アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

両親の入院

2007-12-26 03:11:31 | 介護
2007年12月26日 水曜日 心配していないです

父も病気入院、母も病気入院。
それで、どんな気持ちかというと、
ホッとしてる。

今日は、午前から母の病院に行って、入院の不足品を整えたり何ダリで
走り回った。
父と違って、自分で生活出来るひとだから、
いろいろそろえてあげないといけないんだ。

午後2時まで母の病院で母と一緒に過ごした。

2時半から6時半まで自宅で仕事をして

仕事が終わってすぐにまた母の病院へ。
テレビのイヤフォンをステレオイヤフォンにかえたり、
近くの100円ショップで、時計と電池を買って、石けん置きを買って
洗面所に置いて、
綺麗なバスケットを買って、テーブルの上に設置して
塩やふりかけをいれる・・・

寒がりの母が今夜寒いというなら、あす、なにか工夫しないといけない。
病院じゃ2000枚の掛け布団は掛けれないからな。

今日は点滴生活の母で、
食事は五分がゆとスープとおかずだったらしい。
やたら、まともな食事が出るのでおどろいた、
さっそく、胃がもたれた母だ。
ベッドに寝ていた。 元気そうに見えてもだるいらしい。

正月も病院で過ごしたいと言っている。
あの、痛みの恐怖のせいなのか、
わたしに気を遣っているのか分からない。

施設に入所したいようなことを口走るようになった。
「施設にはいると、自分もお父さんみたいにお金が入ってくるのか?」
って、聞いてきた。
「 病院だと入ってくるんだよ」と答えた。

ジェンギンスはとことん、家族のために尽くしてくれています。
自分では入院費用がかからないのに、自分に降りてきた
保険で、母を一泊差額ベッド7000円のお部屋に入院させているのですから
そうとう、エライです。
母が安心出来るのも、全てジェンギンスのお陰です。

私が母に付き添うあいだ、
ジェンギンスの病院は、チョコパンが行ってくれました。
学校が休みになり、バイトも制限し、遊びも制限して
病院に行ってくれました。

ジェンギンスは、特効薬の効き目が出てきたんでしょうか・・・
さいきん、怒りモードです。
いっとき、安らかな素直なおじいさんに生まれ変わっていたのですが
元の通り、拒否の強い、機嫌の良くないおじいさんが現れるようになりました。

チョコパンが、顔にクリームを塗ってあげると、
手を払いのけて、恐い顔をするそうです。
以前は、ありがとう ってやさしく言ってくれたのにな。

今日も、胴体にベルトをはめられ拘束されていたことが
つらいです。
もう、動けないのになぁ・・・

それに比べ、母の病室に夜だけでもポータブルトイレを置いて欲しいと
頼んだら、断られた。
歩けるだけ歩いてくださいって言われた。

2つの病院をイキキすると、
良いところと悪いところが明白だ。

ジェンギンスの病院の設備がとっても良いことが
よくわかった。


さて、ことしも後二日頑張って働けば、休みだ。

明日の母は、 脳のCT 腹部CT検査だ。

ジェンギンスの病院に1時半から3時まで面会し
4時から6時半まで働いて
夜は母の病院へ行く。
母の病院が近くて助かる。 自転車で10分くらい。

今日は2人とも心配ない。

夜、深夜まで家族水入らずでのんびりした。
半年ぶりに風呂を沸かして入った。

みんな生きているから、
安心してくつろげる。
ほっとした。 
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母、激痛。

2007-12-25 00:44:50 | 介護
2007年12月25日 両親揃ってる最後のクリスマス

もう、大変すぎて、日記はことしはもう書かないつもりでいましたが、
夜は落着いたので書きます。

いつも、母の食事の支度だけをして、仕事とジェンギンスの病院通いに
追われていました。

母が、「救急車を呼びたいくらい一人で病んだ」と聞いても
ピンと来なかった。
それが、けさ、母が苦しみ出したのだ。

ジェンギンスの認知看病がどんだけ、生やさしいことだったかと
思い知った。
苦しむ病気の看病は、たいへんだった。

胃けいれん発作だと思ったのだけど
胃けいれんでは亡いそうだ。

入院させてくれと頼んだけど
そんな必要はないと断られた。
でも、レントゲン撮ったら入院する事になった。

今日は自分の仕事を恨んだ。
看病するなら、仕事を持っているのは無理がある。

病院でもうずくまっている母だった。
そんな母を置いて、わたしは仕事のために帰宅しなければならない。

ジェンギンスの所へも行けず、
チョコパンにメールして2時間離れた外出先から6時の夕飯に
間に合うように帰ってきてもらった。

一人で看病するというのは、決断に苦しむ。
もし、今日誰かがいたとしたら、救急車を呼んでいたんだろうけど
私一人では、判断が弱かった。
救急車を呼んだ時のあの、煩雑さが嫌だった。

痛み止めで母は夜落着いた。
苦しんだことがいつのことだと思っているのか知らないけれど、
今日は痛くなかったと言っている。
汗びっしょりで、真っ白な顔で、かわいそうでみてられなかったけれど
わたしも必死だった。

父が肝臓病で洗面器をかかえていた苦しみのシーンを
思い出した。
今日の母も同じだった。


今日の母のレントゲン写真は
まったく読みとれなかった。
そこに写っている変なものが、正常なのか異常なのか
分からなかった。


さて、ジェンギンスは拘束ベルトをされて、手にミトンまではめられていたそうです。
もう、動けないジェンギンスですが、
どうして、拘束されて居るんでしょう。
ミトンをする事で、手すりにつかまれないから、
体を動かすことができません。
喉にこみ上げる吐物を体を横にして吐くことができないじゃないですか、、

明日も、母のために走ります。
ジェンギンスの病院は、行けません。

とんだ、クリスマスだと思いましたが
両親が生きていてくれるという、良いクリスマスです。

頂き物のクリスマスケーキをマクドウウェルと2人で
でかいまま、切りもせず食べました。

メリーitem9クリスマスkirakira2gift
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生きているのが、つらいって・・

2007-12-24 23:58:52 | 介護


MP3で音楽を聞きながら、ドトールのココアをのむジェンギンス。
痛みも吐き気も無い時が、しあわせの時間です。


2007年12月24日 振り替え休日  クルシミマスイブ

3連休の最後。とことんジェンギンスに付き合います。全身全霊をつくして
身を捧げています。

家には、12月中に亡くなるといわれたジェンギンスよりも
具合の悪い母がいます。
でも、先に死ぬ方に気を取られて、母は後回しです。
母は精神的にも参ってます。自分の具合が悪いからです。
もしかしたら、具合が悪い母をホッぽらかしにしているから
心を病んでいるのかも知れません。

毎回 「 お父さんは、元気だったよ 」と報告しているから、元気だとおもっているのでしょう。
容態が急変したら亡くなるからとは、言ってますが、
たぶん、間もなくだとは記憶出来ていないと思う。


まいにち、ジェンギンスを看ているとつらいものがあります。
ジェンギンスがつらそうにするからです。

今日苦しんでいるジェンに聞きました。

「もう、つらくて嫌だ? 」
「ああぁ・・・」と苦しい顔でうなずきました。

生かしておいたらかわいそうだと思いました。

午後病室を訪問すると、健やかに寝ています。
いつもです。

でも、夕方から夕食後に、逆流がはじまって
喉いっぱいに水分が逆流してくるのです。

きょう、ネットで胆管癌の逆流をしらべたら、
胆汁が食道に逆流して来るらしい。
まさに、これかと思った。
癌で細くなった胆管に胆汁が流れなくなり
食道に逆流して、胃液や食べたもの、飲んだものと一緒に
吐くのではないだろうか・・・

胆汁や胃液が黄色いから
これは、わたしがあげているウコンと区別が付きません!
今日はオレンジのウコンは辞めました。
エキスが薄い方のウコンドリンクを買ってきて持参しました。

昨日せっかくのクリスマスプリンを吐いたので
今日は持っていきません。
欲しがったらあげるように、かるいヨーグルトひとつ持参です。

駅を降りて、ドトールで美味しいココアを買って持参です。

昨日、私たちが帰宅してからどのくらい吐いたんだろう・・
全部、支度が取り替えてある・・・
きのうは、いっぱい吐いたなぁ~

今日の午後は健やかで、穏やかです。
ココアをあげたら、すごくおいしいといって飲みました。

残りのココアに、特効薬エキスをいれてのませました。

ウコンは、もういいです。。

特効薬蜂蜜もあげます。
口をあけて食べ物を欲しがったので、ヨーグルトを一つ食べました。

ジェンギンスの大好きだった会社の手ぬぐいをみせたら、
すぐに字を読んでいました。
壁に貼っておきました。

音楽をイヤホンで聴かせていたら、
なんと、しゃべる声が大きくなったので
良いことだと思いました。

平和な時間がながれていた夕方5時ころ
痰が出始めたのです。

ココアが出てきます。
井戸水が湧いてくるように
喉に水が湧いてきます。
吐き気じゃなくて、自然に逆流して口の中に
たまるのです。

この逆流は今始まったことではなく
半年前に3階で始まって、個室移動になったわけです。

とにかく、いままで夕方のジェンギンスをしらないから
様子がつかめません。

癌が悪化しているのか、いつもの通りなのか・・・


つらそうに、痰を吐き続けるジェンギンスですが
6時になり夕食です。

今日から、もう私が食べさせてあげます。
自分で食べる必要なんて、何もないよ。
きれいに、美味しく食べさせてあげればいいんだ。

具合がわるそうだから、少しづつあげて、でも
よく食べました。
半分でやめておいたら、お椀をゆびさして
「 それなんだ?」って言うから、お椀をもたせたら
口に流し込んでいました。
スプーンは使えません。

ななめのベッドの90歳のおじいさんには
お刺身が出ていました。
病院でお刺身が出るなんてスゴイです。
この、おじいさんはとってもきちんとしている方なので
ちょっと、お話をしたら、宗教の仕事だそうです。


ジェンギンスは食後げっぷもさせて落着いていましたが、
やっぱり、逆流してきます。

かわいそうなジェンギンス。

そうか、今夜も健やかに眠って欲しい。


ずっと付き添って
家に着いたのが夜9時。

母は一人でみんなの帰りを待っていたことでしょう。
ちょっと動くと具合が悪いそうです。

かわいそうなお母さん。
かわいそうなお父さん。



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臨終を演じるジェンギンス

2007-12-23 01:57:09 | 介護


ベッドの背もたれをあげて座らせると、視界が広がってジェンギンスのいたずらが始まります。
アレコレ触りたくなって、落ち着きがありません。
もう、監視している方がへとへとになります。

でも、寝かせると食道から水分が逆流するので
起こしておきます。

チャモロ君も壁に激突させられて、失神したところです。


2007年12月23日 日曜 痰が湧いてくる

今日の面会は忙しかった。

プリンをもりもり食べて、ウコンドリンクと特効薬をゴクゴクのんで休んでいたら、
痰を吐き始めたのだ。
それが、何時間もとまらなくて
どんどん湧いてくる。

胸は、勿論痰でいっぱいの音がしている。
この病棟は寝たきり点滴のお年寄りが多いから、
どの人も痰吸引をショッチュウしているけれど、
ジェンギンスは力があるので、痰はめったに吸引していません。

でも、吸引したら、胸が楽になるでしょう。。。

ジェンは、かぁあ~~って痰を出して、ベッドのまわりに吐きちらします。
元気なようでいて、もう背中をベッドから離す力はありません。
なるべくベッドの外に吐こうとしますが、
だるくて自分の肩のあたりにとばしています。

痰だけじゃなくて、さっき飲んだ水分も喉に戻ってくるようです。
ウコンドリンクの鮮やかオレンジを雑巾の上に吐き出すので
もう、困りますよ。
洗っても、その色は落ちないんだから。

熱は37度あって、微熱でしょうか。
落ち着きが無く、
痰と水分は湧いてくるし、
動こうとしても、だるくて動けず、
時々、苦しそうな表情です。

必死で痰と戦っていた時、
夕方5時半過ぎにチョコパンがバイトの帰りだと言って
寄ってくれました。

これから、パニック夕食なので助かります。

調子が良くないなら、食事は制限しようと思っていましたが
全部食べました。

ミキサー食だから何のおかずか分かりませんが
少しずつ食べてみて、
ツナ、青しそさらだ、大根おろし、おでん で在ることが
臭いと味で分かります。
なかなか、おいしかったりします。

しょくご、お茶は一口で辞めておきました。
だって、逆流して戻ってくるんだから。
すぐに寝かせられちゃうし。

どうも、調子がわるそうなジェンギンスですが
突然、息をしていないので
チョコパンと 息してない!! って驚いてみていたら
息をし始めて、もうびっくりです。

そのうち、白目をむいて
死んだようになったので、
チョコパンと、
「 ああ、おじいちゃんが、死んだ。 いい人だったね
  とうとう、死んじゃったよ。
  おじいちゃん、おじいちゃん!! 」って
じいちゃんの、白目にあわせて演技して顔をのぞき込んでいたら、
突然死んでたはずなのに、
大きな口をあけて、私達をかみつこうとして、顔で襲ってきました。

すばらしい、演技でした。

でも、また明日ね。
って言うと、 「 明日は無い 」って言います。
「もう駄目だっ」て言います。

ジェンギンスも、体の変化を感じているみたいです。

体力はかなり無くなっています。
でも、体の位置をじぶんで柵につかまって
治しています。
その辺の、考える能力はしっかりしているので感心します。
手の力があるから、寝返りができてよかったです。

この病棟のお年よりは
自分で寝返りもできないし
トイレへも行けないし
御飯も点滴だし、
喋れないし、
痰も吐けないし、
呼吸が出来ない人も沢山です。

でも、

ジェンギンスより長生きするんですね。

ここに入院して、ひと月になりますが
誰も面会に来ないことが不思議でした。

今日、92歳の向かいのベッドのぉじいさんの所に
若い人が4人来ました。
同じ敷地の特養施設のスタッフでした。

そうか、ここの病院は
何千人もいる特養からの入院患者さんがいっぱい居るんだ。
だから、家族は来ないんだ。

クリスマスカードを持ってきて、読み上げていました。
4人とも、鼻をおさえて、涙をこらえていた。
きっと、元気なおじいちゃんだったんだろうな。
もう、話しもできない。

4人が帰ったあとで、チョコパンがおじいさんに話しかけていた。

例えば 蓮山 ハスヤマさんだとすると、
日本語が得意じゃないチョコパンは
「 レン山さん! レン山さん! 」と呼んでいました。
ずっと眠っているレン山さんも、びっくりで笑い出すんじゃないかと
表情を見守りました。
目をつぶったままなので
「 レン山さん! 目をあけなよ 」と、レン山さんの両目をこじあけて
自分の顔をみせているチョコパンです。
レン山さんの手をにぎり、私の言うことが正しければ手を握って!
と、いろいろ質問してました。

こうやって、チョコパンは、きょうも死ぬ暇をなくしてしまう作戦を
実行していました。

痰がこみ上げてくるようになって
もう7ヶ月くらいになります。
抗生物質では治らなかった。
肺ガンかどうかは、レントゲンが汚すぎて
分からないらしい。
CTは撮ってないのかしら?

いまさらどうでも良いのかも知れません。

よる、8時前にジェンを寝かせて
帰宅しました。
ひるま、ずっと起こしておいたから
夜は寝てくれると良いのですが。

あすも、生きていますように。

そろそろ年賀状をかかないと。

giftkirakiraitem9メリークリスマス[[pict:beer]sake


今日も400円のプリン、かわいいカップです

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婦長から電話あり

2007-12-22 01:05:30 | 介護

ユウタイ離脱!

2007年12月22日 土曜日

雨降りの冬至です。 手がこごえるほど寒かった。

昨夜病院から、私の家に電話がありました。
急変かとびっくりしましたが、婦長さんが当直室から電話をくれたのです。
とにかく、チョコパンが看護婦さんの傷つくことばを婦長に報告しちゃったから
私も、婦長さんも悩んだわけです。

そして、昨日の金曜はどうしても面会に行く時間がなくて、初めて面会を欠席したわけで、それがよりいっそう、婦長さんを驚かせてしまったようです。

トラブルはいけません。
平和に過ごすことが私の人生です。

~~~~~~~~~~~~~~

今日は、母をデイに送り出し、
母の部屋掃除ですが、3時間かかっても進みません。

ベッドの掛け布団が、2000枚もかかっているので
それはそれはたいへんで、おまけに敷き電気毛布とアンカがいくつも
電源が入れっぱない状態で、
ここまで寒い気持ちが私には理解出来ません。
2000枚の掛け布団の布団カバー剥がしだけでも2000枚ですから
富士山がいくつもできました。

母の掃除をしつつ、ジェンギンスが最後に着る下着をそろえて用意しました。
ちゃんとパンツを履かせてあげます。
だって、ずっと紙パンツでかわいそうです。
ズボン下も履かせてあげます。
施設生活でさぞ不自由だったことでしょう。

母の時は2000枚の掛け布団をかけてあげないといけないな。

さてシャツは、新しいものにするべきでしょうか・・・
施設生活で下着が5000枚もありますから、できればその中から
着せたいのですが、ふつう新品でしょうか・・・

最後は葬儀屋さんの用意した白装束でしょうか・・・
もう一回、葬儀屋さんに確認しないと。。。
ジェンギンスの着物が出てきたんで、それをきせたいなぁと思って・・・

片付けも途中で
午後になってジェンギンスの病院へ行きました。
寒くて凍えそうです。

冷蔵庫からプリンを持っていったのですが
駅前のパンやさんで、たいそうにかわいいカップのプリンが
あったので一つ買いました。
400円もしましたが、かわいすぎてぜんぜん惜しくない。

ジェンギンスは、ちゃんと生きていました。
ほっとします。

壁には、ベッドシーツが貼ってあります。
あまりの痰吐き飛ばしに、シートを貼って対応です。

今日は目を開けていました。
話しかけると、うなずきます。
うんうんて、返事をします。
元気ではないようです。
どこかが、具合悪いらしいです。
いつも、そんな返事をします。
どうも、お腹が痛いらしい・・・

かゆみ止めのクリームをお腹に塗ると
痛がって嫌がります。
癌が大きくなって痛みがあるんでしょう。

黄疸は出ていないように見える。
便の色はどうなんだろう・・・
昔父は白い便をしていたのを思い出す。

胆嚢を切除する事は、こんなにも
大きなリスクがあることを
もっと、知るべきだけど、最近は切らなくなったからな。

今日は、壁際に2人の人が来ていたようです。
そして、ジェンギンスが驚くべき事を
言ったのです。

『 ○○歳じゃぁ、もったいないなぁ 』


その年齢は、来年2月にジェンギンスが迎える歳です。
ジェンギンスは自分の年齢なんてぜんぜん分からないはずですが
そう、言ったのです。
まるで、 その年齢で死ぬには早すぎる っていう口調でした。
来年2月まで、生きててくれるでしょうか、
今の様子だと、生きれそうに見えますが、
先生は無理だっていうのです。

とにかく、肝臓の血液検査値が 4000を越えて、なお上昇中だというからな。


特効薬とウコンドリンクをごくごく飲んで、
400円のプリンを3分の2たべて
特効薬の粉末蜂蜜もなめて

効果に大きな期待をしています。

でも、わたしはサプリオタクじゃあないつもりです。

認知症のために、高濃度ギンコを飲ませることと、
癌をゼリー状に包んでしまって転移を防ぐ効果のあるという
高濃度エキスを飲ませること。
この2点だけを信じて、信者です


6時になり夕食。

チョコパンに言われた通り、
すぐにジェンギンスの前に食事を持っていかず
離れたところで準備してから、目の前に持っていきました。

サケの魚に醤油をかけて、
祭日のためのお赤飯お粥には、御飯ですよ で味を付け、
緑の冷たいサラダにも少し醤油をかけて、
大根おろしにも醤油を掛けて、御飯に乗せて・・・

小さい器にいろいろのせて
手に持たせます。
自分で上手に食べています。

臨時に出されているという粉薬も
後半の御飯に混ぜてしまって飲ませました。

ミキサー食事完食です。

げっぷをさせたり、
服やシーツを整えているうちに、面会時間終了の7時です。

夜8時15分にオペラシティクリスマスツリー前で
バラバラ家族が集合の約束をしているので
間に合うように帰りました。

いつものテキサスで、ステーキ食べて、中ジョッキを一気飲みして帰って
来ました。
中ジョッキは100円だからたのんだんだし、
一気のみしたのは、飲むのを忘れていたからです。

あすも、あさっても 夕飯につきあえるので
嬉しい限りです。

ことしはこのままガンバってよ、ジェンギンス!!







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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。