アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

母、眼瞼下垂手術日

2008-10-07 00:16:10 | 介護

今日は4回目の目の手術です。

左目の瞼の皮を切って縫い縮めます。
左目瞼は3回目の切除です。

最初の2回は御茶ノ水の瞼の偉い先生に手術してもらいましたが
どうみても、まだまだで

とうとう、近所の大学病院眼科の若い先生に切除してもらいます。

切除したからといって、
いまのピクピクパチパチの不快が取れるわけではないのですが
母は、何度言っても、不快が取れるとおもってるから
もう、説明するのも面倒です。

===========

あさ、5時半から目が覚めてそわそわしている母です。
家を8時50分にでるというのに
8時前から、
「 あんた、はやく支度しなさい!! 」
「 もう、行く? 」
「 早く、早く、 」

って、うんざりするほどアレコレうるさいです。

なんか、手術の説明書も読んだらしくて
前日はフロに入らなければならないと言って
わたしの仕事中に
風呂桶にシャワーでお湯をためていたらしい。

丁度チョコパンが帰宅して
フロをわかしてあげたのだ。
うちは、フロを湧かすことは滅多にないので
久々、フロに入りました。

自分が入る前に
チョコパンや、マクドウウェルを先に入れて、
そして母が入りました。

わたしは、先に入れともいわれず、
ぜんぜん、気を遣われていません。

最後に入るお風呂は
気持ち悪かったです。

それに、チョコパンが
「 どろどろしたお湯だ 」
「 多少尿漏れのあるお湯だ 」
と、言っていじめるのです。

湯船に入ろうとしたら
お湯が黄色いから、本当にびっくりしました。
周りを見渡したら、ゆずの入浴剤のカラ袋が捨ててありました。

=====================


それで、朝食も食べてはならないと母がいうので
朝食抜きで病院へタクシーでいきました。

看護婦さんに、出血しないようにバイアスピリンという薬を
3週間止めていたとはなしたら
えらい、怒られた。
2週間って言ったのに、どうして3週間もやめてるんですか!!!!

指輪はしてこないように言ったのに、外してください!!!

朝食は食べてきて良いと言ったでしょう!!!

怒られっぱなしよ。

4階の手術室で50分間かかって手術が終わりました。

待っている間、死体が私の前を通っていきました。
4階には入院設備はないのに、いったいどこから連れてきた
ご遺体でしょうか。
手術中に亡くなった?解剖?
家族も付いていなくて、葬儀屋さんだな、黒い服の人が
シーツにくるまれたご遺体をどこかに運んでいきました。

合掌するべきだったけど
あせってびっくりしたから
なにも拝めなかった。

むかし父がよく言っていました。

「 夜中になると、ガラガラガラって廊下で
 死体をのせたベッドを運ぶ音が聞こえてくるんだ。
 死んだ人は、人目のつかない夜に移動するんだよ 」

わたしは、今日初めて病院で遺体を運ぶのを見ました。
たぶん、いままでも見ていたのかも知れませんが
ジェンギンスが亡くなって、その様子を経験したから
覚えたのです、

病院て恐ろしいところだと思いました。

母の朝食のゼリー飲料を地下の売店に買いに言った時も
癌の放射線の部屋があって、それが昔から
独特の雰囲気をかもし出しているのです。
赤いマークを付けた、患者さんが行き来しています。

その昔は、赤いマークを付けた人は、死期の近い
癌患者さんで、悲惨でした。
でも、あれから、30年もたって、医学がめざましく進歩しました。

カセットテープから音楽が聞こえてくるのも
ビデオテープから映像が見えるのも
海外電話も
写真も
ワタシには不思議でたまない事です。
魔法です。

今に地球は大爆発して
また原始時代に戻るのです。
時代は繰り返されるのです。

ジェンギンスが生まれ、ワタシが生まれ、イタチさんが生まれるのです。


================

それで、母は無事に瞼の皮を切除して家に戻りました。

母は、寝ながら、指図して、もう、大変です。
たいそうにうるさくて、
脳が活性化されて、
まるで、フェルガードを飲ませた家族がフェルガードの効果です!!
と言うように、脳が、ヨク働いています。

人間は何かしていないと
グウタラ になりますね。

グウタラな家族のために
必死で家事をするのも
割に合わないって思ったりもします。

思っちゃいけない・・・・か


思い出の写真・・模様つかみ
コメント

ジェンギンスが入院した日でした

2008-10-05 00:14:38 | 介護


忙しいにもかかわらず、夏の炎天下のなか、日焼けも気にせず
まいにちまいにちメダカの繁殖に精を出しました。
いつも玄関前に座り込んでいるので、
通りがかりの子供や大人や外国人や芸能人と親しくなりました。

土曜のあさ、面倒くさいと思いながらメダカの餌をあげようとした瞬間
メダカの入ったバケツが無い!
一瞬、母のボケの仕業かと思って、あちこち探したけど
とにかくバケツごとないのだ。

昨日メダカのバケツを覗いたあの人やこの人をつい疑って
その人の家のまわりまで見て回ったけど
ないんだ。

メダカの親たち10匹以上と
卵から育ったちいさいメダカが15匹以上いたはずで
そのなかに、突如金魚の稚魚も混じっていたのだ。

わたしの育てた汗と日焼けの結晶を何て事だ!!

===============
さて、土日となり
ジェンギンスの介護から解放されて半年。
わたしには時間が出来ました。

6月15日から続いていた頭痛がす~~~っと無くなったのは
9月15日頃です。

チョコパン曰く
「 更年期が終わってよかったね 」

|||||||||||||||||||

用事があって新宿に買い物にいきました。
夜はチョコパンと2人で歌舞伎町でラーメンを食べました。

かえりに、歌舞伎町をぶらつきましたら、
ホストクラブの勧誘攻めで
たくさんの イケメンもどき から声を掛けてもらいました。
チョコパンは、かつて何回歩いても
ホストクラブの勧誘はされたことがないそうで
びっくりしてました。

「 笑顔がいいですね 」ってイケメンもどきがわたしに言った時
「 笑顔なのかよ? 」ってチョコパンがワタシの顔を覗きました。

歌舞伎町はスキを見せてあるかなきゃ
面白くありませんよ。

1時間1000円とか、3000円で飲み放題とか
いろいろ言ってたけれど、
ホストクラブはいくらかかるのか全然知りません。
学校のPTAの役員さんのおかあさんたちは
楽しんで通っていたのですが
不潔なイメージがしたもんです。

============

そして、その ホスト毒のなかをあるいたら
頭痛がしてきて
今日の日曜はぐったり寝てました。

今日の頭痛は典型的な偏頭痛です。
イミグランを朝10時半に飲んで12時に頭痛が消えました。

でも寝てました。
たくさん夢を見ました。

ジェンギンスも出てきました。
いつも後ろ姿です。
だるそうなジェンギンスを教室の机に座らせて
枕を机の上に置いてあげました。

ジェンギンスが夢に出てきたのは
過去に4回だけ。

いつも病気です。
話しもできなくて
顔は見えません。

仏壇に供え物もしないでいるから
アノ世でも栄養失調なのでしょうか。

棺にお財布を入れてお金を持たせてあげたけど
あの財布を袂に入れてあげたかどうか忘れました。
三途の川は無事に渡れたでしょうか。


いつまでたっても
ジェンギンスのことを思い出している毎日です。




家で食べる最後の食事。最後の自分の家。
日記を書いていて思い出しました。
今日の10月5日は2年前に療養病棟に元気で入所した日です。

私の手で運命をかえてしまったんだろうな。
コメント (7)

都民の日

2008-10-01 11:25:40 | 介護


9月はお祭りシーズンです。
わたしは、2年ぶりに近所の神社にチョコパンと行ってみました。

2年まえにここを訪れた時はジェンギンスと一緒でした。
はじめて外出に車椅子をつかったときです。
あのとき、ジェンギンスとお祭りに行けてうれしかったなぁ~。
もう、歩けないから外出は無理だとおもっていて、24時間介護だったし、
自分もジェンギンスもどこへも行けないんだと嘆いた気持ちになっていたのに
嬉しかったなぁ~~

その時の写真 ↓

この時から、わずか1年5ヶ月で死んでしまうとは
想像もつきませんでした。
元気すぎて施設にいれたのに。
元気すぎてどの施設からも断られたのに。

どんどんよわって、、、
どんどんよわって、、、

ジェンギンスは24時間完全介護が必要でした。
つまり、赤ん坊です。
2歳くらいの赤ん坊を放置することが出来ないのと同様に
ジェンギンスも完全見守りが必要でした。

でも、そんな施設はありません。

だから、どんどんよわって、、
どんどんよわって、、、

きっと、ストレスが重なって
胆管癌になったのでしょう。
認知症が激しくなって、ジェンギンスは心の調節ができなくなって
色々なことに、大きなストレスを持っていました。

===================

きょうは、そんなことを書こうとしたわけではなく、

都民の日です


学校はお休みだし
都バスとか都営交通はどうにかすると無料です。
上野動物園も無料です。
でも、交通が錯乱しているこの頃は
どこまでが無料なのか不明です。


チョコパンは今日内定式です。
入社する気のない会社へ出かけて行きました。

===============

母はもう80歳を過ぎています。

脳梗塞のしろい陰も年々増えて、
海馬の萎縮もあるし、
脳みそは随分悪いようですが、

その割りに、まだまだ放置しても大丈夫なくらい
自立しています。

母の様子2008年10月1日。


じぶんで出来ること。

@下着の洗濯 (パンツを堂々と広げて干してあるから困る)
@用意してある御飯を一人で食べる (おかずが2皿だと一皿はレンジに入れたまま)
@玄関をほうきで掃く (真ん中だけ履くからあとでまた掃除してます)
@着替え 
@トイレ
@買い物 ・・同じ物をよく買ってくるけど、それは私が悪いのだ。食べたくて買ってきた漬物を出してあげないから、また買ってくるのだ。
@デイサービス準備
@仏壇お参り

自分ジャしないこと

@ トイレ掃除
@ 部屋掃除
@ 片付け
@ 整理整頓
@ 食事作り
@ 電話

変だなとおもうこと

@ 犬に餌をあげていないと毎回言う 
@ 洋服をたくさん買ってくる(おしゃれなのです)
@ 何度も漬物を買ってくる (私が出してあげないから)
@ ずっと横になって寝てる
@ 金曜日の踊りのおけいこのスゴイ文句。(だけどやめない)
@ 家族が帰宅すると、御飯は!御飯は!早く!早く!と言う
@ チョコパンの名前を忘れる
@ チョコパンのことを『ちゃーこ』と呼ぶ。これは私のことだ。
@ チャンネルのリモコンを持ってすごく替える。どれも面白くない。
@ テレビをみてて、バカヤロウ!と怒ってる。
@ 食事の用意がしてあるのに、間違えて寿司とか買ってきたりする

体調

@ だるそう
@ よく寝る
@ 夜中のトイレ回数多い
@ 食欲が無いって言うけど間食はヨクしてる
@ 薬は飲む気なし
@ しかし、薬局で買ってきて胃薬や風邪薬をのむ
@ 長く歩けなくなった 散歩から帰るとベットに直行して寝る。
@ 便秘だっていうけど本当かなぁ
@ 


記録のために書いてみました。
飽きたからこの辺で止めておきます
コメント (3)

アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。