アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

母を大学病院へ

2007-11-12 22:51:05 | 母の介護
2007年11月12日月曜 母診察

とにかく、未だかつて具合が悪くなって寝たこともない人が
月曜から土曜まですっかりベッドに入って寝込んだから
たいへんだ!

ずっと寝てるから、歩く姿も見たことがなく、
木曜日に近所の病院へ点滴に行った母を迎えに行って
私はびっくり仰天した!

半身マヒ状態で、歩けてない!

何を聞いても、どこも悪くないって言うし、
医者には「食欲がない」と言って通っているから
胃の薬しか出ていない。


今週の母の状態

@片足が上がらないのでうまく歩けない
@長く歩くと足が痛くてもう歩けない
@長く歩くと体が反り返ってしまう
@頭痛がした(1分でなおるのが続く)
@ろれつが回らないことがある
@ふらついてあるけない
@まぶたがあがらなくなってしまった
@視力が弱ってしまった
@しびれはない。
@食欲はいつもない


具合じたいは悪そうじゃなく、しかしベッドに入って寝っぱなし。
一度、声をかけたら、今まで見たこともない目つきで、
こちらを見ていた。どこも悪くない・・・って。
おでこを触ったら、あせをかいていた。
電気あんかを2つ入れて、25万円の羽毛布団を2枚も掛けて
毛糸の下着を着て、ホカロンを体中に貼って、それでも寒いというし、
電気毛布をすれば、熱いというし・・・・

新聞によれば、脳出血の前触れの症状とぴったり同じだから
つまり、
だから、きょう予約もしていない大学病院へ急いで連れていった。
早朝、病院に電話をして、カルテを用意してもらい
母の担当の準教授に見てもらうように手配した。
なるべく早く来てくれと言うので
あさ、8時にタクシで向かった。

まず、研修医による予診があった。
緊急だったらここで判断されるで有ろうな。
この1週間の様子をすべて紙に書いて提出した。

そして、準教授の診察。

先生 「 具合悪かったの? どうしたの?」

母  「 食欲がないんです 

ええっ~~!!
予診をした研修医も、わたしも、開いた口がふさがらないって言うより、
口が開いちゃった!

食欲が無いからって、大学病院の予約外診療を受けに来るか?

それで、準教授の所見によれば
以前から、その病気であろうといわれている
パーキンソン病の症状だと思われるって。

母を歩かせたり、こわ張りを調べたり、押したり引いたりしてた。
今日はパーキンソンの重症ではないように見えるが、
金曜くらいまで、重症だった。

とにかく、昨日今日は少し回復して、起きているのだ。

来週、
脳MRI + MRA単純 (ルーチン+脳血管のみ) 
と言う内容でMRIを撮る。

先生「 薬の管理は自分でできるの?」「物忘れはない?」
母 「 物忘れはないです。自分ではそうおもっています・・・」
母は不安になって、わたしに
「物忘れ無いよね? ある? 」って聞いてきました。

私 「 ないね、同じことは何回も言うけどね 」って喋ったら
先生もなにか喋っていたので、だれも聞いてくれなかった。

無事、診察だけ済んで
母を残して、私は仕事へ急いだ。
急いでいるから 、となりのホテルの無料シャトルで新宿へ送ってもらった。
私のまわりは、アメリカ人のお客さんで、外国にいる気持ちになった。
知らない街のシャトルバスに乗る気持ちよさを感じた。
お客さんはデズニーランドへ行くらしい。
一回だけ私はアメリカのデズニーへ行ったことがあるけれど
日本とは比較にならないほど、良かったのだ。

そして、仕事からの帰りは、チャリがないため
別のホテルのシャトルバスで家まで帰ってきた。

夕飯のおかずは高いもの買うくせに
バス代は節約して苦労しています。

母が、まともになってきたので
安心しています。
でも、油断出来ません
血管が破裂する可能性だってあるでしょう。

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11/11 絶食肺水腫

2007-11-11 23:52:23 | 介護
2007年11月11日日曜 面会

昨日に引き続き今日も病院へ。
今までなら、土曜か日曜に面会して明るく終わっいたのだ。
しかし、〔肺水腫〕と、きかされて、
ほっておく訳にはいかない。

しかも、肺水腫でありながら絶食とは、かわいそうな。
しかも、両手両足胴体のきつい拘束。

これじゃ、家族が言ってあげなきゃ
人として成り立たない。
いくら認知症でも、心が生きているし
まだジェンギンスとしての人格が十分にあるから
かわいそうでたまらない。

虫じゃないんだから・・・

病室に入ったら、ちょうど下着交換の時間で
いつもの優しいお兄さんが出てきた。

「 点滴中なので、両手を拘束してあります 」って言われた。

面会中は取ってくれないのか?って疑問だった。

取っちゃいけないかと思ったが、
両手のきつい縄状のヒモをほどいた。
ただのヒモじゃなくて、拘束用のひもだから
しっかりしているんだ。

ジェンギンスは、ぼーっとしてた。
私の顔をみると、口をあーーんてあけて 
食べ物を欲しがった。

まって、まってと言って、
私はメールが立て込んでいたので
待ってもらった。
膀胱腫瘍で精密検査を受けるひとからのメールだった。

アサダアメの水飴状をスプーンで舐めさせると
必死で舐めている。

少しは食べさせても良いと、病院から許可をもらっているので
家で作ってきたおじやを少しあげた。
沢山食べたがったけれど、もしも吐いたりしたら
おやつ禁止になりそうだから、
気を付けた。

レモンティも飲ませた。
でも寝かせて飲ませたら、また吐くから
起こした。
わたしの全体重を使ってジェンの体を支えた。
わたしはジェンの背中を体で支えてベッドに座った。

水分ももらっていないだろうから
ジェンは必死で飲んだ。
背中をさすってげっぷもさせた。
必死で支えていたら、看護婦さんが様子を見に来たので
胴体の拘束ベルトを外してもらった。

ジェンは、お茶を飲むよりも、寝たがった。
だから、いそいで背中にかゆみ止めクリームを塗って
寝かせた。
拘束つなぎを着ているので
背中にクリームを塗るのもたいへんです。
背中の隙間から手を突っ込んでなるべく奥まで
薬を塗ります。

食べたがるジェンの気を紛らわすために
手足にマッサージしながら薬やクリームを塗ります。
水虫の薬も塗って・・・足がつるつるに綺麗になっている。
足の裏には尿素。
爪には水虫薬。
皮膚にはかゆみ止め薬。
傷には、傷軟膏
爪を切って、ついでに
もみあげの長くなった毛をカットして。
おでこをイイコイイコしてあげる。

イイコイイコって声に出して言ったら
ジェンギンスは喜んでいた。

ジェンは何か沢山喋るんだけど
声がかすれて、声にならず、良く聞き取れない。
家族だからわかることも沢山ある。
ああ、あのことをいってるんだなぁ って思う。

音楽も4時間聞かせた。
ライアティアの歌声は綺麗だと言っていた。
ショパンのソナタは立派だと言っていた。

5時半にたくさんの点滴が終わった。

夕飯も出ないので、冷たくなったおじやを
5口くらいあげた。
紅茶も寝ながら飲ませた。
「 ごちそうさま 」と声が出た。

すこし、お腹がよくなって
正常なジェンギンスに会うことができた。

あすから、月曜で当分面会は行けない。

あすは、母を大学病院に予約無しで連れて行くんだけど
わたしは、11時までに大切な原稿を五反田まで
届けないといけないので、
もう、パニックです。

わたしの人生で一番忙しい時期なんだろうな。
ピークだな。
これを愉快に乗り切るのだ。
なんて!充実した毎日なのだgirl2good



何かくれって手を差し出すジェンギンス



コメント

両親が具合わるい

2007-11-10 03:04:09 | 介護

ジェンギンスは、10月12日からベッドに寝たきりで拘束されて
点滴生活を送っています。
今日の11月10日が過ぎても、点滴で絶食です。
今日の面会では 「 肺水腫 」で肺に水がたまっていると
知らされた。
抗生物質を変えたりして、レントゲンも頻繁に撮って
治療してくれているらしい。
病院施設のありがたさを、痛感した。
自分の部屋で治療をしてもらえることは
大変有り難いし、看護婦さんも先生も沢山常駐しているし・・・
早く特養に入所したいと思ったけれど
肺や肝臓の悪いジェンギンスには、病院施設が適切だった。

拘束も仕方がない。
その代わり、家族が付き添わなくていいから
たいへん助かる。
でも、できる限り面会はするつもりだ。

1週間前は激しい痰だった。
わたしは、雑巾を借りて床掃除をしたんだ。
・・日記に書いた覚えがないけど、書いてないか・・・・

そのあたりの時期から

母の具合が異常だ。
寝込んでしまったのだ。
かつて、寝たことのない母が
もう、6日間寝ている。

わたしは、何もしてあげれなくて
病院へも連れていってもあげれず、
母は夕方一人で、近所の病院へ行って
点滴をしてもらっていた。

木曜に私の仕事が早く終わったので
病院へ駆け付けたら
点滴が終わって道を母が歩いていた。

そこで、驚いた。

半身不自由そうに歩いている。

うまく歩けないのか?
痛いところはないか?
しびれていないか?
頭は痛くないのか?
足が上がらないのか?

母はどこも悪くないと言い張る。
食欲が無いだけだって。
病院の先生も、どこも悪くないと言うそうだ。

先生にうまく歩けないことを言ったのかと聞けば
言ったけど、年寄りはみんなそうなんだってと
安心して帰って来たわけだ。

「いつもと全く違う って言わなかったのか?」
「わたしは、どこも悪くないわよ」

・・じゃあ、なぜ寝込んでいるのか

今日の11日土曜日。

朝は起きてきたけど
コタツで居眠りしてるから
ベッドに入ってもらった。

そのまま、わたしはジェンギンスの病院へ
行ってしまったけれど

夜、母はへんなことを言った。
「今日は昼寝をしちゃったから、夜きっと眠れないわ」
月曜からもう6日間も眠りっぱなしだって
伝えたら、とぼけた顔してこっちを見ていた。

脳溢血の前触れについて
今日の日経新聞に載っていたので
読み上げた。
そしたら、母は明日大学病院へ行くと言い出した。
明日は休みだと伝えた。 4度くらい伝えた。

そして、3日土曜に、頭痛が少しあってふらついて歩けなくなったことを
やっと、言い出した。
そして、今日もあしが痛くて歩けなくなってしまったと言うことだ。

脳溢血の前触れにしては、軽いかも知れない。
以前、硬直したひとを見たことがあるし

担任の先生が倒れた時、やっぱり、硬直していた。
父も母も、話しはできるけど
どこか、へんだ。

大学病院に母を連れて行くことが
なかなかできない。
ジェンギンスの担当医とも平日の午後に話しができるそうで

・・・わたしは、一人できょうも

メリーのインシュリン注射を抵抗されながらも
1日2回行って、
母の心配と
ジェンギンスの心配
をして、それで忙しがっている。

悪い方に考えれば

母は、まもなく血管が破裂して亡くなるかも知れない
父は、もう肺が弱って呼吸不全で亡くなるかも知れない

良く考えれば
いつものように、三途の川から引き返してくるかも知れない。

この2人を、一生懸命回復させてあげたいのに
わたし、一人では無理がある。
しかし、今回ジェンギンスのお世話を
施設のかたにして頂き
こんなに感謝したことはない。

点滴、服薬、掃除洗濯、入浴、トイレ介助

今日のジェンギンスは
胴体の拘束だけで、手足は自由になっていた。
・・・・土曜だから、外していたのかな
拘束されなくても、おとなしく横になって寝ていた。

おでこをなでてあげたら
ありがとう、ありがとうって感謝された。

感謝したいのは私の方です。
今までの恩返しはぜんぜんできてないし


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手足拘束されて

2007-11-06 23:59:27 | 介護


11/6

拘束されて4週間が来ようとしています。



先週、お風呂に入りロビー復帰も目の前に来て居たのですが、

風呂に入ったその日に、嘔吐したらしく、

まだ点滴拘束生活が続きます。



先週の木曜 11月1日には、孫のチョコパンが面会してくれました。



激しく怒って帰宅しました。



一人の介護士さんが、ジェンギンスを扱う時に力づくで押し倒して寝かせたために、じぇんは胸をいたがって苦しんだそうです。

抵抗が強いジェンギンスのことを、はじめから構えて力を入れるので

ジェンは、具合が悪いのに抵抗して苦しいのです。



トイレに行きたくて、立ってあるいたために、

チョコパンは急いでその介護士さんに伝えて

トイレ誘導をしてもらいたかったのに、

「 僕の担当じゃない 」といつものことば・・・

いつも、担当じゃないってその人は言うのです。



じゃ、他の人を呼んできます って急いで走ろうとしたら

みんな、忙しいからって何もしてくれない・・・



他の男の介護士さんは、すごく優しいのに

なんとかしてほしい。。。



結局、その介護士さんがパンツ交換してくれるんだけど、

チョコパンに手伝って欲しいと言ったそうで、

いくらなんでも、若いチョコパンはおじいちゃんの裸とは

付き合ったことがありませんから、

とんでもない話しです。



「 おじいちゃんは、私の前でも恥ずかしがる人で

  見られたくないひとだから

 わたしは、手伝えません 」

と、はっきり言ったのに

便をみせようとしたり、雑巾で拭き取った痰をみせて来たそうです。



もう、人間扱いじゃないな。

その日、3週間ぶりでお風呂に入って出てきたけど、

すごく冷たくなって帰ってきたそうです。



そして、夜吐いた。





そして、



11月3日 土曜は、わたしが面会したんだけど驚いた!



手足をベッドできつくしばられ

胴体もベルトで固定



すぐに外した。

そしたら、ジェンギンスは

「ありがとう、ありがとう 」って何回もお礼を言った。

ひどいとは思うけど、

拘束を外して、ベッドに起こしたら、点滴や布団をいじりだして

少しも目を離すことができない。



点滴している間の、拘束は生きていくために

必要なのだ。



生きるためには拘束しないとならないのです。

そういう病気になってしまっているんです。



拘束が嫌なら、家族が付き添うべきでしょうが

うちには、付き添える人がいません。



父も具合が悪いうえに、、

今日11月6日は、母がとうとう寝込んだ。



母は、とにかく普段咳き込むので肺炎が心配だ。

ジェンが家にいた時は母がリーダーだったから

頼りにもなったけど、母が寝込んだら、わたしはいったい

どう看病したらいいのか分からない。



御飯は、いらないいらない っていわれたら

どうしたらいいのかわからない。

食べないで体力なくなって身動きができなくても

どうしたらいいのか分からない。



ジェンギンスの介護の方がらくだったなぁ



母は、まだ赤ちゃん扱いができないから

一苦労だ。



4日日曜に、チョコパンの学校の学園祭に母を連れていったのだけど

とおくて疲れたと入っている。

タクシーを利用して、なるべく負担がないように行ったのだけど

電車に1時間乗るのが、そうとう長かったらしい。



このごろ、とおいとおい って言う。

食べ物も かたいかたい って言う。



2年前のジェンギンスそのままだ。




コメント

アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。