緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

鈴蘭台、去り行く夏鳥達

2017年10月30日 | 野鳥
カメラ教室の同じ班の人からBSのカメラ番組のビデオをいただきました。
パナソニック提供の番組で、私の持っているパナソニックのカメラの機能が説明されているみたいなんです。

みたいなんです、というのは、そのビデオがブルーレイ対応で私には見られないからです。
見た人は「みどりさん、良いカメラを持っているんですね」というんですが、私にはそのカメラ、特異な進化を遂げたガラパゴス状態みたいなもので、機能を全く使いこなせていません。普通に使う分には差し支えないので、普通に使ってました。

ビデオ、見たいんだけど、ブルーレイではね。
調べてみると、パソコンでブルーレイが見られるフリーソフトもあるけれど、ちょっとヤバそう。
止めときます。

でも、せっかくの機能、分からないなりに使ってみることにしました。
ずっと雨だったのですが、やっと晴れたある日、あるグループの探鳥会に参加しました。
場所は神戸市の鈴蘭台、菊水山です。

今の季節、菊水山ではムギマキが観察できます。
ムギマキというのは鳥の名前で、渡りの季節のみ、日本を通過する旅鳥なのです。
なかなか見られない野鳥です。
でも菊水山では見ることができると聞いていました。

行ってみると、ムギマキだけではなく、渡りの途中の夏鳥達をたくさん見ることができました。
オオルリやキビタキ、コサメビタキなどです。

ムギマキは見ることはできましたが写真は撮れませんでした。
撮ったのはそれ以外の夏鳥達です。
菊水山にはカラスザンショウの木が多く、その実を鳥達がついばみにくるのです。

木に留まって食べるのではなくホバリングして、つまり空中で羽ばたくようにして食べます。
要するにバタバタと飛び回って、時には喧嘩して食べます。
そういうのって私のカメラの面目躍如になる筈なんですが・・・。
取り敢えず4K連写で、気に入った部分を写真として取り込みました。

以下はオオルリの雌がカラスザンショウの実の房に飛びついて食べているところ。
まず身を翻し、

実をめがけて、

突進

パクッ

美味しかった!!


一連の写真ですので同じ鳥です。
逆光でしたので後で逆光状態を消す補正を施しました。
でも空の色は合わせないとダメですね(^-^;

ところで今回の探鳥会の主催者はプロのバードウォッチャーの方です。
会費は事故があった時の為の保険料だけです。
なんか申し訳ないような・・・。
色々と役に立つお話を伺いました。

たとえば、とても難しい野鳥の種の同定について。
つまり何という鳥なのか、どうやって見定めるのかです。

上の鳥はコサメビタキです。
でも私みたいな素人が見るとエゾビタキかなと思ってしまいます。

ちなみにコサメビタキ、サメビタキ、エゾビタキの3種はとてもよく似ていて、いずれも春に日本に渡ってきて日本で繁殖し、秋に東南アジアに帰る夏鳥です。

上の鳥を、なぜ私がエゾビタキかなと思ったかというと、全体に色が濃く、胸の縦じま模様が太かったからです。

でもプロの見方は違います。
ポイントは、今の季節、この鳥が今年生まれの若鳥である可能性が高いこと。
すると胸の縞模様のような成鳥を見る見方では個体差が大きすぎて判断材料にはならないみたいです。
では個体差が関係ない部分はどこかというと、くちばしの角度なんだそうです。
先生は私のカメラのファインダーで再生して、コサメビタキと同定しました。

以下もコサメビタキですが別の個体です。成鳥みたいですね。


どうやら秋の渡りの季節の独特な見方があるようです。

キビタキです。

とても美しいですが、先生によれば、今、綺麗なキビタキが見られるのは、キビタキの成鳥は換羽してから渡るからだそうです。
キビタキの若鳥は、今頃はすでに日本にいないことが多いそうです。
どうりで以前、季節的にずいぶん遅くにキビタキを見たことがあり、不思議に思った訳が分かりました。

逆にオオルリは成鳥が先に渡ってしまうそうで、この日もオオルリはたくさん出ましたが、美しい青が特徴の雄は見ませんでした。
なるほどと思いました。

ただ、私が野鳥を見ていて何の鳥か見定めることにエネルギーを使うと、とてもストレスを感じます。
もちろん、プロの方の場合は名前が正確に分からないといけないでしょうが。
でも趣味のバードウォッチャーの場合、まずは鳥の姿や声を心置きなく楽しむことが先だと思います。
その上で、どうしても気になるなら、取り敢えず写真を撮れるなら撮って、後で野鳥図鑑なり、詳しい人に確認すれば良いと思います。
人に聞く場合、確かに場所と季節は重要です。

実は私も、人からボケボケの写真を見せられて「みどりさん、この鳥は何?」と聞かれることがあるのですが、なぜか撮った場所や季節を聞いてもはっきり答えてくれないことが多いのです。
あれはなぜなのか、不思議です。
写真がボケボケでなくても、野鳥の種の同定には場所と季節は重要で、どうしても名前を知りたい場合は、聞く相手に場所と季節だけははっきり伝えなくてはいけません。識別が難しい鳥の場合、そうしないと絞り込めないのです。

私の場合はカメラの腕をもっと上げることですね、はいっ、分かってます。



台風一過、橙落果

2017年10月25日 | 庭の植物
阪神間の我が家も、今回の台風では風にあおられました。
被害らしい被害はなかったものの、橙の実がずいぶん落ちました。


毎年、たくさん生り過ぎて、家の前に置いて、道行く人に持って行って貰っていたのですが、今年は少なそう。

落ちた橙は葉が付いていないので、お正月のお飾りには利用できないのです。
捨てるしかありません。

でも実を採る苦労も少なくて済み、年末助かります。



行ってきました、おひとり様ツアー。

2017年10月22日 | 旅行
10月上旬2泊3日で信州に行ってきました。
テレビでCMもやっている、ある旅行社が主催するおひとり様ツアーの一つです。

目的は作家のC・W・ニコルが蘇らせた黒姫山の麓にある「アファンの森」を見ることでした。
「アファンの森」の詳しいことはホームページに書いてあります。⇒ここ

「アファンの森」は森の生態系を守るために一般公開されていません。
私は「アファンの森」の会員なので指定された日に申し込んで行くことはできます。
でも、関西から一人で信州の「アファンの森」まで行くのは簡単ではありません。
前後2泊は必要だけど、わざわざ行って帰るだけではつまらないし。

そんな時、「アファンの森」を一番の目的にした女性限定のおひとり様ツアーを見つけました。
そのツアーでは「アファンの森」だけでなく、私が信州で今まで行ったことがない場所にも行くことになっていて、ちょっと高いけど行ってみることにしました。
もちろん、おひとり様ツアーというのにも、ちょっと興味がありました。
というわけで今回はそのご報告です。

実は今回のツアーで一番驚いたことは、高齢者が元気ということでした。
参加者20名の内、87歳が2名、83歳が1名いらっしゃいました。
おひとり様ツアーだから、もちろん一人で参加です。
添乗員は1名でしたから、当然のことながら自分のことは全部自分でやらなくてはなりません。
その内一人の方とちょっとお話したら、旅行に行くことは子供達には話していないと言ってました。
話せば確実に反対されるでしょうね。

正直、自分が87歳になった時、あのようなツアーに参加できる自信はありません。
テレビで今の若い人はもっと長生きするなんて言ってましたが、私はそれには疑問です。
今80代の人は、成長期に添加物満載の食物を食べていませんし、若い頃に過激なダイエットもしてませんから。

ツアー自体は、おひとり様ツアーで、一人参加しいうこともあり、結果、色んな方と和やかにお話することができました。
長野までは列車で、名古屋まで新幹線、そこからは在来線に乗り替えです。
席はもちろん指定で、お隣になる人は同じツアーの人でしたがその度に違い、異なる人とお話することができました。
話は弾む時もあり、弾まないで形式的な時もあり、互いに察しあって、そこそこのところで距離を取って終わらせます。

『一体何を話すの?』と思われそうですが、おひとり様ツアーは今までにも経験があるのかとか、それはどんな旅だったのかとか、お勧めはどことか、様々な旅の情報です。
間違っても相手の家族のこととかは聞きません。
嫁がどうの、孫がこうのという話もNG。
おかげでおひとり様ツアーについて詳しくなりました。

長野に着いてからはバスに乗り換えました。
バスでは地元のバスガイドも付き、一人2席で、荷物が置けて楽でした。

最初に行ったのは野尻湖です。
遊覧船に乗り、湖の中の弁天島に寄り、パワースポットである宇賀神社にお参り。
その後、宿である湖畔のホテルに行きました。

ホテルはそこそこ名の通った建築家が設計していました。
お部屋は一人一室で、野尻湖に面し、おしゃれなメゾネットタイプ。
って、メゾネットタイプってどんなん?

それが曲者でした。
要するに内階段がある部屋という意味なのですが・・・。
自室に入ってみると、直ぐに階段。

どこまで続くの・・・。

やっと着いたー!!

お部屋自体は綺麗でしたよ。

私は軽くて丈夫な生地の、大きめバッグを持ってきたから良かったけれど、コロコロタイプの重いスーツケースを持ってきた人は、それを持って螺旋階段を上り下りしなくてはならないから大変だったみたい。

添乗員によると、さすがに80代の高齢女性達は、フラットタイプのお部屋だったらしい。
ただメゾネットといっても、トイレバスがベッドのある部屋と同じ階で、まだ助かりました。
ホテルは湖畔の急な斜面に建てられているため、玄関やフロントが3階で、客室が1階になり、さらに居室は階段を下りて行くみたいなことになっているらしい。

も一つ言わせてもらえばこのホテル、旅に出たら必ず入りたい大浴場がありませんでした。
ホテルの立地上、スペースが取れなかったのか、あくまでおしゃれな洋風ホテルにしたかったのか・・・。

夕食はフレンチのコースでした。
が、そこでも一波乱。
最初に出てきたのがインスタ映えするバーニャカウダ(なのか単なる野菜のステックなのか)。

メニューをみても、この料理については触れていません。

給仕される時「植木鉢風の食器の中の豆は、土に見立てているため食べないでください」と言われました。

その日はバスに乗った段階で、ディナーのメインディシュは肉か魚かどちらを選ぶか聞かれていて、私を含めほとんどの人は肉にしていました。
ところがその肉が「まるでベーコンの厚切り」(翌日ツアー客の一人がそう言っていた)みたいで皆さんシーン。
さすがにその場で文句を言う人はいませんでしたが、誰もが『失敗した、魚にするんだった』という表情。
でも人参のスープは美味しかったです。

デザートをそこそこ美味しくいただき、最後の謎はメニューの「豆だったり葉だったり」でした。
この意味は添乗員を含め21人のツアー参加者の誰にも分かりませんでした。
最初に出てきた豆を土に見立てた野菜だと考えた人もいました。
でもなぜメニューの最初に書かず最後に書かれているのかが分かりません。

結局、添乗員さんがホテルの人に聞いて分かりました。
「コーヒー又は紅茶」という意味だったのです。
「コーヒー又は紅茶」を「豆だったり葉だったり」と書くセンスは私には分かりません。

ちなみに帰ってから調べたところ、最初に出された前菜風の料理は、地元の野菜を使った「信越ファーマーズ」という名称のものだったみたいで、メニューの印刷ミスで抜けていたようです。

なんとも不可解な思いをするのも旅の醍醐味かもしれません。

翌日は午前は小布施で自由散策。北斎が晩年何度も訪れた土地です。
北斎館という北斎に関する美術館もあります。(下の写真は北斎館のエントランス)

北斎館の目玉の祭屋台の天井画は出張中でみられませんでした。

北斎を小布施に呼んだのは高井鴻山という豪農商だったのですが、彼は志の高い人で、窮民の救済に惜しげもなく財産を使っただけでなく、文化人でもあり、北斎だけでない幅広い人脈の持ち主であったようです。
私は高井鴻山記念館にも入りましたが、若冲や文晁の絵画を見ることができました。

午後からはようやくアファンの森に行きました。
ネイチャーガイドさんが付いて森の中を歩きましたが、その前に「アファンの森」についての説明を建物の中で聞きました。

ネイチャーガイドさんも言ってましたが、時間が短すぎました。
本当はもっとゆっくりじっくり森を楽しみたかったですね。

その日は松本市内のホテルで一泊。
大浴場もあり、料理も普通。
でもやっぱり出ました、バーニャカウダ。

この日はちょうど中秋の名月の頃で、夜、ツアー客から月が見たいという声が上がりました。
それでホテルの前で空を見上げているとフロントのホテルマンが、どうせならライトアップしている松本城まで行けばと言われました。

9人ほどのツアー客と連れだって松本城まで行きました。歩いて7、8分の距離でした。
ワイワイキャーキャー言いながらお城とお月さんを見ましたが、残念ながら曇っていて月がはっきり出ない。
ぼんやりながら月が出ると風が吹いてお濠に映ったお城が乱れます。
結局、月は無しにお城の写真だけ撮りました。

これで月が出ていたら最高なんですが。

翌日は旅行最終日。
午前中、安曇野のちひろ美術館に行きました。
ちひろ美術館には大して期待していなかったのですが、行ってみるとその規模に驚きました。
山々を望む、とても広い公園の中にあったからです。

今回初めて、55歳という若さで亡くなったことなど、いわさきちひろについて色々と知ることができました。

いわさきちひろが有名になったのは、黒柳徹子さんが自らの子供の頃の話を書いたベストセラー本「窓際のトットちゃん」の挿画からだったとか。
美術館の庭園には、黒柳徹子さんが通っていた学校の電車の教室が再現されて置かれていました。


ちひろ美術館見学の後、もう一度松本まで戻りました。
この頃から雨が本格的に降り始めました。

ランチはカジュアルフレンチでした。
「ヒカリヤニシ」というお店でしたが、今回の旅行で一番美味しく感じられました。

見た目も綺麗。花びらもすべて食べられます。

午後から列車の出発時間まで、松本市内を自由散策。
希望する4人で連れだって、私は昨日は外から見ただけの松本城にもう一度行き、天守閣に登りました。
松本城は何度も見ていて、天守閣にも登ったことがある人達や、天守閣に登るのは体力的にきつい人達は松本市内の散策へ。

昼間の雨の松本城。全体に黒っぽくてカラス城と呼ばれているとか。

天守閣に登るのはきつかったです。
雨で自分の傘と靴をビニール袋に入れて、持ったまま急な階段を上らなくてはなりませんでした。
階段の一段一段も高さがあります。

天守閣から撮った、登った証拠の写真。


最初に書いたように今回の旅行で感心したのは80代の女性達でした。
体力的に難しい場所は「私はバスに残っています」と自ら判断して無理をしませんでした。
そういう自制心も重要だと思えました。
それでも、帰り、列車が延着した名古屋での新幹線への乗り換え時、添乗員さんは相当なスピードで歩いたのですがちゃんとついてきていました。
基礎的な体力はあるのです。

帰りの夕食はお弁当は付いていませんでしたので、各自食べ物を買っていましたが、私はご馳走責めの3日間で食傷気味、お焼きを一つ買って食べただけ。
でも87歳の方は1200円の牛丼弁当を買って、牛だけではなく、ぎっちりと詰められていたご飯まで平らげていたと聞きました。
到底真似のできることではありません。


帰宅してから数日して、「アファンの森」財団から会員宛のニュースレターが届きました。
年何回かの会員向けの「アファンの森」見学の記事もありました。
その中に、午前中はガイドの案内で森の説明を受け、午後からは森の中で自由に過ごしていいという日もありました。
周辺の観光は今回で済ませたので、いつか、そんな風に一日森の中で過ごす旅行もしてみたいです。



初めての猫カフェ

2017年10月15日 | 
先日、近くで地域猫活動をされている方達からミーティングに誘われました。

実は、兄がミーちゃんのおやつに、鳥ならいいんだろうと、またも尿石症の猫が食べてはいけない鳥メーンの缶詰やらレトルトやらをネットで注文しました。もちろん、ミーちゃんには食べさせられません。
ボランティアさんの集まりがあるのなら、そこで貰っていただこうと思い持って行ってきました。

場所は猫カフェでした。貸し切りでのミーティングです。
私にとっては初めての猫カフェです。

テーブルはなく、フロアに座って、猫をじゃらしながらです。

メンバー全員猫を飼っているせいか、入るなり猫ちゃん達からクンクンと匂いを嗅ぎまわられました。
猫ちゃん達、8匹くらいいたかな。みんな成猫にはならない若い子ばかり。

ミーティングと言っても猫ちゃん達と遊ぶのに忙しかったりして・・・。



日頃、ミーちゃんというヨタヨタのオッサン猫とばかり付き合っているものだから、元気に駆けずり回る若い猫達は新鮮で可愛い!!
その日のメンバーは6人だったのですが、一様に「うちの子達よりも可愛い」と。
若さの魅力というのは猫にも確実にあるらしい。


私は地域猫活動といっても、ほとんど何もしていないので、皆さんの話を黙って聞くだけ。
話の内容は、市の担当者があまりに簡単に生活保護を認めすぎるというような生活保護に関する話題がなぜか多かったです

後で別の場所でお茶したとき聞いた理由は次のようなことでした。

たぶん日本ではどこでも似たような状態でしょうが、今地域猫活動で一番の問題は多頭飼い崩壊だそうです。
誰かが避妊・去勢手術もせず猫を自宅で飼い始めると、その猫が子供を産んで、あっと言う間に何十匹にもなってしまいます。
餌だけ与えて、ほとんど何の管理もせずマンションの一室のような場所で何十匹もの猫を飼っていて、猫にとっても環境は劣悪。病気や障害を持った猫も多いのだそうです。

飼い主がが亡くなったり、施設に入居したりして、そういう状態が発覚すると、後始末をするのは行政ではなく地域猫のボランティアなのだそうです。
ボランティアはいつも、これ以上は無理というほどの保護猫を抱えていますし、といって放置すれば捕獲され、殺処分になります。捕獲されなければ、その猫達は野良猫として周辺に散らばります。

だから地域猫活動をしている人達にとって、一番頭が痛い問題は多頭飼い崩壊なわけです。

で、それと生活保護とどんな関係があるのかというと、多頭飼い崩壊を起こすのは市内で見る限り、ほぼ100%、生活保護受給者なんだそうです。

私が知る限り、多頭飼い崩壊はたまにテレビで報道されますが、生活保護との関係は報道されません。それでなくても生活保護受給者は非難されているからでしょうか。それとも他市では多頭飼い崩壊と生活保護は無関係なのでしょうか。

生活保護受給者だから猫を飼うなとは言えません。
でも仮に世話をしていても、ある程度高齢で、生活保護を受けていて、子猫を何匹も生ませるような飼い方をするのはNGですね。

たとえば、63歳で生活保護を受給していない私でさへも、子猫は飼えません。
今、猫は長命だと20歳くらいまで生きます。
私が83歳のその時まで、その猫を責任を持って飼えるかというと、私自身が死んでいるかもしれないし、どうなっているか分からないからです。
多頭飼い崩壊を起こす飼い主は、そういうことを全く考えない人達のようです。

ボランティアの人達は、市内には、まだ気づかれていない多頭飼いがあるに違いないと言っていました。
ですから、多頭飼い崩壊が起こる前に、何とか気が付いて介入できないか考えているみたいです。

とまあ、色んな人達とお話すると、色々と知ることがありますね。

以下、ボランティアの一人から拡散してほしいと頼まれた保護猫情報があります。阪神間在住で子猫を飼いたいと思われている方は検討してください。


♡   ♡   ♡   ♡   ♡   ♡   ♡   ♡   ♡   ♡   ♡   ♡      

みどりさま
お忙しいところすみません。
里親さん募集のお願いです。
拡散 くちこみよろしくお願いいたしますm(__)m

ジモティー掲載中です。
兵庫 芦屋 YUKI ①~⑤
(日付は9月30日になっています)
ジモティーのアドレスは文の最後です。

市の教育関係の方からのご依頼です。子猫5匹(生後2ヶ月半~3ヶ月)保護したのですが自宅で飼えなく、里親さんを捜してくださいとお願いされました。

念のためと血液検査しました。
白血病➖でしたがFIP(猫エイズ)は➕でした。

動物病院で、FIP(猫エイズ)検査は生後6か月以上の猫さんにしないと正確な結果はでないと言われました。

ここ15年、80匹以上の猫さんのお世話をしてきました。中にはエイズの猫さんもいましたが、これがエイズの発症という症状にであったことがありません..….…
人は もちろん 犬さんにも感染いたしません。
エイズというだけで飼って貰える率が少なくなります。みんなふわふわでかわいい子猫さんです。
とっても お忙しい中 また長々すみません‼
どうぞ拡散 口コミよろしくお願いいたしますm(__)m


ジモティ 兵庫 芦屋 
YUKI で ①~⑤ で登録しました。
 




帰宅して

2017年10月09日 | 日記
信州に旅行に行っていて、帰ってきたらミーちゃんの目の色が変わっていました。


犬猫用角膜修復剤と抗生物質が効いたみたい。
おかげでハンサム猫になりました。

帰宅した翌日、梅田の阪急百貨店へ、友人と約束していた「白洲正子ときもの展」を見に行きました。

写真のチケットの下の敷物は私が織機で織ったもの。
機織は「昔の暮らし体験」の研修の一環です。
(ボランティア仲間と「織機、家にも一台欲しいね」などと言い合うのですが、織機を買ったら自分の寝る場所がなくなる・・・。)

友人とは11時半に待ち合わせして、会うなり「1時半までしか時間がない」と言われました。
一人暮らしのお母さんがデイサービスから帰ってくるので出迎えなくてはならないとのこと。

友人は毎日片道1時間ほどかけて、お母さんの家に通って面倒を見ています。
でもデイサービスの見送りや出迎えを家族がしなくてはならないなんて『?』です。
私の母もデイには行っていましたが、そんなこと言われたこともなかったですから。
当然、家族の立ち合いなしでデイに行ってました。

もし見送りと出迎えに家族が立ち会わねばならないのなら、一人暮らしの高齢者や、家族が働いている高齢者はデイは利用できません。
でも実際にはそういう高齢者もデイを利用しています。
ちょっと話をしましたが要領をえません。友人にとっては当然のことのようでした。

とにかく2時間しか時間がないので、大急ぎでランチして見に行きました。
「白洲正子ときもの展」着物を着て行った人は無料で、私も着物を着て行くつもりだったのですが、あいにくその日は雨。洋服で出かけました。


白洲正子にとっては着物はあくまで日常のもので、着やすいことが第一のようでした。
時代からいっても、日常着だったのでしょうね。
帯も名古屋帯や袋帯ではなく細帯(半幅帯)を推奨しています。
但し、当然ながら趣味は良い。

今のように、着物が礼装もしくは高級なおしゃれ着になってしまった時代とは感覚が違います。
着物を着ていた来場者も結構いましたが、見るからに高そうな着物ばかり。
実は私、白洲正子の趣旨に合わせて、普段着物が欲しくて誂えた木綿のを着て行くつもりだったのです。
結局、着なかったけど。

着物だけではなく、今は趣味的なことは何もかも高級志向になっています。
本当に問われているのは美意識のようです。
アクセサリーもありましたが、説明の白洲正子の文を読むと、自分は宝石も好きだが手が出ない。だからガラス玉で遊んでいる、みたいなことが書かれていました。

白洲正子は能の世界でも知られた人でした。
彼女は華族の出でしたが、能もまた普通のお稽古事という意識だったようです。
それは私も若い頃に謡曲を習ったことがあり、何となく分かります。

私が習いに行った謡曲の教室でも、来ている人は大家の奥様ではなく、どちらかというと庶民階級のおばちゃん的な人達だったからです。
去年、通っていたシニア大学の歴史の講座でも、大阪辺りでは、裕福な家でなくても謡曲を習っていた人達は江戸時代からたくさんいたということで、決して一部の人達のものではなかったのです。
(また謡曲の先生も言っていましたが、そういう庶民的な人達の方が格段に上手いのです。)

私が行っていた謡曲の教室では、1年に1回、こじんまりとした発表会がありましたが、先生は「衣装の発表会ではない、謡の発表会だ」と言って、他所の教室ではありがちだった着物の競い合い(?)みたいなことは許しませんでした。
だから白洲正子の感覚は分かるのです。

とは言え、展示されていた着物や帯は、作られた当時はどうだか知りませんが、今、手に入れようと思えば、とても手の出る代物ではないと思いました。

今の時代には今の時代の、お金では買えない美意識の発揮の仕方があるのだと思います。
白洲正子から学ぶものとは、何に対してもぶれない、そういう精神の在りかたみたいです。