緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

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介護はチームワーク、介護は生前供養(4)

2016年08月28日 | 思い出
(4)では、実際の介護サービスについて書きます。

母の入院中から担当になったケアマネージャーのNさんは精力的に動いてくれました。

自宅で介護する以上、入院中に家のバリアフリーを済ませておかなければならなかったし、レンタルの介護用ベッドを置く為に部屋の模様替えも手早くやってしまいました。

その他、介護用品の選定購入と、ほぼケアマネさんの指示で行いました。

実際に行う介護サービスの説明は、ヘルパーさんも来られて受けました。

我が家の場合、家族がいるので、朝と夕の食事は家族が作って食べさせてくださいということでした。
関係がないので質問はしませんでしたが、一人暮らしの高齢者の場合は、介護度が同じであっても当然違うのでしょうか。

強調されたのは、ヘルパーさんが行う介護サービスは、我が家の場合なら母に関することだけということでした。
つまり、それ以外の家事は一切しないということです。

で、私がおそるおそる質問。
「うちのスズちゃんにも昼ごはんをやってほしいのですけど・・・」

スズちゃんは我が家の猫です。お昼にも餌をやっていたのです。というか、人がいれば必ず餌を欲しがるのです。
ケアマネのNさんの答えは「ダメ」でした。ペットの面倒は介護サービスに含まれないのです。

そこで私も言いました。
「じゃあ私が帰ってからやります。でも、スズちゃんに餌をやらなかったらヘルパーさんは仕事にならないと思います。ニャーニャーとまとわりついて」
Nさんはちょっと考え込んで「仕方ないですね。スズちゃんの餌やりも含みます」と言いました。

そのやりとりを固唾を飲んで聞いていたヘルパーさんもホッとした様子でした。
ヘルパーさん、餌をやりたかったみたいなのです。
その後、スズちゃんはヘルパーさん達に〝お話し猫ちゃん〟として、とても可愛がられました。
スズちゃんは話しかけると必ず「ヴギー」と返事をするからです。

後に聞いたところ、派遣されるヘルパーさんは、猫のいる家は猫が好きかもしくは猫が平気な人、犬の場合も同様とのことでした。

ただ、説明を受けて思ったことは、ケースによっては介護サービスを利用しても介護離職せざるをえないだろうなということ。

たとえば、母親と成人した子供の二人暮らしで、母親が家事をして子供が正社員で、残業ありのフルタイムで働いていた場合に、母親が倒れて介護が必要になった時など。

よくあることですが、同居家族である子供は朝の7時に家を出て、夜の9時30分に帰ってくるとします。
介護サービスでしてくれるのは母親の昼間のケア(食事・身体介護)だけです。朝と夜は子供が介護をしなければなりません。
その他一切の家事も家族である子供がすることになります。

今どきの仕事はとてもハードで、帰宅したらクタクタなんて珍しくありません。帰ってからの介護は体力的に辛すぎます。それでなくても、今まで家事一切を親に任せていた子供が、親が倒れたからといって、朝と夕の親の食事の用意から家事一切を空いた時間にできるでしょうか。

これは介護の問題というより一部は企業のワーク・ライフ・バランス(※)の問題ですが、よほど体力強健な人でないと続かないでしょう。
(※ワーク・ライフ・バランスの意味は、Wikによれば「仕事と生活の調和」と訳され、「国民一人ひとりがやりがいや充実感を持ちながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる」ことを指します。)

介護保険では、専業主婦など、ずっと家にいる家族の介護負担を減らすために、デイサービスやショートステイで、家以外の場所が高齢者を引き受けて家族を休ませることができるのですが、働いている家族は休みなしになってしまいます。

つまり介護保険では、結果的に一つの家族・家庭から介護が必要な高齢者のみ切り取って、その人だけ助けることになっていて、ペットを含め、実質的に家族単位で状況を考えていないのではと思えるのです。

たとえば、猫と暮らす一人暮らしの老人が倒れて介護が必要になった時、老人は介護サービスを受けられますが、そのサービスの中には猫の世話は含まれていないのです。では猫はどうするのでしょう。

我が家のように、それでもやっていける家族は良いのですが、やっていけない家族は必ずいます。
同居している家族に余裕がなければ、介護が必要な高齢者は、いっそ一人暮らしで介護サービスを受ける方が、きちんとした介護を受けられることもあるかもしれません。

もちろん、介護サービスを介護を必要とする人のみにしないとヘルパーさんはお手伝いさんになってしまうので、そこの線引きは難しいと思います。

でも、結局スズちゃんの餌やりが認められたように、実際には、ある程度の融通は利かせてくれます。
たとえば、実際にはやってはいけないことですし、たまにのことだったですが、ヘルパーさんが台所や廊下の拭き掃除をしてくれたり、お昼にご飯が無くなると炊飯器を仕掛けてくれたり、夕ご飯に家族も食べられるようにおかずを多い目に作ってくれたり、です。

後で知ったのですが、契約した事業所によっては、私が実際に体験した以上にやってくれるみたいだったのです。

母はというと、自宅での介護生活が始まるとヘルパーさんとおしゃべりしたりで結構楽しそうでした。
一時は目が見えないために完全に昼夜逆転になりましたが、7月末には眼底出血した血液が吸収されて視力が戻り始め、ヘルパーさんに付いてもらって近くの病院ならば半分は歩いていけるほどになったのです。(後の半分は車椅子)

介護で最も恐れられていることは身体介護ではないかと思うのですが、当初は訪問看護師さんにも来てもらい、リハビリや入浴介助をしてもらっていましたので、家族が身体介助でしんどい思いをするということもありませんでした。

私も、当時のヘルパーさん達と交わしていた連絡帳を読み返すと、母のことだけでなくスズちゃんや我が家の庭の草花の話など、楽しそうに書いていて、深刻なことは何もありませんでした。



介護はチームワーク、介護は生前供養(3)

2016年08月18日 | 思い出
介護のこととは少し離れて、当時の母の状態を記しておきます。

母の状態は命に関わるものではありませんでしたが、早急に眼と足の両方の治療(手術)が必要で、病院にとっても悩ましいものだったようです。眼科か整形外科か、どちらの病棟に入院させるべきかも決まらないからです。

母の担当になったケアマネージャーのNさんは、話し合いの結果、今後の母の生活の質を考えれば眼の治療を優先させた方が良いという結論になったと言ってきました。
今後、歩けなくなっても車椅子で何とかなる。でも目が見えないことはダメージが大きすぎると考えたみたいです。

ただ、私の見るところ、母は眼は痛くないのですが足は相当に痛そうでした。足の方を優先させるべきでは?と思いましたが、黙っていました。
案の定、眼の手術の後、うつぶせの姿勢を取らなければならなかったらしいのですが、付き添った兄によれば、骨折した足が痛んで、うつぶせになることが難しく、大変だったらしいのです。

結局、母は2ヶ月あまりの入院生活を送りました。
最初の病院を含めば、入院した病院は3か所。転院回数は4回でした。
眼の手術は2回受けましたが、視力は退院時点では回復せず、失明したままでした。
出血して固まり、膜状になった血液を手術で取り除いても、また新たに出血してしまうのだそうでした。

眼については、私は主治医と会ったこともなく、詳しい説明を受けたこともありません。
私自身、病院に行くのは夜か土日だったからかもしれないし、母は意識も頭もしっかりしていたので、自分で話を聞いて判断していたのかもしれません。
ただ、今思い出すと、主治医は家族から逃げていたかなとも思います。
ずっと以前から眼の治療を継続的に受けていながら、結局、大規模な両目の眼底出血を引き起こしてしまったからです。

足の骨折の手術(人工股関節置換術)の方は1回だけで、とてもうまくいきました。
通常、人工股関節置換術が行われても、必ずしもうまくいかないらしいのですが、母は痛みもなく、元通りにはならなかったにしろ何とか歩けるようになりましたし、通常は無理になってしまう正座さへできるようになったのです。もちろんリハビリも行って、その成果もあったようです。

眼科の主治医と異なり、整形外科の主治医とは何度かあって面談し、詳しい説明も受けました。
ただ、整形外科の主治医からは、ちょっと忘れられないことを言われました。
曰く「1年後にお母さんが生きていると思わないように」

私が、母の様子から、とてもそんなふうには考えられないと言おうとしても、医師は私の言葉を強い調子で遮って、1年以内にもう一方の足も骨折してまた入院する、あれこれ合併症が出てきて、そして「死ぬんやー!」と断定されてしまったのです。

確かに、骨折がきっかけになって亡くなる方もいることは私も知っていました。
勤め先の80代の会長が、医師が言ったような経過を経て亡くなったのを数年前に見ていたからです。
でも会長は、亡くなる数十年前から医師の指示で毎日牛乳1本飲んでいた骨の脆い人でした。
そんな人と一緒な筈はなかったのです。

事実、母はその後7年生きていました。その間、家の中で何度か転倒しましたが骨折することはありませんでした。
医師があれほど強い調子で1年以内に死ぬと言ったのは何故だったのか。統計的にか、経験上からか。

一つ考えられるのは母が骨折した理由です。母は玄関の上り口から落ちて骨折したのです。
若い医師だったので、昔の住宅の玄関の上り口の高さを知らず、落下ではなく、転倒による骨折と勘違いしたのかもしれないということでした。

いずれにしても専門家である医師の言葉は、私には重かったです。
母は、医者から「1年後には死んでいる」というお墨付き?を貰って退院したのです。



介護はチームワーク、介護は生前供養(2)

2016年08月11日 | 思い出
私の母が介護保険制度を利用するようになった最初のきっかけは、眼底出血による完全失明でした。

母は元々眼を患っていて、一番軽い視覚障害者手帳も持っていました。
糖尿病網膜症で、緑内障と白内障も伴っていました。でも、完全に失明していたわけではなかったのです。

その日の昼間、81歳だった母は疲れを感じて居間で少し横になって昼寝したそうです。
起きた時、すでに失明していて、目を開けても何も見えず、全体が赤かったそうです。赤かったのは眼底出血の血液の色だったのですが、母はそれが理解できず、自分の顔の上にカーテンが落ちてきたのかと思ったそうで、何も見えないまま、起き上がって訳も分からず、手探りで家の中を動き回ったそうです。
そして、玄関の上り口から土間に落ちてしまったのです。
私の家は50年前に建った家ですので、玄関の上り口は大人が腰かけられるくらい高いのです。
結果、大腿骨を骨折してしまいました。
つまり、一日で完全に失明し、骨折で歩けなくなったのです。

その日、私はいつも通り午後6時過ぎに帰宅しました。
玄関の様子が少し違っていて『あれっ?』っと思いながら家の中に入り、台所で倒れていた母を発見したのです。
玄関で落ちた母は何とか立ち上がって台所まで行ったのですが、足の激痛で動けなくなっていたのでした。
ただ、意識はしっかりしていました。
私はすぐに119番通報して、救急車に一緒に乗り込みました。

連れていく病院は、私は母の眼科の主治医のいる病院に行ってくれるように頼んだのですが、高齢者が倒れた場合、必ず脳の検査をしなくてはならないそうで、全然違う病院に連れていかれてしまいました。
結局、脳には異常がなく、その病院には2日ほどいて、なんの治療もされず転院することになりました。

母が倒れた日は3月29日で、ちょうど勤め先は期末。転院は年度初めで、私はその年度から新しい仕事を任されていて、残業しなくてはこなせないと思っていましたのでタイミングとして最悪でした。

母のことは、とりあえず病院に任せるとして、兄と私は退院した時のことを考えて介護保険制度を利用すべく近所の地域包括支援センターに行き、どう手続きすればいいのか相談しました。
自宅介護を希望する場合だと、母のケアプランを立てるケアマネージャーや、ヘルパーを派遣してくれたりする居宅介護支援事業所と契約を結ばなくてはならないというような話でした。

地域包括支援センターは、各地域に必ずあり、介護についての相談全般を受けてくれます。
何かあって、まず行くとしたら介護を受ける人がいる地域の地域包括支援センターなわけです。

居宅介護支援事業所については、センターで紹介もしてくれるようですが、母には希望がありました。
かねてからヘルパーで働いている知人に、介護が必要になったら私が介護に行きたいと言われていたらしいのです。その知人がいる事業所にしてほしいとのことだったのです。

で、事業所は簡単に決定したのですが、その知人がヘルパーとして来ることはありませんでした。
事業所の方針として、介護される人の知人や友人をヘルパーとして派遣しないことが決められていたからです。狎れ合いになりかねないと判断されたからかもしれませんが、私も知人・友人を省くことには賛成です。

ちなみに、個々のヘルパーさんはヘルパーとしての資格や技術を持っていますが、介護保険制度については詳しくないです。
私の友人でヘルパーで働いていた人がいましたが、介護保険制度については、こちらが驚愕するほど無知でした。
介護保険制度は役割分担がとてもはっきりしていて、介護保険制度の中の人でも、その人の仕事と関係のないことは分からないのです。

続きます。


介護はチームワーク、介護は生前供養(1)

2016年08月07日 | 思い出
最近、介護についての報道が多いです。
介護についての報道も年金の報道と同じで、やたら不安を掻き立てて、その結果、制度をより不安定にさせているような、そんな気がしないでもないです。(にしてはメディアは、リスク一杯の年金積立金の株での運用については無関心なようですが。)

私は一昨年母を亡くしました。そこで、介護についてのささやかな経験を記しておこうと思います。

自分の経験は限られているので絶対的なことは言えないのですが、7年間、介護保険制度を利用しての母の自宅介護を経験して、私は介護でさほど困りませんでした。
だから、今現在、将来の介護について不安にかられている人の話を聞いて、疑問に思うことが多々あります。

まず第一に、心配している人は介護保険制度について知らなさすぎること。というか、介護保険制度というものがあって、それを利用する介護のイメージが無いこと。
言い方を変えると、いまだに介護は家族の誰かが全面的に引き受けるもんだと思っていること。
高知東生が「介護に専念するために俳優を辞める」といった時の、その介護イメージの奇妙さに気づかないのはそこだと思います。
介護は、施設に入ってもらうか、でなければ家族の誰かが犠牲になるというイメージなのではないでしょうか。

実際には、私が介護保険制度を利用して知ったことは、驚くほどの多くの人が私の母の介護に関わったということでした。当時、私も兄もフルタイムで働いていましたので、家族が留守の時、ヘルパーさん達に来ていただいていました。

ただ、他人が家に入ること自体を嫌がる人もいるみたいなのです。

ある番組で、24時間介護について説明していて、視聴者の真っ先の質問は、家族が不在の時に、介護の為に他人が自分の家の中に入ってくることに抵抗があると言っていました。
抵抗があるのなら、自宅での介護で介護保険制度の利用は限定的で、結局、施設に入所させるしかないです。
でなければ家族が仕事を辞めて自宅介護することになります。

介護は家族が中心になってやるのではなく、いろんな分野の専門家とチームワークで行うもんだと認識を改めなくてはならないと思います。

確かに、一時期、私の家は家族抜きで他人ばかりがウロウロしていたと思います。
来ていただいていたのはヘルパーさん、ケアマネさん、訪問看護師さん、訪問医師、訪問薬剤師、訪問入浴の方々です。
目が見えなかった母の為に、デイサービスの行き帰り、そこのスタッフさんが自宅に入ることもありました。玄関前に母を置いておくわけにはいかなかったのです。

もちろん、常時たくさんの人が家に来ていたわけではなく、母のその時々の体調や、要介護度に応じて来られる方は変化しました。家族が家にいる土日は誰も来られない場合がほとんどでした。

鍵はどうしたかというと、合鍵を作って誰彼かまわず渡したりはしません。
玄関近くの分かりづらい所に暗証番号で開けることができる南京錠を掛けて置き、そこから鍵を取り出して入ってもらっていました。

この南京錠は中に物(玄関の鍵)が入れられるようになっていて、暗証番号で開けると錠が外れ、また中にある鍵も取り出せるのです。

このようなやり方をするように教えてもらったのはケアマネさんからでした。

ケアマネさんはチームワークで行う介護の、いわば総監督でありコンダクターでした。

他人が自分の家の中に入ることが嫌だとか心配だとかは、その当時、全く考えませんでした。
むろん、最低限の注意はしていました。
貴重品や現金をその辺りに置いておかないとかです。

介護に限らず、人と何かを一緒にする場合、最初から無条件に相手を信頼はしないけれど、最初から疑うということもしないと思います。
まずは信頼関係の構築から入ると思います。介護の場合、それは前提条件なのではないかと思います。

続きます。


スポーツジムでヨガ

2016年08月03日 | 日記
8月初日から近所のスポーツジムに入会しました。
家から歩いて6,7分。今年の5月からオープンした新しいジムです。
日曜や午後5時以降は行けないけれど、会費が少し安くつく昼間限定のデイ会員です。

8月はほとんど何の予定もないので、できるだけ通ってみようと思います。
気温35度の戸外でのウォーキングなんて無理なので、運動不足の解消を目指します。

1日は初日でジムについての説明がありました。

その時に自分の体の状態を知るために、体成分分析を受けました。
結果を半分だけ公開します。

しっかり、隠れ肥満と出ていますね(ハッハッハ!

表を見るとBMIがどれだけ低くても体脂肪率が30パーセントを超えれば隠れ肥満ですね。

9月にもう一度この検査を受けます。どうなっていることやら・・・。

2日目はヨガのプログラムを受けました。
椎間板ヘルニアが悪化した時に、整形外科医から「ヨガでもやったら」と言われていたからです。

帰ってから、夜、台所の片づけをしてて気が付きました。
腰がシャンとしているのです。

ここ1年ほどで、意識しないと体が前かがみになってきていて、写真を見て愕然としたことが何度かあったのですが、ヨガは手足の関節を緩めて胸を開く動作が多く、その効果なのでしょうか。

ただ私の場合、両手拇指CM関節症で、手で体を支えるのが痛くてちょっと難しく、工夫してやるしかないです。

もちろん、ヨガでは隠れ肥満は治せません。
他のプログラムにもボツボツと挑戦です。