緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

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足運び、注意されました。

2022年02月28日 | 茶道
先日、茶道のお稽古で、私のお稽古の番が終わってから、先生に足運びを注意されました。

茶道の場合、あらゆる手順が決まっていて、その通りやるのですが、それが一応正しくても動きの幅が大きすぎたり小さすぎたりすることがあります。
私の場合、体を反転させる時のある一歩の幅が10センチ超大きすぎるということでした。

茶道の先生も心得たもので、最初から細かいことは言いません。
一つ注意しただけでも不機嫌になって辞めてしまう人もいます。
変な癖がつく前に注意したいのはやまやまなのでしょうが、眼につくところすべて注意しても、された方は出来ないし覚えることさえ無理です。
という訳で徐々に徐々に注意されます。

基本、注意されて腹が立つ人は茶道には向きません。
そういう人はあらゆることに向かないかも知れません。
私もよほどうるさく言われない限り『そっかー』と思うだけです。

先生だけでなく、先輩達も注意したくて仕方ないみたいです。
私も後輩に注意したくて仕方ない時はありますが、たいていは黙っています。
先輩の方々は30年40年と茶道をされている大ベテランばかりですので、その人達が黙っていることを私が言うのはダメだろうと思うからです。
こっそりと「こうしたら良いよ」と耳打ちするくらいです。(言っているやないか!!)

先生の注意を受けて、私が足運びをあれこれ試していると、大先輩の一人がつつと近づいて「みどりさんの歩き方・・・」と言って気になる処を教えてくれました。
自分ではまったく気が付かないのですが、歩き方に癖があったようです。
それは足指を床につけず、浮かすように歩くことでした。

なるほど、そんな歩き方をしているから片足立ちのテストをすると、結果が70代だの80代だのと言われるのですね。
片足で立つ時も足指を浮かせていましたから。
こういうことに気が付くので、色々と言われるのは有難いです。

ただ足指を浮かして歩く癖をいまさら直せるかというと難しいです。
私の足は左足は指に繋がる腱が2本ほど切れているし、右足は足首の軸が正しく乗っていないんだそうです。
そういう足だから痛みを避けて足指を浮かしているとも言えるのです。

私の場合、腱はウィークポイントで、若い頃から腕は腱鞘炎だし、両手はCM関節症で菜箸で重い物を摘まむと腱がユルユルなものだから親指の付け根が亜脱臼になります。
骨や筋肉は運動や食事や薬で何とかなりますが、腱だけはどうしようもないです。

とは言いつつも、私はまだましみたいです。
茶道は結構体育会系みたいなところがあり、年寄りにはきつい動作があるんです。
最近はコロナフレイルで特に年配者は足腰が弱っています。
正座がすでに出来なくなっている人が多いですし、お点前が終わって立ち上がることが困難な人もいます。
私は、それは平気ですから。

と言っても、表千家で推奨されている一足立ちは出来ません。
一足立ちとは、正座の状態から膝を起こし、足指を畳につけて、そのまま一気に立ち上がる立ち方です。
一足立ちは足にそれなりの筋力がないと出来ないです。
私は両足を揃えず、4センチほどずらして立ちます。

茶道では流派によって歩き方も大きな違いがあります。
裏千家はきびきびと、表千家は静々と歩きます。

先生によれば、かつてマーチングバンドをやっていた女性がお稽古に来たことがあったそうです。
その女性の歩き方はマーチングバンドのそれだったそうで、一度それは私も見たかったなと思います。



刺身包丁を貰いました。

2022年02月20日 | 日記
通っているシニアの学校の講座もいよいよ終わりですが、前回の大阪の伝統工芸品についての講座の時、堺の刃物についても説明を受けました。
その講座の後、隣に座っていた人が、自分の家には使っていない新品の包丁が何本もあって、みたいな話を始め「みどりさん、刺身包丁1本もらってくれない?」と言われてしまいました。

我が家には刺身包丁はありません。
刺身を柵で買うことも滅多にありません。
ただあれを柵と言えるのかどうか、鰹のたたきの半身分の塊を買うことはよくあります。
切る時、三徳包丁で切るのですが、よく切れなくて、いつも身を潰すように切ってます。
刺身包丁だったらきれいに切れるかしら。

結局、刺身包丁を貰うことになりました。


切れなくなって、研ぐのは結構大変だと思います。
近くの生協で、3か月に一度くらい、堺の包丁屋さんが来て、包丁研ぎの店が開かれます。
自分で研げたらいいのですが・・・。

講座では砥石の説明も受けました。
もう天然の砥石は採られていないという話でした。
人工砥石でいいので、研ぎ方を習いたいです。

講師曰く、堺市の堺伝統産業会館で包丁や研ぎ方の説明を聞けるらしいです。
今はコロナで無理でしょうけど。

包丁と一緒にこういう物も貰いました。

チョコレート製のボルトとナット。
これは伝統産業品ではないです。
お土産だそうで、ちゃんと嵌めることができます。




食べちゃいましたが、硬いチョコレートでした。

寒さも続いていますが梅や水仙が咲き始め、季節は春です。






新しい音楽を聞いてみた

2022年02月14日 | 音楽
最近聞いた新しい音楽について思ったことをあれこれ書いてみます。
ちょっと長くなるので音楽に関心ない人はスルーして下さい。

あらかじめ書いておくと、私は音楽に詳しくないです。
特に新しい音楽については無知です。
だから、このエントリーは何も知らない年寄りの感想だと思って読んでください。

どんな音楽を聴いたかというと、私は男子新体操の井原高校の演技が好きでよく見るのですが、使われている曲がいつも美しかったり、風変わりだったりで、要するに良かったのです。
それでどんな曲が使われていたのか、調べて原曲を聴いてみたのでした。

同じことを考えた人も結構いたみたいで、井原高校の演技に使われた原曲を調べて一覧にしたサイトがあったり(ココです)、原曲のサイトでは「演技のYou Tubeから飛んできた」という意味の英語のコメントに幾つもMe tooやsameの返コメが連なったりしてました。
私も日本語で「同じく」と書こうかと思いました(笑)。
ちなみに井原高校の演技を見る人は、今では国内より国外の方が多いみたいです。

結果は、ただただ驚愕。
私、音楽シーンについては、日本のそれも、世界のそれも、とにかく無知という自覚があったのですが、それどころじゃなく、音楽は進化していたみたいなのです。

まず原曲がどこから取られたかというと、PCゲームというのが多かったのです。
たとえば「NieR」、ニーアって読みます。
2011年、2015年、2016年の演技に使われてます。
断わっておくと、私はゲームをほとんどやったことないです。(-_-;)

ニーアの中の楽曲で使われていたのは「イニシエノウタ 運命」と「エミール」と「魔王」です。
ニーアのサントラはゲーム本体より売れたという噂があるそうですが確かに名曲ぞろい。
シリーズ化しているニーアの最初のバージョンが売り出されたのは2010年ですが、2011年の演技で既に使用されていますので、曲の良さに素早く反応したのでしょうね。

ニーアの「イニシエノウタ 運命」は東京オリンピックの開会式の入場行進の中でも使用されていて、ファンの間では評判になったみたいです。
でも私、オリンピックにほとんど興味なかったから入場行進も見てませんでした。(-_-;)

それでも入場行進では、世界に誇る(笑)日本のゲーム音楽が使われたのは知ってました。
ニーアはその中でもちょっと異質だったらしいです。
そもそもニーアは、あまたあるPCゲームの中でもちょっとマニアックらしいのです。

というわけで音楽紹介。⇒ココです。

オリンピックの入場行進曲の中でボーカルが入っているのは「イニシエノウタ 運命」だけだそうです。
でも、このボーカルの言葉、どこの国の言葉でもないんです。

ニーアの楽曲で歌われる言葉は作詞家によって作られた言葉で、意味のないカオス言語なんだそうです。
そう、私が驚いたのは発想さえしないそういう試み。

作曲したのは岡部啓一氏で、主にゲーム音楽やアニメの作曲をされる方のようです。
作詞したのはイギリス出身で日英ハーフのエミ・エヴァンス氏。
彼女が歌も歌っています。

作詞方法などここでは詳しくは紹介しませんが、詩はドイツ語、ハンガリー語、ウェールズ語、日本語、フランス語、ラテン語、スペイン語、ゲール語、ポルトガル語などがベースになっているそうです。(曲によりベースの言語を変えているみたいです。)
本当は希少民族の失われた言語も投入するつもりだったそうですが調査に膨大な時間がかかるのでできなかったそうです。

なんでそんなややこしい事をするのかと思うのですが、理由はあって、ゲームを作ったヨコオタロウ氏によれば、ゲームプレイヤーがゲームに集中できるように意味のない歌詞を求めたらしいのです。

これはよく分かります。
確かに意味のある言葉を聞きながら何かに集中するのは難しいです。
結果的にゲームをしないで曲だけ聞いても、その意味を伴わないボーカルから聞く人の想像力が刺激され、感情が揺さぶられる歌になっています。

もっとも男子新体操の演技では、2013年くらいまでは演技で使う楽曲でボーカルがあるのは禁止されていたようです。
フィギュアスケートもそうだったみたいだから、よく分かりませんが男子新体操もフィギュアスケートに合わせたのかもしれません。
ですから2011年の演技ではニーアでもボーカル抜きで、後年の分はカオス言語によるボーカル有です。

ところが、このカオス言語で驚いてはいけなかったのです。
2012年、2014年、2019年には、やはりゲーム音楽ー正確にいうとゲーム・アニメ・マンガ等で展開するメディアミックス作品ーの「Ar Tonelico」(アルトネリコ)の楽曲が用いられています。
そしてその歌詞が人工言語なのです

ゲームに詳しい人なら「何を今更」なんでしょうね。
「Ar Tonelico」の楽曲で用いられている人工言語の名はヒュムノス語で、創案者は土屋暁という人。
作曲も同じ人です。
ヒュムノス語の詳しいことはココです。この説明も正直よく分からんですが。

ヒュムノス語は主にゲームの中の楽曲の歌詞で使われているみたいです。
もちろん意味はあり、文法なども公開されていて、それを見て翻訳することも可能だそうです。
同じ人工言語といってもエスペラント語ほど完全なものではないそうですが、それでも日常会話はできて、聖書のヒュムノス語訳などもあります。

それにしても、です。
年寄りの私にしてみれば「今、そんなんが流行っているの?」と言いたくなります。
つまり、カオス言語にしろヒュムノス語にしろ、言語おたくのような試みがちょっと不思議なのです。
ヒュムノス語に関心を持つ人は国内外にいて、ゲームはやらないけれど楽曲とヒュムノス語は好きみたいな人もいます。

推測するに、ニーアにしてもアルトネリコにしても、ゲームの場合、製作者は自分の趣味嗜好に合わせて凝りに凝りまくった作品を作ることができるみたいです。
そういうのを人は「おたく」と呼ぶのかもしれませんけど。

音楽に話を戻すと、今の音楽シーンではゲームの楽曲が占める割合が少なからずあるらしいこと。
私は今回、たまたま凄くいい曲を聞いてしまっただけなのかもしれませんが、いわゆるメディアミックスとして、ゲームはやらないけど楽曲は聴く人が一定割合でいるみたいです。
ちなみに東京オリンピックのオーストラリアのアーティスティックスイミングでも、同じアルトネリコの曲が使用されていたみたいです。(これは井原高校の影響とも考えられます)

凄ーく年寄り臭いことを書くと、今の自分は新しい音楽に接する術さえ持たないでいます。
どこにどんな曲があるかも分からないのです。
だから今回、ゲームの楽曲というのはまだ分かるのですが、本当にその楽曲の出自(笑)が分からない曲がいくつかありました。

2018年の演技に用いられた「Caldes」の中の「残響と白き死神」「智慧たる紫の覚醒」も出自が分かりませんでした。
どうやら同人音楽らしいです。
同人というのは、年配の人達がイメージする昔のそれと違ってコミケなんかで売られている同人誌の同人のことです。

私が知っているのはマンガや小説の同人サークルであって、音楽の同人サークルがあるのは初めて知りました。
マンガや小説でも、プロデビューして有名になっても同人としても残り、そこで自分が本当に作りたい作品を作るわけですが、音楽においても同じことが行われているらしいのです。
その種の音楽はAmazonでも売られているのですが、一般の人にはそもそも存在を知ること自体難しいです。

また、そういう音楽活動を支えているのが音楽機材の発達、要するにパソコンで音楽制作ができることです。
自分が楽器演奏できなくても、歌が歌えなくてもいいわけですから。
「それは分かるけど、クォリティは?」と、私などは意地悪く問いたい気がします。
実はそれも、少なくとも私の要求を満たすレベルではです。

初音ミクを始めとしたボカロ(音声ソフト)も、当初の不自然さを克服してしまっていました。
2020年の井原のジュニアの方で使われた「あなたの夜が明けるまで」の「明けない夜のりりィ」シリーズを通しで聞きましたが鳥肌が立つ思いをしました。
私の感想など、今更なんでしょうけど。

作詞作曲は笠村トータ氏。
そこで使われているボカロはIAとFUKASEでした。

IAのイメージ画像です。


考えてみれば、米津玄師も当初はボカロの作曲家として世に出た人でしたね。

というわけでまとめ。
若い才能は心配しなくてもドンドン出てきています。
それを支える技術も日進月歩です。
私のような年配者は古い知識や固定観念を捨てて、ただ良いものを良いと認めるだけです。

終わりに、この中で私の一番のお気に入りは、どれも甲乙つけがたいのですが、ニーアの「魔王」です。

<付記>
私が後で知ったことですが、男子新体操では2012年からボーカルはスキャットであればOKとなったようです。
ボーカルがすべてOKとなったのは2019年からでした。


ワクチン接種予約

2022年02月05日 | 日記
3回目のワクチン、2月11日に予約しました。
蔓延防止措置で、私の生活にも変化がでました。

週一で通っているシニアの学校は午前中の講義のみで、講義が終わればとっとと帰らなくてはなりません。
もちろん以前から、学校もそれなりに気をつけていて、昼休みのランチタイムは窓を開け放つものだから寒くて寒くて、だったのですが、もはや一緒のランチもご法度のようです。

市のボランティアは子供達相手ですのでほぼ中止。
糸紡ぎのやり方、忘れてしまいそう。

大連吟のお稽古は中止の連絡はきてません。
むろん、蔓延防止措置前でも、マスクしながら謡い、空気清浄機をつけて、その上窓を開け放つものだから寒くて寒くて、状態だったのでした。
今度からは、マスクをつけていても謡いやすいように柳葉型のマスクを買おうと思っています。

シニアの学校で皆さんの話を聞くと、もう3回目のワクチンを打ったという人もいました。
一方、自分ちは限界集落にあるから接種券もまだと言う人もいたりして。

副反応についても聞いてみましたが、腕の痛みだけだったそうです。
3回目は量も半分だし、大したことないのかもです。(知らんけど・・・。)

茶道仲間の話では、同じ地域だけにワクチンの接種日はほぼ同じ頃です。
皆さん、70代の高齢者(60代後半の私が若いと言われる)がほとんどなのですが、オミクロン株は大して気にしてないみたいな。
確かに、今更ジタバタしても始まりませんから(笑)。

今回、亡くなっているのは持病のある高齢者みたいですね。
別に持病があるわけではない、どうしてあなたみたいな人がそんなに脅えているのですか、と言いたくなるような人が脅えています。
私としては、多くの人が自粛することによる若い人達の経済的困窮の方がはるかに心配です。
人が動ける鍵となる3回目ワクチン接種は遅々としているし、抗原検査のキットは足りないし「何やっとんじゃ」と言いたいです。


     
          



我が家の猫達ですが、やっと本当の意味で我が家の猫になったみたいです。
今までは、懐いているようでどこかよそよそしいところがあり、気を許したわけじゃないという気配を感じてました。
こうなるまで、5歳の猫を引き取って、2年かかりました。

1月の半ば頃、理由が分からないままハッピーがラッキーを受け入れなくなり、少し近づいてもシャーシャーフーフー。
兄に言わせると、我が家に来る訪問看護師さんにラッキーを抱っこさせてあげたそうで、それ以来らしいです。

看護師さん特有の匂いが原因かも。
でも何日たってもハッピーのシャーシャーは収まらず、おとなしいラッキーも堪忍袋の緒が切れることがあるのか大喧嘩になったりしました。
1週間以上もそんなことが続き、2匹の猫達のストレスもMAX。
2匹を離した方が良いのかしら、おとなしいラッキーを誰かに貰ってもらうかなんて考えていたところ、ハッピーのご機嫌が直りました。



でもラッキーはまだ警戒してハッピーとは距離を置いたまま。
横目でハッピーを伺うラッキー。



ハッピーのご機嫌、もう直った? と、もの問いたげなラッキーです。

でも大丈夫。
ハッピーとラッキー、今ではすっかり元に戻り、仲良しの姉妹猫です。

ハッピーのご機嫌斜め、一体何だったのでしょう。