。

4日分です。

べさせてくれるなら、これで少しは安心です。
過保護な私は、分量や飲み物も様子を見ながら与えたい気持ですが、
多少でも食べさせてくれるなら有り難い。

以前私が看護婦さんに、食べさせたいと申し出た時は
「 異食でお腹が空いている訳じゃないし、食べ物は持ち込めない 」って言われたことがありました。

でも、他の患者さんでおやつを食べさせてもらっている人がいたので、大変不思議に思ったことがありました。

入院して4ヶ月もたってから、やっとおやつが許されて、もっと早く知りたかった。


ジェンギンスが痩せた原因のひとつは
食事を残すために、食事を減らされているそうです。

・・・こまったな~

食べたくないんじゃなくて、食べ方が解らなかったり、食事が何だか解らなかったりするわけで、とにかく短時間で少しの量を下げられてしまっているのです。

しかし、ガムテープでもなんでもたべたがるのに、食事の時は食事をしなかったりするらしい。

この日、孫のチョコパンは、
ルクコーヒーと蒸しパンとバナナと
途中で買ったプリンを食べさせました。
それでも、もっと食べたくて食べるものを必死で探していたようです。

トイレ誘導している間に
席に戻ってみたら、プリンのゴミ袋が無くなっていたので、あせって探し回ったら、
一人のおばちゃんがゴミ袋を持って歩いていたそうで、チョコパンはおばちゃんのあとを付けて、隙を見てゴミ袋を取り返すことができたそうです。
何かあったら、大変ですから。

また、おばちゃんが机を移動しちゃってそれを怒るおじちゃんがいて、喧嘩が始まり、チョコパンは仲裁もして大忙しだったようです。

しかし、認知症専門棟はとても良いと思います。
認知症の人は専門棟でないとやっていけません。
スタッフも認知症にたいする構えが違います。
一般のお年よりとの共同施設では、スタッフから文句を言われてしまいますが、認知専門棟は絶対に認知症をバカにしません。

介護基準が認知症なので認知症が異常だと思わずに仕事をしてくれているんで
スタッフの対応が違うんです。

私がこんなことを急に言うのは
以前特養施設のショートで面倒見切れないから迎えに来るように言われたことと、
ショートの施設で、ざんざん異常行動を指摘されたことと
ずっと以前のケアマネージャにジェンギンスは迷惑だと言われたことと、

それなのに、老健の認知フロアや今回の専門棟では、まったくジェンギンスの行動は許されているばかりか、歩けることを返って歓迎すると言ってくれている。

認知症を全て認めてくれていることがすごく嬉しい。

あと、正常な母がデイサービスに行き始めてみて、少し認知のあるお年よりは、ゲームのルールが理解出来なかったり、してはいけないことをしたり、拒否があったりでスタッフも正常なひとも苦労が有るようだ。

もちろん、認知症には理解がある母だから我慢はできるけど、無理があるのだ。
同じフロアは無理があるのだ。

考えてみれば、ジェンギンスは相当ご迷惑がかかるまで、デイサービスに通わせて頂いた。
明るいスタッフの元で、本当に良い時間を過ごさせて頂いた。
でも、そうとうご迷惑をおかけしただろう。
家族はなかなか気が付かないものだ。

ジェンギンスの笑顔が欲しくてデイに通わせちゃったけれど、ご迷惑だったことだろう。でも、有り難かった。

デイサービスに通った4年間はジェンギンスにとって一番明るい良い時期でした。

心から感謝しています。

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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。