前回に続いてPart 3.です。
「八重洲の由来」
「八重洲」の地名の元となったオランダ人、”ヤン・ヨーステン”(のちの日本名・耶楊子)が
乗っていた商船「デ・リーフデ号」
1600年(慶長5年)日本に漂着したオランダの商船「デ・リーフデ号」の像です。
(船名のLiefdeはオランダ語で愛を意味します。)
丸ビルの南側敷地に設置されていますが、古くて地味なので気が付かないで通り過ぎてしまいそうです。
オランダ船リーフデ号でウイリアム・アダムス(のちの三浦按針)等と備後に漂着し助けられた”ヤン・ヨーステン”は
そのまま日本に留まり、徳川家康の信任を得て、外交や貿易について進言する役目につきました。
彼の江戸屋敷は現在の和田倉門~日比谷間の内堀の沿岸に与えられ、この地がヤンヨーステンの名前に
因んで「八代洲河岸」(やよすかし)と呼ばれて明治まで続きました。
現在は中央区の「八重洲」としてヤン・ヨーステンに因む地名が残っています。
「開業当時のホーム支柱」。
東京駅の5・6番線(山手線、京浜東北線)には開業時のホーム支柱が残っています
「0キロ標識」(ゼロキロポスト)
新幹線をはじめ、東海道、東北線などの起点は東京駅です。
その位置を示すのがこの通称ゼロキロポストです。
「浜口雄幸首相遭難現場」
昭和5年11月14日、岡山で行われる陸軍特別大演習参観の為、特急・燕に向かってホームを歩いているところを
狙撃されました。
此処が現場です。
中央通路のそばです。
ここで、ツアーは解散となりました。
時間もまだ早かったので、友人と「和田倉噴水公園」に行くことにしました。
丁度噴水の水が吹き出しそれに光が当たって、虹が見えました
風はまだ冷たくても、暖かな日差しを求めて家族連れが愉しそうです。
「八重洲の由来」
「八重洲」の地名の元となったオランダ人、”ヤン・ヨーステン”(のちの日本名・耶楊子)が
乗っていた商船「デ・リーフデ号」
1600年(慶長5年)日本に漂着したオランダの商船「デ・リーフデ号」の像です。
(船名のLiefdeはオランダ語で愛を意味します。)
丸ビルの南側敷地に設置されていますが、古くて地味なので気が付かないで通り過ぎてしまいそうです。
オランダ船リーフデ号でウイリアム・アダムス(のちの三浦按針)等と備後に漂着し助けられた”ヤン・ヨーステン”は
そのまま日本に留まり、徳川家康の信任を得て、外交や貿易について進言する役目につきました。
彼の江戸屋敷は現在の和田倉門~日比谷間の内堀の沿岸に与えられ、この地がヤンヨーステンの名前に
因んで「八代洲河岸」(やよすかし)と呼ばれて明治まで続きました。
現在は中央区の「八重洲」としてヤン・ヨーステンに因む地名が残っています。
「開業当時のホーム支柱」。
東京駅の5・6番線(山手線、京浜東北線)には開業時のホーム支柱が残っています
「0キロ標識」(ゼロキロポスト)
新幹線をはじめ、東海道、東北線などの起点は東京駅です。
その位置を示すのがこの通称ゼロキロポストです。
「浜口雄幸首相遭難現場」
昭和5年11月14日、岡山で行われる陸軍特別大演習参観の為、特急・燕に向かってホームを歩いているところを
狙撃されました。
此処が現場です。
中央通路のそばです。
ここで、ツアーは解散となりました。
時間もまだ早かったので、友人と「和田倉噴水公園」に行くことにしました。
丁度噴水の水が吹き出しそれに光が当たって、虹が見えました
風はまだ冷たくても、暖かな日差しを求めて家族連れが愉しそうです。