minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

音を抜く・・・

2006年02月12日 | ライブとミュージシャンたち
 新宿オープンで渡辺勝voシルバラッドユニットのライブ。勝さんは「元はちみつぱい」というグループにいた人で、コアなファンにとっては涙もののライブなのだ。

 私が勝さんに出会ったのは池袋ぺーぱーむーん。もう20年くらい前だ。酔っぱらいでフリージャズ好き作曲家おじさん、と思っていたのだけど彼の歌を聴いたのは彼のユニットでレコーディングを頼まれた時(5年前?)だった。(勝さんのファンにおこられちゃうかな?)

 独特なビブラートのかかった細い声で淡々と歌って行くスタイル(特にこのシルバラッドユニットでは)に永田利樹のウッドベースが絡み付く。ドラム、ギター、キーボードもいる大所帯なのに音はすっかすか。みんなが一番良いと思う場所を求めながら気を付けて音を出している感じ。結構神経使いますね、こういう音楽。でも勝さんの作品はとってもあったかく、素敵な歌が多い。私は殆ど吹かない場面が多いけど、音を抜いてここ一発に命をかけた演奏ってとっても緊張感があって勉強になる、贅沢な夜でした。興味有る方はCDも出ていますので聴いてみてください(上記の写真)。さあ、これからまた新宿で~す。

渡辺勝HP

明日の日曜日は・・・

2006年02月11日 | ライブとミュージシャンたち
 HPのサーバーが壊れてしまった。修理中の為、掲示板などが使えなくなってしまったのでこちらにどしどし書き込んでくださいね。日曜の<新宿DUG>は大儀見元perが諸事情により出演できなくなり、急遽コスマス・カピッツァperに御願いしました。黒田京子さんと4人というのは初めてです。ドイツ繋がりでなんとかなるかな?

  DUGは昔はDIG,DUG,DUGと3つあった長い歴史のあるジャズクラブ。マスターの中平穂積氏はカメラマンとしても有名で私も何度かヨーロッパツアーでお会いして写真を撮って頂いた事がある素敵な方。コルトレーンやマイルス、モンクなどジャズの巨匠たちを撮り続けて写真集も沢山だしている。ジャズ喫茶だったところをライブハウスにしてしまい、かなり財産を費やされているようだが、10年くらい前に新宿駅前にあったDUGでジャズの巨匠マル・ウォルドロンpと共演もさせて頂いた。

 現在のお店は靖国通り沿いのケンタッキーフライドチキンの下にあり、アップライトピアノがぽつんと置かれ生音が気持ちのよいこじんまりとしたお店。20人も入ればいっぱいだろう。壁に大きなセピアの写真。「あ、これはセロニアスモンク!あ、ミンガスもいる。一体なんの写真ですか?」ジャズの歴史上の重要人物たち(あまりに古くて私にはわからない人が殆どだけど)の集合写真だった。

 「この写真がもとで『ターミナル』っていう映画ができたんです。この中のミュージシャンたちのサインを全部集めていた父親が死んで、たった一人もらいそこなっていたミュージシャンにサインをもらいにNYに息子が尋ねて行って空港で足止めを食らってしまう映画なんですよ。」見てはいなかったけど、トム・ハンクスが主演の映画だというのはCMで知っていた。でもそんなジャズに関係した話だったなんて知らなかった。「へ~、それで最後の一人っていうのは?」「実はベニー・ゴルソンtsなんですが、その中にでてくるモンクの写真、それが僕の撮ったモンクの写真だったんですよ。」すご~い、スピルバーグ監督は中平氏の写真だと知らずに使っているようだけど・・・絶対にこの映画観なくっちゃ。DUGに来たらぜひ壁の写真に注目です!

DUGのHP

高校ブラバン時代~ジャズとの出会い~

2006年02月08日 | 家族の日常
 先日、中学時代にサックスを買ったという話を書いたが今回は高校時代のお話です。都立杉並高校というところに入学した私は落語が小さい頃から好きだったので『落語研究部』に入ろうと思っていた。練馬からは遠いという理由でこの高校に行った人はうちの中学からはたった2人だけ。だから入学当時、誰も知り合いのいない中で何故か「あいつはきっとウラバンだ」と評判がたっていたらしい(なんで~?)。ウラバンじゃなくてブラバンなのに...。でも私がソプラノサックスを持っている、という情報をどこかで知った熱血ブラバン男子生徒が「人数少ないし、御願いだからブラバンに入部してくれ~」強力な勧誘で見学に行ってみると10人足らず・・・それでもジャズ好きなサックスの先輩などがいたので仕方なしに入部する事になってしまった。

 高校2年になると、熱血ブラバン男子がブラバンやめる!などと言い出して、なんだかわけがわからないうちに私が部長をやるはめになってしまった。この頃から責任感は強かったんだなあ(自画自賛)。だったら好きな事をしよう、とジャズバンドに変えようと試みたものの、なんせ自分もよくわからない上にそのとき残っていたメンバーがホルン、クラリネット、トランペット・・・やはりジャズのバンドは断念。そのかわりに私は一度やってみたかったティンパニを叩いたり(ショスタコービッチ第5番)ジャズっぽい曲をアレンジしたりと好き勝手やらせて頂きました。すみません。でも初めてコンクールに出場しよう、と言う事になって一番メンバーの少ないCクラスに出て初優勝もしました。Cクラスに出た学校は3校だったけど。(今ではそのブラバンがAクラスで全国大会で優勝するほどの学校になっているらしい。)

 ジャズなんて全く知らなかった私が興味を持ったのも高校1年の頃。当時(今もあるのかな?)連合音楽会という、同じ学区の都立高校吹奏楽が全て集まって一緒に練習し、演奏会をする素敵な企画があった。中学のブラバン仲間たちとも会えるとあって毎日の練習がとても楽しかったのを覚えている。そこで私がソプラノを吹いているのが評判になり、他の都立高校の先輩やジャズ研の大学生たちが「ソプラノサックス貸してくれない?」とサックスがひっぱりだこに(私ではありません)。返してくれる時に「このレコード、聴いてごらん。」とお礼に手渡されたのがジョン・コルトレーンの「My Favorite Things」だった。家に持って帰って自分の部屋でレコードに針を落とした瞬間、マッコイ・タイナーの美しいながれるようなピアノ、そしてあの大好きなサウンド・オブ・ミュージックの中のメロディーが流れてきた。「私、こんな風にサックスが吹けたら死んでもいい!」と思わず感動。毎日のようにレコードをかけ、それにあわせてソプラノをめちゃくちゃだけど吹きまくっておりました。 

 これがマーチとかクラシックしか知らないブラバン少女時代の、ジャズとの初めての出会い。よかった、My favorite thingsで。コルトレーンの「クルセママ」だったらきっと今の私はいないだろう。だって大学時代の友人にコルトレーン良いから聴いてみて!と言ったら何故か「クルセママ」を聴いてしまって、その後友人はジャズが嫌いになってしまったんだもん。

エロサイト?

2006年02月06日 | ライブとミュージシャンたち
 久々のLady Jane(下北沢)ライブだったけど、お客がまたまた少ない。あ~こういうのが続くと座長としては大変つらい。2月は寒くって家に閉じこもっている人ばかりなんだろうか。お客さんが多くても少なくてもいい演奏には変わりないのだけどそれだけによけいにつらいのよね。ふ~、どうにかなんないものかしら。集客率が悪いと本当に悲しくなって落ち込むのだけど、それでも聴いてくれた方から「この前のライブ、とっても感動しました。」などというメールを頂くとまたまた元気を取り戻す、こういう日々の繰り返しだ。<ミュージシャン、生かすも殺すも客次第>

 とはいえ新曲EXILSもだんだん形が見えて来た。ライブで試行錯誤していくうちにどんどん曲ができあがっていく。この課程が楽しい。完成したらまた壊し、また作り上げていく。ジャズに終わりはないし、一瞬一瞬が勝負。初顔合わせのコスマスと吉田君も緊張感のあるソロを繰り広げてくれた。今日は小さいお店という事でコスマスはコンガを持ってきてくれ、いつもの半分くらいの音量で様子を伺いつつ叩きまくってました(笑)。2セット目には原田喧太も生ギターを持って駆けつけてくれてミンガスのブルースに参加、居合わせた人たちはきっと満足してくれたんじゃないかしら。

 演奏後にみんなでワイワイ言いながら楽しく飲む。Lady Janeのオーナーの大木氏も演奏後にはだんだんいつもの大木さんになって(彼はお酒が入るととってもチャーミングなおじさんに変身するのだ。)なんと3時まで飲んでしまった。私とコスマスは運転があるのでお茶だけだったけど。

 立教大学時代ジャズ研後輩の吉田桂一p君は、つい最近ようやく携帯電話を買ったという奇特な人。もちろんPCも使わないいまどきめずらしいくらいのアナログ人間なのだ。まだ一週間くらいしか経っていないので使い方も不慣れ。この前のピットインで目が赤いのでどうしたの?と尋ねると「携帯電話の説明書を読んでいたんで寝たのが朝の10時だったもんであんまり寝てないんですよ。」そこまで徹底して説明書を読むなんて?!そんな訳でやっとメールを送れるようになって嬉しそうにメルアドを教えてくれました。「吉田君のメールアドレスに変なメールはまだこない?」「この前、そんなメールがきて・・・Erroって書いてあったんで開けてみるのもやだなあ、って家にそのまま帰ってカミサンに『俺の携帯にも遂にエロサイトからメールが来たよ!」って見せたら・・・「Error Mail』だったんですよ。」一同大爆笑。「だいたいエロサイトから<エロ>って題名で来る訳がないでしょ。」って奥様に言われたそうな。確かに~。携帯を使いこなすのも容易ではないね。吉田君、がんばれ~。


中学生に戻った日

2006年02月05日 | 家族の日常
 中学の同窓会が開催された。ほぼ30年振りに再会した友人達。9クラスもあったので3年間で一度も話した事のない人すらいたのだけど、なんとなく顔を覚えていたり、話をしているうちに昔の事が少しずつ蘇ってきた。特に懐かしい先生の顔を見た瞬間に自分が中学生に戻ったような錯覚さえ覚えた。本当は120名全ての人と会話したかったけどそうもいかない。でも有り難い事に私は自分のグループで演奏させて頂いたので、ほかの人は私が中学のブラバンでサックス吹いていたやつだって思い出してくれただろう。

 私がサックスを手にしたのは中学2年生。熱心な音楽の先生が担任だった事もあり「早坂、ブラバンに入らないか?」と誘われ、演劇部にいた私は「自分には演劇には向かないな~(母親が舞台女優だったので自分にも才能があるかな、って思って入部したんだが)」って感じていた頃だったので即ブラバンに転部した。今でもいろいろなインタビューで「サックスはいつ頃から?」って聞かれるたびにこの話をしてきたが、本当にピアノ以外の楽器をさわらせてもらえるなんて夢のようだった。でもってフルートを希望したのだが、すでにフルートには同学年で上手な人たちが3人もいて「フルートだとコンクールには出られないよ。アルトサックスがあまっているからサックスにしないか。」と先生から言われ、緑錆がでていてボロボロのアルトサックスを手渡された。口をつけると臭い・・・うう、ってなりながらそれでもクラリネットで基礎を練習し、そのアルトを担当する事に。その楽器を手にして1ヶ月もたたないうちに私は決心。「自分で楽器を買おう!」これが運命だった。

 小さい頃から貯金していたおこずかいを全部握りしめ、学校御用達の管楽器屋さんに行った私は当初アルトサックスを買うつもりだったのに、楽器屋さんに「ソプラノサックスって綺麗な音がするんだよ。めずらしいけど、これにしたら?」とパンフレットだけ見せられ「シルバーのヤナギサワソプラノサックス」をどんな音かも知らずに注文してしまったのだった(当時25万くらいだった)。緑錆のアルトサックスと較べたら月とスッポン,シルバーのソプラノサックスはキラキラと輝いていた(パンフレットのなかで)。

 ブラスバンドでソプラノサックスを使うところは当時殆どなかった。ソプラノはオーボエの替わりに使われる程度。譜面もなく、しかも天才オーボエ奏者(彼は現在も読響で活躍中!)が同級生にいたのでますますソプラノサックスの出番はない。先生にもあきれ顔で「好きなところを適当に吹きなさい。」って言われアルトサックスと持ち替えつつ、自分でスコアから勝手にトランペットやクラリネットのところを抜き出して譜面を作って吹いていた。それでも自分の楽器を吹けるという事だけで嬉しかった。中学3年最後のコンクールでBクラスで初優勝。コンクール会場からの帰り道、仲間とスプライトを飲みながら酔っぱらいのようにはしゃいだ事が思い出される。それにしても素晴らしい指導者(ブラバンの顧問の先生は数年前にお亡くなりになりましたが)と仲間たちに恵まれて楽しい中学校生活だったな、と走馬灯のようにいろいろな事が思い出される同窓会だった。最後に校歌のアレンジを新澤君たちに演奏してもらったのだけど、コスマスが「校歌なのにソプラノでメロディ吹くとヤン・ガルバレク(ECMのサックス奏者)の曲に聴こえるね。」って・・・新曲としてやろうかしら(笑)。(このあと高校生活でまたまたいろいろとあるけど、それはいつか書かせて頂きます。)

鬼は~外!福は~?

2006年02月04日 | 家族の日常
 ようやく全貌が見えてきた。今年はいつもより早いな、って226の事。選曲も決まりアレンジも完成、あとは練習あるのみ。山下さんに譜面を送るのも完了したのでほっと胸をなでおろす。いつもだとリハーサルぎりぎりまで、やってみなきゃわからない、的な感じだったけど、こんなにシュミレーションが早く完成するのはめずらしい事なのだ。
 大河の226Tシャツデザインもようやく完成した。これは当日のお楽しみなのでここで公開できないのがちょっと残念。ここに載せたのは初めてデザインしてくれた226の懐かしいチラシ。さあ、みんなが買ってくれるかなあ?当初は私の226チラシの絵をアレンジしたものだったけど、そんなんじゃ誰も(特にミュージシャンは)着てくれないよ~とクレームをつけ、何度か書き直して頂きました。でも大河は本当に素晴らしいアーティストだと思う。これで仕事が早ければ絶対超売れっ子絵描きになるのにな・・・。ま、ゲージツカだから良しとしましょう。Tシャツもきっと大河が死んでから価値がでるに違いない。みんな買っておくようにね(苦笑)。

 節分の日にいわしを食べよう、って今日行った八百屋(?)にポスターが貼ってあった。八百屋にいわしの宣伝も変だけど、いわしと節分、これもかなり妙な取り合わせ。いわしを焼く匂いがキツいので鬼が逃げる・・・この意味を知ったのは30歳を超してからでした(お恥ずかしい・・・)。でも玄関にイワシの頭なんかを飾ったりした事はまだ一度もありません。それにしても節分の日に家族揃って家にいた事事態がめずらしいので、今日はみんなで夕食後に豆まき。しかし利樹が家を建てるときに「窓の沢山ある家がいい。」って希望して設計してもらったもんで、我が家はやたらに窓が多い。「鬼は~外!」とみんなで手分けしてあらゆる窓から豆を捲くのが一苦労でした。でも隣近所でも同じ頃に同じような声が聴こえてくるのは心温まる風景だなあ。息子は神社でもらってきた豆を食べる方に忙しかったようですけど・・・。今年こそは福が舞い込んできてほしいです。お金と一緒に。「福(吹く)は~ウチ!」

 

 

 

気合い十分

2006年02月02日 | ライブとミュージシャンたち
 土砂降りの雨の中、吉祥寺サムタイムで久々に黒田京子さんと永田とのトリオ。今年から自分の中で一曲は新曲(スタンダード曲)を、と心に決め(遅すぎだけど)挑戦シリーズをやる事にした。黒田さんにも早めに入ってもらってサウンドチェック&リハーサル。私の新曲も一応やらせて頂く。サムタイムではなるべくスタンダードを演奏してほしい、と御願いされている関係でオリジナルは1セットにせいぜい1曲。しかも3セットも演奏しなくてはいけないので15曲はやることになる。これが結構体力的にも精神的にもきついのだ。かれこれ15年以上出ている店で、だいぶ慣れたつもりでも3セットとも全てが満足できる演奏になる事は殆どない。しかもレパートリーはそれほど増えないので新曲がないとミュージシャン同士で飽きて来たりする。これはいかん、と思い冒頭の約束を自分に課す事にしたのだ。でもやっぱりなんだかんだ言って私らの演奏はオリジナルをやっているときの方がのびのびしているのだけど。
 昔、某国営放送局で演奏したのがきっかけでまったく知らない秋田のお店に喚ばれ、カルテットで演奏しに行った事があったが、そのときも「なんせ、田舎なもんで知っている曲なんかを中心に解りやすいジャヅをやってくださいね(ジャズがなまってた)。」って言われ、オリジナルを1/3ほどまぜて演奏したら「オリズナルが一番よかった。」「んだんだ。」って言われたっけ・・・。それでもなんでもサムタイムではスタンダード曲をなるべく増やして行こう・・・と思う今日この頃。気合は十分、頑張るぞ~。京子ちゃん、よろしくおつきあいの程を。