goo blog サービス終了のお知らせ 

緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

スマホと読書

2019年07月29日 | 話題
ある掲示板で、電車に乗ったら乗客のほとんどがスマホに向き合っていた、不気味な感じがしたというのがありました。
それに対して、自分も電車でスマホやる、電車で読書してるのと変わらないという返事がありました。
人が電車で読書しててもおかしくはないのに、スマホをおかしいというのは変というものでした。

それでちょっと私も考えました。
私自身はスマホを持っておらず、ガラケーです。
その上で、スマホと読書は同列に考えられるかです。
私はやはり違うと思います。

まず、私の経験上、電車の座席に座って、向かい側の乗客がほぼ全員読書しているなんてことは過去においてなかったです。
スマホならあります。

また、歩きながら読書している人も今まで見たことがありません。
スマホならあります。

電車待ちやバス待ちで立ったまま読書なんて人も見たことがありません。
スマホならあります。



スマホは取り付かれ方が違うのですね。
すでに依存症のレベルの人が町中に溢れているって感じ。
やはり不気味です。

でも、もし私がスマホを持ったらどうなるでしょう。
実は私、ネット依存的なところがあります。
スマホを持ったら、スマホでネットやりかねませんね。

ただ私の場合、人がいるところではネットはやらないのです。
立ったままとか、歩いてとか、とんでもないです。
少なくとも座ってでないと。
基本、危険なことは一切やらない人ですから。

スマホの依存症は今や社会病理ですが、読書の依存症ってあるのでしょうか。
私の若い頃の友人で、子供の頃、家庭環境に問題があり、本が大好きで、よくブックエンドや栞になり切っていたという人がいました。

本の世界が逃避の場所で、読むだけでなく、自分も本を取り巻く一部になり切ることで現実逃避していたみたいです。
そういうのは病理ではあるけれど、読書依存症とは違うみたいです。
ただ、本ばかり読んで、日常生活に支障を来す人は、かつてはいたみたいです。
でも、そんな人でも読書しながら町を歩くことはしなかったのです。

自分や他人に危険を及ぼす行為を平気でやってしまえるかどうかが依存症レベルか、そうでないかの境目みたいです。




ミョウガの収穫

2019年07月21日 | 庭の植物
家庭菜園というほどではないけれど、庭にミョウガ畑があります。
裏の家のブロック塀と我が家の間の狭い通路です。
夏の間、ミョウガで通れません。
出来たミョウガを取るのも一苦労。藪蚊だらけですから。

でも頑張って手前に生えていたのを取りました。

取る時、ミョウガの良い香りがしましたよ。

その気になれば2,30個は取れるけど、食べる人がいません。
少し苦みがあるので、サッと湯がいて「便利で酢」に漬けておきます。

ついでにアケビの生育状況ですが今の所は豊作です。(誰が食べるのじゃ!!)
なぜか今年、去年あれほど悩まされたカメムシがまったくつきませんでした。
去年、私がカメムシを捕殺しすぎたから? んなあほな・・・。




今年はカパッと口を開けた色よいアケビを期待しています。


ミーちゃんの病状

2019年07月17日 | 
ミーちゃんですが、昨日から「ちゅーる」も食べなくなりました。
思いの外、病状の進展が早いです。
水だけはたくさん飲み、おしっこをたくさんします。
痩せて、辛そうです。

それでもミーちゃん、私が朝と夕の食事を食べる時は、元気な時と同じように私の隣の座布団に座って寛ぎます。
まるで、そうしないといけないみたいに。

それ以外の時間は、一段高い床の間がミーちゃんのベッドになりました。
畳や木が気持ち良いのかもしれません。

できるだけ、普段通りに日々を過ごすようにしています。
日に何度もミーちゃんに話しかけています。
ミーちゃん、調子の良い時はゴロゴロと喉を鳴らします。
後はそっと寝かしています。

今日、本当はバスツアーで淡路島に鱧料理を食べに行く予定でした。
夕べ、考えて行かないことにしました。
朝早く家を出て、夜遅く帰ることになるからです。
ミーちゃんが寂しがります。

こんなことになるとは思わなかったので、色々と予定を入れていました。
キャンセルできるものはしてしまい、できないものは行っても早く帰るつもりです。
鱧料理のツアー、朝キャンセルの電話を入れたのですが、料金は半額戻るそうです。
助かりました。


岡山吉備高原 ブッポウソウを見る

2019年07月13日 | 野鳥
ミーちゃんの悪性腫瘍が発覚してすぐ、岡山にブッポウソウを見に行きました。
気持ちはまったく乗らなかったのですが、バードウオッチングツアーで、すでに支払いも済ませており、行ってきました。

大阪からブッポウソウを見られる吉備中央町まではバスで3時間。
朝早くの出発でした。
10年くらい前にも一度見に行っていて、今回は2度目、前回と違いカメラを持って行きました。

ブッポウソウというと、「ブッポウソウ」と鳴いて声のブップウソウと言われるフクロウの一種のコノハズクもいますが、見にいったのはとても美しくて姿のブッポウソウと呼ばれるブッポウソウです。
詳しくはこちら⇒ここ

岡山のブッポウソウは、地元の野鳥の会を中心に巣箱を掛けるなどの保護活動が熱心に行われていて、繁殖期には約100つがい確認されているようです。
ミーちゃんのことを考えてしまって、あまり楽しい気分ではなく、写真もうまく撮れなかったと思っていたのですが、帰ってしばらくして見るとそこそこ撮れていたのもありました。

まず吉備高原がどんなところかです。

こんな感じの山里なんです。
巣箱は電柱に100個以上は掛けられているようです。

そしてブッポウソウです。

ちょっとだけアップで見ると、
別の場所で撮った写真。
大きさは鳩より少し小さめで、いつも電線とか山の稜線にいます。

これはお父さんとお母さん。雛がいる巣箱を山の上から見張っています。

今回、私は三脚を持って行かず手持ちで撮ったのですが、三脚は持って行った方が良かったと思います。
巣箱にピントを合わせ、餌を持った親鳥が巣箱に入るシーンなど、その方が撮りやすいです。

アップです。虫を咥えているのがわかるでしょうか。




給餌中。   


給餌が終わって巣箱から顔を出しています。



また餌取りに行きます。






吉備中央町はブッポウソウが見られる町として売り込んでもいるようですが、写真目当てでマナー違反の観光客には注意を呼び掛けています。
それなりに警戒心の強い鳥なので、人が近づき過ぎると巣を放棄してしまうのです。

道の駅では分かりにくいですが特定の巣の中の雛の様子をライブで見られるようにしています。

道の駅ではツバメも子育て中でした。

道の駅で買ったお土産。桃が安いです。

お天気は上々でしたが、とても疲れて帰ってきました。


ペットのターミナルケア

2019年07月10日 | 
我が家の愛猫、ミーちゃんのことですが、この度、悪性腫瘍が見つかりました。

1カ月くらい前から、早朝、よく吐くことがあり、ジュレタイプのものなら食べていたのですがカリカリは食べなくなっていました。
糖尿病でしたので、以前から血糖値のコントロールの為、1週間に1度は病院に連れて行っていました。
そこで、そのことを訴えてもいたのですが、胃の状態が悪いのかもしれない、餌は何度にも分けて与えてくださいと言われて、その通りにしていました。

ある時、あまりにも酷い吐き方をしたので、これは何かあると思い、すぐ病院に連れて行ったところ、検査の結果、悪性腫瘍とのことでした。
よく吐き、カリカリを嫌がったのは、悪性腫瘍が腸に巻き付くようにあり、食べ物が腸を通過できなくなっていたからでしたが、開腹してみないと詳しい状態は分からないとのことでした。

医師からは手術以外に助かる方法がないと言われました。
手術の方法は、悪性腫瘍の摘出だけでなく、それが巻き付いている腸も切断し繋ぎ合わせるとのことでした。
ただ手術した場合、長期間の入院が必要であり、また腸の繋ぎ合わせた部分から食べ物が腹内に漏れ出ることもあるとのことでした。

帰ってからネットで色々と調べてみました。
すると、ミーちゃんと同じ症状と状態で手術した猫もいましたが、一時期回復したものの直ぐに悪性腫瘍が再発し、死亡したとのことでした。

我が家では、何十年も前から、ほぼ途切れることなく猫を飼っており、その死に行くさまも見てきました。
獣医師から「治療しますか、それとも安楽死をえらびますか」と問われ、治療を選んで一時期元気になったものの半年くらい後に亡くなった猫もいました。
若い猫で、辛い手術を受けさせて死なせてしまった猫もいました。

ミーちゃんの場合、色々な考え方があるでしょうが、若い猫ではなく高齢猫であり、手術の苦痛や長期間の入院によるストレスを考えると、自宅で出来る限りストレスなく過ごさせ、このまま自然に逝かせることを選択しました。

定位置のミーちゃん専用座布団で寛ぐミーちゃんです。


ミーちゃんが通っている病院は設備の整った大きなペット病院で、勤めている獣医師も6,7名はいるみたいです。
主治医は30歳前後の若い医師ですが、今回、話をしていて思うことがあったので、そのことを書いて見ます。

手術を行わない決定は、その獣医師にとって思いがけないことのようでした。
その医師の表情や口ぶりを見ていて、私は30年くらい前のある医師の言葉を思い出しました。

思い出した医師の名前は既に亡くなっていますが河野博臣医師です。
河野医師は動物の医師ではなく人間を診る医師で、日本におけるターミナルケアの先駆者でした。

ミーちゃんの主治医と話していて、私が思い出した河野医師の言葉は「医師にとって患者の死は“敗北”である」でした。
確かに、そのペット病院でも、モットーとして「私たちは全力で動物の命を救います」と掲げられていて、主治医にとっては手術は当然だったのです。

そういう考え方は特に変なものではなさそうですが、河野医師によればその結果、様々な弊害が現れるというのでした。
何がなんでも助けるという姿勢は、その結果、患者に苦痛を強いて当然にもなります。
無意味な治療を際限もなく続けることにもなります。

河野医師自身、元々は腕に覚えがあり、人を手術するのが大好きな外科医であったということです。
ところがある日、河野医師の2歳になる娘さんが、家の近くの阪急電車の線路で、特急にはねられて亡くなられるという経験をします。
河野医師はバラバラになった娘さんの肉片を拾ったということです。

その事故がきっかけで河野医師は変わったそうです。
(もちろん直ぐに変わったのではなく一時は相当に荒れたそうですが。)
それまではメスを体に入れられる患者の心身の痛みなど考えたこともなかったそうです。

河野医師は当時も、それ以降も一介の開業医でしたが、その傍ら患者中心医療の活動を始め、ターミナルケアの先駆者となり、日本におけるサイコオンコロジーの発起人となります。
私は当時、ある事情から河野医師に私淑しており、神戸市垂水にある河野医師の病院で開かれていた研究会にも月1回3年間ほど通っていました。
それは30年くらい前の話ですので、今では社会全体で終末期医療に関しては格段の理解があります。

ですがミーちゃんの主治医と話していて感じたのは、ことペットに関しては、30年前の人間の医療の問題点がそのままペット医療の現場にあるのではないかということでした。
それは動物の医療の進歩の結果、生かす為に色んなことが可能であることの弊害でもあるのかもしれません。
また高額な先進医療設備を病院が据えることによる病院の経営上の問題もあるのだと思います。

私としてはミーちゃんの今後の生活をできる限り苦痛の少ない穏やかなものにしたいので、そのことでのサポートを医師にはお願いしたかったのです。
ただそれは無理かもしれないと思いました。

ミーちゃんは今はちゅーるのみ食べている状態ですが、病状が進めばそれも食べられなくなるかもしれません。
強制給餌や栄養点滴は安らかな死と相反するものですので、そういうことをされても困るのです。

河野医師は当時「昔は癌患者は食べられなくなって枯れるように死んだが今は最後まで点滴するものだから妙に元気に苦しんで死ぬしかない」と語っていました。
現在では終末期の癌患者にやたら点滴しないようにガイドラインがあるようです。⇒ココ

このガイドラインについて医師が語る「人の体には苦しみを回避するうまいシステムが組み込まれているのかもしれないですね」という言葉は、私は猫や犬も同じだと思うのです。
それが「自然に逝かせる」ということでもあるのです。

ペットのターミナルケアは、動物を飼う人には避けて通れない問題だと思います。
私としてはミーちゃんが最後まで穏やかに過ごせるよう努めていきたいです。