ひとしきり激しい雨の土曜日、久しぶりにバンドリハを終えて下北沢のもんじゃ焼き屋を出たのはちょうど午後の11時だった。
この町は相変わらず若者たちで溢れかえっていて、疲れはピークを過ぎて腰の痛みを堪えるにはあまりにも遅い時間。
タクシーを捕まえて帰ろうか・・・。
でも、そうはしなかった。
なぜか・・・・もう少し不甲斐ない自分をいじめておきたかったんだろう。
目覚めたのは午前9時、少し前。
相変わらずベッドから起き上がるのに苦労する。
痛みは生きている証。
いつものように心がそう叫んで、いつものように起きだす。
「耐える」という心にすっかり慣れてしまっていた僕は
甚だしく「寛容で寛大なヒト」であることのワケをどこの誰よりも上手に見つけ出してきた。
しかも、かなり上品に演じてきたようだ。
昨日のバンドリハーサルはそんな今までの自分とはかけ離れた演奏をしたような気がした。
なぜなら、今朝の目覚めがとても良かったからなんだ。
いままでの10曲のレパートリーをくまなく演奏して新曲2曲を練習し始めた時にその感覚が感じられた。
Like a Rolling stone
ボブ・ディランの秀逸曲。
ローリングストーンズヴァージョンで・・・なんてメンバー合意のもとに滑り出したリハ。
歌詞が覚えられずに四苦八苦だった。
でも、ギターを弾きながら不思議な感覚に襲われていたんだ。
それは、ミック・ジャガーでもなく、ボブ・ディランでもなく、
僕だったんだ。
歌詞の意味を深く理解している訳ではなかったけれど。
ボブ・ディランの言いたかったことが・・・そう、なんだか「腑に落ちた」んだ。
「気をつけなよ、絶好調の後には絶不調があってさ、よほどの周辺の人たちへの心配りがないとさ、
優しさがないとさ、傷つき惨めな気分を味わうことになるんだ・・・
でも、それが人間なんだ。
許してやりな。オマエもそんなにエライ人間じゃないんだからさ。
落ちてみてわかる事が沢山あるんだ。」
そんなことが体に沁みこみはじめて歌えるような気がしてきたんだ。
でも、昨夜は一行だって歌えなかった。
バンドというものは面白いものだ。
強く思えば、言葉がなくても伝わるものなんだ。