緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

茗荷の収穫

2017年07月31日 | 庭の植物
私の住んでいる地域では、今年はカラ梅雨でした。
庭の植物で、その影響をもろに受けたのは茗荷だったみたいです。
毎年、茂り過ぎるほど茂るのですが、今年はさっぱりでした。

茗荷は直射日光が当たらず、湿った場所が好きみたいなのです。
今年は乾燥し過ぎました。
水やりもするのですが、文字通り「焼け石に水」。
当然、茗荷の花芽の収穫もさっぱり。

ただ、7月末に数日続けて夜間に雨がまとまって降りました。
そのせいか茗荷の花芽が幾つか出てきたのでそれを収穫しました。



黄色いのは花です。
一つの花芽の中に、花のつぼみは三つくらいあって、順番に咲いていきます。
お店で売っている茗荷は花が咲く前に収穫してますし、もっと肥料をやってますので、もっと大きいです。
我が家では特に肥料はやりません。

咲いているところはこんな感じ。


家の裏手の狭い通路で、夏場は茗荷が生い茂って通れません。
庭は全部そうなんですが、特に茗荷の生えている所は藪蚊の巣のような場所です。
収穫も手早くしないと蚊に血を吸われて痒いし大変。

収穫した茗荷は薬味にします。
ただ、同居人の兄は茗荷が大嫌い。
私一人で食べます。
今回はイカのマリネを作って、刻んでその中に入れました。

働いていた頃は、茗荷は同僚の女性達に差し上げていました。(とても一人では食べられなかったから)
結婚したばかりの若い同僚に差し上げた時は、夫が初めて茗荷を食べて「これは良い」と、とても喜んでいたと言ってくれたこともありました。

家の工事に来た職人さんが茗荷を見つけて、瞳を輝かせて「採っていいですか」と聞くので「いいですよ」と言ったのですが、花の咲き終わった空の茗荷ばかり採って「それは食べられません」とは言い難かったこともあります。

色々と思い出のある茗荷です。




アケビ 落果しました(涙)

2017年07月29日 | 庭の植物
楽しみにしていたアケビの実、落果しました。

順調に育っていたのですが、ある日、カメムシが2匹へばりついていました。
あわてて棒でカメムシを落としました。
もちろん、実に衝撃を与えないように、優しくです。

それから数日してまたカメムシが。しかも二つあった実が一つになっていました。
もう一度カメムシを棒を使って落としたのですが、翌日、残っていた実も落ちていました。


写真は落ちて2日くらい経っています。
元気だった頃はこんなだったのですが。


落果した原因が分かりません。
水はやり過ぎない程度にやっていました。
やはりカメムシのせいでしょうか。

実に袋を被せた方が良かったでしょうか。
来年はもっと考えなくては…。

カメムシのせいだとしたら、カメムシ、許せ~ん


ペットロスを乗り越えて -約束-

2017年07月19日 | 
私の愛猫、スズちゃんが今年の2月22日に亡くなって5か月になります。
今でも思い出さない日はないです。
ただ、当初のような、激しい感情はなく、スズちゃんが私に与えてくれた沢山の喜びを静かに偲んでいます。
今回、私に何があってペットロスを乗り越えたか、書いておきます。

私のペットロスの主な感情は喪失感以上に罪悪感からくるものでした。
スズちゃんの死が近いことは、半年以上も前の獣医さんの言葉から分かっていたからです。
私はスズちゃんに苦痛や恐怖を与えるような延命治療はしないで、普通の日々を過ごさせ、静かに逝かせてあげるつもりでした。

最後の10日間ほど、痩せて、たぶん脳の萎縮が起こっていたのだと思います。
スズちゃんに認知症の症状が現れ、愚かな私はスズちゃんが命の最後の炎を燃やしているのだと理解できず、きつく叱ったりしてしまいました。
詳しくはここ

スズちゃんが姿を隠して亡くなったことも相まって、私はどうしようもないペットロスの状態に陥りました。
これ以上ないほど純粋な存在を、最後になって傷つけてしまったという思いが私を苦しめました。

毎日、思い出しては自分を責め、泣いていました。
とりわけ夜中、ふと目覚めては思い出すと、心臓がペコンと凹んだように苦しくなりました。
こんな私は孤独に死ぬのだとか、自分の人生は失敗だったとも思いました。
とにかく苦しくて苦しくてたまりませんでした。

さすがに私はこのままではいけないと思いました。
スズちゃんと、ちゃんとお話がしたいと思いました。
仏教では、人は亡くなっても49日間はこの世に魂は留まっていて、行き先が定まるまで元居た場所辺りをさまよっていると聞いたことがあります。
猫だって、すぐにあの世にいく筈はないと思います。

だから私は、スズちゃんが亡くなってからも、スズちゃんがそこにいるかのように話しかけたりしていたのですが、もっとちゃんとスズちゃんに話さなければならないと思ったのです。

3月15日の夜10時頃、私は自分の部屋でのベッドに腰かけて、スズちゃんがいるかもしれない中空辺りに目をやって「スズちゃん、聞いてくれる?」と話しかけました。
そして自分がスズちゃんに対し間違ったことをしてしまったこと、スズちゃんに淋しい思いをさせてしまったことを謝り、間違いを繰り返さない為に、スズちゃんに二つの約束すると言いました。

一つは、相手が人であれ動物であれ、表面的なふるまいだけで悪く決めつけることは決してしないということ。
もう一つは、スズちゃんがそうやって生きて死んだように、私も最後の最後まで一生懸命生き抜いて死ぬということ。
この二つの約束をして、私がスズちゃんのことをどれ程好きだったか、亡くなった今も大好きな猫であるということを泣きながら話しました。

そうすると、スズちゃんが生きていた時と同じように、スズちゃんが私の話を真剣に聞いてくれているそんな雰囲気が漂い、私は話を終えることができました。

その夜、寝てからのことです。私はミーちゃんの鳴く声で目が覚めました。
時計を見ると夜中の2時でした。ミーちゃんは「にゃーにゃー」と止むこともなく1階の居間で鳴き続けていました。
そんなことは今までなかったことだったので、何があったのかと思ってあわてて起き、ミーちゃんの所にいってみると、ミーちゃんはいつも寝床にしている畳んだ毛布の上で、鳴き疲れたのかボンヤリした様子でいました。

私はふとミーちゃんはスズちゃんの気配を感じたのだなと思いました。
スズちゃんはミーちゃんに何か(多分、みどりさんの思いは受け止めたよ、それを伝えておいてというようなこと)を伝え、それで驚いて私を呼んだのだと思いました。
その夜は「大丈夫だよ」と言ってミーちゃんを落ち着かせ、そのまま寝ました。

このようなことがあって、私は少し落ち着くことができました。
でも、人間の意識は昼と夜とでは違います。
昼間の意識では、スズちゃんが私の話を聞いてくれたと思えたことも、ミーちゃんがスズちゃんの気配を感じて真夜中に鳴いたと思ったことも、私の手前勝手な思い込みであり、スズちゃんはやはり淋しい思いのまま亡くなったのではないかと思えて苦しくなることがありました。

ちょうどあの頃、ブログ友達のcoco21さんが、茨木のり子さんの詩集の紹介をブログでされていました。
それまでの私の印象では茨木のり子さんの詩は、惰弱な心をピシピシと打つような厳しいもの、というものでした。
私に必要なものはそういうものかもしれないと思い、ある日、梅田の紀伊國屋書店で「茨木のり子詩集」を見つけて、指針を求める思いで買って帰りました。

私は詩集の最初から読まずに、何気なく開いたページの詩を最初に読みました。
それは「夢」という詩でした。
内容は、亡くなられた茨木さんの夫の明日が49日という夜の、夢の中での夫との濃密な交歓を詠んだものでした。
茨木さんはその詩で、夢を「夢に過ぎない」というようには受け止めず、「あなたらしい挨拶」として受け止めていました。

私は茨木さんの詩に厳しいものを予想していたのですが、予想とは真逆であったことにまず驚きました。
そして指針を求めて読んだ詩がそういうものであったことの意味を考えました。

私は夢を見たわけではありません。
でも直観的にスズちゃんが私の話を聞いてくれたと思い、またスズちゃんがミーちゃんを通じて私に思いを受け止めたことを伝えたと感じました。
ならばそれを素直に受け止めることが大切なことなのではないかと思ったのです。
それに一連の出来事は、賢くて、活発で、やさしかった、いかにもスズちゃんらしい出来事だったからです。

ここで書いたことを馬鹿げた話だと思う人もいるかもしれませんが、おそらく一番大切なことは、私がスズちゃんにした約束を果たし続けることだと思うのです。
そうすることが、あのスズちゃんの思いに応えることなのだと思えます。
二つの約束は思った以上に難しいことでもあるのですが。

こうして私は何とかペットロスを乗り越えることができました。
当時、ブログを通じて励ましていただいた方々には改めてお礼を申し上げます。
有難うございました。
ブログはやっていて良かったと思います。
ブログをやっていなければ乗り越えることは難しかったと思うからです。

スズちゃんは49日も済んだ今、きっとあの世で幸せに過ごしていると思います。

最後に元気だった頃のスズちゃんの写真です。



茨木のり子さんの「夢」という詩に興味のある方は、茨木のり子 夢 の2語で検索して下さい。
読むことができます。



猛暑 ミーちゃんの日々

2017年07月17日 | 日記
暑いです。
梅雨だというのに雨が降ってくれません。

降っている所には「要らん」と言うほど降っているみたいですが。

ミーちゃん、居場所がないです。
いつものベランダの箱の中は、昼間は暑すぎるようです。
で、人のそばにペタリ。
人がいなくなると泣き喚きます。

我儘、イタズラモードです。
目つきも手つきも挑戦的。


DCMから株主優待が送られてきたので、品物を出して整理していたら、さっそく箱の中へ。

この後が大変でした。
手前に置いてあった品物の竹繊維製雑巾に手を出して、繊維が爪に引っ掛かって離れなくなりました。
パニックを起こし、跳び上がりながら部屋を半周しました。

ミーちゃん、なぜか私の部屋には入りません。
スズちゃんが生きていた時、私の部屋はスズちゃんが唯一ミーちゃんを気にしないで安らげる聖域でした。
ミーちゃんにはまだその記憶が残っているのかもしれません。

そういうわけで暑い玄関前でお昼寝です。


ミーちゃん、頑張れ!!
夏は始まったばかりだぞ。

                             

ここ以降は昆虫の苦手な人はパスしてね。

気が付くと、庭はセミの抜け殻だらけでした。

羽化し損ねたセミはアリの餌になります。
毎年繰り返される光景ですが、年々、羽化できない奇形のセミが多くなっていくような。
庭に農薬等の薬品は撒かないように気をつけているのですが、奇形の原因はそれだけではないのかも。

土の中から出てきた幼虫は、よく似たルートを辿るのか、同じ木の、同じ枝先で羽化します。
おかげで羽化した後はこんな状態。

手前に見えるものだけでなく、奥に見える茶色いものも同じような状態です。
団子状になっていますが、羽化した日は多分違うのでしょう。

セミはクマゼミばかり。
アブラゼミが見られるようになると、少しは季節が進んだことになるのかも。




悩んでます。

2017年07月11日 | 写真
カメラ教室、順調です。
カメラ教室のブログの方も、色々と訳の分からないトラブルがありますが何とか更新していってます。

教室で最近学んだのは、各種レンズの効果と遠近感の表現。また各種フィルターの特徴の紹介。
聞いていて、広角レンズが欲しくなりました。

その次の回は、画像修正ソフトのPhotoshop Elementsを使ってのRAWデータ画像の扱い方でした。
Photoshop Elementsについては、以前から色々と聞いていました。画像を修正するのにとても便利だと。

その日使った印象では、便利そうではあるのですが、Windows10に付いている写真修正ソフトが高機能で、あわてて買う必要はなさそう。
本格的にカメラをやるのならRAW画像で撮ってPhotoshop Elementsで修正するのが王道なんでしょうけど。

実は当日、私がRAWで撮った画像がPhotoshop Elementsで開きませんでした。
私のカメラが比較的新しく、教室で使用していたElementsが対応していなかったのです。
夏休み明けまでにはElementsをバージョンアップするとのことでした。

私のカメラです。

去年発売されたPanasonicのLUMIX DMC-GX7MK2です。
ミラーレスカメラで、小ぶりで軽く携帯性に優れています。
(携帯性だけでなく、機能も優れているのですが、今のところ全く使いこなせていません。)
カメラ教室に入学する直前に買ったものです。

Elementsを学んだ日、私はたまたま教室に同じPanasonicのLUMIX GF5を持ってきていました。
これです。

5年前に清水の舞台から飛び降りる気持ちで買ったものです。
こっちはさらに小ぶりで軽いです。

私の場合、両手拇指CM関節症という手の病気で、通常の一眼レフカメラは重過ぎるのです。
おまけに慢性的な腱鞘炎にもかかっていて、無理すると両方悪化します。
そもそも野鳥を撮る為にカメラを買ったのですが、野鳥撮りに必須の超望遠レンズを取付けると、普通の一眼レフは私には完全に使用不可能なのです。

その日、試しに5年前のカメラで教室内をRAW画像で撮って、Elementsで開くとちゃんと開きました。
古いものですから対応していたみたいです。
Photoshop ElementsはパソコンのOSのバージョンによっても使えないみたいですので、自分のカメラやパソコンで本当に使えるか色々と調べてみないといけないみたいです。

2学期にはもっと詳しくPhotoshop Elementsについて学ぶ予定です。
Photoshop Elementsが学びたくて、このカメラ教室に入った人もいるみたい。

Elementsで、写真だけじゃなく本当に顔のシミが消せるのなら買いたいですね。


それはさておき、ここにきて悩みがあります。
というのも、カメラ教室には課題があります。
年間を通じて一つのテーマで最終的に写真集を作成することです。
夏休み明けには、その時点でのベスト4の写真を持っていき、先生の講評をお聞きするのですが、テーマが見つからないのです( ^ω^)・・・。

ミラーレスのカメラを買ったのも、そもそも野鳥を撮りたかったのだし、野鳥をテーマにしたら良さそうですが、今は夏。
夏は鳥枯れの季節で、私の周囲の身近な野鳥はスズメかカラスくらいになります。
それ以前に真夏の炎天下、軟弱なようですが出歩くこと自体が苦痛です。(私、体弱いし・・)
高原にでも旅行に行けば良いのかもしれませんが、旅先でしか撮れないような写真はテーマにしてはならないと言われています。

カメラ教室で知り合った人にそれとなくお聞きすると、『なるほど』と思うような斬新なテーマを考えておられます。
私には考えもつかないような・・
幾つかの案は考えてみましたが、夏休み中に撮るというのは難しそう。(そもそも炎天下にウロツキたくない。)

お茶を濁す案としては「庭の植物」でしょうか。
朝早く撮れば暑さにやられることもなさそう。
でも、テーマとしてはあまりに凡庸。
悩んじゃいます。

                            

悩んで居間で寝ていた私のそばでミーちゃんも昼寝。
かわいい寝顔だったので写真を撮ろうとしたら眼が覚めたらしく、寝ながらウーンと背伸びしました。


ミーちゃん、あんたは悩みが無くていいね!