アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

葬儀準備

2008-02-20 03:14:12 | 介護
2008年2月20日 水曜日 死んだ気がしない

仕事をしながらの準備だから1日にできることが限られています。

やっと2つの銀行口座をゼロにした。
まえから準備していたのに、コインは機械でおろせないのかと思って
そのままにしてあった。
機械でも、おろせたのだ。
あとの、3つの銀行は、引き落としがあってゼロにできない・・・

棺に入れる思い出の写真のカラーコピーもやっとできた。

孫達の小さかったの写真
石川県のお祭りに行った時の写真
ジェンギンスが小さい時に兄と庭に植えたもちの木の思い出
長野県でみんなでマレットゴルフをしたときの写真
光前寺で撮った写真
名古屋の結婚式の写真。
病院のお庭でのピクニック

わたしの叔父叔母従兄弟達がほぼ全員写ってるんだ。
沢山持っていって、思い出に浸ってもらおう

あと、布のお財布に1000円入れる。
ティッシュも入れる。
いつもいつも、胸ポケットにお金とティッシュをいれていたから
不自由しないように入れて上げるのだ。
あねが、ぜひ入れて上げてくれって。
ジェンギンスの財布から1000円とって入れて上げるのだ。

チョコパンが
「 お金が燃えちゃうのに、おじいちゃんは持っていけるのか?
  もえちゃって、あ~~あ~~っておじいちゃんは言わないかなぁ?」
と気にしてる。

お金も亡きがらとなるのでしょうか。。
お金にも魂があるのでしょうか

~~~~~~~~~~

母の知りあいから何十年ぶりに電話がありました。

霊感が強いひとで
何かがあったと、虫が知らせたので
電話をしてきたそうです。
親戚以外訃報は知らせていないので
霊感を信じます。

あと、頭を悩ますのは
家族8人の予定で通夜のお料理を軽く注文したわけで
でも、増やさないと、あす、どうにかしないと。。

~~~~

お花も飾らないハズが
FAXして注文した。
やたら、花を贈ってはあとあとに続くので
気を付けなければなりませんことだ。




チョコパンが衰弱してきた、ぜんぜん起きれない





マクドウウェルも、寝ながら線香。

つまり、行儀の悪い家族だ



お坊さんにお渡しするお布施を載せるお盆を
千代紙を貼って作ってみた。
ただのお菓子の蓋にみえるだろうか・・・
傑作だと思うんだけど。





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腑抜け家族

2008-02-18 11:14:58 | 介護
2008年2月18日 月曜 やる気無し


寝ながら線香をあげるチョコパン。
体に掛けているのは、ジェンギンスが死んでからも愛用していた毛布。






暇があればおじいちゃんの所へ行っていたし、
おじいちゃんのためにバイトもしていないから、
する事がなくなってしまったチョコパン。



チョコパンからは、こんな写真が送られてきた↓


これは日曜日の私だ。
体が重くて何もできないのだ。
それを良いことに、部屋に入っては行けないメリーがいるとは
知らなかった。


~~~~~~~~~~
月曜からは、仕事もあるし
わたしは気を取り直して、まず郵便局へ行き
入院保険と死亡保険の請求手続きを聞いてくる。

相続人の印鑑証明と
ジェンギンスの生まれてから死ぬまでの戸籍謄本
死亡届受理証明
医師の診断書
・・・いろいろあるなぁ

新生銀行はわたしが何回も暗証番号を間違えたので
ロックされてしまった。
電話で問い合わせたら、ジェンギンス本人じゃなきゃ
問い合わせに応じれないといわれ、
非常に不都合なことで、
もういいわ、セブンイレブンで全部下ろしてやる!

とにかく、
お寺にお支払いする数十万円と
お車代2日分数万円と
葬儀社への一部金数十万円を
用意しなければならず、
一つの銀行で50万円しか下ろせないから
毎日下ろす。
よのなか、これから銀行へ行けないお年寄りが増えるんだから
本人じゃなきゃできないと言うのはやめて下さい。

ジェンギンス名義の通帳は私が預かって
ほとんど残高を無くしているところだけれど
公共料金のしはらいとか、引き落とされている物もあるので
やたら、おろせず、
郵便局の通帳から毎月引かれている物は何だか分からず、

こういうのって、死ぬ前にやっぱ
責任を持ってひとまとめにしておくとか
名義を換えておくとか
死ぬ準備って必要だな。

現役で家長だったということだな。
一番エライ人だったな。
残された家族は、適当きわまりなくてこまったな。


私の場合なんか、これ以上に迷惑がかかるほど
通帳は100通くらいあるし、
それも、もう銀行がどこに所在しているのかもわからないし、、、
保険はあっちこっちはいってるし
証券会社もあっちこっちと取引して、これまた
いまはなんて言う名前でどこに所在しているのかもシラン。

葬儀屋さんが、自分の歴史ノートみたいなのをくれたので
ちょっと、身辺整理しないといけないな。


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命日3日目

2008-02-17 10:28:55 | 介護
2008年2月17日 日曜日  戒名

かつて、何もしない自由の日が欲しいと願ったことがありましたが
私は今日、なーーーにもしないでジェンギンスが寝ていた部屋に
ずーーーーーっと居ました。
けして、悲しんで座り込んでいたわけではなく
寒いし、何もしたくないのです。
頭は痛いし、肩もせなかも重くて重くて。

大雪が降った日も
台風の日もジェンギンスの病院に通って
気持ちが張りつめていましたが、
用の無いつまらない日となりました。

人間はする事がないと駄目です。
あと、健康でないと駄目です。

朝食の用意もしなかったので
寝たきりだった母が、コンビニからサンドイッチと
おでんを買って来ました。
すいませんです。

とにかく、母とふたりでだらだらと夕方まですごし、
夕方になったら、姉が
『 片付けを手伝いに来たわ』 といって来てくれたけど
ごちゃごちゃの家は片づけていません。

これを機会に
葬儀で着る母の着物をだして、
帯の締め方の練習をして。

49日まで祭壇をかざる部屋の敷物をとりかえることにし、
姉がオペラシティなどへ買いに言ってくれました。

姉は椎間板ヘルニアを患ったひとだから
無理は禁物なのに
わたしは、霊の浮遊するお部屋にこもってるため
姉が頑張ってくれました。
あねが買い物に行ってくれている間
なんとか、敷物を剥がして
掃除機を掛けました。

そのあと、戒名とやらで
変更がありました。
わたしは
お坊さんと話して『お金はかけなくていいんだよ』といわれるままに
どうやら、一番下のランクの戒名にしたらしいのです。
お返しのお手紙の中にその名前も載せるとやらで
+20万円で真ん中の位の戒名にしました。
あと20万円以上プラスすると最高の位の戒名がいただけるそうです。

日本のこんな風習は辞めてしまえと思いました。
キリスト教に入信しようかと家族で話しました。
チョコパンとマクドは
日本の葬儀が受入れられません。
キリスト教信者になったら、この真言宗のお墓には入れないのでしょうか?
でもこのお寺さんは、どんな宗派もうけいれますってたしか
どこかに書いてあったと思う。

お坊さんと長女が初めてはなしをしました。
お坊さんは私が必死でジェンギンスの看病をする頃を知っているので
いかにも
『 お金と手をださない長女が、この場に及んで口を出してきた』と
いう風にとらえたかも知れません。
姉には
『 長い間の介護でそうとうなお金もかかったし、これから葬儀費用もかかる
 墓も建てなければ行けない、生活もくるしいということですから』と
言ってくれたそうです。
私をかばってくれたんでしょう。

まあ、わたしと姉の関係は悪くないので
そして、お金もたぶん有るから大丈夫で、
戒名は真ん中の位にしました。
予定より40万円多く出して最高の戒名を
いただく気持ちにはなれません。


夕飯は冷蔵庫にあったうどんです。
もちを入れて食べました。

夜、いつものように仲間が宴会に誘ってくれました。
いつもは飛んでいくんだけれど
体が重くて飛べず、
お断りし、鏡を見たら、泣いてもいないのに
目の下がジェンギンスみたいにやばいことになってるし、

つまり、顔に緊張がないから
容疑者の写真状態になってる。

夜、母の姉から電話で母と話す。
みんなが泣きもせず明るく過ごせるのは
後悔が無いのです。

十分に尽くして
十分に癌を小さくし
十分に肝臓数値を下げ
痛みもなく
肺炎もなく
熱もなく
苦しみもなく
食欲がなくなるまで食べさせ、
最後まで人として意識を持ち、

私はジェンギンスの死に満足している。
わたしの出来る限りの努力はすべてできた。





これが私と会った最後の写真。
この日はご機嫌で、音楽を聴いて手拍子を取っていたのです。
栄養ゼリーをのんで、ポタージュスープも飲んで
絶好調でした。
そんな絶好調から徐々にしぼんで3日目の早朝亡くなり
最高の亡くなりかたでした

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命日から2日目

2008-02-16 02:09:13 | 介護
2006年2月16日 土曜

霊感が自分にあるとは思わないけれど、
20年前に感じた霊の気持ち悪さだけは
経験がある。
それで、よくその気持ち悪さを感じて心を痛めることが
有ります。

ジェンギンスに最後にあった2月11日は朝から
頭痛で苦しく気持ち悪かった。

その気持ち悪さに肩の重さが加わって、
わたしは今も何もできなくなってしまいました。

それが、姉も頭痛で、
「この家に来ると、どうして頭痛がはじまるのかしら」
って言ってます。
お線香のせいかもしれませんが、
連日寝込んでいた母以外、調子が悪いです。

=========

ジェンギンスも家にいないし、
看病もないし、
お役所も銀行もやすみで
私は予約してあるおけいこ事に行こうと思いましたが、
肩と背中が重すぎてキャンセル。

母もデイサービスへ行き、
家にはだれも居ないので
じゃ、誰かにジェンギンスの事を
知らせようかなと、電話帳を見たりしました。

郵便局が書留のお香典を届けてくれた。
私宛で
若年認知症の、50代の奥様を持つかたからだった。
同じ認知症の家族をもつ者同士、なんか
泣けてきた。
父に尽くすことばかり考えて生きてきたこの数ヶ月、
人の優しい気持ちをいただくことは
心に響く。
ありがとうございました。こころからの感謝です。
==============
さて、訃報は
自分の友達には一人だけに知らせて家族葬を伝えた。
仕事関係にもだれにも知らせない。

あとは、過去にお世話になったデイサービスセンターと
老健とショートステイの施設、そして、
初めてケアマネになってくれたところにメールで知らせた。

あと、ジェンギンスの務めていた会社に連絡したら
花を贈ってくれると言っていた。
生花を扱う会社でもあるのでこれは楽しみだ。

ジェンギンスの戦友会とふるさとの会への連絡は後日だな。

9名だけの家族葬で自分達の花かごも出さない予定だったのに
姉の仕事関係から花籠が来たり、
あっちからこっちからと増えて
だったら、孫からと子供からも出さなきゃとあせる。

生花の祭壇にしたから、花はこれ以上要らないと思ったけれど
華やかになりそうです。

夜、従兄弟から電話があった。
世話になったから出席させて欲しいといわれ、
母方の親戚代表として参列してもらうことにした。

それが、
電話の初めから終わりまで泣いてるから
わたしも困った。
泣きを振り切って、話題を変えたけれど
泣いて泣いて、
当日泣かれては、わたしも立ち直れないので
たいそうに困った事だ。


行きてく張り合いを失ったわたしは
だらだらとすごした1日でした。

でいから帰宅した母の話を
何回も何回も聞いて、
こんどから、母の日記を書けるぞ!とおもいつつ
まだ、公開するには失礼だとも思う。



ジェンギンスの室内履きを履いて
いたずらをするチャモロ君、
母は夜中にチャモロ君が笑っていたと言っています。
背中を触れば、笑いますが
触らなければ笑いません。

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命日翌日

2008-02-15 22:39:58 | 介護
2008年2月15日 金曜日

久しぶりに家に帰ってきたジェンギンスは今日の午後2時には
天国に行きの停車場へ出発しなければなりません。
たった一晩でしたが、ずっと一緒に過ごせてよかったです。

ジェンギンスは蝋人形のように目を開けて
とても冷たくなって寝ています。
鼻がとっても高くてハンサムです。

わたしは良かったと思っていることがあります。
それは、
ジェンギンスにパンツを履かせて
ズボン下も履かせて
シャツを着せて、
足袋をはかせて、
そして着物を着て、さんじゃくをしめて、
羽織は、旅立つ時に差し出して上げます。
あ・・・下駄を入れて上げた方が良いのでしょうか?

おしゃれだったジェンギンスに
立派な旅支度をして上げれて良かった。

病院で亡くなった時に
看護婦さんが体を綺麗にしてから
着せてくれたのです。

準備期間があったので用意出来て良かった。

午後2時。
葬儀社到着。

葬儀のタイムスケジュールなどを
聞かされた。
挨拶があるそうで、だれがするんだかな・・・
乾杯じゃなくて、献杯という挨拶も有るそうだ。

2時半、ジェンギンスがとうとう
この家を出発です。
2度と帰ってこないのです。

旅立つのは1週間先なんだから、だったら、
もう一泊くらい泊まって欲しかった。

姉が午後からの仕事をやすんで駆け付けてくれました。
孫達は全員集合しています。
母と私と7人で、ふざけたことに、

ジェンギンスと記念撮影会が始まりました。
葬儀屋さんもびっくりです。

みんなで死体と一緒に写真を撮りました。
葬儀屋さんにシャッターを押してもらいました。

ジェンギンスだけの写真とか、
いろいろ、
いろんなカメラが飛び交います。

ジェンギンスは、布団を剥がされ
ドライアイスもとり去って、
素敵な着物姿で撮影しました。

旅立ち。もう2度とこの姿で家には帰りません。


霊柩車を見送るようにみんなでお見送りです。
拝もうとしたら、
みんなが、バイバイしてるし・・
メリーとおじいちゃんを会わせなかったことに
ここで気づき、メりーメリーと呼んだけど
盲目のメリーもヨタヨタでした。

家の中に入り、
賑やかな孫達は夜10時過ぎまで、お婆ちゃんを囲んで
笑い合っていました。
生まれた時から、おじいちゃんお婆ちゃんに育ててもらった
孫たちで、とても仲が良いです。

わたしは、仕事を休めないので4時間中座。
仕事がおわったら、
ピザが丁度届いたところで
美味しくいただきました。

姉のおごりです。
孫達は、ティラミスやガトーショコラまで存分に
注文していました。

お昼も姉がおにぎりを買ってきてくれて
そして、勤め先の日本橋で鴨の焼き鳥とか
だし巻き卵とか
珍しい食べ物を差し入れてくれました。

ピザも、知らないピザやさんに注文してくれて、
家庭が変わると、食べ物も変わって
いいおもいが出来るもんだと嬉しい気持ちです。

昨日はジェンギンスの実家に亡くなったことを私が報告
しましたが、
今朝は母の実家に母が連絡を入れました。

やっぱり、年をとっていると話しが通じません。

最初に亡くなったことを言わずに
葬式の話しから始まったりしています。

~~~~~~~~~
賑やかに夜まで過ごし、
母に悲しい思いをさせる暇もなく
今日の1日を終えました。



ジェンギンスと共に過ごした入院生活。
チャモロ君に感謝しています。
チャモロ君はおじいちゃんをずっと守ってくれています。

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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。