ちい Road

料理中心、時々戯れ言

大橋喜代人で半世紀生きてきました

2016年05月25日 | Weblog
昨日で50歳になりました。

Facebookの誕生日のお知らせは形式的な感じがするのでOFFにしてあるのですが、LINEなどで温かいメッセージを頂きありがとうございました。
家族以外に覚えていて頂けるのはありがたいです。

実は忘れられてるのも寂しいとかいう思いもあり昨日のblogの投稿の中にさりげな~く自分の誕生日を書いておいたのですがやはりそこまで読む人はほぼありませんでした(^_^ゞ。
自撮りよりそこがちょっとツッコミどころやったんやけど。
私も長い文章は斜め読みするもんなぁ。

誕生日までには退院したかったけど、軽く無理でした。
監獄の中での50歳なんて迎えたくなかったけどある意味忘れない年でもあります。

今日もドクターに言われたけど一万人に一人という生まれつき首の神経が通る管がが細いということらしく、普通は交通事故でなく自分で自転車で転んだぐらいではこんな重症にはならないのだそうです。

安廣さんという仲良くしてもらっていた女性が亡くなってその方の歳を越したときも思いましたが、
兄は49歳で逝ってしまい、兄の歳を越えてしまったのだとまた思っています。

すぐに冗談で「死ね!」と言う人がいますが気安く言う言葉ではないと色んな大事な人がなくなる度に思うようになりました。

子供の頃はわからなかった誕生日おめでとうの意味。
誕生日を迎えるというのはやはりめでたいんや。

病院という、美味しいもんも食べられない場所で迎えた50歳でしたがそれも思い出。
来年のFacebookで一年前はこうでしたと表示されて「せやったなぁ」と思えればそれは幸せなんやろう。

今日は怪我後初めてお箸を持ちました。先生がお箸を持てますか?
と聞いてきたのでやってみたらなんとか使えました。

グー握りとかせんとあかんかもと思ったけど普通の持ち方でいけたけど、普通てこうやったかな?と思いながら。

今まではスプーンやフォークにビニールテープを巻いて太くしてあるものを使って食べていたので少しまた進歩しました。まるで子供の初めて物語のようです。

そして外をリハビリの先生と歩きました。
シャバの空気は病院の中とはやはり違うなぁと思いました。
キョロキョロするとまだ転けそうになるので前しか見てませんがなんとか行けそうです。

慣れてきたら虹の町か、黒門市場を歩きましょうと言われました。
虹の町は大阪はミナミの地下街ですが今は名前が違っています。
なんさん通りやったかな。

しかし人混みはまだ自信がありません。ポンとぶつかられたら怖いしこちらからもパッと避けられないから。

それと握力も計りました。
右が14キロ、左が10キロ。
私の年の平均で1/4ぐらいしかないそうです。
かなり戻ったと思ったけどこれではバイクのブレーキはまだまだ握れそうにありません。

友人などが皆さん焦らずにとおっしゃってくれます、本当にありがとう。




コメント
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