Olive☆。.:*:・'゜

つれづれなるままに・・・雑感を

ドンちゃんの次回作

2005-11-03 22:56:02 | カン・ドンウォン
ドンちゃん、今度はタフガイに変身です。

イ・ナヨン-カン・ドンウォン 新しい映画で呼吸 [連合ニュース]
イ・ナヨン-カン・ドンウォンなど '青竜スター', 大当りプロジェクト作る [スポーツ朝鮮]
カン・ドンウォン、イ・ナヨン スクリーンの中酷い愛分ける[ヘラルドニュース]
強盗・殺人… カン・ドンウォン '下積み人生' 変身 [スポーツ韓国]
死刑囚-自殺未遂者で '時限付き愛' [スターニュース]
宋海星監督"イ・ナヨンとカン・ドンウォンは似ている" [マイデイリー]
イ・ナヨン-カン・ドンウォン<私たちの幸せな時間>で呼吸合わせて[マックスムービー]

2001年「パイラン」で青龍映画賞監督賞を受けたソン・へソン監督がメガホンを取り、
カン・ドンウォンとイ・ナヨンが男女主人公にキャスティングされた。
三人を殺害した死刑囚と三度の自殺を試みた女の出会いを扱う。
世の中を恨んで憎悪しながら死のみを思い浮かびながら暮した二人の男女が
一週間に一度ずつ刑務所 ‘出会いの部屋’で会いながら、お互いの傷を治癒受けて
生と世の中を新しく受け入れるようになる過程を描く映画だ。

カン・ドンウォンは不遇な成長期を送って、強盗殺害罪で死刑宣告を受けて
服役中の青年ユンスで登場する。
世の中から捨てられた絶望と憎悪, 生に対する冷たくて毒気のある視線などを通じて、
子供の清くて純粋なイメージから荒い野性的イメージまで幅広い演技を現わすつもりだ。
映画「彼女を信じないでください」「オオカミの誘惑」「刑事 Duelist」で見せてくれた
柔らかいイメージに強い男性的イメージをさらにかぶせたキャラクターだ。
特にカン・ドンウォンが映画で死刑囚に扮して、デビュー以後初めて囚人服を着ると
あって注目を引いている。

一方イ・ナヨンはだまされた酷い傷を病んでいる大学講師ユジョン役を引き受ける。
攻撃的で冷笑的な素振りと裏腹に弱い内面を一緒に持ったキャラクターのため
イ・ナヨンの纎細で深みのある演技が期待される。

'私たちの幸せな時間'は女流小説家コン・ジョンの原作を脚色した作品。
'善良な男'という仮題で映画企画が進んだが原作題目そのまま映画化する事にした。
クランクインは早ければ来月, 遅くても 1月に始めて 4月初旬に撮影を終える予定だ。
封切りは 2006年秋夕予定。
☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'゜

昨年青龍映画賞でイ・ナヨンは「知り合いの女」で
主演女優賞を、ドンちゃんはスター人気賞を受賞。
あの時のディオールオムのスーツが格好よかったなあ
今年はどんな服装で登場してくれるのか、
今から楽しみにしています。
第25回青龍映画賞、受賞者・受賞作品が発表(朝鮮日報)

「親切なクムジャさん」試写会のインタビューで
殺人犯をやりたいって確かコメントしてましたよね。
また映画雑誌のインタビューでいい監督と仕事をしたいとも。
「パイラン」「力道山」を撮ったソン・へソン監督とのコラボレーションはいかに
丁度「刑事 Duelist」の一年後に公開なんですね。
卒業を控えて撮影とは、ドンちゃんも大変だとは思いますが、
ファンとしてはどんな作品になるのか楽しみです
イ・ナヨンはチャン・ドンゴンと出ていた
サムソンカードのCFと映画「
英語完全征服」くらいしか知らないんです
映画の彼女はキュートで、可愛らしいだけじゃなくって、演技の幅を感じる女優さんでした。

だってこの映画の魅力は『イ・ナヨン』に尽きるんだもん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「晏子」

2005-11-03 20:27:05 | 書籍


「管仲」「子産」「楽毅」に引き続き、今度は「晏子」。
宮城谷昌光の描く歴史小説の世界にどっぷりハマッています。
彼の作品は一通り読んでいて、この作品も3年くらい前に一度読んだことがあります。

国のために力を尽くした晏弱・晏嬰父子の活躍を描いたもの。
ファンの人がたくさんいるんですね。例えばこちらの
(HP)
これだけきちんとまとめられているものを読んだら 実際に本を手にしなくても
内容が分かった気になってしまいそうです。
斉の宰相を務めた晏嬰がいつも君主に対し諫言を呈し、庶民や士族に愛され、
気軽に「晏子-」と声を掛けられる人でした。
何度も生命の危機に直面するものの「あの男には人望がある。あの男にかまわずにいれば、民の人望はこちらのものになる」「あの臣を殺せば、われらに従う者がいなくなる」と言われ、また司馬遷が『史記』の冒頭で「この人のためなら、馬丁になって仕えたい」と書いたほどの名宰相です。
印象に残った箇所をいくつか挙げたいと思います。

「富というのは、布帛に一定の幅があるようなものです」富にはけじめが必要であると、
貴族全盛の時代に貴門に生まれながら、かれほどきびしく自分を律していった者は
ほかにみない。 鄭の大臣である子産は、知識の汎さにおいて、他の追随をゆるさない、
まさに人文の巨人であるが、鄭国の政権を掌握したあとに多少の傲慢さをみせた。
孔子が子産を尊敬するというのも孔子のなかには知識欲のほかに参政欲もあり、いわ
ば為政において知識を活用したいという願いの目で過去をみれば、子産が輝いてみえた
ということであろう。晏嬰が儒家と対立する墨家を興した墨子にも尊敬されたことは、晏嬰
の人気が貴族階級にとどまらず民衆にもおよんでいたことをあらわしており、晏嬰の名を
民衆が語りついでいったともいえる。子産が人臣から尊敬されたであろうが、愛されたとは
いえない。その点、晏嬰はたぐいまれな仁徳をそなえていたというしかないであろう。


非常に興味深かったのは、孔子が晩年の景公に仕えようとした時に晏嬰が
「儒者は傲慢で、しかも独善である」と彼の官途を妨げたこと。
孔子はずっと恨んだようですが、晏嬰の意見はもっともだと思います。
孔子のような男はつねに自分は正しいとして、他人と折り合おうとしない。さらに儒教の考えは、死者の服喪を重要視し、葬礼に財産をつぎこませようとする。儒者はもともと葬儀にかかわる集団からでてきたら、自分たちはそれでよいであろうが人民にまでそれをおしつけると、風俗をこわしてしまう。斉は礼の国ではなく、利の国である。儒教では、庭を歩くときには小走りするようにし、堂にのぼる階段は一歩あげて他の足をそろえてから、また一歩あげる。また堂上では小走りするような歩きかたをしてはならない。墨子は「先質にして後文なるは、これ聖人と務めなり。」といった。質というものを先にして、文を後にするのが、聖人とよばれる人の務めである。これは文質彬々(ひんぴん)といった孔子の教えと対立する。文は飾りということで、質は実体といいかえることができる。孔子は、文と質が均衡のとれている生活を理想としたのだが、それはあくまで理想であり、現実のゆがみに直面し、それを匡そうとした晏嬰や墨子などの実践者は、理想の高みにとどまっているわけにはいかない。 

 家中の食事の内容に差をつけることをきらい、僕婢とかわらぬものを食べ、市場の近くの粗末な家に住む生活を送っている晏嬰にすれば、葬儀に家が傾くくらいに財産をつぎ込むことを孝行と説く孔子の考えには賛同しがたいものがあったのでしょう。
 ‘しめったところに建っており、せまく、あたりが騒がしく、塵が多い’ と言って
大きな新しい家を景公が建ててくれたというのに
住みやすい家というのは家そのものの構造にあるというより、環境にある。もっとはっきりいえば、隣家の住人にめぐまれた家こそ、住みやすいといえる。
と、家を元の大きさに戻し、別の地に追いやられていた隣人を呼び返す晏嬰。
歴史小説というよりもリーダー論として、読み終わった後、清々しい気持ちになる一冊です。

晏嬰が亡くなり、景公は泣哭しつづけ、葬儀における礼をはずしたので、側近の一人に「非礼である」と言われたのに対し「このようなときに、礼がなにか。わしはかつて、一日に三度晏嬰にいさめられたことがある。だが、聴かなかった。今後、わしにそうする者はいまい。晏嬰を失えば、わしの亡びも遠くにあるまい。亡ぶ者に礼が要ろうか」
孔子は礼の国・魯の出身だけに、元々斉という国は合わなかったのでしょう。
確か孔子って、結局どこでも仕官出来なかったような。。。違ったかな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする