今年は特に訃報が多すぎます、偉大な人たちで天国は行列ができているのじゃないかしら・・・合掌。
Hans Reichel(ハンス・ライヒエル)も22日に亡くなったそうだが、ハンスは私をヨーロッパツアーに初めて喚んで下さったギターリスト。でも、上のようなギターを弾く姿はめずらしい。というか、私は見た事なかった。
1997年頃に藤川善明asオーケストラであけたの店に出演していたのだが、そのときゾロゾロと大きなガタイの男たちが入って来た。ナンダ、ナンダ???とびっくりしたが、ドイツから来日していたミュージシャンたちだった。演奏後に「素晴らしい!今度一緒に演奏したい。」と英語で話しかけてきたのが長身のハンスだった。その時は日本人の美女Sさんが彼女で、隣りでドイツ語通訳をして下さった。
「彼はあなたの演奏をもの凄く気に入ってしまったようだから、来年ドイツに来ませんか?って言ってるわ。」
なんだか雲につままれたような気分だったが、その話が翌年実現する事になった。「ドラムも喚びたいけど、誰かいない?」と聞かれて、即座に角田健を紹介。つの健を入れたトリオに永田利樹も同行することになり、ヨーロッパツアーが敢行された。
初めて降り立つフランクフルト空港。着陸後、窓から外を覗くと飛行場で働く男たちの姿がみんなでかいのにびっくり。「なんだ、あのでかさは!」
不安と驚きの中で空港に迎えに来てくれたハンスとSさん。それに今回ごやっかいになる宿泊先の優しそうなおばさんがニコニコ笑っていた。
ドイツ語のまったくできない私たちは「初めまして。って、何て言えばいいのかしら?」とSさんに聞いたところ
「イエッテよ。」
というので、全員が彼女と握手をしながら「イエッテ、イエッテ」とペコペコしながら挨拶。
Sさんが「イエッテは彼女の名前よw。」
やっちまったぜ。そして、ハンスが迎えに来てくれた車はなんと・・・トヨタのハイエース。どうやらこれでツアーを敢行するようだ。レンタルだったけど、ドイツなんだからさあ、ベンツとかじゃないのぉ?とがっかり(トシキはその頃日本で同じ車に乗っていた)。
ここから私たちの3週間にわたるヨーロッパツアー珍道中が始まるのだった・・・。
Hansは将棋が大好き、神経質そうな性格だったけれど初めてのヨーロッパツアーの最中、終始こまごまと面倒を見て下さった。ドイツミュージシャン特有のがんこさも併せ持っていたので、好き嫌いがはっきりしていたのも印象的。
ブッパタールというドイツの片田舎、イエッテの屋根裏部屋を借りて住まわせてもらった私たち。隣りにはペーター・コヴァルトbassもいて、ミュージシャンが沢山住む素敵な街だった。3週間、そこの街を拠点にしながら、スイス、オランダ、ドイツと回ったのだが、帰る頃には街の人たちとみんな顔見知りになって(街の新聞に載ったりしたので)「ムジカ!(音楽家)」と声かけてくれたっけ。ドイツ語はさっぱり上達しなかったけど。
226の3回目の時に友情出演もしてくれて・・・ああ、また会いたかったなあ。心から御冥福をお祈りいたします。
彼のHPはしかけが沢山で今でこそ、普通になってきたけれど、昔からPC技術も半端ではなかったようだ。下記をクリックすると彼の素晴らしいHPをご覧頂けます。まるでワンダーランドに迷い込んだよう。HANSが考案したレタリングもあって、そちらでも仕事をしていたようです。彼のオリジナルギター、ダクソホンも本当に芸術的に美しかった。ご冥福を!!
Hans Reichel HP
話は変わりますが、明日は北海道の歌姫MIZUHOさんと銀座Blue Eyesです。素晴らしい歌声をぜひ堪能しにいらしてください。お待ちしております。
Hans Reichel(ハンス・ライヒエル)も22日に亡くなったそうだが、ハンスは私をヨーロッパツアーに初めて喚んで下さったギターリスト。でも、上のようなギターを弾く姿はめずらしい。というか、私は見た事なかった。
1997年頃に藤川善明asオーケストラであけたの店に出演していたのだが、そのときゾロゾロと大きなガタイの男たちが入って来た。ナンダ、ナンダ???とびっくりしたが、ドイツから来日していたミュージシャンたちだった。演奏後に「素晴らしい!今度一緒に演奏したい。」と英語で話しかけてきたのが長身のハンスだった。その時は日本人の美女Sさんが彼女で、隣りでドイツ語通訳をして下さった。
「彼はあなたの演奏をもの凄く気に入ってしまったようだから、来年ドイツに来ませんか?って言ってるわ。」
なんだか雲につままれたような気分だったが、その話が翌年実現する事になった。「ドラムも喚びたいけど、誰かいない?」と聞かれて、即座に角田健を紹介。つの健を入れたトリオに永田利樹も同行することになり、ヨーロッパツアーが敢行された。
初めて降り立つフランクフルト空港。着陸後、窓から外を覗くと飛行場で働く男たちの姿がみんなでかいのにびっくり。「なんだ、あのでかさは!」
不安と驚きの中で空港に迎えに来てくれたハンスとSさん。それに今回ごやっかいになる宿泊先の優しそうなおばさんがニコニコ笑っていた。
ドイツ語のまったくできない私たちは「初めまして。って、何て言えばいいのかしら?」とSさんに聞いたところ
「イエッテよ。」
というので、全員が彼女と握手をしながら「イエッテ、イエッテ」とペコペコしながら挨拶。
Sさんが「イエッテは彼女の名前よw。」
やっちまったぜ。そして、ハンスが迎えに来てくれた車はなんと・・・トヨタのハイエース。どうやらこれでツアーを敢行するようだ。レンタルだったけど、ドイツなんだからさあ、ベンツとかじゃないのぉ?とがっかり(トシキはその頃日本で同じ車に乗っていた)。
ここから私たちの3週間にわたるヨーロッパツアー珍道中が始まるのだった・・・。
Hansは将棋が大好き、神経質そうな性格だったけれど初めてのヨーロッパツアーの最中、終始こまごまと面倒を見て下さった。ドイツミュージシャン特有のがんこさも併せ持っていたので、好き嫌いがはっきりしていたのも印象的。
ブッパタールというドイツの片田舎、イエッテの屋根裏部屋を借りて住まわせてもらった私たち。隣りにはペーター・コヴァルトbassもいて、ミュージシャンが沢山住む素敵な街だった。3週間、そこの街を拠点にしながら、スイス、オランダ、ドイツと回ったのだが、帰る頃には街の人たちとみんな顔見知りになって(街の新聞に載ったりしたので)「ムジカ!(音楽家)」と声かけてくれたっけ。ドイツ語はさっぱり上達しなかったけど。
226の3回目の時に友情出演もしてくれて・・・ああ、また会いたかったなあ。心から御冥福をお祈りいたします。
彼のHPはしかけが沢山で今でこそ、普通になってきたけれど、昔からPC技術も半端ではなかったようだ。下記をクリックすると彼の素晴らしいHPをご覧頂けます。まるでワンダーランドに迷い込んだよう。HANSが考案したレタリングもあって、そちらでも仕事をしていたようです。彼のオリジナルギター、ダクソホンも本当に芸術的に美しかった。ご冥福を!!
Hans Reichel HP
話は変わりますが、明日は北海道の歌姫MIZUHOさんと銀座Blue Eyesです。素晴らしい歌声をぜひ堪能しにいらしてください。お待ちしております。