緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

お着物、頂きました。

2023年06月28日 | 着物
先日、友人のお宅によばれて行ってきました。
話をしていると、たくさんある着物の処分に困っているということでした。
確かに、テレビで着物の買取りのCMもありますが、余程の良い着物でない限り二束三文です。
しかもCMに著名タレントを使った、知られた名前の業者でも怪しいのが多いです。

着物の買取りで私が経験した怪しい話は以下を参照してください。

着物の買取、騙されないで! - 緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

先日、新聞の折り込み広告で「読売ファミリー」というのを何気に見ていたら、ある広告が目に入った。着物の買い取りの広告で、「福ち✖ん」という業者である。実は私、この業...

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友人曰く、今後、着物を着る予定はないけれど、ゴミとして処分するのはあまりにも惜しい。
良かったら貰ってくれない? とのこと。
友人は着物好きで、昔は和裁を習っていて、大半は自分で仕立てたものらしい。

私は「着物を着る予定がないなら、私と一緒に着物を着てお出掛けすればいいのじゃないの」と言いました。
「えっ! じゃあそうする」となったのですが、それでも要らない着物があるらしい。
付け下げ訪問着や色無地は今後もまず着ないとのこと。

確かにそういうのは、着るにはあらたまった席になります。
でもお茶席には良いんだよね。

私は、お茶を習う前は、着物は紬の普段着物が好みで、そういうのを買っていました。
でもお茶を習い始めると、お稽古や、よほどくだけたお茶会以外、紬はちょっと着られないのです。
いわゆる“柔らかもの”の着物はあまり持っていなかったので、そういうのを譲ってもらうことになりました。

譲ってもらった付け下げ訪問着。


それに合わせた袋帯。

この着物にこの帯締めたら60代の私にはちょっと派手かなと思います。
帯をもう少し地味目にすれば初釜には着られそうです。

一つ紋の色無地。

入っていた紋は横木瓜で、都合よく我が家の紋でした。
サイズも含め、ちょうど私に誂えたみたい。
友人に聞いたら友人の家は横木瓜ではなく、和裁の先生から譲られた(買った?)着物だそうです。

頂いた着物と帯、手入れはされてましたが、私が見た限り何十万もする高価な物ではなさそうでした。
あまり高価だと貰うに貰えません。

友人の家は2LDKの公営住宅なのですが、一つの部屋を箪笥部屋にしてて、チラッと見たのですが箪笥が幾つも並んでて、すべて彼女の着物が詰まっているのだそうです 💦
うちもそうですが、着物って、置き場所に困るんです。

実は茶道の先生からも何枚か着物をいただいてました。
茶道の先生のようなお仕事の場合、着られなくなった自分の着物も持っているし、お仲間内で、なんやかんやと着物が集まってくるみたいです。
それを私達生徒の皆さんにわけて下さるのです。

先生がそういう着物を持ってきた時は、生徒さんの目が爛爛と輝き、殺気だった雰囲気になります。
「私、これいただきます」と言ってサッと良い物を確保なさる方やら、私みたいに気が小さくて残り物を持って帰る人もいるのです(ホンマかいな)。

先生とすれば、着物の手持ちが少ない人に差し上げたいみたいなのですが、その場の空気で、そんなにうまいこともいかず、後で「あれは○○さんにあげるつもりだったのに・・・」なんておっしゃったりしてます。

私は先生からの頂き物でコート類やら帯やら、もちろん着物も結構増えました。
コートや帯は役に立ってますが、着物は私の趣味ではなく・・・。
お稽古の時に着るしかないです。

本当に必要で欲しい着物は自前で買うしかないのです。
それやこれやで着物が増殖するのです。
断捨離の逆を行ってます。

頂いた付け下げ訪問着、よく見ると袖丈が56㎝でちょっと長い。
友人からは、それにあった長襦袢も譲るといわれたのですが、長襦袢まで貰っていいのか悩み。
それに60代で56㎝の袖丈ってどうなのか。(私の身長は158㎝)
いっそ袖を切ったらいいのか。

とまあ頂いたものの悩んでます。

          


こちらは最近のラッキー。
風格が出てきましたね。


ハッピーともお互いに舐め合って仲良くしてます。










着付けの練習 我が家にシロハラ

2021年01月20日 | 着物
暇なので着物の着付けの練習をしました。
月末に公民館の茶道教室の初釜があり、その時に着ていく予定です。

通常は初釜では、なるべく着物を着てくるように言われるのですが、今年は緊急事態宣言も出ているので、着物は着たい人だけ着ていくことになりました。

着物を着ているとどうしても浮かれているように見えるので、コロナの感染と着物との相関関係は無いにしても抑えておこうということになったみたいです。

初釜自体も中止のところが多いようです。
公民館の茶道教室では、やることはやりますが各服点で初釜の濃茶をいただくことになりました。
つまり、本来は濃茶は一碗を廻し飲みするのですが、各服点では一人一碗づつ濃茶を点てていただきます。
先生宅の教室では、初釜は今年はやりません。
ただお稽古での濃茶はすでに各服点にしていました。

着ていく着物も今年は訪問着や付け下げは止め、小紋にするつもりです。
で、練習しました。

写真に撮るとよく分かりますが、裾をもう少し長くし、帯の位置ももう少し下に締めた方が良さそうです。

後ろから見るとこんな感じの帯です。

牛車の行列と見物人を織りだした名古屋帯です。
丑年だから牛繋がりですが、絵柄部分をもう少し下にくるようにして、もっとピシッと締めないとダメです。
この後、練習し直しました。

着物ブロガーの方が、よく斜め上から撮った写真をアップされているので、私も真似してみました。

練習なのでチャッチャッとやったというのもあるのですが、帯揚げの処理の汚さが丸分かりです。💦💦
誰も上からは見ないので分からないのですが、良くないですね。

この後、帯揚げの結び方も練習し直しました。
写真も、右上からではなく、左上から撮る方が良いような。
着物ブロガーの皆さんはスマホで撮っているのかもしれません。

着物の着付け、いつまでたっても上手になれません。

この後、着物を仕舞う為に畳んでいたら、大きなシロハラの声が聞こえました。
庭に来ているなと思い、カーテンを小さくそっと開けました。
すると、いました。

しきりに鳴いてました。
ガラス越しで撮った写真です。

ある方がシロハラが地上で採餌しているのを見て「春が近い」と書いておられました。
我が家の庭にもシロハラが来て、春の近さを告げているのかもしれません。


着物で初釜

2020年01月24日 | 着物
体調、今一つです。

昨日は公民館の茶道教室の初釜に行ってきました。
初釜なので着物です。
その前にあった先生の自宅の初釜は、去年着た訪問着で行きました。
まだ風邪をひく前だったので、特に何ということなく楽しんできました。

公民館の初釜では訪問着ではなく付け下げを着ていきました。
この着物は母の遺品です。
綸子地に絞りで雲の模様が入ったシンプルな柄の着物です。
あかる過ぎる色合いなので暗い目の引箔の袋帯を合わせました。

この着物、母も一度も着たことがなかったようで、しつけ糸がついていました。
こういう時しか着られない着物です。

濃茶の時、咳が出て止まらなくなり、焦りました。
一旦退出して、治まってから戻り、お茶をいただきました。
一つの茶碗で最後に飲み切る客の立場だったのですが、なんとか間に合いました。

そういうこともあってか、この日は疲れ切って帰りました。
本調子ではないです。

今日はボランティアで市内の小学校へ。
可愛い小学1年生相手に糸紡ぎのやり方を教えました。
といっても形ばかりのもの。私が後ろから手を添え、ほとんど操り人形のように糸車を回し、糸を紡ぎます。

順番に糸を紡いでもらうのですが、手持無沙汰で暇な子はあちこち触ったりするので注意したり。
「そこ、触っちゃダメだよ」などと注意する言い方が、猫のハッピーやラッキーにあれこれ言う言い方と似ていると我ながら苦笑。

なんやかんやでグッタリとなって家に戻りました。
今後の予定はなぜか詰まっていて、なんだか休みたい気分です。


新旧、着付けの事

2019年02月08日 | 着物
今回は着物の着付けについて。
興味のない人はスルーしてください。

私は若い頃に一度、着物の着付け教室に通っています。
年取ってからも一度、通いました。
母が亡くなって、もう一度着物を着ようとしても、帯の締め方を全然忘れていたからです。
写真で私の着物姿を見た人は、二度も習ってそのざまかと思われるかもしれませんが、そこは今回は置いといて・・・。

今回書きたいのは新旧の違いの私の感想です。
一部は私が尊敬する着物ブログの大御所、紫苑さんのブログにコメントを入れる形で書きました。⇒ここ
ここではもう少し詳しく私が経験したことや思ったことを書きます。

私がアラカンになって行った二度目の着付け教室は、幾つかコースがあり、私が受けたのはダイジェスト版のようなコースで、浴衣の半幅帯から始まって袋帯までいくような丁寧なものではありませんでした。
私が知りたかったのは帯結びの方法だったので、簡単なコースにしたのです。
私が受けた教室が始まる前が正規のクラスで、その人達の授業の様子は早く来た時にチラ見していました。

長い前置きを書いておくと、若い頃、着付けを習おうと思ったのは私なりの事情がありました。
私の着物デビューは成人式の振袖だったのですが、着付けは無謀にも母がしたのです。
それもぶっつけ本番で!!
グチャグチャでした。(´;ω;`)

それから二度と母に着付けをしてもらっていません。
母の性格は前にも書いたように、まな板に茸を生やすような人です。
一事が万事それでした。

実は私の母親、決して家が貧しいわけではなかったのですが、子供である私の服は極端な程、買わない人でした。
真冬でもコートなしでいて、街中で見ず知らずのお婆さんに驚愕されて「あなた寒くないのですか」と言われたこともあったくらい。
母は自分の服も買っていなかったので、まして子供であった私の服は買わなかったのです。
私は学生時代から、普段着る服はバイトして買ってました。

ところが着物だけは例外で、振袖を皮切りに、家に出入りしていた呉服屋さんが置いていったカタログを私に渡して、「買ってやるから好きな柄を選び」と。
その時買った最初の着物。
(金彩の入った手描きの小紋で、かなりの高級品。当時は反物で買うのが当たり前で、買った呉服屋で仕立ててもらった。)

それだけではなく、母の従妹だか、はとこだかが京都で染物屋をしていて、そこで私の着物の反物を買ったりもして、小紋の着物ばかり4枚ほど所有することになりました。
小紋ばかり誂えるくらいなら、そのお金で普段着られる服を買ってほしかったのですが、母はその必要を認めないので無理。
それにしても小紋ばかりというのも変なのですが、それも母の価値観です。

私もせっかくあるのならば着てみたいわけで、それで着付けを習いに行ったのです。
習いに行ったのは当時の勤め先の近くにあった商店街の中の呉服屋さん。
今から40年あまり前の話です。
場所は呉服屋さんでしたが、着付け教室が場所だけ借りていたみたいで、その店で着物を買うように言われたことも、店で商品の着物を見たことも一度もありません。
教室は店の二階の6畳二間続きの広間で10人くらいの生徒さんがいたように思います。

習うとなると自前で着物や帯の類を持って行かなくてはならないのですが、練習用だからと母が貸してくれたのは着古した紬の着物。
その着物が問題ありで、やたら身幅が広い。
しかし母は「着物にサイズなんてない」?!と、訳の分からないことを言い、それを持って行くことに・・・。
でも結局それが良かったのかもしれません。
身幅が広い着物でも上手に着る方法を教えてもらうことになりましたので。

着付け教室で当時も今も変わらないのは、まず最初に自分にあった補正下着を自分で縫って作ることだと思います。
少なくとも私が通った二つの教室はそうでした。

教室にもよるのかもしれませんが、当時と今の大きな違いは、昔は着物用のブラがなかったのか、ブラは補正下着として組み込まれていたことかもしれません。
どういうことかと言うと、補正下着に長い晒が付いていて、それを胸に巻き付けてブラ代わりにする方法だったのです。
捨てずに置いてありましたので写真をup (いい加減に捨てろよって感じですが・・・。^^;)

ただ教室で、本当にブラを外して補正下着の晒を胸に巻いたことは一度もありません。
というのも、呉服屋のお爺さんがいつも部屋にいて、私達を見ていたからです(~_~;)

この補正下着、デコルテ部分に綿を入れることができます。
今でも胸に薄いタオルをv字に入れるよう推奨されたりしますね。あれより上手く体形に合った補正ができます。
この補正下着の脇は縫ってなくて細い綾テープのような紐で前後を結びます。
だから余程太っていない限り誰でも着られますし、体形が変わってもOKです。

写真の補正下着の背中部分は縫い詰めていて私の胴に合うよう細くしてありますが、このようにしたのは私だけです。
当時の私は極端に胴の細い人で、そうしないと補正下着を着られなかったのです。
先生によれば、大阪で同じようなタイプの人が前に一人だけいたとか。
今なら縫い詰めなくても着られると思います。

胴体をずん胴にするための、腰とお尻の補正パッドをタオルで作る方法は今とほとんど変わらないと思います。
昔の作り方の方が、アラカンでの着付け教室で作った方法より、よほどしっかりしていましたが。

20代で着付けを習って、楽勝でマスターしたのですが、思いがけないことにアラカンでは戸惑いました。
問題は帯で、上手く締められなかったのです。
というか『こんなに難しかった?』と思う程、上手く出来なくなっていました。
やり方が色々と違っていたのでした。

でも以前の方法が思い出せない。
数年かかって違いが分かってきました。
思い出した限りでも、三つ、大きな違いがありました。

一番大きなやり方の違いは、帯を締める時に最初に手先をどうするかです。
昔のやり方は手先を内側に折り、胴に入れて帯を巻き付けていき、巻き終わったら手先を引き出します。
新しいやり方は手先を後ろから肩にかけて帯を巻き付けていきます。

私に言わせると、手先を肩先に掛ける方法は手先が邪魔になりますし、巻く帯が不安定になってしっかり巻けないのです。
違いが分からなかった時、この点で私は凄く戸惑いました。昔はこんな難しいことしていなかったと。
ネットの動画で調べてみると、アラカンの時の先生のやり方ばかり。

もう一つの違いは、今は帯揚げを最初から帯枕に付けていることです。
これも私に言わせると、お太鼓を作るのに帯枕の紐を結ぶ時、帯揚げがモサモサして、やたら邪魔になります。
お太鼓がゆるゆるぐらぐらしないように、帯枕のひもはしっかりと結ばないといけないのに、です。

昔の方法は、帯枕の紐を前でしっかり結び終えてから帯揚げを帯枕の上に掛けました。
掛ける時、最初に帯枕の上部に帯揚げを食い込ませるようにするのがコツで、その後、帯枕を包み込むように両手で帯揚げの左右を持ち、キュッキュッっとしごいて帯枕に合わせるのです。
キュッキュッとしごく作業が、いかにも着物を着ているという感じで気持ちのいいものなのです。

三つ目の違いは、紫苑さんのブログにもコメントした、着物の下前の三角折り上げです。
三角折り上げも昔はなかったのです。
紫苑さんがその意味について詳しく分析しておられます。
三角折り上げについては、しても、しなくても、どっちでも良いと私も思います。
ただ、三角折り上げをすることで、着物を着るハードルは確実に高くなったように思います。

私の場合、さすがに40年経つと、体が覚えていなかったのですが、結局、数年かかって昔のやり方に戻ったように思います。
どういう方法で着るかは、これが正しいというものはなく、最初に習った通りに着るのがその人にとって自然なのだろうと思います。
ただ着付けは、今はフォーマル中心になっていて、それが着物のハードルを高くしているという印象です。

私が若かった頃よりさらに前、戦前の着付けがどうであったか、写真を載せてみます。
父が昭和16年頃撮ったであろうスナップ写真です。
父は外国航路の船員で、この写真の場所は船上です。
船に遊びに来た若い女性達ですが、屈託なくおしゃれを楽しんでいる様子。
二人とも裸足に下駄、にもかかわらず羽織・コートを着ていて、季節はいつ?
二人は、今生きていれば100歳くらいでしょう。

こちらは父の妹、私の叔母の晴れ着写真。昭和19年頃です。

今視点で見れば、おはしょりはきちんと出ておらず、おはしょりの下線もガタガタ。
たぶん帯板なしで帯を締めていて、帯締めの処理もいい加減。
帯揚げも「何だかなぁ」と言いたいところ。
でも当時は、晴れ着でもこれで普通だったのでしょう、若い叔母は十分にきれいです。
こういう着方が当たり前だったから、私の母は私にグダグダに振袖を着付けたのかもしれません(母と叔母は同年代)。
でも、私の若い頃でさえ時代は変わっていたんです

着付け教室はきちんとした着方を習う場所です。
私もきちんと着たいから習いに行きました。
ただ教室を出てしまえば、フォーマル以外は、やたら教科書的に着る必要はないと思います。
洋服と同じように楽しめば良いと思うのです。

ちなみにアラカンで習った教室、若い女性一名と一緒に習ったのですが、彼女、習っても一人では着られないように思います。
着物の畳み方一つとっても、先生は丸暗記方式で教えるのですが「着物はすべて左かしらで畳みます」といった基本的なルールは言わないのです。
私は余計な事は言いませんでしたが、色々と思うことはあったのでした。


有松絞りの浴衣

2018年07月30日 | 着物
2年ほど前に有松絞りの浴衣をオーダーで作りました。
着る機会もなかったので置いていたのですが、お茶の教室に着ていこうかと出して着てみました。

夏用の半襦袢を下に着てます。
で、夏用の裾除けも付けていますが、補正下着は付けていません。
帯は半幅帯。

先生は着物に関しては難しいことは言いません。
白の半襟を付けていたらOKみたい。
さすがに裸足はダメだけど。

家で練習で着るだけでも、とにかく暑い。

エアコンの設定を20度にして着たのですが、顎から汗がポタポタと落ちます。
私、異様な汗かきなんです。

これ着てお出掛けなんて、我慢大会だなと思います。
お茶の教室自体はエアコンの効き過ぎでとても寒いのです。
先生は3人いらっしゃるのですが、3人とも着物ですから(笑)

問題は教室に行くまで。
何しろ命に係わる暑さですから。

エアコンをガンガン付けている部屋で私の着付けを傍で見ていたみーちゃん。

『なんでこんなに寒いの? 僕、寒いの苦手』と言っているような・・・・。