カエデの種って、竹とんぼみたいにクルクルって回りながら
自由に飛んでいくんだよね。
最近、改めて思うんだけど、
「あの人は、こう言った」と聞いても、
その言葉通りに受け取ると、事実とは異なることもあるよね。
例えば、Bさんが皆んなのこと想ってやってくれてることに対して、Aさんが
「あんなこと せんでもええのよ」と冷たく言い放った――、
ように見えて、私は、
AさんとBさんは犬猿の仲かと思っていたら、そうじゃないらしく、
とっても親しげに話し合ってたり。
そういう類のことが時々ある。
自分のことでも、ひとこと言われただけでショック受けて、
いつまでも頭にこびりついてしまったことが何度か。
でも時が経つにつれて、相手はそんなつもりじゃなかったのかも、
って何となく思えてきたり。
私はどうも真に受けすぎる、みたいな傾向があるのかもしれないね。
人が「も、タイヘンなの」と言っているので、
本当に大変そう――と思って、
あの手、この手、考えたりしてたら、
ただ、ちょっと聞いてほしかっただけだったことが分かったり。
キャッチボールって、球を受けるときは、
手を伸ばして取って、次の瞬間には、自分に引き付けて受けとめるよね。
それを、自分の場合は、
手を伸ばしたまんま必死で受けてしまうのかも。
これ、クッションが少なくて、手が痛いし、うまく受けとめにくいよね。
こういうの、練習かなぁ。
或いはそうなれるように今生が設定されたのかも。
『翼をください』っていう歌がありますよね。
http://homepage3.nifty.com/RuiRuka/Prv/Midi/TubasaWo/TubasaWoText.htm
あの歌を聴くと、涙が出てくるんです、何度聴いても。
自由に飛んでいきたい――。