私の愛猫、スズちゃんが今年の2月22日に亡くなって5か月になります。
今でも思い出さない日はないです。
ただ、当初のような、激しい感情はなく、スズちゃんが私に与えてくれた沢山の喜びを静かに偲んでいます。
今回、私に何があってペットロスを乗り越えたか、書いておきます。
私のペットロスの主な感情は喪失感以上に罪悪感からくるものでした。
スズちゃんの死が近いことは、半年以上も前の獣医さんの言葉から分かっていたからです。
私はスズちゃんに苦痛や恐怖を与えるような延命治療はしないで、普通の日々を過ごさせ、静かに逝かせてあげるつもりでした。
最後の10日間ほど、痩せて、たぶん脳の萎縮が起こっていたのだと思います。
スズちゃんに認知症の症状が現れ、愚かな私はスズちゃんが命の最後の炎を燃やしているのだと理解できず、きつく叱ったりしてしまいました。詳しくはここ
スズちゃんが姿を隠して亡くなったことも相まって、私はどうしようもないペットロスの状態に陥りました。
これ以上ないほど純粋な存在を、最後になって傷つけてしまったという思いが私を苦しめました。
毎日、思い出しては自分を責め、泣いていました。
とりわけ夜中、ふと目覚めては思い出すと、心臓がペコンと凹んだように苦しくなりました。
こんな私は孤独に死ぬのだとか、自分の人生は失敗だったとも思いました。
とにかく苦しくて苦しくてたまりませんでした。
さすがに私はこのままではいけないと思いました。
スズちゃんと、ちゃんとお話がしたいと思いました。
仏教では、人は亡くなっても49日間はこの世に魂は留まっていて、行き先が定まるまで元居た場所辺りをさまよっていると聞いたことがあります。
猫だって、すぐにあの世にいく筈はないと思います。
だから私は、スズちゃんが亡くなってからも、スズちゃんがそこにいるかのように話しかけたりしていたのですが、もっとちゃんとスズちゃんに話さなければならないと思ったのです。
3月15日の夜10時頃、私は自分の部屋でのベッドに腰かけて、スズちゃんがいるかもしれない中空辺りに目をやって「スズちゃん、聞いてくれる?」と話しかけました。
そして自分がスズちゃんに対し間違ったことをしてしまったこと、スズちゃんに淋しい思いをさせてしまったことを謝り、間違いを繰り返さない為に、スズちゃんに二つの約束すると言いました。
一つは、相手が人であれ動物であれ、表面的なふるまいだけで悪く決めつけることは決してしないということ。
もう一つは、スズちゃんがそうやって生きて死んだように、私も最後の最後まで一生懸命生き抜いて死ぬということ。
この二つの約束をして、私がスズちゃんのことをどれ程好きだったか、亡くなった今も大好きな猫であるということを泣きながら話しました。
そうすると、スズちゃんが生きていた時と同じように、スズちゃんが私の話を真剣に聞いてくれているそんな雰囲気が漂い、私は話を終えることができました。
その夜、寝てからのことです。私はミーちゃんの鳴く声で目が覚めました。
時計を見ると夜中の2時でした。ミーちゃんは「にゃーにゃー」と止むこともなく1階の居間で鳴き続けていました。
そんなことは今までなかったことだったので、何があったのかと思ってあわてて起き、ミーちゃんの所にいってみると、ミーちゃんはいつも寝床にしている畳んだ毛布の上で、鳴き疲れたのかボンヤリした様子でいました。
私はふとミーちゃんはスズちゃんの気配を感じたのだなと思いました。
スズちゃんはミーちゃんに何か(多分、みどりさんの思いは受け止めたよ、それを伝えておいてというようなこと)を伝え、それで驚いて私を呼んだのだと思いました。
その夜は「大丈夫だよ」と言ってミーちゃんを落ち着かせ、そのまま寝ました。
このようなことがあって、私は少し落ち着くことができました。
でも、人間の意識は昼と夜とでは違います。
昼間の意識では、スズちゃんが私の話を聞いてくれたと思えたことも、ミーちゃんがスズちゃんの気配を感じて真夜中に鳴いたと思ったことも、私の手前勝手な思い込みであり、スズちゃんはやはり淋しい思いのまま亡くなったのではないかと思えて苦しくなることがありました。
ちょうどあの頃、ブログ友達のcoco21さんが、茨木のり子さんの詩集の紹介をブログでされていました。
それまでの私の印象では茨木のり子さんの詩は、惰弱な心をピシピシと打つような厳しいもの、というものでした。
私に必要なものはそういうものかもしれないと思い、ある日、梅田の紀伊國屋書店で「茨木のり子詩集」を見つけて、指針を求める思いで買って帰りました。
私は詩集の最初から読まずに、何気なく開いたページの詩を最初に読みました。
それは「夢」という詩でした。
内容は、亡くなられた茨木さんの夫の明日が49日という夜の、夢の中での夫との濃密な交歓を詠んだものでした。
茨木さんはその詩で、夢を「夢に過ぎない」というようには受け止めず、「あなたらしい挨拶」として受け止めていました。
私は茨木さんの詩に厳しいものを予想していたのですが、予想とは真逆であったことにまず驚きました。
そして指針を求めて読んだ詩がそういうものであったことの意味を考えました。
私は夢を見たわけではありません。
でも直観的にスズちゃんが私の話を聞いてくれたと思い、またスズちゃんがミーちゃんを通じて私に思いを受け止めたことを伝えたと感じました。
ならばそれを素直に受け止めることが大切なことなのではないかと思ったのです。
それに一連の出来事は、賢くて、活発で、やさしかった、いかにもスズちゃんらしい出来事だったからです。
ここで書いたことを馬鹿げた話だと思う人もいるかもしれませんが、おそらく一番大切なことは、私がスズちゃんにした約束を果たし続けることだと思うのです。
そうすることが、あのスズちゃんの思いに応えることなのだと思えます。
二つの約束は思った以上に難しいことでもあるのですが。
こうして私は何とかペットロスを乗り越えることができました。
当時、ブログを通じて励ましていただいた方々には改めてお礼を申し上げます。
有難うございました。
ブログはやっていて良かったと思います。
ブログをやっていなければ乗り越えることは難しかったと思うからです。
スズちゃんは49日も済んだ今、きっとあの世で幸せに過ごしていると思います。
最後に元気だった頃のスズちゃんの写真です。
茨木のり子さんの「夢」という詩に興味のある方は、茨木のり子 夢 の2語で検索して下さい。
読むことができます。
今でも思い出さない日はないです。
ただ、当初のような、激しい感情はなく、スズちゃんが私に与えてくれた沢山の喜びを静かに偲んでいます。
今回、私に何があってペットロスを乗り越えたか、書いておきます。
私のペットロスの主な感情は喪失感以上に罪悪感からくるものでした。
スズちゃんの死が近いことは、半年以上も前の獣医さんの言葉から分かっていたからです。
私はスズちゃんに苦痛や恐怖を与えるような延命治療はしないで、普通の日々を過ごさせ、静かに逝かせてあげるつもりでした。
最後の10日間ほど、痩せて、たぶん脳の萎縮が起こっていたのだと思います。
スズちゃんに認知症の症状が現れ、愚かな私はスズちゃんが命の最後の炎を燃やしているのだと理解できず、きつく叱ったりしてしまいました。詳しくはここ
スズちゃんが姿を隠して亡くなったことも相まって、私はどうしようもないペットロスの状態に陥りました。
これ以上ないほど純粋な存在を、最後になって傷つけてしまったという思いが私を苦しめました。
毎日、思い出しては自分を責め、泣いていました。
とりわけ夜中、ふと目覚めては思い出すと、心臓がペコンと凹んだように苦しくなりました。
こんな私は孤独に死ぬのだとか、自分の人生は失敗だったとも思いました。
とにかく苦しくて苦しくてたまりませんでした。
さすがに私はこのままではいけないと思いました。
スズちゃんと、ちゃんとお話がしたいと思いました。
仏教では、人は亡くなっても49日間はこの世に魂は留まっていて、行き先が定まるまで元居た場所辺りをさまよっていると聞いたことがあります。
猫だって、すぐにあの世にいく筈はないと思います。
だから私は、スズちゃんが亡くなってからも、スズちゃんがそこにいるかのように話しかけたりしていたのですが、もっとちゃんとスズちゃんに話さなければならないと思ったのです。
3月15日の夜10時頃、私は自分の部屋でのベッドに腰かけて、スズちゃんがいるかもしれない中空辺りに目をやって「スズちゃん、聞いてくれる?」と話しかけました。
そして自分がスズちゃんに対し間違ったことをしてしまったこと、スズちゃんに淋しい思いをさせてしまったことを謝り、間違いを繰り返さない為に、スズちゃんに二つの約束すると言いました。
一つは、相手が人であれ動物であれ、表面的なふるまいだけで悪く決めつけることは決してしないということ。
もう一つは、スズちゃんがそうやって生きて死んだように、私も最後の最後まで一生懸命生き抜いて死ぬということ。
この二つの約束をして、私がスズちゃんのことをどれ程好きだったか、亡くなった今も大好きな猫であるということを泣きながら話しました。
そうすると、スズちゃんが生きていた時と同じように、スズちゃんが私の話を真剣に聞いてくれているそんな雰囲気が漂い、私は話を終えることができました。
その夜、寝てからのことです。私はミーちゃんの鳴く声で目が覚めました。
時計を見ると夜中の2時でした。ミーちゃんは「にゃーにゃー」と止むこともなく1階の居間で鳴き続けていました。
そんなことは今までなかったことだったので、何があったのかと思ってあわてて起き、ミーちゃんの所にいってみると、ミーちゃんはいつも寝床にしている畳んだ毛布の上で、鳴き疲れたのかボンヤリした様子でいました。
私はふとミーちゃんはスズちゃんの気配を感じたのだなと思いました。
スズちゃんはミーちゃんに何か(多分、みどりさんの思いは受け止めたよ、それを伝えておいてというようなこと)を伝え、それで驚いて私を呼んだのだと思いました。
その夜は「大丈夫だよ」と言ってミーちゃんを落ち着かせ、そのまま寝ました。
このようなことがあって、私は少し落ち着くことができました。
でも、人間の意識は昼と夜とでは違います。
昼間の意識では、スズちゃんが私の話を聞いてくれたと思えたことも、ミーちゃんがスズちゃんの気配を感じて真夜中に鳴いたと思ったことも、私の手前勝手な思い込みであり、スズちゃんはやはり淋しい思いのまま亡くなったのではないかと思えて苦しくなることがありました。
ちょうどあの頃、ブログ友達のcoco21さんが、茨木のり子さんの詩集の紹介をブログでされていました。
それまでの私の印象では茨木のり子さんの詩は、惰弱な心をピシピシと打つような厳しいもの、というものでした。
私に必要なものはそういうものかもしれないと思い、ある日、梅田の紀伊國屋書店で「茨木のり子詩集」を見つけて、指針を求める思いで買って帰りました。
私は詩集の最初から読まずに、何気なく開いたページの詩を最初に読みました。
それは「夢」という詩でした。
内容は、亡くなられた茨木さんの夫の明日が49日という夜の、夢の中での夫との濃密な交歓を詠んだものでした。
茨木さんはその詩で、夢を「夢に過ぎない」というようには受け止めず、「あなたらしい挨拶」として受け止めていました。
私は茨木さんの詩に厳しいものを予想していたのですが、予想とは真逆であったことにまず驚きました。
そして指針を求めて読んだ詩がそういうものであったことの意味を考えました。
私は夢を見たわけではありません。
でも直観的にスズちゃんが私の話を聞いてくれたと思い、またスズちゃんがミーちゃんを通じて私に思いを受け止めたことを伝えたと感じました。
ならばそれを素直に受け止めることが大切なことなのではないかと思ったのです。
それに一連の出来事は、賢くて、活発で、やさしかった、いかにもスズちゃんらしい出来事だったからです。
ここで書いたことを馬鹿げた話だと思う人もいるかもしれませんが、おそらく一番大切なことは、私がスズちゃんにした約束を果たし続けることだと思うのです。
そうすることが、あのスズちゃんの思いに応えることなのだと思えます。
二つの約束は思った以上に難しいことでもあるのですが。
こうして私は何とかペットロスを乗り越えることができました。
当時、ブログを通じて励ましていただいた方々には改めてお礼を申し上げます。
有難うございました。
ブログはやっていて良かったと思います。
ブログをやっていなければ乗り越えることは難しかったと思うからです。
スズちゃんは49日も済んだ今、きっとあの世で幸せに過ごしていると思います。
最後に元気だった頃のスズちゃんの写真です。
茨木のり子さんの「夢」という詩に興味のある方は、茨木のり子 夢 の2語で検索して下さい。
読むことができます。