アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

入院11日目

2016-08-13 00:54:00 | 介護
2016年8月12日金曜

8月は私のお仕事はほとんどないんだけど、今日は趣味の練習会で
早朝から出かけた。
いつもは、母の朝食昼食夕食おやつの用意をして出かけるんだけど
今日は入院してるから楽だった。

だけど、早朝に病院の庭に自転車を止めて、母の洗濯済みの着替えを自転車にのせたまま
私は練習会場へ急いだ。

そして、練習が済んで病院へ急ぎ、午後3時。

その洗濯物たくさんをもって病室へ行ったら、
母は、レンタルのパジャマズボンを着ていた。

間に合わなかったのだ・・・

とにかく、トイレの失敗続きで洗濯が間に合わない。




廊下のソファでコンビニで買ったマンゴープリンを食べさせた。
全部食べれた。

ウィダーインゼリーも半分飲んだ。

痰の絡んだ咳は少し出るけど、だんだん元通りになってきた

恐るべし老衰だ。漏水だけど。


ソファにすわっていると、看護師さんが2本目の点滴と、抗生剤の点滴を付けてくれる。

母はきょうお風呂に入れてもらったらしい。
向かいのベッドのご婦人が教えてくれた。

カーテンでしっかりと仕切っていたご婦人たちは、今日はカーテンをオープンにしてなごんでいた。 




夕ご飯は姉が交代してみてくれた。
今日も、よく食べたらしい。

もう、おかゆじゃなくていいかもしれない。
もう半分量じゃなくていいかもしれない。

でも、あまり元気になると退院が早まるので
それは、困るんだ。

わたしが出張(と言っておこう)だから困るんだ。


わたしも、あねも、経験したことのない介護で
覚悟の毎日を送っている

トイレ介助、入れ歯洗い。 

介護士さんも看護師さんも
お年寄りや病人をみるのは
大変なお仕事だと思う。

尊敬する。



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入院10日目 回復中

2016-08-12 00:53:00 | 介護
今日は祭日の8月11日。

8月はほとんど仕事を休んでいるので、祭日も平日もあったもんじゃない。
毎日が介護介護介護パンツパンツパンツだ。

姉と二人で奮闘中だ。
括約筋の無くなった90歳は大変なのだ。
本人も家族も大変なのだ。

パンツを下ろして便器に座るまでの5秒間だけ
我慢できるなら問題ないんだけど
その5秒の間に出てしまうので、
パンツもズボンも床もぬれてしまう。

少し若ければ、自分で対策も立てれんだけど
もう、無理。
経験を生かして対策をたてれず、
毎回失敗だ。


14時に面会に行って、廊下のソファでみかんの缶詰を食べた。

15時に残りの抗生物質の点滴を早めに入れてもらって
1階に下りた。
今日は祭日で外来が休みだから1階でのんびりできるのだ。


エレベーターで1階へ。 どこかにつかまっていないと倒れそう。

ラジオをかけて音を出しながら、ウィダーインゼリーを飲んだ。


病棟を1周してトイレによってから3階に戻った。
もはや、母は水を流そうという気まわしもなくなっていた。





18時になると、母の孫のマクドウウェルさんがやってきた。


うわさに聞くより元気な母をみて 「いつもの通り」と思ったようだ。

90過ぎた高熱の肺炎(きっとそんな病名だろう)がよく回復してきたもんだ。

オリンピックの鉄棒で選手が落下した時、

「 あっ!! 」と病室で大きな声が響いてしまったくらい元気になった。

そして、姉には聞いていたが
食欲が戻ってきて、お椀のおかゆ(半分量)を全部だべれるようになった。
おかずも、はしでつまんでいるし、今日は甘いプリンみたいなデザートも食べていた。

あすは、ケアマネが病院に来てくれるという。
状態をみて、病院のケースワーカーと相談して今後の計画を立ててくれる。

ありがたいことだ。

どうかこのまま母が回復しますように。

痰の咳が完全に消えますように。
熱が出ませんように。
食欲が戻りますように。
うまく歩けますように。
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入院9日 回復中

2016-08-10 23:27:00 | 介護
2016年8月10日(水曜)

母の入院9日目。

今思えば、入院した時は90過ぎの老人でありながらの高熱と激しい咳と激しい痰。
「 精一杯治療しますから。。。」なんて医者からのお言葉をいただき入院したものの、
なんか、治ってきた。

日々医療の進歩のおかげで、治ってきたみたいだ。

入院していなかったら手遅れだったかもしれない。

今日の水曜日は私が午前と午後にお仕事なので、夕飯介助は姉が言ってくれる約束です。

そうはいっても、一日一回母を見ないと気が済まないので
午前のお仕事が13時に終わって、大急ぎでチョコパンが食べ残してある朝食のとろろご飯を食べて、都庁で書類をもらってから病院へ急いだ。

母は、ベッドに腰を掛けていた。
昨夜取り替えたかったパジャマが取り替えてあった。

点滴をしているので脱げないんだけど誰が手伝ってくれたんだろう。

そして、分からないことは、ロッカーに入れてあるパジャマ全部がベッドの上に散らかっていた。

想像するに、、、リハビリパンツを取り替えたくて母が探しまくったんじゃないだろうか?

この病院は、一日500円取ってるのに、パンツを十分に与えてくれない。
自分で取り替える母にとって大変不合理だ。

看護師さんに頼んで3枚もらって部屋に置いてきた。




廊下のソファに座って、みかんの缶詰を食べました。
母は、異常なくらいミカンが好きなので、もって言った分全部食べました。

椅子に座っていると、たくさんの人が声をかけてくれます。
だんだん主になってきたのです。。。母じゃありません、私がです。

母の写真を撮っていたら、お掃除のお兄さんが「 一緒に撮りましょうか」って。

今日退院のご婦人が嬉しそうに付き添いの親戚と通り過ぎたけど、付き添いの若い女性が
イライラして大声を出していたのがとっても嫌だった。

うちの親戚には、こういうヒステリーを起こす人はいないな。。。
みんな、やさしい。

ケースワーカーは、母のケアマネと連絡を取ってくれているみたいだ。
そして、今日のカンファレンスで、母が果物などの持ち込みを認めることを話してくれたそうだ。

死ぬ向きから、生きていく向きになってきた気がする。

昨日に引き続き、母の頭をドライシャンプーでマッサージした。

そのうち、母をお風呂に入れてもらおう。

夕方の夕食介助は姉がやってくれた。


母は、自分でよく食べたそうだ。

動画をおくってくれたけど、
母は、姉の時にはちょっと素直だ。

「おかず食べないの?」
「たべるよ」

だって。 言い訳しないで素直に自分で食べてたわ。


いつも3くちしか食べれなかったおかゆも 2分の一量のおかゆを全部食べたらしい。



姉は食後の薬や入れ歯や洗濯物のお世話をして帰宅し、
その後、チョコパンがご機嫌伺に訪問だ。

↓これは昨日の写真


入れ歯を外したばあちゃんの顔がおかしいのでビデオを撮って遊んでいた。

温かい家族に囲まれて
幸せな母である。


・・・今月は、母を十分に見てあげるんだ ぜんぜん嫌じゃない。
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入院8日目

2016-08-09 15:44:00 | 介護
2016年8月9日(火曜)

今日は、午前10時に自宅ピアノの調律だったので
掃除したり、カーテン洗ったりの準備と掃除機まで購入して待機した。
長年、わたしの幼少からの調律師さんが体調不良で引退したので
今日から新しいベテランサンで、10時から14時まで滞在しました。

おかえりになってから、5分でランチを食べて、
母の病院に駆けつけた。



こんな格好ができるほど回復した。

ウィダーインゼリーを美味しいと言って飲んだ。

メロンも三かけくらい食べた。

一万円のメロンもほとんど母のために使われた。
メロンならたべれるんだ。



看護師さんにおねがいして、担当医と話をした。

入院時に39度あった熱も微熱でおさまっているという。

食欲が無いのは薬のせいかもしらない、

何かを投与しすぎたから減らしたと言っている

大学病院診断の非抗酸菌症については、まだごちゃごちゃ言っていた

これの、菌はでてこないそうで、しかし今、痰の培養中で、、、


大学病院が軽く言ったことを、この先生は大変気にしているんだ。
治療法は無いと先生はいうけど、菌の種類を確定しておきたいらしい。

一緒に同席したケースワーカーともはなし、
来週まで様子を見て、退院か入院か見ていくことになった。

病状が安定するまで一進一退だな。

天敵をやめたらまた戻りそうな気もするし。


今日の点滴は、

抗生物質のセフメタゾン1g
気管支炎のネオフィリン
吐き気止めのプリンペラン
カリウム10mg
その他だ。

昨夜は隣の寝たきり老人に母の点滴を数分刺したらしい。

別の看護師さんが気づいたらしい。

それもこれも、過保護に付き添う家族だから隠しておきたい事実が
みえてしまったわ。



夕飯は今日から半分の量に変わった。
いままで、山盛りで、それをほとんど残してたからな。
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入院7日目

2016-08-08 22:22:00 | 介護
2016年8月8日(月曜)

この1週間母につきっきりだったけど、今日は午前と夕方に仕事だから姉に母を任せた。

とは言っても、気になって落ち着かないし、昨日切ったメロンがあるので
14時に午前のお仕事がおわって、急いでランチを食べて、部屋のカーテンを漂白剤で2度洗いして病院へ急いだ。

母はグースカ眠っていた。

起こすべきかと迷っていたら、個室から認知症の叫びが聞こえてくるので
その騒音で母は起きた。

調子は良いみたいだ。

廊下に出れるというので、点滴を吊るす金属の車をもってきて廊下でメロンを食べた。

咳はまったく出ていないから、今日はメロンを食べても吐かないよ。

1週間前はブドウを食べた後にたくさん吐いちゃったから怖いもんだ。



今日の母は大丈夫だ。
このまま、微熱が無くなって、食欲が出て、痰の絡んだ咳が治まったらいつもの母にもどるな。

母と外を眺めながら廊下でのんびりして、わたしはそこにあった週刊文春を読んでいた。

千葉大生の女子監禁事件の見出しを見て、

「 千葉大生が何やったのよ! 千葉大って国立でしょ! 」 と
学歴に厳しい母であります。

15時半になり、私はお仕事と明日の調律準備があるので帰宅した。

入れ違いに姉が来てくれたらしく、姉は夜まで母に付き合ってくれた。


昨夜まで、母は何も食べようとせずに座っているので、わたしが
端でおかずを口に入れてあげると、母は ア~~~ンて口を開けて食べていたんだけど
姉が居たせいなのか,母は一人で食事をしらたしい。

そして、私が持って行ったメロンと夕食についていたオレンジだけはペロリと食べたらしい。

果物は口に入るようだ。


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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。