緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

一年ぶりの背割堤

2017年04月25日 | お出かけ
去年の4月に八幡市の背割堤に行きました。
ちょうど桜の季節でした。→これ
今年も、以前にスタッフだった自然観察会から助っ人要請があり、お手伝いに行ってきました。

今年は日をずらしたこともあり、桜はすっかり散っていました。

自然観察会は桜ではなく野草がメーンなので、人出も少ない今の時期の方が良かったです。

お昼にみんなで食べる野草の天麩羅作りのお手伝いです。
観察会の受講生の皆さんが先生から野草についてのお話を聞いている間に、他の担当のスタッフと一緒にその辺りに生えている野草を摘むのです。

準備OKです。

どんな野草を天麩羅にしたかというと、タンポポの花、タンポポの葉、ヨモギ、カラスノエンドウ、セイヨウカラシナ、ハハコグサ、アザミの花、アカツメグサ。
それと受講生の方が掘りあげてくれたノビルの球根は天麩羅ではなく素揚げにしました。

セイヨウカラシナは、私は菜の花かと思って摘んだのですが、聞けばセイヨウカラシナだったそうです。
菜の花とは少し違うとは思ったのですが、菜の花にも色々と種類があるので、そうかなと思ったのですが。

正確にはセイヨウカラシナは野草とは言えないようです。
元々食用に持ち込まれた外来種が野生化したものです。
菜の花と同様、河川敷によく生えています。

この自然観察会の目的は野草の天麩羅を食べることではなく、講師の先生から野草観察のポイントを学ぶことです。
でも、それだけでは面白くないだろうということで野草を味わってもらっているわけです。

子供達には講師の先生のお話は難しすぎますので、むしろ天麩羅作りに興味津々です。

だから「危ないから離れていてね」と言っても油の鍋をのぞき込もうとしたりします。

食べてみて私が一番美味しいと感じたのはセイヨウカラシナでした。
元々食用に持ち込まれたものですから当然かもしれません。

お弁当は持ってきてもらうのですが、それとは別に天麩羅を用意するのです。
自然観察会の受講生の皆さんは興味津々で色々と召し上がっていました。
決して凄く美味しいものではありませんが野趣があります。

午後の部は去年と同様、堤に沿って歩きながら先生のお話を聞いて植物を観察したりするのですが、私は去年のように先生に同行せず、数名のスタッフと共に荷物番をすることにしました。

桜の木の下で寝ながら、桜の葉越しにコンデジで空をパチリです。


みんなが戻ってきて、観察会は終わりです。

帰り、背割堤に今年から出来たという展望塔にみんなで登りました。
なんでも、桜の季節だけ入館料を徴収するとのことで、この日は無料でした。

展望塔からの風景。

左が木津川で右が宇治川です。

1年ぶりの背割堤での観察会。
1年間、私の身には去年は考えもしなかった色々なことがあって感慨深いものでした。

話を聞くと、観察会はずっと続けてスタッフをしている人。新しく入った若い人。私みたいに止めた人。
変化はそれなりにあるようです。
いつまで続けられるだろうとは誰もが考えているようで、自分や家族の健康が何よりと思えました。

私はこれからも人出不足の時はお手伝いさせてもらうつもりです。



文楽観劇、久しぶりの着物で汗びっしょり

2017年04月19日 | 着物
最近着物を着る機会がありませんでした。
でも先日、友人と文楽を観に行くことになり、久しぶりに着物を着ました。

当初考えていたのは以下のコーディです。

かすかにグリーンがかった薄いブルーの小紋は母が遺した着物です。
よく着ていたせいか肩の辺りが日に焼けて退色しかけています。
早く着潰してしまおうという魂胆でした。

ところが急に気温が上昇し、ドッシリとした柔らかものを着るのはどうかという気候になりました。
で、急きょ予定を変更。Amazonで買った地味だけど軽い真綿紬を着ることにしました。

帯は、着物が地味なので予定通りのモダンな柄のものを締めました。


着付けの最中から汗が出始めたので冷房をガンガン入れて着付けました。
外を歩いている時も暑かったです。
4月だから単(ひとえ)はどうかと思うけれど、気温的にはOKかも。

日本橋にある国立文楽劇場の中で写真を撮ってもらいました。
背後の絵はなかなか迫力のあるもの。
人が多くて写真を撮るのは大変でした。

文楽の演目は「菅原伝授手習鑑」。英太夫改め呂太夫の襲名披露も兼ねています。
文楽は橋下元知事の「面白くない」という批判以来、興味を持って観に来る人が増えました。
意地でも応援してやるぞという人もいます。

家に帰って着物を脱ぐと、下着も襦袢も汗でジットリ。
洗えるものですが翌日の洗濯が大変でした。


淀川と武庫川で鳥見 シマアジ堪能

2017年04月16日 | 野鳥
先日、久しぶりに鳥見に出かけました。
奈良に行った時と同じ鳥見のサークルです。

今回は近場の淀川でした。

北に帰るユリカモメの群です。


中央にいる頭の茶色い子はヒドリガモですが、それ以外はユリカモメです。
この時期、ユリカモメが面白いのは、頭の色が個体によって異なること。

ユリカモメは渡り鳥で、日本では冬鳥です。
冬のユリカモメの頭はみんな白いのですが、夏のユリカモメの頭は黒いのです。
4月も半ばとなると黒い子もいるわけですが、まだ冬と変わらず白い子もいます。



また、その中間も。

これってホルモン分泌の個体差だそうで、要するにおませな子、おくての子の違いらしいです。
鳥にもあるのですね、そういうの。

岸辺ではコチドリが歩いていました。


淀川では他にも色々いましたが、面白かったのは抱卵中のケリです。

このケリは、とんでもない場所に巣を作っていたのでした。(すぐ傍が駐車場!)
「大丈夫かい」とツッコミを入れたくなりました。

基本的に営巣中の野鳥の写真は、親鳥に脅威を与えるので、マナーとして撮ってはいけないのですが、このケリの場合、向こうからは分からないよう超望遠レンズで撮っています。
(そもそも、そこは目立ち過ぎるだろうという場所!)

この日は淀川での鳥見の予定だったのですが、メンバーの一人が武庫川でシマアジが見られると言ったので武庫川に移動することになりました。(結構な距離なのですが・・・。💦)

シマアジというのは高級魚のシマアジのことではなく、鴨の仲間のシマアジです。
シマアジは日本では旅鳥で、移動中の春と秋にのみ見ることができます。
簡単には見られないので足を延ばして武庫川まで行ったのです。

武庫川ではシマアジの美しさを堪能しました。
雄1羽と雌3羽の小さな群でした。


右にいるのが雄、左の2羽は雌です。
午後に左岸から撮ったので逆光になります。

久しぶりにバードウォッチングを堪能した1日でした。


山科疎水と醍醐寺の桜、ついでにバランの花

2017年04月10日 | お出かけ

正直、桜の記事には飽きています。
なのに自分もこの時期定番の桜です。

去年通っていたシニアカレッジの、京都街歩きの会の方が企画してくださった同窓会を兼ねての京都行に参加しました。
お天気はあいにくの小雨が降ったり止んだり状態。
まずは山科から京都六地蔵の一つ山科地蔵にお参りし、その後毘沙門堂へ。 その後、山科疎水を散策しました。

琵琶湖から京都市内へ水を引き込む山科疎水 。疎水べりにはヤマザクラを中心に660本の桜並木が続きます。




観光客もあまりいないお勧めスポットです。

疎水べりをずっと歩いたのですが、途中にあった天智天皇山科陵には寄りませんでした。
寄らなかったのは正解で、その日は帰るまでに2万歩以上歩き、翌日は筋肉痛でした。
寄っていたらどうなっていたか・・・。

地下鉄の御陵(みささぎ)駅から乗車し、醍醐駅で下車。醍醐寺に参ります。

醍醐寺の門。


醍醐寺は関西でも有数のお花見スポット。
かの太閤秀吉が醍醐の花見を開いた歴史もあります。
当然、観光客も多いです。

寺宝も凄いのですが、時期が時期ですので桜を中心に見学しました。

ヒヨドリも桜の花の食べ放題です。


一体何本あるのか、古いのから新しいものまで桜、桜、桜、でした。








でも、やはり花より団子です。
醍醐寺の中のお休み処「雨月茶屋」で昼食。



一枚の写真に収まりませんので2枚で撮影。これにお吸い物がプラスです。
完全な精進料理でした。



翌日は雨も上がって筋肉痛(笑)。

久しぶりに庭のバランの花を見てみたら咲いていました。

桜と違って美しいとは言い難い。
アップにすると更に・・・。

ゼンマイはすくすく育っていました。




淋しい話

2017年04月06日 | 話題
今、私が住んでいる家は築53年です。
両親が建てました。
お隣は、私の両親がこの家を建てる前から隣に家を建てて住んでいました。

私は途中で引っ越したりしましたが、私の両親はここでずっと住み、3年前に亡くなった母はお隣とは50年来のお隣さんでした。
その間、特に仲が良かったわけではありませんが、別にトラブルなどはありませんでした。
母が亡くなってからも、私はお隣とは顔を見れば挨拶し、柿がなれば柿を、橙がなれば橙を持っていった間柄です。

お隣にはお子さんが二人いましたが、ずいぶん前に結婚して出ていきました。
十数年前に奥さんが亡くなり、旦那さんが一人で住んでいました。
ガーデニングが趣味だったようで、庭の手入れをいつもなさっていました。
穏やかな、とても雰囲気の良い人でした。

去年の夏ごろ、そのお隣さんの姿を見かけなくなりました。
その後、子供さん(といっても50代)が何度か家に出入りしているのを見かけ、町会からはお隣には回覧板は回さなくてもよいという連絡がありました。
私は、お隣さんが入院したのか、施設に入られたのか、あるいは子供さんと同居していると思っていました。
それまでお隣さんは元気で、一人暮らしであっても介護サービスを受けている様子もなかったからです。

つい最近、私はお隣さんが去年の夏に亡くなっていたことを知りました。
お隣さんの死を長い間知らなかったことに、なんだかとても淋しい気持ちになりました。

町会報には会員の訃報が掲載されるのですが、遺族の希望だったのかお隣さんの訃報は掲載されていませんでした。
(町会には死亡による退会の連絡はあったようです。)
別の場所に住む遺族からは、50年来のお隣さんだった我が家にはなんのお知らせもなく、無人のままの家があるだけです。
自分の死を伝えないことを、亡くなった方が望んでいたのかどうか、それは分からないことです。

亡くなった母が、ご近所の一人暮らしのお年寄りが、ある日突然いなくなって、生きているのか死んでいるのかさへ分からないことの愚痴をしばしば話していたのを思い出しました。
今50代くらいの子供世代にとっては、隣人を含め親の普段の交友関係などは配慮の埒外で、亡くなっても通知をする必要がない、むしろ面倒だと思われているのかもしれません。

ただ、ずいぶん時が経ってからお隣さんの死を知ることになったお隣の私の立場からすると、ちょっと淋しすぎるのです。
今では、たいていの家が家族葬ですので、何がなんでも葬儀に出席して別れを告げたかったわけでもないのですが、何も知らないまま置いておかれた心の空白感は確かにあるのです。

最近は、自分より少し年配の方の訃報を聞くことがとても多いのです。
たとえ葬儀に出席しなくても、訃報を聞けば、長年の関わりを偲びながら、心の中でお別れすることができるのです。

私自身の親の死の時には、ご近所の方に、取り敢えずは知らせました。
家族葬でしたが、今回亡くなられたお隣さんは葬儀に来てくれました。

今、お隣さんの家の庭には、椿や花桃の花が咲き乱れています。

ご冥福を祈るばかりです。


                                    


我が家の庭の植物です。
毎年、桜が咲くころに咲くシュンラン。

上の写真は近づいて撮っていますが、普通に見ると花は葉に隠れて、しかも下を向いているので、とても地味な花なのです。
こんな感じです。


シャガです。

シャガも群落で咲いてるのを見ると見事ですが、我が家では日本水仙が邪魔して貧弱です。
今回、植えて数年経って花を咲かさなくなった水仙を抜きました。
来年のシャガに期待です。

2年前に水仙の球根セットを買って、最近咲いた水仙。

新しく生まれた園芸種で、花が面白いです。

しめは、庭をのし歩く、少しピンボケのワイルドなミーちゃんです。