緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

しらさぎ茶会に行きました

2024年07月23日 | 茶道
先日、お茶の先生に言われて大阪の坐摩神社で開かれたしらさぎ茶会に行ってきました。
同じ社中の仲間5人連れでした。(先生はご一緒ではありません。)

坐摩神社、いかすりじんじゃと読みます。
先輩がわざとかどうかイカスミ神社と言ってツッコミ入れられてました。

お茶会ですが暑いので5人とも着物ではなく洋服でした。
ほとんどアッパッパみたいな涼しげな服で行きましたが暑かった。
先生からは白い靴下だけは忘れないようにと言われてました。

関西のおばちゃんが5人も寄るとベチャベチャしゃべって騒がしいことこの上ない。
坐摩神社、大阪のビジネス街の中にあり、私達は地下鉄に乗り、本町で降りました。
地下鉄で席を譲ってくれた外国人の子供の親御さんに、どこから来たのか下手な英語で話しかけたり(香港からでした)、これぞ大阪のおばちゃんという賑やかな一行になってました。

そういえば私も去年の夏、一人でJRに乗っていて、目の前にいた外国人の子供に塩レモンキャンディーをあげたことがありました。
だれかれ構わずキャンディーをあげるという、典型的な関西のおばちゃんの行動を無意識にとっていたのですね。💦
関西のおばちゃんて、フレンドリーなんです。


この日は坐摩神社の夏祭り、しらさぎ茶会は祭りのイベントの一つみたい。
陶器市も立っていました。
坐摩神社の中に火防陶器神社の社もあるのです。

写真の背後に境内の中の陶器市も見えます。
私、20代の頃、大阪の神社の陶器市に行った記憶がおぼろにあるのですが坐摩神社だったかどうか覚えてません。
もっと沢山の出店があったように思いますが、調べてみると坐摩神社の陶器市も昔は沢山の店が出て賑やかだったそうです。

しらさぎ茶会は神社の中の建物で行われてました。
寄付きと呼ばれる控えの間で、自分達の順番を待ちます。
寄付きの床の間の掛け軸とお花が見事でした。

掛け軸は滝の絵、吊り下げられた花入れにはテッセンが活けられていました。

受付のそばの床の間は白鷺の掛け軸でした。

足の指が黄色いのでコサギかなと思います。

40分ほど待って茶室に入りました。
出てきたお菓子。


ちなみにこのお茶会は写真撮影が許されていました。
通常はNGです。

お茶は薄茶を二服いただきました。
一服目は馬盥茶碗に並々と・・・
お茶碗は一人一人異なるものでしたが、私、馬盥茶碗でいただいたのは初めてでした。
汗をかいていたので沢山いただけたのはありがたかったです。
お味も良かった。

二服目は小ぶりの茶碗で出てきました。
少し苦みのあるお茶でした。
小さな茶碗だったのでお茶を点てにくかったのかなと思いました。
最初にお茶を沢山出し、次は少なく出すというのも暑い日の心遣いだったと思います。
お茶をいただいた後はお道具など拝見させていただき、退出しました。

終わってから境内の陶器市を覗いてみましたが、とにかく暑い。
暑い日は無理にでも外出するのもありかなと思った一日でした。


茶かぶきで気晴らし

2024年04月21日 | 茶道
左目の緑内障の手術、結局右目の眼圧がその日の朝に低ければ、予定通り22日に決行することになりました。
ですから、当日までどうなるか分かりません。

つらつら考えるに、2週間も経ってから手術した目の眼圧が爆上がりした原因は、素人考えですが、やはり私の血小板減少症が原因のような気がします。
普通ならば、その種のリバウンドは1週間から10日くらいした時点なんだそうですが、やはり血小板減少症で血液の凝固に時間がかかり、2週間も経ってからになったとしたら納得できます。
血小板減少症の血小板というのは、血液を固める作用のあるものだからです。

てなことを考えていても鬱々するだけなのですが、楽しいこともありました。
茶道の先生宅の教室で、茶かぶきというのを初めてやりました。

“茶かぶき”というのは、千家の茶道で行われる特別な稽古法“七事式”の中の一つです。
“七事式”というくらいで、7つの稽古法があるのですが、一応どれも禅の教えの裏打ちがあるらしいのですが良く分かりません。
先生も理屈や知識については教えません。(それ教えていたら実際にやる時間がなくなる)

茶かぶきの場合、室町時代くらいに流行っていた闘茶の流れを汲むものだそうです。
闘茶も茶かぶきも、要するにお茶を飲んで、茶の銘柄を当てるゲームです。
私は茶道を初めてもう5,6年になりますが、今頃になって、初めてやることになったのはコロナのせいです。
濃茶の場合、1椀を数人で回し飲みしますので、コロナ下では茶かぶきはできなかったのです。

全部で5服いただき、その内3種を当てるのですが、私は1種しか当てられませんでした。
6人でいただいたのですが、結局、3種とも当てられた人はおらず、1種当てた人が私を含め4人で、2人は全部外しました。
かなり盛り上がりました。

先生曰く、今は公民館の教室にだけ顔を出す知的で落ち着いた雰囲気のSさんは、昔、茶かぶきをやって当てられず、「もう1回やらせてください」と何度も言ったとのこと。
よほど悔しかったのでしょうか。
あのSさんがと、ちょっと意外でした。
先生もよほど印象に残った様子。

正直、私は茶かぶきであまり闘争心はわかず、ただひたすら楽しみました。
千家3代目千宗旦は闘茶を禁止したということですから、必死になる人は今も昔もいるのだと思います。

コロナも明け、もうすっかり元に戻りましたので、茶かぶきだけでなく、また茶事などやってほしいなと思っています。



野点籠、いただきました。

2024年02月12日 | 茶道
公民館の茶道教室の先輩から野点籠をいただきました。

去年の秋、公民館でのお茶会で写真を撮ってあげたところ、その写真を気に入られて、顔の部分を切り取って証明書か何かに使う大きさにプリントできないかと言われていました。
うまくいくかどうか分からなかったのですが、トリミングし、何とか大きさを調整してお渡ししたところ、お礼に野点籠をいただいたのです。
先輩も先生からいただいた物だそうで、使ったことがないからと言われました。

野点籠というのは携帯用の抹茶を点てるセットみたいなものです。
こんな籠でした。

右の籠の中にお茶碗と棗が入っています。
左の筒の中に茶筅と茶杓が入っています。

出先で用いるものですから、邪魔にならないように、どれもとても小さいのです。
ちなみにお茶碗です。

右が家にあった普通の大きさのお茶碗。
左が野点籠の中にあったお茶碗です。

棗と茶杓と茶筅、どれも小っちゃい。

茶杓は茶筅の持ち手部分の中に仕舞えるよう折りたたむことができます。

外箱


実際に使うとどんな感じか、一度お茶を点ててみました。
結果、うまく点てられて美味しくいただくことはできました。
ただ、茶杓は使う時に折れてしまうので、折り畳み式ではなく最初から短い方が使い勝手は良さそうです。

野点籠はアウトドアでお茶を点てる時に使うとされていますが、むしろ旅行に持って行って旅先でお茶を点てる時に使えそうです。
旅館やホテルだと熱いお湯も用意できますし。
籠自体も小さいので、そんなに邪魔にはならないと思います。

旅先でお茶を点てていただくなんて、ちょっと風流です。
でも自分で使うかどうかは分かりません。



     
          



我が家の庭の梅が満開です。






根本で咲いてるスミレです。



茶室での事故

2024年02月04日 | 茶道
茶道のお稽古で事故など起こるのかと思われそうですが、起こる時は起こります。

元々ちょっと怖いなと思っていたのは、お点前をされていた生徒さんが立ち上がる時、足がこわばって動かなくなることがあること。
皆さん、年齢が年齢で正座で痺れることはあまりないのですが、足腰が弱っている人が多く、スッとは立ち上がれないんです。

変に動こうとするとひっくり返りそうになります。
で、そばにはシュンシュンと音立てて沸いている茶釜があるんです。
もし、つんのめって茶釜の上に倒れたりしたら・・・。
茶釜の下には、もちろん火を熾した炭が並べられているわけですから。
日頃、それは想像して怖いと思ってました。



先日のお稽古ではついに事故に立ち会ってしまいました。
私が想像していたような事故ではないです。
事故が起きたのもお稽古中ではありませんでした。
茶室でのお稽古の、午前の部と午後の部のちょうど生徒さんの入れ替えの時、それは起こりました。

そういう時ですから、茶釜に湯を足したり、炭を整えたりするのに一時的に茶釜を動かした時のことです。
たまたま私は離れた場所から見ていたのですが、熱湯の入った茶釜を移動させようとしたのか、着物を着た一人の生徒さんが環を使って茶釜を持ち上げました。

それが体全体がユラ~とするような持ち上げ方で、見ていて一瞬、私が後輩だったし齢も下だったので『私が動かすべきだったかも・・』と思ったのです。
でも、もう持ち上げてしまっていたからどうしようもない。
次の瞬間、彼女は前に倒れて茶釜ごと大量の熱湯を畳の上にぶちまけてしまったのでした。

後は何が何だかの大騒ぎ。
皆で雑巾やらタオルやら用いて熱湯をふき取り、倒れた生徒さんは手と顔に熱湯がかかったらしくて水道水で冷やしたり。
着物を着ていたので着物にも湯がかかったのですが、そのせいで直接足にかかることは免れたようでした。
それでも足袋が濡れてはき替えてました。

幸運だったのは熱湯が飛び出した先に誰もいなかったこと。
ようやく畳の上の湯を拭き上げて、きれいに逆さになったままの茶釜を先生が元に戻そうと拾い上げた時。
なんと畳で口が塞がれた状態で茶釜の中にはまだ熱湯が残っていたのです。
それを持ち上げたものだから、その湯が先生の方にドバッーっと。
誰もお湯が茶釜に残っていたなんて、考えてもみなかった。

もう一度大騒ぎです。
幸いにも2月の寒い日でしたので、先生は厚着で火傷するほどでもなかった様子でした。
お湯を拭きとって、やっと午後の部のお稽古開始。

お点前のお稽古は順番に行うのですが、最初にやるのは茶釜を落とした生徒さんでした。
でも、動揺しててお点前どころではない。
先生は気を遣って2番目にやるように言いました。
でも彼女は順番がくると「心臓がドキドキしてるので帰らせてもらいます」と言いました。

その気持ちは私でも分かります。
私だったら、しばらく横になりたいくらいのものだったと思います。
ところが先生は「お稽古していき。気分が変わるから」と。

それでお稽古してました。
終わってから先生は「どうや、落ち着いたやろ。ドキドキしたまま帰ったら、ずっとドキドキしたままや。お稽古はした方がいい」

した方が良いのか悪いのか、私には分かりません。
誰だったか、茶道やお点前を禅にたとえた人がいました。
お点前する時、人は息を整え、お茶を点てることに集中し、その結果、無心になるということでしょうか。
私は禅について何も知らないので間違いかもしれません。

先生は茶釜を落とした人をまったく責めず、色々と冗談も交えて励ましていました。
私は着物を着た人に茶釜を持たせたらいけないとか、体調の悪いときは絶対に無理をしてはいけないし、させないとか、心の中で反省しきりでした。
倒れて落としたのは、この日の茶釜は一番寒い時に使う大きくて重いものだったということもあったのでした。

帰ってから、グループラインで茶釜を落とした人から謝罪がありました。
先生はその生徒さんが落ち込まないようにラインでも冗談を交えて励ましてました。
ああいうことがあれば、私でも気を取り直すのは難しいかもしれません。

火傷は痛みもなく、大したことはなかったようです。
誰も大きな怪我がなかったことは幸運でした。
事故はどんな場所でも場面でも起こるものと心得なければならないようです。


おもてなし 天国と地獄

2023年12月15日 | 茶道
茶道のお稽古、コロナもほぼ収まって、色んな事が4年ぶりに元に戻りつつあります。
それで私もお茶関係で結構忙しいです。

近所の神社の祭礼のお献茶も4年ぶりに再開。
副席のお茶席のお手伝いにも行きました。
実は私、5年前に客としてそこでお茶をいただいています。
以下はその時の記録です。

献茶式のことなど - 緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

旅行前のことですが、11月から習い始めることになった公民館の茶道教室の方からお誘いを受けて、近所の神社の秋季大祭の献茶式に行ってきました。10月上旬のことです。公民...

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今年はお茶席のお手伝いをする側として行きました。
事前に茶道仲間から「みどりさん、参加したことあった?」と聞かれ、「5年前にお客として行きました」と言うと「おもてなしされる側は天国だけど、おもてなしする側は地獄よ」と言われました。
『怖っ!!』て感じ。

でも、実際にはコロナの4年の間に色々と変化がありました。
以前は同じ副席としてお煎茶席もあったのですが、そのグループの人達が高齢化等の理由でいなくなりました。
結果、以前と比べて準備のための水屋等場所的に余裕をもって使えるようになったらしいです。

お茶席を4年ぶりで設けることになった連絡も積極的にはしなかったみたいです。
先生曰く、「今回は文春もCIAも来ないから緊張しなくていいよ」。
以前は、不首尾があれば後で何を言われるか分からない人達が来ていたのかしら。

それでも準備の日を含め二日間、忙しく立ち回りました。
私はちょうどコロナが治ってすぐの頃でしたから、地獄というほどではないですが、しんどかったです。
5年前はとても暑かった記憶があるのですが、当日は秋らしく涼しくて、着物を着ている身としては助かりました。

次なるイベントは同じく4年ぶりの公民館祭でのお茶席開催です。
これは公民館で茶道を習っている自分達の主催となります。
こちらも規模を縮小しましたが、やはり準備の日を含め二日間かかりました。
立礼でのお茶席です。

設えはこんな感じです。


神社でのお茶席は裏方で、若い人にお点前をしてもらい、自分でお茶を点てることはなかったのですが、公民館の教室には若い人はおらず、着物の人は1回は必ず亭主役になり、お点前することになりました。

立礼でのお点前のやり方を覚えていない人には、半東という亭主を補佐する役の人が側にいて、ささやき女将となって何をすればよいか言ってくれます。
私は亭主役にも半東役にもなったのですが、半東役になって亭主に的確にやることを言うのは難しかったです。

半東はその場の司会役も担い、初めの挨拶やら、掛け軸の説明やら、進行状態に合わせ機転をきかせて客人にお話します。
私が60代を過ぎて茶道を習い始めたのはボケ防止もあったのですが、茶道はお点前の稽古だけでなく、やることが色々とあると知りました。
確かに、こういうことをやっているとボケないかもしれないです。

自分がおもてなしを受けるお茶会もありました。
流派の大阪支部のお茶会です。
こちらは人数も多く、二日間にわたり行われます。
こうした、いわゆる大寄せのお茶会は、多人数なので人数を区切って順番にお茶をいただきます。
濃茶が物凄く濃かったのが印象的でした。
いつもはお稽古で濃茶でも薄めのものばかりいただいていたのかもしれません。

おもてなしを受ける方は確かに天国で、工夫が凝らされた美味しくて綺麗なお菓子を食べ、上等のお抹茶をいただき、珍しいお道具類をたくさん拝見させていただきました。
裏方がどんなに大変だったか、想像にあまりあります。

今年度のお茶の催しは終わりましたが、来年の公民館での初釜、濃茶の担当となりました。
身内ばかりで気楽と言いたいところですが、正座が出来なくなって教室をやめられた方が初釜だけ来られるとか。
あまりいい加減なこともできないのでお正月にかけて練習するしかありません。
それやこれやでボケる暇はなさそうです。