緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

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類句

2018年07月07日 | 俳句
久しぶりに俳句に関する記事を書いてみます。

人気番組「プレバト!!」で東国原英夫氏が披露した俳句が、宮崎日日新聞の文芸欄で掲載された俳句と酷似していた件です。
詳しくはここで。

私の考えでは、東国原氏に盗作の意図があったかどうかと言えば無かったと思います。
プレバトは人気番組だし、地方紙とはいへ新聞の文芸欄も俳句ファンなら目を通します。
意図的な盗作なら、すぐにバレるようなやり方はしないでしょう。
また発覚した時のリスクも大きすぎます。

ただ二つの句があまりにも似ているので、東国原氏も言うように、俳句をよく知らない人なら盗作と考えられてしまっても仕方ないかもしれません。
ここは俳句関係者が、俳句において類句が珍しくないことをしっかりと説明すべきでしょう。
今回の場合では選者である夏井いつき氏が番組内で説明すれば良いと思います。

類句、私も経験があります。
私の場合、その句を発表していなかったので問題になりませんでした。
当初、私は伊藤園の「おーいお茶」に応募して、入選した時にもらった「自由語り」という入選作品集で似た句を見つけたと思っていました。
もちろん私の入選作品と似ていたのではなく、別の誰かの入選作と自分の句帳に記しておいた作品が似ていたのです。

今回、ちょっとその作品を探してみたのですが、3冊持っている年度の異なる「自由語り」のどれにも見つけることができませんでした。
ですから別の何かで見つけたのかもしれません。
存在することが分かっていても類句を探すのは本当に難しいのです。
まして存在するかどうか分からない類句を事前に調べるのは不可能だと思います。

私の句は、
サルビアの蜜を吸いたる十六歳
というものでした。
見つけた類句は、
サルビアの蜜を吸いたる通学路
というものだったと思います。ひょっとして「吸いたる」の部分が異なる言い回しだったかもしれません。

句の意味は、子供の頃、サルビアの蜜を吸った記憶を詠んだものです。
私の句は、自分の記憶と合わせて十六歳と年齢を限定してしまった為、句の広がりがないですが、類句の方は通学路とすることで幅広く子供の姿を思い浮かべることができ、ずっと良いですね。

俳句を始めて間もなく、自分の句とよく似た句があったという経験から、私も類句に関心を持っていました。
分かったことは類句は俳句において珍しくないことでした。
それは俳句のような短詩系文学においては避けようのないことのようでした。
いわゆる著作権は先に公表された作品にあり、類句の存在を指摘されたらその句は取り下げる、そういう暗黙のルールがあるようです。
なにより重要なことは類句を恐れないことのようでした。

この社会は悪意や敵意で満ちています。
だから東国原氏もこの一件であれこれ言われると思います。
俳句についてよく知らない人が言うのであれば、ある意味仕方ないかもしれません。
でも俳句をある程度嗜んだことがある人が盗作を疑うようなことがあれば、その悪意は隠れようがありません。
なぜなら、多少なりとも俳句を作っていれば類句の経験を誰もがしてしまっているからです。

「プレバト!!」については、それより気になることがありました。
俳句について何も知らない、作ったこともなかったというある芸能人の俳句が「才能あり」で一位になった時のことです。
そのこと自体、珍しいことではないでしょう。
ただ、披露されたその句がまさに手練れの作品としか言いようのない俳句だったのです。
その芸能人は「ルールとかあるんでしょ」と、カマトトぶっていましたが本当は句作を何年も続けていたか、もしくは誰か俳句の上手な人に頼んで俳句を作ってもらい、それを自分の俳句として披露したとしか考えられませんでした。

テレビを観ていて、なんだかイヤな気分になりました。
俳句を趣味としている人は多いので、嘘は通じないと心得ておくべきでしょう。




カラスの巣

2015年04月20日 | 俳句
4月に入って、20日のうち16日は雨だったそうである。
観測史上初めてで、100年に一度あるかないかのことらしい。
せっかく仕事を辞めて、色々やりたかったのだが、雨のせいでできないことばかり。
ちょっと気持ちが腐っていた。

でも、先日、淀川の河川敷でカラスの巣を見て考えた。



カラスは今ちょうど巣篭りの時期。
卵を温めて孵して、雛を育てている。雨の日は翼を広げて雛を守る。
それはもう、涙ぐましいまでに守る。
雨が降っている間中、翼は広げたまま。
お粗末な俳句にするとこんな感じ。

親烏止まざる雨に傘と化す

これだけ雨が降り続けば、交代で守っても、どれだけ大変だろう。
嫌われ者のカラスだけど、巣篭りの時期の雨の大変さは人間の比ではない。

家の中で過ごせる私ごときが雨を嫌がるなんて贅沢というもの。
でも明日からは晴が続くらしい。

カラスはもちろん、野の鳥達こそ待ち望んでいたことだ。

ちなみに写真を撮った日は珍しく晴れた日だった。
分かりにくいけれど、写真には親カラスが少しだけ見えている。




俳句の続け方

2015年04月10日 | 俳句
伊藤園の新俳句大賞に応募していて、一昨年入賞していた分の副賞のお茶が届きました。
ラベルに自分の俳句が印刷されているのですが、受賞者が多くて、副賞が貰えるのは入賞してから2年後です。


ワンケース貰えるので秋くらいまで、ボトルのお茶を買う必要はなさそうです。

新俳句大賞には一昨々年も応募して入賞したのですが、去年はダメでした。今年もダメそうです。

俳句そのものは、5年くらい前から本気で作り始め、去年からは新聞社系の、いわゆるカルチャー教室にも通い始めています。
その前は町会内の俳句サークルに暫く参加してました。
町会の俳句サークルは年配の方が多く(私も年配かもしれませんが、それどころじゃない方々)皆さん、耳が遠くて会話もままならなかったので止めました。

カルチャー教室の方も、年配の方が多いのですが、一応会話は成り立ちます。

ですが、俳句については悩みは尽きません。
新俳句大賞も、応募を始めて2年連続で入賞しながら、3年目で受賞しなかったのは、たぶん、俳句に対する姿勢に迷いが生じたからではないかと思います。

以前は、感動をそのまま俳句に詠んでいたのですが、今は作為的になってしまったのです。
カルチャー教室の先生は、現代俳句の、とても有名な先生で、ネライは分かるのですが、それに従うと俳句が単なる言葉遊びになってしまいそうなのです。
私には合わないのでしょうか。といって、伝統俳句はつまらないですし。

俳句そのものも止めてしまいそうな日々です。

てなことを書いて、一度アップしたのですが、その後、伊藤園から今年の応募の二次予選通過の郵便が来ているのを見つけました。まだ入賞は確定ではないですが、入賞すると嬉しいです。

ちなみに、俳句を始めた人が、以前から俳句をされている方にケチョンケチョンに俳句をけなされることはよくあるのですが、伊藤園の新俳句大賞は、そんな時に入賞すると、とても励みになるものです。